地淵の女性遍歴(つーか片思いだけじゃん)
小売り時代、私が岩見沢に転勤になった時、多数の女子社員と知り合いになったが、前にどこかに書いたように(ツイッターだと思う)、発達障害とわがままによるやらかしで、あんまり好かれなかった思い出がある。そもそも、岩見沢に赴任した初日に、転倒して膝をすりむき血だらけになるというヘマをやらかしていた。いつもそうだ、アメリカに研修旅行に行った時も、転倒して手をすりむいた。同じ過ちを繰り返している。膝小僧から血を流してあわてている成人男性を見て、彼女らも情けない奴が来たと思ったことだろう。
ある日、女子社員がおやつ用にと、地本名物の饅頭を買って来たことがある。
彼女たちは包み紙を広げて、お茶を入れてくれた。私たち札幌からの転勤族に対するちょっとしたおもてなしの宴。
その時、私は「これもう飽きた」と言ってしまった。前日に全く同じものをいただいたからだ。
「飽きたじゃないわよ。せっかく買って来たんだからいただきなさい」と半分怒り、半分せかすようにして饅頭を勧めてくれた女子社員。彼女は煙草の吸い口を口紅で染め上げ、女性は煙草を吸わない方がいいとの固定観念に凝り固まった私を失望させた。
大学生時代、同級生は、語気を強めて盛んに主張していた。
「煙草を吸う女性は、俺は彼女に選ばないね。育ちゃんもそう思うだろう」
相手が自分より格上なので同意しておいたが、当時の私は同じ考えでいた、どちらかというとアンチフェミのような考え方をしていたのである。時代的なものとは言え、仕方のない事であった。
また開店前のため、ホテルに泊まった時、女子社員は別の番組を見たがったのだが、私一人だけ、た〇しの番組を見たいと言ってだだをこねていた。結局私の言い分が通ったのだが、下ネタの連発で誰も画面を見ようとはしなかった。ブラウン管の中では全裸のた〇し軍団がくだらないギャグを披露していた。
どうも私のわがままは昔かららしい。どこに行っても「わがままさ」を指摘される。とにかく自分の思った通りに事が運ばないと、途端に機嫌が悪くなる。他人の都合なんて考えられない。それが私だった。
結局、小売り時代は彼女はできなかった。仕事がかなりできなかったのだから当然と言えば当然かもしれない。バックヤードや売り場で、日常的に上司や部長や同僚に叱られていた私を見て、恋心を抱く乙女がいたら、相当の変人である。何せ私は、セール前に、売れて商品のなくなったエンド売り場を放置して帰宅し、次の日一日休んでいたぐらいだったのだから。その後店を移ったが、そこでも二名ぐらいに片思いしていた。一人はマラソンのQちゃんに似た女性。もう一人は新人さんでパフィーのどちらかに似ていた。どちらも告白せずに終わっている。
やはり、仕事が出来ない奴は恋する資格なんてないと考えていた。飲み会でおでん屋に入った時の高〇尚子似の女子社員の笑顔を、今でもはっきりと覚えている。小売りでは職場結婚が多く、同店でも三組のカップルがゴールインしていった。仕事のできない私を置き去りにして。どうにもこうにも、私レベルの仕事をしている社員は一人もいなかったのである。会社を去る間際、同僚が私の背中を蹴飛ばして怒鳴った。「お前の仕事はアルバイトレベルなんだよ。考えろ!考えろよ!考えて仕事しろ!」
私は首をひねった。「考えているのになぜできないんだろうかと」結局そこは追われる様に辞めていった。
DTPデザイナーの勉強をするはずだった私だが、父の猛反対に遭い、強制的に介護専門学校に入れられる。事前に自分には介護の仕事は無理だと感じていた。ところが兄からの電話で、考えががらりと変わって恋愛OKの考え方になってしまった。兄から「介護の仕事がうまく軌道に乗れば結婚も考えたらどうだ」と背中を押されたからだ。このようにちょっとしたことですぐ乗せられてしまうのが、発達障害者の悪い癖かもしれない。私は色気づいてしまった。
5月ごろは新緑の季節だ。春になって季節に浮かされたのか知らないが。この頃になるとクラスの7割がカップルになってしまって妬いた。彼氏、彼女持ちは除外するが、その中で取り残されたのは、妻帯者と私と、発達障害が酷すぎた同級生の三名である。私たちは、発達障害が酷くてトラブルばかり起こしている生徒の名前を取って、〇〇ファミリーと呼ばれて、女子生徒たちから露骨に避けられていた。「〇〇ファミリーに入りたくない」という歌まであった。〇〇くんは、女子生徒を見るとナンパ風に声をかけ、酒を飲みに行かないかと誘ったり、カラオケでムード歌謡を歌わないかと時代錯誤的な誘い方をしていた。その癖、口が悪いのか。「ブス。ババア」を連発するので、露骨に疎まれていた。おそらく、何らかの発達障害の症状ではないだろうか。そして私は当時、80キロを超えていて見た目が泥恵比寿だったのでやはりキモがられていた。
そんなイケてない私が恋をした相手は、バス停の喫煙所で知り合った女子生徒だった。よく考えると煙草も吸わないのに、そこに毎日、彼女会いたさで通っていたから私も〇〇くんのことは言えない。クラブに通うような地方出身の女生徒で「米とぎならまかしておけ、米とぎの〇〇とは私の事だ!」と自慢するような変な娘だった。
今思うとドジっ子でメガネを学校に忘れて帰宅したり、『本当は怖いグリム童話』に興味を持って、近所の図書館から児童向けのグリム童話を借りてきて「ちっとも怖くない」と言い出したり、学校でバイト先の履歴書を書く時、卒業年次がわからず周囲に聞いたり、かなり愉快なエピソード満載の女性で、おそらくADHDではないだろうか、ただし介護の適性はあり、仕事はテキパキこなしていた。
結局その子とはダメで、二年時に新入生に恋をするが、挨拶以外話す話題がないので、とにかく顔を売っておこうと挨拶だけ繰り返していたら、ある日自分を見る目が般若みたいになったので、諦めた。
嫌な偶然だが、どちらも〇〇出身なのでびっくりした。
あとは、スーパーの知り合いの社員が好きになり、挨拶を交わしたり仕事を手伝うような仲になったのだが、椎間板ヘルニアを悪化させてしまってダメになってしまった。スーパーでは、仕事が出来ないことで有名になりがちなので、どうしても不利になってしまうのだ。考えてみよう、毎日フロアで上司や同僚に叱られまくっているヘマばかりしているフリーターを好きになったりするかい? 答えは否だ。
その後、Mixiで、三人の女性と知り合ったが、全員ダメになった。そのうち一人が女芸人だったのだが、今は完全に姿を消している。彼女はコンピューターの才能があったのだが、なぜかそちらには進まずお笑い芸人をしながらガールズバーの店員をしていた。当然誘われたが下戸だったのと、養分になるような気がして断っている。そのくせ付き合おうだなんて虫のいい話でもある。メールで告白したら「今年一番の悪い知らせが来た」とmixiに書かれてしまった。
もう一人は女子大生だったが、イケメンの彼氏ができた後音信不通になった。元気にしてるといいのだが。
最後の一人は、いろいろと人生波乱万丈で、最後のツイッターでは作家デビューできそうで終わっていた。もし作家で活躍してるのなら、小説の書き方を教えてもらいたいものである。
ネットの出会いでは、文章だけで振り向かせねばならず、いろいろと大変だ。なにせミラーリングや傾聴がまったく使えないのは厳しい。よく昔、まとめサイトなどで「メールだけで五分で落とせるテク」なんて恋愛系の情報商材が売られていて、真剣に欲しいと思っていたぐらいだ。ネット恋愛は私には不向きだと思う。