平穏と事情
この家に来てから五日が経った。
特に変わったことは無い。いや、以前からすると劇的変化だ。ここでは奴隷であるということを忘れそうなくらい待遇が良い。使用人に格上げしたみたいだ。ご飯は三食必ずあり、流石に主よりは質が劣るもののいいものがでる。質素だが普通に部屋を割り当てられた。
仕事もこの家の掃除や皿洗い、洗濯などをやっている。主の身の回りは執事のジースが全てやっているので基本関わることはない。仕事が終われば自由な時間がある。俺はその時間に習慣になっている訓練をしたり、ユノと仲良くなろうと努力したりしている。
やはり長年やって来たことは状況が変わったからといって、急にはやめられないみたいだ。だが、流石に全てやっていると時間が無いので訓練は軽くなっている。
ユノはなかなか会話をしてくれない。ご飯は俺の血を素直に飲んでいるし、いつも俺のあとを付いてくるから、嫌われてはいないと思うんだけど……。基本言葉を話さない。仲良くなろうと努力はしているんだけどなぁ。
この緩い環境のせいで俺の鉄仮面が壊れてきている気がする。感情が表に出てしまうことが良くあるのだ。いつも気を引き締め直さなければと思っているが、ユノを見るとほわぁってなってしまってだめだ。精進しなければ。
この5日間でたくさんの事が分かった。
まず、この待遇からしてロザリアは奴隷の扱いに慣れていない。いや、初めての可能性が高いだろうということ。
奴隷相手にこの対応はいくらなんでもおかしい。使用人と同じ扱いなんて聞いたことがない。まぁ、給料はでないが。
次に、この家には奴隷を入れて四人しかいないということ。つまり、俺、ロザリア、ジース、ユノの四人。使用人はおろかロザリアの両親もいない。だから、俺の仕事が家事みたいなもので、部屋も有り余っているから一部屋貰えているのだ。
貴族のことはよく知らないが、奴隷の俺でも普通ではないということだけは分かる。しかし、主たちがこの事について全く触れないので、俺もどうしようもない。奴隷が踏み込んでいいことではないし、そもそも満足な生活をおくれているので言うことは無い。
いや、一つだけ言わせてもらうと、奴隷の身分だからとみすぼらしいねずみ色の服を着せられているのはどうかと思う。俺はまだいいが。ユノにもっと可愛い服を着せてほしいです……。
それから更に五日経った。
もう剣闘士だった頃がはるか昔の事のように思えてくる。死にかけたのも嘘だったかのようだ。怪我の後に残っていた違和感も消えた。横腹の傷だけは治った後も引つるような感覚があったが、もう無くなっている。他の部分の傷跡は綺麗になくなり、横腹の傷跡だけが残った。この傷跡だけが、あの死闘が現実だったということを実感させる。
もう何の為にしているのか分からないが、惰性で訓練を続けている。そろそろ、やめてもいいだろうか。
今日は主の呼び出しがあるんだった。このへんで訓練は終わりにするか。
水浴びをして服を着替える。
あの頃はこんなことできなかったな。俺も偉くなったもんだ。ふふっ。
なんだか笑えてくるぞ。
廊下を歩き、主の部屋の前で止まる。予定の時間ぴったしだ。ノックをする。
「ミュールでございます」
「......入って」
中から主の声が聞こえた。扉を開き中に入る。
「失礼致します。なんの御用でしょうか」
俺は跪き、要件を尋ねる。
主は椅子に座り、ジースは斜め後ろにひかえてこちらを向いている。
「ミュールに新しい仕事を与えようと思うの」
「新しい仕事……ですか」
嫌な予感しかしない。俺は唾を飲み込み、次の言葉を待つ。
「そう、冒険者になるのよ」
「……」
おっと、予想外過ぎて思考が止まってしまっていた。
冒険者になる? 俺が? 全く想像ができない。
冒険者とはギルドに登録し、様々な仕事を受け持つ人々の事だ。ギルドに来た依頼を受け、お金を稼ぐ。
便利屋みたいなものだが、その内容は過酷なものが多い。ギルドとは別で便利屋は存在していて、探し物やちょっとした力仕事、掃除の手伝いなどを受け持っている。
だが、ギルドに来る依頼はそれとは比較にならないほど危険度が高い。魔物の駆除や素材の採集、賊の討伐、秘境への探索などが主な依頼である。それ故に死亡率はとても高い。
しかし、冒険者の数は極めて多い。その理由はギルドの仕組みと報酬にある。
ギルドへの登録は誰でも出来る、試験なんてものはなく、登録費が少し必要なだけだ。そして、全ての国にギルドはあり、機能も同じ。つまり、冒険者になればどの国のギルドの依頼でも受けることができるのだ。この冒険者の自由度が一つの理由。
もう一つは危険に見合うだけの報酬が得られるということ。難易度の高い依頼をこなせば、莫大な報酬が手に入るので、一攫千金を狙う人たちが多く集まるのだ。
そんな自由で博打のような仕事が冒険者なのである。それに比べて剣闘士は真逆の仕事だろう。俺は奴隷ということもあって自由など一欠片もなかった。それに人と闘うといっても、所詮見世物だ。本当に下位のクラスでは死ぬ気、殺す気で闘っているが、闘い慣れてくると加減がわかるようになる。剣闘士の本当の仕事は闘うことではなく、客を喜ばせることなのだ。運営側も強い剣闘士を減らしたくないと思っているので死ぬまで闘うことを強制しない。だから、相手を殺すのではなく倒せば勝利となるのが殆どだ。まぁ、それはあまり公にしてもダメなので、暗黙の了解となっている。
だから、冒険者という仕事は知っていても自分がするとなると全く想像ができないのだ。まして、貴族と冒険者の関わりなんて……いや、まさか……。なんとなく、想像が出来てしまう。
俺の沈黙をどうとったのか分からないが、ここに至るまでの流れを話し始めた。
ロザリアの実家であるフォークス家は、ヴァルナ帝国の辺境だが広い土地を治める貴族で、それなりに力があったらしい。しかし、ここ数年で急激に魔物が増え、土地が荒れ、手に負えなくなった。そこで国に応援要請をしたが、敵対派閥の貴族の策略によって受理されなかった。そのせいで土地を手放さなければならなくなり、今では魔物で溢れている。所謂、没落貴族というやつだ。
魔物の侵略の際に両親は亡くなり、一人娘のロザリアは帝都に逃げてきたが、お金があまり無いので使用人も雇えず、昔からの付き合いであるジースだけが残った。で、ロザリアは復興と復讐に向けて頑張っているという状況らしい。
そんな時にちょうど俺を拾い。妙案とばかりに冒険者としてお金を稼ぎ、栄光を得る役目を与えようとしている訳だが。
お金はともかく栄光は絶対に無理だ。そんなの人外の英雄クラス(冒険者でいうとSランク)でないといけない。そいつらはドラゴンやら悪魔やらやばいもんを倒す、伝説のような存在だからな。
しかも、俺は対人特化だから魔物は相性が悪い。ジーラスクは例外中の例外で倒せはしたが、俺も死んでた。運良く生き延びたが、こんなことがそう何度も起こるはずがない。
仕方ない、賊討伐専門にするか。
この件に関しては、既に決定事項となっているようなので俺に拒否権、選択権はない。唯一、ユノを連れていけるのが救いか。あの弱った状態で俺と同等の力。まだ幼いとはいえ相当な戦力になるはずだ。
ギルドへの登録と冒険者としての活動は明日から始めるとのことだ。俺が全快するまで待っていてくれたらしい。
なるほど、ぴったしだ。治癒特化は伊達じゃないということか。
そして、死なない限りは治してあげるとのこと。有難いが、恐ろしい……。
「初めは様子見をして、その後ノルマをつけていくわ。届かなかったら、お仕置きだからね」
可愛い感じで言っているが、目がマジだ。付き合いが浅いだけに何をされるか分からない。本気でかかろう。
「話は以上よ。あと、今までの仕事はもうしなくていいから」
冒険者家業に専念しろということか。ユノにも話さないとな。
「承りました。失礼致します」
俺は立ち上がり、ドアを開けて外に出る。
「うふふふ。まだ終わらない。終わらせないわ。……あのタヌキ共、絶対に許さない」
ドアを閉める時に中から不穏な声が聞こえてきたが、俺は何も聞いていない。いや、本当に。
部屋に戻ると、ユノが待っていた。何度見ても癒される。可愛いなぁ。ロザリアは亜人だからとユノを遠ざけているが、俺にはよく分からない。全くこんなに可愛いのにな。
俺は細かい事情は省いて、これからの事を話した。
「明日から俺は冒険者になるんだが、ユノもついてきてくれるか?」
こくっ
頷いてくれた。素っ気ないが、とても嬉しい。思わず、抱きついてしまったではないか。
ユノは腕の中でもぞもぞ動いている。なんだ、照れてんのか、かわいい奴め。
戯れるのはそのへんにして、明日に備えて今日はもう寝ることにする。もう遅い時間だからな。おやすみ。
朝が来た。今日はギルドへ登録に行く日だ。とりあえず、主のところへ行く。
「では、お金を渡しておくから、これで登録して、必要なものを揃えるといいわ」
そう言うと、控えていたジースが皮袋を渡してきた。ジャラジャラいってる。
「ありがとうございます。では、行ってまいります」
俺はお辞儀をして、ギルドへ向かった。
読んでいただきありがとうございます。