記憶喪失の少年は犯人の検討を付ける
次の日の日中、余古葉真のある6階建てのマンションの4階のある部屋。その日も、家主は仕事で部屋にいなかった。一人、夕希はパソコンの前に向かっていた。
許可は家主から取っている。使い方も教えてもらった。何故、彼がパソコンを使おうとしているのか?理由は簡単。彼がプレイしていたゲームでどうしても倒せないボスがいたので、そのボスの攻略法をインターネットで調べようと思ったのだ。
彼は慣れた手つきでパソコンの検索エンジンを起動させる。攻略方法はすぐにわかった。携帯ゲームを起動させる。攻略方法が分かったら倒すのは簡単だった。そのボスを倒してしまったら、彼は飽きてしまった。そのRPGで倒すことのできるボスは倒しつくしてしまったからだ。
パソコンの検索サイトは色んな情報が載っていることを彼はふと思い出した。彼は暇つぶしに検索サイトを開こうとする。
ところで、検索サイトには下の方にニュースが1行分だけ載っている。クリックすれば、詳しい情報が得られる仕組みだ。
検索サイトを再び開いたとき、彼は画面の下に載っていたある一文が気になった。
「12歳の少年、まだ見つからず」
特に何を思ったわけではない。ただ、なんとなくそれをクリックした。
その記事には余古葉真のある夫妻が殺害された事件について詳細が描かれてあった。そして12歳の少年が今も行方不明であり、捜索が行われていることも書かれてあった。行方不明の少年の顔写真もあった。名前もあった。
これは僕のことについて書かれているんだ。ふーん、僕の名前は横山夕希というのか。
彼は他人事のように自分の記事を見ていた。記憶喪失だったためか、はたまた12歳というまだ精神的に成長過程の年齢であったためだったのか、それは分からない。だが、彼は、自分自身が横山夕希という人間であること。彼の両親が既に死んでいること。それらの事実を彼自身は言葉では理解をしていても、現実の重みとして覆い被さることは無かったのである。自分自身が記事で語られている横山夕希だという実感がない彼にとって、それらは空想の世界の話にさえ思えたのである。
彼は自身が横山夕希という人間であり、両親は既に死んでおり、警察が捜索している人間だということは心ではわからなくても脳では理解した。理解したら新たな疑問が生まれた。
まず、この殺人事件の犯人は誰なのか?記憶喪失の直後を思い出そうとしても犯人らしき人間とは全く出会わなかった。この時、自分自身が犯人かもという可能性は考えもしなかった。結局、犯人の検討は付かなかった。
最初の疑問が未解決に終わると、次の疑問が浮かんだ。この家の家主ともう一人の男は何故、この事実を隠していたのか。まず、家主はおそらく、この事実自体を知らないのだろうと思った。家主は彼の目から見ても抜けた女性であることがわかっていたからだ。
じゃあ、男性の方はどうだろうか?彼のことを、最初に「夕希君」と呼んだのは彼だ。となると、事実を知っていたことになる。なら、何故それを横山夕希本人に告げずに隠していたのか。全く持ってそれを知らせない理由が無い。いやそれを知らせたくなかったのかもしれない。
もし、知らせたくない理由があったとしたらそれは一体何だったのか?
ここで、彼の脳はこれまでの4日間のことを思い出しながら、フル回転を始める。かつての永見の所作、行動から彼の目的を探ることにしたのだ。
永見は横山夕希の顔を初めて見た時、驚愕した。つまり、この時点で、横山夕希のことを知っていたことになる。
永見は横山夕希にテレビを見させないように仕向けた。つまり、横山夕希が自分自身のことを知る機会を与えないようにしていた。
また、永見は佐原のお薦めのゲームをやらせないようにしていた。おそらく、それをプレイすると、知られたくないものが知られる可能性があったから。
ここで、彼は佐原の部屋に行き、大量の乙女ゲームの入った箱を漁りだす。純愛物や歴史物がほとんどだが、その中にわずかに調教、監禁物のゲームもあった。結局の所ここを調べても永見の意図はよくわからなかった。
疑問は残るが推理を続ける。
永見は佐原との関係について聞かれた時、はっきり否定した。つまり、この部屋に来るのは佐原が目的ではなく、横山夕希自身が狙いだったと考えるべきだろう。
そこまで考えて、一つ思い出したことがあった。永見がこの殺人事件が起こった当日に犬カフェに行っていたことだ。そのことは佐原から聞いたことだったが、この時、佐原はこんなことも言っていた。
「犬に興味ない人と思っていたんだけど、結構犬をかわいがっていたのよ。意外だったわ」
犬に興味ない男が、関心を持っていない相手の女をわざわざ誘って犬カフェに行く。そんなことは有り得ないだろう。何か別の目的があったに違いない。そこまで、考えて、彼は背筋のぞっとする可能性を思い浮かべた。
永見は横山夕希の両親を殺した犯人なのかもしれない。
つまり、彼は余古葉真に行く名目を作るために、佐原を犬カフェに誘ったのだ。そうすれば警察に尋ねられようが、殺人事件の日に彼が余古葉真にいた理由を説明することができる。アリバイ工作まではできなくても、多少警察からの不審感をやわらげることができるのではないだろうか。そうだ。おそらくそれを狙っていたに違いない。
そうすると、殺人事件の真相はこうだ。永見は佐原と犬カフェに行って、楽しんだ振りをして、犬カフェを出る。佐原と別れた後、横山邸に直行。横山夫妻を殺人。ここで、何故か横山夕希を残して逃亡を図る。こんな流れなのだろう。
そうなると、後は、何故横山夕希に危害を加えなかったか。そして、今も何故ここに通っているのか。これに関しては一つの推測ができる。もしかしたら殺人事件の当日、永見と横山夕希は出会っていたのではないだろうか。そして、初めて顔を合わせた時、この男はこう思ったのではないか?
「可愛いから、お持ち帰りして、家に監禁しよう」
そう考えたら、つじつまは合う。佐原お薦めのゲームをやらせなかったことも、監禁や調教を本人に連想させないためだろう。また、毎日関心の無い女の家に上がるのも、じっと何かを考えながら横山夕希のほうを見ているのも、全て横山夕希を自分の物にするための何かの方策を練っている所だったと考えるのが自然だろう。
つまり、永見は殺人犯で、僕を監禁して調教しようとしている!
夕希は目に涙が溜まってきたが、泣き出すのは何とかこらえた。夕希にとって永見が犯人だということは信じたくなかったが、状況から見てそうとしか考えられなかった。永見本人が聞いていたら困りながら怒り狂ったであろうこの結論を横山夕希本人は信じ切っていたのである。そして、その結論に至った時、昨日の永見のある発言を思い出した。
「そろそろ、潮時かもしれんな」
潮時とは何だろうか?もしかすると、横山夕希本人が真実を知ることを言っていたのか。それを知ると、永見が困ることと言えば、おそらく横山夕希本人の逃亡だろう。そうなると、永見は逃亡されないように強硬手段に出るかもしれない。
例えば、彼の家に監禁とか。
ここから急いで逃げ出そう。
彼は決意した。悪魔のような犯罪者の魔の手から逃れるために彼は行動を始めた。
その日の夕方、私と佐原さんは一緒に佐原さんのマンションに向かっていた。手には夕食の材料が入った袋がある。今日の夕食はさんまの塩焼きらしい。魚嫌いの人がいないので助かるというのは佐原さんの弁だ。ちなみに、私はシイタケが吐きそうになる程度には、夕希君は玉ねぎが苦手だ。佐原さん?彼女は何でも食べる。
殺人事件は今日も何の進展も無かった。犯人の検討も全くつかないそうだ。ニュースは事件そのものに進展がない事から、現場に残された状況から犯人像を推測したり、被害者に関する情報がつらつらと並べられていた。私もそれらのニュースを見ていたのだが、悲しいことに被害者の横山夫妻を恨む人間は少なくなかったようである。今回の事件をきっかけに、彼らが詐欺犯罪に関わっていたことが判明されており、殺人の動機は詐欺の被害を受けての怨恨だったのではないかと言われている。
「殺人事件の情報を求めています。ご協力お願いします」
情報提供を呼びかける紙を配っている女性が道行く人に声をかけていた。これを見て、私はまずいと思い、佐原さんに別の道を通らないか提案する。佐原さんは「えっ?なんで」といった風に構わず歩き、自然に女性から紙を受け取って、そのまま歩いて行く。あっ、あれ?佐原さーん。
そのまま、彼女はじっと紙を眺めながら歩いて行く。紙には行方不明の少年がいることや少年の写真も名前も書かれている。いくら、佐原さんでもこんな紙を見てしまったら、夕希君の正体に気付いてしまうだろう。私は突然、佐原さんが叫び出しても、すぐに口をふさぐことができるように、両手を構えた。周りからは女性を襲おうとしている不審者にしか見えないかもしれないが、しょうがない。
突然、佐原さんはため息をついた。そして、私のほうを向いて、眉をひそめながら話しかけてくる。
「はあっ、どうしま……、って永見さんは何のポジショニングを取っているの?」
「君が突然、叫ぶかと思って構えていただけだよ」
私は構えていた手を元に戻す。道端で間抜けなポーズをしただけになった私はちょっと恥ずかしかった。
「あはは、何で叫ぶのよ……?まあ、夕希ちゃんのことなんだけどね。さすがにもう話したほうがいいのかしらね」
さすがに?もう?彼女の言葉に私は驚いた。もしかして、夕希君が行方不明の少年だということを前から知っていたのだろうか。私は思わず尋ねてしまった。
「知っていたのか?」
「えっ、ええ。ま、まあね。……一昨日知ったけど」
さすが佐原さん。情報が遅い。詳しく聞いてみると、昨日の昼食時間に寄った定食屋のテレビで情報を知ったらしい。なんか見た事ある人がテレビに映っているなと思ったら、夕希君だったので、思わず食べていたパスタを吹き出しそうになったそうだ。
「しかし、それなら、何で夕希君に話さなかったんだ」
「まあ、何故か永見さんも言わなかったので」
「うっ。それはそうなんだが」
「永見さんは何故言わなかったの?」
「突然、両親がいなくなってしまった子供の気持ちを考えてしまったら、どうしても言えなくてな……」
「そう」
佐原さんはそれだけつぶやくと何か考え込んでいるようだった。時折、目を閉じたり、口をへの字に変えたりして百面相のようにころころ表情を変えている。何かを伝えたがっているようだったが言葉に出来ない。そんなもどかしい思いをしているようだった。
「ちょっとだけ昔の話です。ある家に毎日毎日、犬が吠えてしまうような喧嘩をしている夫婦がいました。好きなご飯の違い、帰って来る時間の違い、お小遣いの違い、二人が喧嘩する理由はたくさんありました」
突然、佐原さんは昔話を始めた。私は彼女が何を言いたいのかさっぱりわからないが黙って聞くことにした。
「ある日、夫が帰ってきました。かなり夜遅くにです。このことに妻はカンカンに怒ってしまい、二人はその日も喧嘩をしました。ですが、この喧嘩はいつもの喧嘩と違いました。この喧嘩の後、二人は別れることを決意してしまったのです。別れると決めた二人ですが、一つ困ったことがありました。二人には一人の娘がいたのです」
ここで、一旦言葉が止まった。彼女の顔を見ると、普段の仕事では見られないような真面目な表情でこちらを見つめている。
「その娘は、まだ8歳でした。二人は話し合い、妻のほうが娘を引き取ることになりました。話し合いが終わり、二人は本当にお別れです。娘と夫もお別れになりました。ですが、夫は娘に「少しの間だけ、旅行に行ってくるよ」と言ってしまったのです。そいつは帰って来る気なんて全く無かったのにそんな言葉を吐いたんです。そんな言葉を信じて、娘はあいつを待ちました。1年ぐらいたった頃、娘は周りの大人に「お父さんはいつ帰って来るかな?」と聞きました。周りの大人は「もうすぐ帰って来るよ」と微笑みながら娘に嘘をつきました。娘はその嘘を信じました。ずっと信じました。でもある時、それは嘘だと気付きました。嘘と気付いた娘は何て思ったでしょうか。この世は嘘に満ち溢れていて、とても残酷な世界で、誰もが優しい世界では無いということに気付いたのです。当時、飼っていた犬以外、娘は周りにある全てが敵だと思ってしまったのです。ちゃんちゃん。あっ、オチは無いですから」
語り終わった彼女は一瞬、乾いた笑いを浮かべた。だが、すぐ真顔に戻る。
「正直、嘘をつくことは悪くないと思うんです。それは仕方なかったことだと思うから。でも、嘘をつき続けると、失ってしまうものもあると思うんです。私はこれ以上嘘をつくと周りの大人を信じられなくなるのではないかなと思います。だから、今日全てを打ち明けませんか?」
その娘のことが誰なのか。それを聞く必要は無かった。
「わかった。全て、打ち明けよう。そして騙していたことを謝ろう」
私も夕希君に真実を伝える決心した。それでは、今から佐原さんのマンションに向かおう、そう言おうとした時だ。
突然後ろから誰かに声をかけられた。前方にいる佐原さんが少し、驚いた顔をしている。私が振り向くとそこには、紺の帽子に紺の上着を着た男たちがいた。
「ちょっとすいません。警察の者ですが、ご協力願えませんか」