会社の同僚が少年を拾って来た
アイ○ィアファ○トリー様御免なさい
某年某月某日。仮名画羽県余古葉真市の住宅で自営業の横山氏とその妻が自宅で血を流して死亡しているのが発見された。県警は殺人事件と見て、捜査本部を設置する模様。夫妻は体に何度も刺された傷跡があることから、同氏に深い恨みを持つ人物による犯行ではないかと目されている。また、同氏の長男夕希君(12)が同日から行方不明であることから、事件に何らかの関連があると見られており、本人の目撃情報を募っている。
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時は2週間ほどさかのぼる。
「はああー。かわいいわあ」
とあるオフィスの部屋の中、私の目の前で、スマホの写真を眺めながら恍惚とした表情を浮かべている同僚の女がいる。その女、佐原ハナさんが見ているのは彼女が自宅で飼っているポメラニアンの写真だ。写真を眺めるのはいいのだが、今は仕事中だ。目の前のパソコンに集中してほしい。
「ねえ。永見さんはどう?かわいいでしょ。うちのジャック」
何故、殺人鬼を連想させるネーミングを犬につけるんだとつっこみたくなったが、それは口に出さない。永見さんである私はパソコンを打つ手を止め、仕方なく彼女のスマホに目を向ける。白いモコモコの物体がそこには映っていた。白い毛、赤い首輪、人懐っこそうな黒い目、悪戯をした直後なのか何故か寝転がった体勢でペロっと舌を出している。確かに愛嬌があって可愛い。
「ああー。結婚するならジャックがいいわあ」
幸せそうに、しかし真顔でそんなことを彼女はのたまった。お前は何を言っている。ジャックみたいなかわいい子じゃなくて、犬のジャックと結婚したいというのか。異種婚というやつなのか。レベルが高すぎるだろうが。
だが、彼女のそんな笑顔は1週間後に消えてしまう。そのジャックが寿命で亡くなってしまったからだ。どうやらかなりのご高齢だったらしい。
さらに1週間後、雨に濡れた犬のようにしょぼんとした彼女がデスクに向かって無心にパソコンを打っている。周囲の同僚からの視線が痛い。何故か私に「こいつどうにかしろよ」と訴えかけているようなそんな視線が突き刺さってくる。まあ実際、元気が無いという意味でも、彼女が真面目に仕事をしているという意味でも今の彼女の姿は有り得なかった。私は彼女に元気になってもらいたい、そんな意味を込めて私は遊びに誘うことにした。
「なあ、佐原さん。仮名画羽の余古葉真駅の近くに犬カフェができたそうなんだよ。一緒に行ってみないか」
愛犬が死んだ後に、犬カフェに誘うのは不謹慎のような気がしたが、彼女の趣味は正直犬しか知らない。そんな彼女は、私の言葉を聞きながらも、ぼおっとした表情で、顔を少し上げ、「犬カフェ……、ああ……、いいですね……、犬……、ジャック……、ジャック……」とぶつぶつつぶやいている。
私は「OKなのかな?」と思いながら彼女を見ていると、彼女が突然叫び始めた。
「ああぁぁあ!ジャック。何であなたはいなくなってしまったの!」
まずい。まだ経過観察するべきだった。急いで、精神ケアをしないと。私は通信教育で習った精神ケア術を使って彼女の治療を試みることにした。
「佐原さん。ジャックはいなくなったんじゃなく死んだんだ。人だって、犬だって、死んだらもう生き返らない。ジャックは人生、いや犬生という旅を終えたんだ。これからは、天国で新しい犬生を生きることになっているんだよ」
「じゃあ。私も死ぬわ!ジャックと同じところに行く!ねえ、何処に行けば死ねるの!」
「佐原さん。落ち着いて、それにそういう気持ちを持っていると、佐原さんの未練がジャックに伝わって、ジャックは安心して天国に行けないんだよ。佐原さんはジャックが地獄に落ちて欲しいと思う?」
「えっ、ジャックが地獄に!……あっ、いいえっ、……落ちてほしくないわ」
「じゃあ、生きるんだ。ジャックの死を受け入れて生きよう。そして、僕と一緒に犬カフェに行こうよ」
「そ、そうよね。私が悲しんでいたらジャックも安心できないよね。わかったわ。ジャックは私の心で生き続ける。それでいいのよね」
「うん。じゃあ、一緒に犬カフェに」
「行きましょう。私はそこで新しい恋を探すわ」
なんで犬しか興味を持てないんだ!ずっこけそうになった私はそう叫びたかった。だが、他人の思想を変えることは非常に難しいのだから、こうやって少しは元気になっただけでも喜ぶべきなのだろう。
その日の夜、私たちは犬カフェに一緒に行った。店内は小型犬が出迎えてくれた。常連さんの中には、自分で飼っている犬を連れてこられた方もいて、その犬は他人に慣れているのか私も触らせてもらった。犬種はトイプードルだ。
すごいモフモフする。気持ちよかった。佐原さんが犬好きなのもわかる気がした。「永見さんそんなに犬が好きなんですね。嬉しいです」と佐原さんから言われてしまった。
佐原さんのほうを見ると、よだれを垂らしそうな勢いでポメラニアンに食いついていた。まあ、普通に撫でていただけなんですけどね。
犬カフェを出た私たちは家の方向が真逆だったので、そこで別れた。正直、彼女の家まで送ったほうが良いと思ったが、無理に家に送ろうとしても不審がられるだろうと思ったので止めておいた。
次の日、佐原さんは明るい表情で仕事をしていた。いや、明るすぎた。時折思い出したかのように含み笑いを始めるので、私は犬カフェがそんなに楽しかったのかとその時は思っていた。彼女が退社直前に「私の家に来てほしい」と言うまでは。
「すみません。でも、どうしても永見さんに見てほしいものがあって」
彼女の家に向かう途中、彼女は謝りながら私に話しかけてきた。私はかなり動揺していた。昨日の今日で家に呼ばれるというのは想定外だったからである。だから、彼女の言葉も深く考えていなかったのである。彼女の「見てほしい」というものが何なのか。
適当に同僚の話をしながら彼女の家に向かう。気づいたら彼女の家に着いていた。6階建てで集合玄関がオートロックになっていて、防犯カメラの付いているマンションである。一人暮らしの女性だと、最低これぐらいの設備が無いと不安だろう。
彼女に連れられて、4階まで、エレベーターで上がる。4階のフロアの一番奥の405号室の扉が彼女の部屋だった。彼女は部屋の扉を開けると飛び込むように奥に向かって行った。
「ジャックー。帰って来たよー。いい子にしてたー?」
ジャックだと!生き返ったのか!いや、私は何を言っている。だが、猫なら化け猫になって甦ることもありうるだろう。っておま、それも有り得ないだろう。第一、生き物は絶対に生き返らないと、少し前に私自身が話したことではないか。
冷静に考えよう。彼女は「ジャックー」と奥に向かって呼んだ。ということは奥にジャックと呼ばれる何かがいるということだ。だが、ジャックは死んでいる。つまり、そいつはジャックではない。
そこまで考えて、私は一つの答えが出た。おそらく、佐原さんは昨日私と別れた後、捨て犬を発見したんだろう。昨日、犬カフェで犬と触れ合った彼女はおそらく、新しい犬を飼いたいと思ったに違いない。そう思っている時に、捨て犬に出会った。そしたら連れて帰るだろう。犬好きの彼女ならやりかねない。それで、一応、犬好きに認定された私に見せてあげよう考えた。そういうことならわかる。
私は玄関を上がり、廊下を渡って部屋に入る。私はそのジャックと呼ばれた何かの顔を見て驚愕した。
白い肌、赤い首輪、つぶらで大きな瞳、茶色い耳、初めて会う人間を見て困惑しているのか、首をちょこっとかしげながらこちらを見上げている。確かに愛らしい姿なのだが……、耳が生えていて、首輪をつけているのだが……、それは普通の少年以外の何物でもなかった。
何で少年がここにいるの?ここは新しい犬っていう流れじゃないの?
困惑する私は頭の中で状況を整理する。
佐原さんは捨て犬を拾ったわけじゃなく、少年を拾って来た。
少年は人権で保障されている。
人権を持つ少年を拾ってくるということは誘拐である。
ついでに言うと、少年は割と美形に分類されるタイプである。
要は、佐原さんは誘拐犯になった。
嗚呼、なんということでしょう。佐原さんはただの犬好きから変態な誘拐犯にランクアップしてしまいました。
「さわら……さん。えっと、この子が……ジャック?」
「そう、帰って来たのよ!ほら、ジャック。永見お兄さんですよ。ご挨拶しなさい」
「きゅっ……、きゅん」
少年は佐原さんに促されて、私にうるんだ眼を向けながら、犬の鳴き真似をする。さすが佐原さん、既に少年を調教済みのようだ。って無駄な関心をしている場合じゃない!
「キュン!じゃねーわ!」
「何で!可愛いじゃないのよ!」
「それに!この耳!」
「ああ。耳を取っちゃダメ!痛いじゃないのよ!」
「肌も普通の人じゃん!何でジャックって言い張れるんだよ?!」
「でも、肌白いよ!モチモチしてるのよ!理想の肌なのよ!」
「あと、首輪!人には付けちゃダメ!」
「白には赤い首輪が映えるのよ!」
知るか!これ以上、佐原さんが罪を重ねることが無いように、私は佐原さんから少年を引きはがして、耳と首輪を外す。残念そうにする佐原さんを無視しつつ、私は他に体をいじられたところが無いか注意深く観察していたところ、少年が口を開いた。
「あ、あの。永見お兄さん。心配してくれてありがとうございます。でも、ハナお姉さんは悪くないんです。僕を助けてくれたんです」
なんということだ。少年の頭が手遅れのようだった。少年は体だけでなく心までハナさんもとい、佐原さんに調教されていたようだった。もう、私に出来ることは無い。私はスマホを取り出し、警察に電話しようと決心した。さようなら佐原さん。でも安心してください。精神鑑定に引っかかると思うから、あまり重い罪にならないと思いますよ。
「警察は駄目!ストップ!」
佐原さんに飛び掛かられ、少年に涙目で止められてしまい、私は通報するのをあきらめざるを得なかった。しょうがないので事情を聞いて、これからを判断したいと思った。
「それで、君はどうして佐原さんの家に来たんだい?」
「それなんですけど、僕、記憶喪失なんです」
少年が語るにはこういうことだ。昨晩、少年はある家の庭で倒れているところで気付いたそうだ。体の節々が痛む中見上げると、一軒家が目に入った。
この家に入ってはいけない。
そう思った少年は、塀をよじ登って、道路に出て行った。遅い時間帯だったのか住民の誰にも出会うこと無く、あちこちをさまよったらしい。もと来た道もわからなくなり、どうすればいいのかわからなくなった所に出会ったのが佐原さんということらしい。そして、彼女に保護されてこの家まで来たということのようである。なんとなく、あの家には戻りたくないからここにいさせてほしいとのことだ。
その話を聞いて、私は少し思うことがあったので、その時、服は何を着ていたのか尋ねると、佐原さんが部屋干し中の服を持ってきてくれた。服には、特に不審な点は見当たらなかった。
「佐原さんはどうして、彼を保護しようと?」
「そりゃあ、ジャックがいなくなって1週間経ったでしょ。そろそろ帰ってくるころかなあなんて思ったりして」
駄目だ。話にならない。しかもジャックが死んだことすら忘れてやがる。昨日の精神ケアも一時的なもので甲斐がなかった。私は彼女から事情を聞くことをあきらめるほか無かった。
しかし、どうしたものか。少年はどうやら、本当に自分が何者か知らないようだった。これが私一人だけの問題なら警察に通報するのだが、ここには佐原さんがいる。ジャックが死んでからの1週間、佐原さんは意気消沈していた。少年が来たおかげなのか、今日は本当に楽しそうに仕事をしていたのだ。ムードメーカーの彼女がいないと、社内の雰囲気も非常に悪く感じる。
それに、だ。こんなことをした佐原さんから少年を引きはがしたら、1週間後には別の少年をジャックと言い張って、また連れてくるかもしれない。この少年が記憶喪失だからまだ、大騒ぎになってないものの、最悪本当に誘拐犯として捕まるかもしれない。それに――。
そう考えたら、少年には非常に申し訳ないが、ここにいてもらうのが最良という結論に至った。時間が経てば、佐原さんもジャックを失った悲しみが癒えるだろう。その時に、少年も解放してあげるのが佐原さんにとっても少年にとっても一番良いことだと思った。
そう決めたら、やっておかなければならないことがある。
「佐原さん。ここにテレビはあるかい?」
「無いわよ。テレビ興味ないし。何で?」
「少年を一人で外に出歩かせるわけにはいかないだろ。家で暇つぶしできる何かが無いと……」
「あっ、それならあるわよ」
そう言って、佐原さんが取り出したのは背面タッチができる特徴を持つ携帯機のゲーム機だ。遥か昔から人気のあるゲーム機の携帯機バージョンのようなものらしい。人気のあるゲーム機だから種類も豊富と聞く。
「いいね。ソフトは何があるんだ」
私が尋ねると、彼女は何処からかゲームソフトがたくさん入った箱を持って来た。なになに、「柏桜鬼」、「大帝国海軍恋慕情」、「四国恋戦記」って乙女ゲーしかねえじゃねえか!
「アウトだよ!自分好みの世界に染める気満々じゃねーか!」
「何でよ!あっ、これとかいいんじゃない。妖怪調教ADV」
「何だよそのジャンル!ニッチすぎるだろ!」
結局、私が後で、適当なRPGと横スクロールアクションを家電屋さんで選んで買ってきた。
その晩、私は先日、余古葉真で起こった殺人事件の記事をネットで集めていた。今、一番知りたいのは殺害された被害者の長男で今、所在が不明となっている少年の顔。いくつか記事をクリックすると少年の顔写真はあっさり見つかった。バスケでもしているのだろう。ラフな格好で左手にはボールを持って、右手でピースのポーズを決めて笑ってる。
やっぱり同じ顔だ。私は彼に初めて会ったときに思ったことが間違いでは無かったことを確信した。
名前もわかった。横山夕希。これが彼の本名か。
問題は、だ。彼が本当に記憶喪失なのか。この事件と何の関係があるのか。ということだろう。昨日彼が着ていた服を思い出す。血の付いた様子は無かった。もし、彼が殺人者としたらどこかに血の跡が残っているだろう。
それに、新聞記事をいくつか確認したところ、凶器もまだ見つかっていないそうだ。となると、犯人がまだ凶器を持っているか、どこか警察の見つからないところに隠したものと思われる。佐原さんの部屋に凶器を隠している?さすがにそんなことは有り得ないだろう。
もし、横山邸に凶器と血の付いた服を残していたとしたら?それは、現時点では考えにくいものと思われた。もし、そんなことをしていたとしたら、既に警察に発見されていて、マスコミも容疑者として報道をしているだろう。ということは、警察も犯人と疑っている可能性は低いものと思われる。
考えをまとめると、彼は本当に事件に巻き込まれて、記憶喪失になったと考えるべきなのだろう。そして、街をさまよっているところを、佐原さんに捕獲されてしまって、今に至るというわけか。
警察に訴えたほうがやっぱり良かったか?ふと、そんな考えが頭によぎる。だが、私も疲れていた。これ以上のことは明日考えようと思った。