変異とテストと時の女神と
「へっ……?」
突然の声に目を向けると、オレのすぐ隣には白と銀とに輝く美しい姿があった……
ソファーに身を預けてゆったりとくつろいでいる一人の女性が、しなやかにその身を半分ほどオレの方へと傾けて微笑んでいる……飾り気のない純白のローブ……陶器のように白い肌……そして純銀に煌く長い髪がその身を預けるソファーへと柔らかく流れ落ちて輝いているのだ……
――こ、コイツは……ヤバすぎる……
いきなりの登場にもちろん驚愕はしている……本当ならひっくり返るくらい驚いてはいるのだが、その姿を見た瞬間にまず直感したのは本能的な感覚が告げたこの言葉である……かけられた言葉とその内容、そしてミツハと同じ純白のローブ、とても人とは思えない美しい容貌と穏やかに微笑んではいるがその身の内から感じられる強烈な神気の圧力も併せて……問わずとも原初の八柱と呼ばれる存在であることを、強制的に突き付けられて否応なく理解させられるような感覚であった……
折しも今の今までオレたちが話題にしていたのは、全知の書院を護っているという原初の八柱であろう女神の話である、目の前に突如現れたこの異質の存在が無関係であるハズがなかろうと思われた……そしてそれはつまりイルビスが懸念していた危機が目の前に現出してきたということでもあるのだ……
「あらん……驚かせちゃったかしら……? ゴメンなさいね、でもそんなに警戒しなくてもいいのよ?」
ニッコリと微笑んだ白い貌の中で柔らかい笑みを平然と浮かべている紅い唇が、少し気だるくはあるが聴いているだけでうっとりとしてしまいそうな美声で告げた、オレたち一同が青ざめた顔で硬直しているがゆえの穏やかな言葉なのであろう……ここは何か言わねば怒らせてしまうかもしれない……こういう腹の内が読めぬにこやかな相手は、実は少々苦手ではあるがそうも言っておられぬのである……
「も、もしかしてアンタ……スーワーン……か?」
先程までのオレたちの会話を聞かれているであろうことから、スットボケても無駄だと判断してとりあえずバクバクする心臓を抑えつつ単刀直入に切り込んでみた。
「うふふっ、あ・た・りっ」
予想に反して嬉しそうな声が返ってくる……だがこれでオレたちにとっては彼女が超危険人物であると確定したのである、イルビスとアリーシアはもちろんローサですら一層青褪めた顔で、うひぇぇぇ……と顔を強張らせるのであった……しかしそこへ重ねてオレたちの警戒心など知ったこっちゃない感じの陽気な声が続いた。
「ねぇねぇ、あなたたちスゴイわねぇ~……ミツハがうっかり言っちゃった私の名と古代竜の追跡を任せたっていう材料だけで全知の書院に結び付けちゃうんだもの……お姉さんビックリしちゃったわぁ~」
「お……お姉ぇ……?」
ビックリしちゃったのはこちらである……圧倒的な力の差があるがゆえに余裕な態度をしているのかと思いきや、どうにも本当にフレンドリーな様子であるのだ……しかしこちらには友好的にされるような材料は何一つとして無いであろうし思いつきもしない……一体どうなっているんだ……? という疑問から思わずオレは尋ねてしまう。
「あ、あの……スーワーン……? 怒ってないの……?」
だが返ってきたのはスーワーンの思いっきりキョトン? とした表情であった。
「怒る? 私が? どうして?」
「い、いや……だって……境界面の綻んだ部分を開いて洞窟に入っちゃったし……古代竜倒しちゃったし……洞窟が全知の書院につながってるっての気付いちゃったし……」
「そう! ソレよぅ~っ!」
おそるおそる述べたオレの言葉に、ますます嬉しそうな顔でビシッ! とこちらを指差すスーワーンであった……そればかりか、ゆったりともたれていたソファーから少し身を起こし、オレへ向けてズイっと乗り出してきたではないか……しかも、こりゃ面白くてたまらんっ! という表情でである……
「見てたわよぅ~! 親竜との戦闘っ! スゴかったわねぇ~! まさかあの場面で地面の液状化を利用するとは思ってなかったわぁ~、しかもあなた精霊使いでもないのに火と影の精霊を使役してるし……ミツハの水の結晶体に光熱弾を当てて水蒸気爆発起こすなんてもう感動しちゃったぁ~! タクヤっていうのよね? あなた面白いわぁ~! もう持って帰りたくなっちゃうくらいよっ!」
グイグイとにじり寄って来ながら一気にまくしたてるスーワーンである……こちらは寄られた分だけソファーの上をズリズリと後退るのであるが……それにしても、マイペースでなんとも楽しそうな彼女の様子に全く訳がわからず混乱するばかりであった……
このままではマズイ、なんとか上手く会話をして情報を引き出さねば生殺与奪の権を握られっぱなしである……お持ち帰りされるのも非常に困る……とりあえず話の取っ掛かりを掴もうと思考を巡らせたそのときである……
「あら……?」
スーワーンの視線がオレを通り越してカウンター席の方を窺っていた、何事かと思いオレもそちらを振り向くとカウンター席でセルピナが立ち上がってこちらを見ているではないか……スーワーンの神気に気付いたのであろう……驚きに青褪めた表情でこちらへ向かって来ようとしている……オレがピンチだと思ってくれているのかもしれなかった、だがそこでまた彼女の楽し気な声が……
「もう~、セルピナはちょっとお邪魔虫ねぇ……こちらの席を隔離しちゃいましょうかぁ~」
そう言うとふわっと優雅に軽く手を振った――
すると次の瞬間、聴こえてくる音が変わった……ガヤガヤと大勢の喧騒で賑わう酒場の音が、ゥオオオォォ……ンというような低くて不気味な唸り声のように変化し、そしてその音もすぐに消え去り次にはカウンターの方からであろうか、キンキンと細く甲高い響きが聞こえてきたが、やがてそれもすぐに消え辺りは静寂に包まれてしまった……
それからオレたち一同は信じられぬ光景に目を見開き、言葉を失くしてただ茫然と周囲を見回す……グニャリと歪んだ……歪んでいくのだ……今の今まで喧騒に沸いていた酒場全体が……杯を酌み交わしながら笑っている人たちが……
「う……うわ……わわわわわ……」
意識せぬ呻き声がオレの口から漏れた……酒場の入口の方がまるで夕焼けのように赤く変色していくではないか……振り向くと一番奥の方のカウンター側は青く変色していく……それにつれて場内の人たちの動きが妙に遅くなっているようだ……
異常すぎるこの光景の中で、ハッ⁉ と気付いたオレは慌ててローサとアリーシア、イルビスへと首を巡らせる、三人とも驚愕と恐怖を貼りつけた表情をしてはいるがどうやら無事のようであった……このボックス席の中だけはソファーやテーブルも含めて変化は無いようである……だが、酒場にいる他の人達は一体どうなるんだ……と考えたその時であった……
ヒッ……ヒッ……と喉から喘ぐような掠れた音を出してイルビスがオレの背後を指差した、振り向いたオレもヒィッと息を飲んで硬直してしまう……眼前に見えるその光景は……なんと入口側は暗黒に飲み込まれていた……まるでそちら側の世界全てがブラックホールにでも吸い込まれたかのように、ただただひたすら真っ黒な空間になっているのである……そしてカウンター側に目を向けるとそっちは虹のようなグラデーションに変化してきているではないか……
悪夢のような眺めである……酒場の中で暗黒に包まれていない場所の上方は細長く伸びて気持ち悪いくらいに歪んでいる、魚眼レンズの映像にも似ているであろうか……椅子もテーブルも、そして人も……全てがその動きを止めていて、まるで静止画像を歪めながら引き伸ばしているかのようにも見えているのである……
「どぉ? 驚いちゃった?」
それまで黙ってオレたちの様子を眺めていたスーワーンが、相変わらず楽しげな声で問うてきたときは、すでに周囲はほぼ暗黒に閉ざされていた……ごく一部だけ、カウンターの方向の遥か遠くに青い光が見えている、かなり遠くに見えるトンネルの出口といった感じの光であった……
動悸が未だ治まらぬがその声に力が抜けたオレはソファーへと浮いた腰を戻した、ローサとアリーシア、イルビスはオレのすぐ横のソファーで三人揃って身を寄せ合い不安な表情を浮かべている、イルビスですら言葉も無く不安に慄く様子からスーワーンの底知れぬ力の凄さが窺えるのである……
「酒場の人たちは……どうなったんだ? 無事なんだろうな……?」
スーワーンの問いに答えず逆に震える声で訊き返すオレへ、これもまた嬉しそうな顔でニンマリと笑う彼女が、しかし今度は少し意地悪そうな形の唇からオレへと応えが返ってくる。
「さぁ……どうかしらぁ~、そうねぇ~知りたいのならぁ……うふふっ……ねぇタクヤ? 今私が何をしたのか解る? 今のこの状況を推測したり説明したり……あなたにできるかしら?」
と、目をキラキラさせて尋ねてくるではないか……まるで好奇心に溢れた子供のような目である……それを見たときオレは直感した。
――こ、コイツ……イルビスにそっくりだ……
容姿が……という訳ではない、見た目は全然違う……だが興味を持ったことを知ろうとするその姿勢……知識を得ようとしているときの目の輝き……これはまるでイルビスのようじゃないか……と感じたのであった、まあイルビスと違いツンツンしていないところは助かる……こんなのにツンツンされたら身がもたないのである……
兎にも角にもスーワーンは知識欲の塊なのではないかというのが推測できた、さもあらん、彼女は全知の書院の守護者であるという話であった、ならば知識に貪欲だという仮定はかなり説得力があるであろう……
「私が何をしたか? って尋くということは……やっぱりアンタの力でこの状況になってるっていうことなんだろうな……」
「あはっ、そうよぉ~その通りよ~っ、そうだとしたらどぉ? どぉ?」
オレの言葉により期待が高まったのであろう……ウヘヘヘ……と涎を垂らさんばかりの表情でズイッと身を乗り出すスーワーンである……
「スーワーンは時の冠を持つと聞いたんだが……そうなのか?」
「ん? 冠を持つっていうのは正しくはないわね……冠は派生神に与えられるもので、私たち直系の女神は属性支配の権を持っているの……あっ!……そんなコトどうでもいいわっ! 冠でもなんでもいいから~っ、そうよっ私は時の属性を持っているわっ! それで? それで?」
……少しずつ理解できてくると、やはり部分的にではあるがイルビスに似た性格のようである。
「時の属性か……ということは時間軸に対しての干渉ができるということなのかな……その能力を推測するなんて雲をつかむような話なんだが……」
そう言いつつチラッと背後のイルビスを見るが、どうやらまだビビっている最中であるようだった……アウアウしながらアリーシアにしがみ付いている……頼りにはならなさそうなので致し方なく思考を続けることにした。
「でもわざわざ推測させるってことは……もしかしたらオレにも理解できる範囲に答があるかもしれないってことでもあるのか……? ん? ということは……この現象ってまさか物理で説明できることだっていうのか……?」
ブツブツと呟くオレの言葉に、スーワーンはウンウンと頷きながら頬を少し紅潮させて鼻でフスーフスーと荒い呼吸をしている……なんだか本当にイルビスそっくりである……
「そうだとしたら……あっ、そうか……あの音の変化……光の色の変化も……ドップラー効果で説明できるかもしれないな……」
「きゃあああぁ~んっ!」
「うわぁびっくりしたぁっ!」
オレがドップラー効果と言った途端にスーワーンが叫び声を上げたのである……驚いてのけ反るのはオレだけではない、女性陣もソファーの上でひっくり返らんばかりになっている……当のスーワーンは、もうタマラン! という感じで己の身を抱きしめてプルプルしているではないか……
「な、なんだ? どうしちゃったんだスーワーン?」
「ら、らいじょぶよぉ……いいから続けて続けて……」
ホレホレと手で促され、なんとも怪訝に思いつつもいたしかたないので思考を続けることとする……ちなみにドップラー効果というヤツは、まあ、誰もが知っている救急車のピーポーピーポーがポーピーポーピーに変わるアレである……
「ネットの物理系動画で観た記憶がある……移動する対象から見る光の波長の違いによる色の変化……偏移とか言ってたっけかな……移動する前方は青っぽく、後方は赤っぽく見えるとか……さっきの酒場でもカウンターが青くて反対側の入口は赤かった……酒場の中が歪んで見えていたのも、オレたちがカウンターの方向へ移動していたというのならなんとか説明はつく……でも……でもさ……」
「でも……何かしら……?」
ハァハァと息が荒くなりつつあるスーワーンが、オレへと続きを急かしている……なんだかだんだんとその表情が怪し気になってきている気がするのであるが……若干の危機感を覚えつつもここで止めるわけにもいかず、続けてオレは口を開いた。
「ドップラー効果で光の偏移が起こるってことは……オレたちが光の速さ……光速に限りなく近い速度で移動してるってことになっちまう……光の色の変化も、酒場が歪んで見えたのも、皆が動かなくなったのも……あり得ない話だけどそれで一応理屈はつきそうだ、でも……ただ一点だけ問題がある……」
「いいわよぉ~、その調子で続けてぇ~……で、その一点とは?」
「それは……オレたちが全く移動していなかったってトコだな……光の偏移が起こるくらい光速に近い速度で移動してたら、たぶんあっという間に地上から宇宙空間に出ちまってるだろ……? でもオレたちはずっと酒場の中にいた……オレたちのボックス席だけ隔離されてるっぽいのは解るケド、移動もしていないのにドップラー効果が現れるなんて考えられない……」
そこまで聴いたスーワーンは、はうぅ~ん……とタマラン感じで己が身を抱きしめている……よっぽどオレの話が気に入ったのであろうか……? 自身の能力をオレに解析させて何が楽しいのであろうか……? 何から何まで謎な人であるが、そのとき考えの行き詰ったオレへ後ろから声がかかった。
「タ、タクヤよ……移動はなにも、く……空間座標の間を動くだけとは限らぬぞ……」
イルビスであった、ようやくアウアウから復活したのであろう……未だアリーシアにしがみついたままではあるが、見るとその目にはいつもの知識欲の炎がチロチロと燃え始めているようだ……
「空間内の移動だけが移動じゃないって……? それってどういう……あっ……」
イルビスの言葉にハッ! と気付いたオレはスーワーンへと向き直る、相変わらず上気した顔でウットリしているが、そんな彼女をマジマジと見つめながら思考はイルビスの助言のおかげで解へ向かって動き始めた……
「そうだよな……スーワーンが時の属性を持っているんだから……時間軸に対しての移動ができるってことになるのか……いや、待てよ……? それじゃあなんか変だな……」
「な……何が変なのじゃっ?」
オレがスーワーンへと向いているのでイルビスとは背中越しでの会話である、推測したことを言葉にしつつスーワーンの表情や仕草を窺っているのでこのような話し方になるのではあるが、イルビスもそのへんは承知しているのであろう……いつの間にか二人の間には阿吽の呼吸が生まれつつあった。
「オレたちが時間軸をさ、正の方向でも負の方向にでも移動し続けてるんなら周りの酒場の人たちは停止しないんじゃないか……? でも、周囲が真っ暗になる前はみんな止まっていただろ……?」
「そ、そうじゃのう……だんだん動きが遅くなりおって……そうこうしてるうちに止まってしまったように見えたのう……」
「ああ……だとしたら考えられるのは一つ……オレたちの居るこのボックス席の時の流れだけが……時間軸の流れから切り離されて、ほぼ停止してるんじゃないんだろうか……」
「て、停止じゃと⁉ じゃが、そうなるとお前の言っていた移動によるドップラー効果とやらは発生せぬのではないか……?」
「いや、移動はしているのさ……オレたち以外の全てがな……」
オレがそう言った途端に背後からイルビスの、あっ……! という息を飲んだ声が聴こえてくる、さすがイルビスである……オレの言っていることを即座に理解したようであった。
「乗り物とかに乗っててさ、その速度が光の速さに近付けば近付くほど乗り物の中の時間は外よりもゆっくり流れるんだ……そのとき乗り物の中から見る光景はさっきの酒場の中みたいな感じになるらしい……」
「ふむ……じゃが私たちは空間での移動はしておらぬ……スーワーンの力で時間軸においてのみ……私たちのこの席の空間だけを他の時の流れから隔離して移動速度を限界点、つまりゼロの地点近くまで落としたのじゃとすると……」
「そうだ、結果的にこの席とそれ以外とに流れる時間の相対は、オレたちが空間内を光速に近い速度で移動しているのと同じになる……酒場内の様子が変わったのはそのためなんだろうな……」
こう推論を締めくくったオレの前で、スーワーンはしばしジッ……とオレを見つめ続けていた。
実はオレとイルビスがやり取りを交わし始めたあたりから彼女の表情からはユルさが消えてゆき、逆にその目は爛々と輝きを増して真剣味を帯びてきていた……これはかなりヤバイんじゃないか、という状況になっていたのである……つぅ~っと額から汗の滴るオレへ、それでもようやく純銀の髪をサラリと揺らして薄い紅色の唇が声を発した……
「タクヤ、あなた物質界から来た人ね……?」




