救命と黄金の光と融合と
「ウォルトさん……そっ、そうだっ! ウォルトさんはっ⁉」
イルビスの言葉で混乱していた脳裏にフラッシュバックで浮かび上がったのは、オレへと放たれた黒竜の瘴気雷を、まさに間一髪で遮るように立ちはだかった大きな背中であった。
大慌てで周囲を見回すが、オレを庇って共に撥ね飛んだハズのウォルトさんの姿は見当たらない……焦燥が急激に増してきたので節々の痛みも忘れ、発条仕掛けのように立ち上がって首を巡らせ、そして背後を振り返った瞬間凍りついたように動きが止まった……
五メートルほど転がったオレの、さらに十メートルほど向こうに黄金色の光がドーム状になって輝いているのだ……瞬時にアリーシアの治療による光だと把握できる、この時点で瘴気雷で跳ね飛んだ時の場面がありありと蘇ってきた……落雷のような爆音と衝撃……そしてウォルトさんの巨大な剣が砕け散る金属音……同時に吹っ飛んで転がり目の前が真っ暗になったのであるが……
だが、あの時オレがくらったのは本来ならばこうやって立ち上がることなんかできる訳のない、いや、当然即死しているであろう程の威力の黒竜最後の一撃だったハズである……
それはあの巨体のウォルトさんが、オレより更に十メートルも後方へ飛ばされていることでも判った……オレの受けるべきダメージの殆どを、盾となったウォルトさんが受け止めてくれていたのであろう……
「ウォルトさんっ‼」
額から血の気が引く冷たい感触を覚えつつ、ガクガクする脚を必死に動かしながらオレは、アリーシアの創る黄金色のドームへと急ぎ走った……なかなか前へと進まぬもどかしい感覚と近付くにつれて増してくる悪い予感は、地に横たわるウォルトさんを見下ろす位置に愕然と立った時、ゆっくりと昏い絶望感へと変化していく……
「タクヤさんっ‼ 血が……血が……止まらないんですっ‼」
眩い黄金色の光を発しているアリーシアが悲痛な声で叫ぶように言った、ウォルトさんの身体に向けているその両掌は、黄金を通り越して白金光に包まれている……額には汗が浮かび、確かめるまでもなくあらん限りの力を尽くしているのは一目瞭然である……しかし彼女の言葉通り、ウォルトさんの身体から湧き上がる赤い血の流れは、心臓の脈動に合わせてゴボリ、ゴボリ……と裂傷口から溢れ出していた。
「ど、どうして……? 何故アリーシアの力で傷口が塞がらないんだ⁉」
横たわる巨体の胸元から脇腹にかけて走る紅い裂け目が、溢れる血で揺れて見えている、流れ落ちて地に広がるその血溜まりは今やかなりの量のようだ……土気色のウォルトさんの顔からは刻々と生気が失われつつあった……茫然と呟く自分の言葉が、まるで他人の声のように頭に響く。
「瘴気のせいじゃっ! 傷口の瘴気がねえさまの力を遮っておるっ!」
オレに続いて走ってきていたイルビスが追い付き、息を切らしながら説明した、そのすぐ背後のミツハも険しい表情をしながら無言で頷いている……黒竜が最後に放った瘴気雷の瘴気が、アリーシアの力を阻んでいると言うのであった。
「瘴気っ⁉ じゃあ、ど、どうしたらいいんだっ⁉ 瘴気を取り除けないのかっ⁉」
思わず問い詰めるような口調で訊いてしまうオレの言葉に、グッと唇を噛んだイルビスは、しかしすぐに地に目を落として悔しそうに呟いた。
「この場ではねえさまにしかできぬ……じゃが、ねえさまの力ですらすぐに除くことのできぬ程の濃い瘴気のようじゃ……時間をかけさえすれば除けるであろう……しかし今は……今は、その時間が……」
震えるイルビスの唇を見てオレはハッ!となった、同時に絶望感の昏い翳が周囲にも落ちかけているのに気付く、だが……だが、冗談じゃないっ! ここでウォルトさんが命を落とすことになんてなれば……
瞬間、ジュリアさんの顔が頭をよぎる……彼女に行方不明になった親父さんの死を告げるなんて、オレは真っ平ご免であるっ! 絶対にそんなのはイヤだっ‼ なんとかしなければとの一心で必死に考えを巡らせたその時、一縷の望みが思い浮かんだ。
「アリーシアッ! オレの右腕を使ってみるぞっ!」
イルビスが次元の裂け目を創っていた時、オレの右腕の力で彼女の力を増幅したのを思い出したのであった、同じようにアリーシアの力を増幅することができれば、瘴気を除くことだって不可能ではないはずであるっ!
瞬時に察して頷くアリーシアの腕を、オレは祈りを込めながら右手で掴んだ……アリーシアの両掌の光が大きく増幅する場面を期待しながら……右腕のシグザールに、頼むっ‼ と念じながら……だが……
「タ、タクヤさん……変わりませんっ……」
涙を滲ませた悲痛なアリーシアの目がオレを見詰めていた……オレもどうしていいか判らなくなってしまい、少し過呼吸気味になりつつ彼女の腕を握っているだけであった。
「どうしてだ、なんで発動しないんだ……」
この大事な場面でこれかよ……そんな絶望的な想いに捉われかけたとき、ハッと何かに気付いた様子のイルビスが慌てて口を開いた。
「タクヤッ! お前の左腕の傷口……ねえさまの一部で塞いでおるのであろっ⁉」
「あ、ああ……そうだが……」
意味が解らず戸惑うオレへ、イルビスは紅潮した顔になり早口で続けた。
「もう既にねえさまはお前の一部なのじゃっ! ゆえにその右腕、ねえさまの力へは反応を示さぬのではないかっ⁉」
あっ⁉ と、気付いてオレとアリーシアは顔を見合わせる、自分の力に自分で反応しないという仮定は説得力があった、だが、理由が判ったところでどうしていいのかは判らぬままである……
「じゃあ、どうすればいいんだ……」
オロオロしながらウォルトさんを見ると、心臓の脈動に合わせて流れ出ている血の勢いが明らかに弱くなってきている……小さな血泡が口の端で弾け、今にも生命の灯が消えかかっているではないか……
「ウォルトさん……ウォルトさん……」
うわ言のように繰り返しながら、なんとか方策を見つけるべくまたも必死で考えを巡らせる、プレッシャーで呼吸が苦しいほどであった、だが絶対になんとかしなければならない……
「タクヤさん……」
治療の光を発し続けるアリーシアと、オレと同じくなんとかする術を考え込んでいるイルビスと、黙ったままではあるが何か思索している風のミツハの目がオレへと集中していた。
一刻を争うこの状況で甘えた逃避は許されない……必死に脳をフル回転させ、力を発動してくれない己の右手を見つめながら考える……この右腕が働いてくれないのは、左腕のアリーシアがオレの一部だからという推測であるが……
じゃあ、発動させるためにはどうすればいいか……今まででその力を発揮したのはミツハと戦った時と、イルビスの次元の裂け目の時だ……次元の裂け目の時にイルビスの腕を掴んだように、今回はアリーシアの腕を掴んでみても発動しなかった……それならば……あとは、もうこの方法しか……
やがて三人の女神の視線は、意を決したように立ち上がるオレを追って上へと移動する、そしてその注視の中で……
「アリーシア、オレの中へ……オレにお前の力を貸してくれっ!」
左手を差し出して言うオレの言葉に、驚いたアリーシアの目が大きく見開かれる。
「な、なるほどの……その手があったかっ!」
「なっ、なんだとっ⁉ そんなことが……⁉」
だが、そのイルビスとミツハの対照的な言葉を掻き消すように、アリーシアの澄んだ返事が響いた。
「はいっ……はいっ! はいっ‼ タクヤさんっ……‼」
返事と同時にフワッと立ち上がったアリーシアの輝く姿がオレへと飛び込んできた……羽のように軽いその身体を受け止めると、視界が瞬く間に黄金一色に染め上げられる……
後に聞いた話では、子爵邸からもその光は見えたという。
まるで太陽が地上に現れたかのようであり、地上はもとより天空の夜の闇をすら吹き消すような眩い黄金の光は、それを見た者が口を揃えて、泣きたくなるほどの慈愛と歓喜を感じた、と語ったのであった……
――巨大な黄金のドームが消え去ったとき、両腕に金の炎のような光を纏ったオレの前で、ウォルトさんの胸は静かな、しかししっかりとした呼吸で上下動を繰り返していた。
胸から脇腹へ延びる引き攣ったような長く太い傷跡は、だがしっかりと癒着して既にピンク色の新しい組織が盛り上がってすらいる、かなり大量の失血だったので顔色こそまだ土気色ではあるが、さすがは超人とも言うべきか……その巨体からはすでに回復しつつある生命力すら感じ取られたのであった……
やがてイルビスに預けていたアリーシアの身体が目を開けると、ホッとした雰囲気が周囲へと落ち、そしてそれに混じってなんだか妙な空気が場に流れる……誰も何も言葉を発しないのである……
するとアリーシアは顔を真っ赤にして無言でオレに背を向け、なんと地面にへたり込んでしまった……イルビスはそんなアリーシアをポカンと口を開けて見詰めているだけである……ミツハはなぜかずっとワナワナ震えながら驚いた表情で固まっているし、オレに至ってはそんな彼女等にどうしていいか分からずに立ち尽くすのみであった……
いや、アリーシアがなぜそんな様子なのかだけは解っていた……オレがこの世界に来た時分は、一年半ほどもオレの中で休眠状態であった彼女である、今さらもう一度オレの中に入るのが恥ずかしいわけがなかろうと、普通なら思うのであるが……
しかしそれは大間違いであった……当時は身体をシグザール城に囚われ、他に依代なども無く、アウルラの元へと戻っても敵対していたイルビスに再び封じられる恐れがあったため、彼女はやむを得ずオレの中へと留まっていた……
当然その期間中はオレと精神が競合せぬように休眠状態になっていたわけであるが、当時と今日の融合は全くと言っていいほど別物であった……なんと言っても今回は、いわゆる活動状態の彼女がオレの中で同時に存在することになったのである……
ファイの力を借りたときも、その共感ともいうべき感覚はすごかった……普段はボヘ~っとしてる風のファイとでさえ、オレへの信頼感や親愛感がありありと伝わってきたものである……もちろんファイへもオレの感情は等しく伝わっていた。
それが……今回はアリーシアだったのである……
元から好意を寄せてくれているのは分かっていたのではあるが……なんというか、もう……こっ恥ずかしくなるほどこれでもかというくらいの彼女の感情が、オレへと流れ込んできた……当然オレの方からだって隠しようの無い感情が彼女の方へと流れている……
その結果が今の状況であった……
「あ、あ~……アリーシア……本当に助かったよ、ありがとうな……」
とりあえずこの微妙な空気の現状を打破すべく礼を述べてみた……もちろんオレだって恥ずかしいのである、だが黙って突っ立っていても埒が明かないのも事実であろう、オレの言葉にイルビスがハッ⁉ としてこちらを見ると、続いてアリーシアが振り向かずにか細い声で応える。
「は……はぃ……」
これには参った……アリーシアの超恥ずかしそうな返事にイルビスがファッ⁉ とまた彼女を見つめるが、二人ともそれっきり何も言おうとしないのである……別にやましい所はないのであるが、しかし如何ともしがたい状況でもある……どうしていいか判らずに額に汗が浮かんでくるのであった。
が、そのとき救いの手になるのであろうか……? それまで何故か愕然としている様子であったミツハが、ようやく気を取り直したのか急に言葉を発した。
「き、きっ、貴様! 今、女神を……アリーシアを……その身に取り込んだというのかっ……⁉」
ガクガクしながら、口から唾を飛ばさんかの勢いでオレへと詰問し始めたのである、その勢いとミツハらしからぬ興奮ぶりにひええぇ……となりながら、オレも慌てて頷きつつ返事をした。
「あ、ああ、取り込んだというより力を貸してもらったって感じなんだけど……」
「そんな細かいことはどうでもよいっ‼」
返事にかぶせるように怒鳴られた……相変わらず横暴な物言いにオレとイルビスはウギャーッ⁉ と口を開けて固まってしまう、そんなオレに、これも相変わらずこちらのことなど知ったこっちゃない風のミツハは続けた。
「人の身に女神が入るのは前例が無いわけではない……稀な話ではあるが、女神を受け入れることのできる器の人間が存在するのも聞いたことがある……だがそれには女神が自己を休眠させていなければならぬはずだっ⁉ そうでなければ精神が競合して最悪の場合、互いの精神が崩壊してしまうと聞いたぞっ⁉ ましてや女神の能力を我が物のように使用するなど……しかもより強化しているようにも見えたが……タクヤ……一体貴様……何者なのだ……⁉」
夢中になって独り言のように早口で述べ、最後の部分だけオレへと目を向けて言うミツハである……なぜこんなに興奮しているのかさっぱり分からぬまま、しかし何者だ? と問われたので何か答えねばと焦ったオレは。
「オ、オレ? タクヤ……だけど……」
「そんなことは分かっておるわっ‼ 貴様っ私を小馬鹿にしておるのかっ⁉ 今すぐ湖の底に沈めてくれようぞっ‼」
チリチリと銀髪を逆立てるようなミツハの怒りに、ギャアァー⁉ と慄くオレとイルビスである、理不尽なことこの上ない……だが、ミツハにとっては何か重要な理由でもあるのであろうか、途中でグッと感情を抑えるように静まると、今度は少し落ち着いた様子で再び口を開いた。
「お前の、その力のことだ……」
「あ、ああ……」
「森の泉で戦った時から気になっておった、とても人間ごときが振るえる力ではなかったのでな……だが今のアリーシアとの融合で得心が行った、タクヤよ、貴様あの時は一緒に居た火の精霊と融合したのだな?」
いつの間にか真剣な表情のミツハが、真っ直ぐにオレの目を見つめて問うていた……やはり単なる興味などではない、何らかの重要な理由があるようだと直感的に感じて、オレも真顔になりつつ応える。
「その通りだ、一応あの時にも説明したんだがな……仲間の力を借りてるって……」
「……あんな説明で解るわけがなかろう、このアホウが!」
原初の八柱ってこんなのばかりなんだろうか……そういや八柱の末裔というセルピナもかな~り濃い性格だもんな……そんなことを考えつつ、二の句も継げずにプルプルしているオレへ、ミツハは咳ばらいを一つして何事もなかったように続ける。
「先程イルビスが言っておったな、左腕の傷口をアリーシアの一部で塞いでおると……なるほど……それが導き手となって精霊をその身へと取り込むことができたと言うのだな……?」
鋭い目でオレをジロジロと観察しながら言うミツハは、こういう部分こそ流石に原初の八柱である、的確に左腕の仕組みを見抜いてしまったようであった……しかしその言葉の後、表情を曇らせてフムゥ……と考え込む様子になると、今度は訝し気な顔で再び口を開く。
「解らぬのは取り込んだ精霊や女神の力をどうやって増幅しておるかだ……見たところその右腕に何かあるのではと思うのだが……タクヤよ、一体その右腕は何なのだ……?」
「ああ、この右腕は……」
ミツハの問いに答えようとしたとき、イルビスがウワ~ッ! と慌てた様子で大口を開いてオレを見た、まあ言いたいことは分かる、今日はたまたま利害が一致して黒竜退治で協力し合ったミツハではあるが、次は敵として相対する可能性だって大いにあるということなのであろう……ならば敵にわざわざこちらの力の説明をするオレはアホじゃないのか……と。
イルビスの考え方ももちろん一理ある、だがオレは手を上げてイルビスを制止し、大丈夫と頷いてミツハへと向き直った。
「この右腕はシグザールなんだ……」




