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豪雨と振動と反撃と



「タクヤ……貴様……私が水を統べる女神というのを……よもや忘れた訳ではあるまいな……?」


 細かく身体を震わせ始めたミツハの表情は、怒りを通り越して笑顔になってきた……もちろんその目は笑ってはおらず、奥に危険極まりない光を煌かせているのではあるが……


 まあ、オレの尋ね方も悪かった……あのプライドの高いミツハに、お前、水をどんだけ出せるんだ? などと聞きようによってはかなり失礼な物言いをしてしまったのである……当然大慌てて補足説明をせねば、黒竜より先にミツハに殺されかねない状況であった。


「い、いや……もの凄く大量の水がさ……ヤツの周囲だけでいいんだけども……少しの間、地面が水浸しになるくらい降り続ける大量の水が欲しいんだよ……」

 うひええぇ……と慄きながら言うオレの言葉に、ミツハの怒りの笑顔は怪訝そうなものへと変わっていった。


「なんだと……? 貴様っ、あやつに水浴びでもさせるつもりなのかっ⁉ 知らぬなら教えてやろう……あやつは今まで地底湖の中で棲息しておったのだっ、水攻めなど喜ぶだけで何の効果もないのだぞっ⁉」

「い、いや……地底湖の中に棲んでいたのは知ってるよ……」

「なっ……なら一体どういうつもりなのだっ⁉ まさか適当な思い付きで言っておるのではあるまいなっ⁉」

 訳が分からなくなってきたのであろう、喚き始めるミツハに、しかしオレはここで真顔になってピシッと言った。

「その話は後だ、できるのか? できないのかっ?」

 急に真顔になって問うた言葉にミツハは、ぐっ……と言葉を詰まらせてジーッとオレの顔を見た……そして僅かな思索の後、落ち着きを取り戻した様子で口を開く。


「容易いことだ、なんならここから貴様を濁流で押し流し、湖まで運んで沈めてくれてやってもよいぞっ!」

 憎々し気に言いはするが、オレの考えに任せるという意志が伝わってくるのであった、しかしとんでもないツンである……


「オッケーだ、じゃあ……アリーシアッ、イルビスッ」

「はっ、はいっ!」

「にゃっ、にゃんじゃっ⁉」

 急に呼ばれて背後の二人がビクッと驚きながら返事をした。


「地の精霊を使ってできるかどうか、知りたいことがある……」

 キョトンとした二人が言葉も無くオレを見つめていた……




 ズドンッズドンッ! と、地響きの伝わってくるまで近付いてきた黒竜との距離は、既に五十メートルを切っている。


 その進行方向正面に白い姿が凛然と立った……月光に透き通るような両腕を大きく広げるや、凄まじい神気がキンッ! と波紋のように周囲へと広がっていき、純白のローブと白銀の髪がブワッとなびく、その中心から広がる神気に乗せるように涼やかな声が美しく響いて流れた。


「我、水を統べる者クラミツハが命ず、この地の全ての水の精霊よっ!」


 それからの光景は信じ難いものであった……宵闇の中に浮かび上がる無数の薄青く光る精霊たち……百や二百ではとうていきかぬ、おびただしい数の水の精霊がボゥッと、荒地の上空へ次々と姿を現し始めたのである……

 原初の八柱と呼ばれるミツハの本領発揮であった、荒涼とした荒地の風景を変えて見せてしまう程の青い光が宙を舞い、今や深い狂気の中にある黒竜でさえも上空を見上げ目を奪われている……その黒竜を中心に広がる精霊の青い光の輪が、ピタリとざわめきを止めた次の瞬間であった……


「――降らせよ」


 静かに透き通る声が命じると途端に上空の青い光が朧に霞んだ、その霞は黒竜へと向けて急速に伸びていく……それが水の精霊が降らせる膨大な量の水と知れたのは、ドザアァッ! と、黒竜とその周囲へ降りかかりあっという間に真っ黒く濡れる地面を認めてからであった。


「す……すげぇ……」

 先程のミツハの神気にまだビリビリしている身体も気にならぬほど、オレは圧倒されてその光景に目を奪われていた……思わず出た感嘆の言葉が聴こえたのであろう、ミツハは満足そうにフンッと鼻を鳴らして確認する。

「これを地面が水を吸い込まなくなるまで続ければよいのだなっ?」

「ああ、とにかくヤツの周囲の地面が水浸しになるまでは思いっきり頼む!」


 だが頼むまでもなく叩き付ける水は勢いを増し、豪雨どころか文字通り巨大なバケツをひっくり返してぶっかけ続けているような凄まじさになってきた、今、傘をさしてあの中に入ったら途端に傘はブチ破れ、水に叩かれたオレは地へへばり付くように伸びてしまうことであろう……

 しかしそんな凶暴とも言える水の圧力の中で、やはり黒竜は平然としているようであった……まるで恵みの驟雨を享受するかのごとく顔を天へと向け、その巨体を潤しているようにすら見えるのである……


「ヤツが動かなくなったのは助かるな、範囲を広げられなくて済む……」

 ボソリと独りごちるオレの視線の先では、開始早々はあっという間に水を吸い込み、しかも際限なく吸い込み続けるように見えていた火山灰質の地表に、今や黒竜を中心とした巨大な水溜りが出来つつあるのが見えていたのであった。


 それからはジリジリと時間が経過するのを待つばかりである、黒竜にはなるべくそのまま動かないで欲しかった……幸運なことにミツハの降らせている豪雨ではあるが澄んだ清らかな水が心地良いのであろうか、黒竜は顔を天へと向けたまま微動だにしていない、瘴気の溶け出した地底湖の湖水しか知らぬヤツにとって、あの雨はこの上なく甘美なものに感じられるのかも知れなかった……


 なんとなく憐れな感情が心の奥に湧いてくるが……イヤイヤと首を振ってその想いを振り払う、ウォルトさんにも言われているように、甘い考えは命取りになるであろう……そうなれば護りたいものも護れなくなるのである……狂気に染まった黒竜は倒すしかない、と思い直して降りしきる豪雨に煙った巨大な姿を見据える。

 やがてオレの考えが伝わったのであろうか……天を仰いでいたヤツがゆっくりと顔を正面へと向けた、動き出すつもりなのであろう、その顔はあくまでも村の方へと進むべくオレたちの頭上を越える視線を村方向へと向けていた……

 だが、なんとか必要な時間は稼げたように思える、黒竜が今再び移動を開始しようとしたその時、オレは右腕を天へと高く伸ばして叫んだ。


「――今だっ‼」


 すると合図と同時に黒竜の横手三十メートルほどの所へ、ブワッと黒霧が湧き上がる、間髪入れずに吹き消されるように消えていく霧の中からは両手を前へかざしたアリーシアとイルビスが、そしてその後ろには守護神のように仁王立ちになるウォルトさんが現れ、さらにその三人の周囲には地の精霊がぞろりと宙に浮いていた。

 出現と同時に地の精霊の力が発動できるよう、カノポスに頼んで遥か後方へと移動して、召喚と指揮の準備をしてもらっていた地の精霊部隊であった。


 即座に黄色がかった薄光を放つ地の精霊がバラッと散って飛び回り、黒竜を半包囲しつつその力を発動し始めるや、途端に地面をビリビリと細かい振動が伝わり届いてきた。

 突然出現したアリーシアたちの方をグルッと向いていた黒竜は、次の瞬間には自分の足元から伝わる振動に気付いて顔を地面へと向け、喉から警戒の唸り声を鋭く上げ始めている。

 地面に溜まった水が振動で飛び跳ねるように動き、未だ水の精霊が降り注ぎ続ける雨の波紋と合わさり、黒竜の周囲は湧き立つような水の乱舞である……


 そう、オレがアリーシアとイルビスに頼んだのは、地の精霊を使ってヤツの足元の地面を、なるべく深部から細かく揺らし続けるということであった、幸運なことにアリーシアとイルビスの二人でならば、振動させるだけなら造作もないことだと言われたのである。


「タクヤよっ、貴様の言う通りにはしたが……アレに何の意味があるのだっ⁉ 雨を降らせて地を揺すっただけではないかっ⁉ ヤツにダメージなど皆無であろうっ⁉」

 水の精霊へと指揮を続けるミツハがオレへと顔を向けて言う、その表情はさすがにかなり怪訝そうで露骨な不信感すら浮かんでいた……


「絶対に成功する保証はないんだけどな……でも条件は揃っているんだ」

「条件だと? 一体何のことなのだっ⁉」

「この火山灰質の地面さ……地中深くまでたっぷりと水を含ませて飽和状態にさせてから、振動を与え続けると……」

「すると……どうなるのだ?」

 会話を続けるオレとミツハの前で、黒竜は何かを感じ取ったかのようである、より近くにいるアリーシアたち地の精霊部隊へ再び顔を上げると、そちらへ向かって進み出そうとした……


「地面は急激に支持力を失うんだ……その上にある質量の大きなものは……」

 オレのこの言葉の終わらぬうちにミツハの目が大きく見開かれる、その視線は黒竜の、進み出そうとして上げた脚とは反対の地を踏みしめている脚がズブズブと地中へ沈んでいく様を捉えていた。


 もちろん黒竜は進むことなどできなくなり、ガクンッとバランスを崩しそうになって上げた脚を地に戻し踏ん張ろうとした、しかしその脚も反対側と同様にズブズブと地中へと、まるで呑み込まれるように沈んでいくではないか……

 驚きの表情でそれを見つめるミツハに、オレの言葉が続いた。


「沈んでいくのさ、あんな風にな……液状化現象って言うんだ、とんでもない質量をもつ黒竜は自分の重さで沈み込むハズだから、動きを封じることができるんじゃないかと考えたのさ」

 言葉も出ずに凝視するミツハの目には、今や四肢がそっくり地中へと沈んでしまい、胴体部がベタリと地に着いてもがいている黒竜が映っている、長い首と尾を振り回すように動かし、ガアアアッ! と威嚇の唸りを上げるヤツは、だが一歩も動けぬ状態になってしまっているのである。


「よしっ! ミツハッ、水を降らせるのはもういいっ! 地の精霊の振動が続いている間が勝負だっ! いくぞっ!」

 オレの声にハッ! と我に返ったミツハが、ぬうぅ~っ……という悔しそうな顔はしたものの、反論の余地など無いのは当然判るのであろう、腕を一振りすると途端に湧き出す白霧がオレと彼女を包み込んだ。



 視界の白霧が晴れるとそこはもう黒竜の正面十五メートルほどの至近である、足止めが成功していなければ、ヤツの射程ギリギリのこんな場所には出られぬであろうことは明白であった、急に近距離に出現したオレたち二人に気付いた黒竜が、首を振り回してもがくのを止め威嚇の咆哮を放つ。

 凄まじい怒号が圧力を伴ってオレたちへと叩きつけてくる、しかしミツハは黒龍が牙を剥き大きく口を広げたこのチャンスを逃さなかった!


「愚か者めっ!」

 地面は水浸しなため操る水には事欠かない、周囲からシュルッ! と伸びた水流が幾条も奔り黒竜の目いっぱい広げた口内へ飛び込むや、咆哮を終えて咢を閉じようとする動きに合わせてガキィッ! と牙が硬いものに食い込む音が響く。

 開きっぱなしの巨大な口は、すでに月光を薄く反射して煌く水の結晶で塞がれていた……


「ファイッ!」

 呼び出されたファイがオレの横へと現れる、ファイも段取りは承知しているのである、即座に上げた両手の前に眩い光弾が創り出され、キィィーッという甲高い音と共にみるみる大きさを増していった、掛け値なしの全力の光弾である……甲高い音はチャージ音であるようだった。


 ミツハの水の結晶体で咢を開いたまま固定された黒竜は、当然そちらへ気を取られているようである、太古の時代に食物連鎖の頂点に君臨した王者のプライドであるのだろう、灼眼に怒りを燃やして口中の結晶体へその巨大で鋭い牙を喰い込ませ、なんと噛み砕こうとしているではないかっ!

 しかし、ギリッと歯を食いしばり両手をかざすミツハもプライドでは負けていない、結晶体を維持すべく全力で属性力を注いでいるようである、バキバキと牙の当たる結晶体の縁が微細な欠片を煌かせて削られてはいるが、力は拮抗しているようであった。


――そしてそのミツハの横を、宵闇を切り裂きながら眩い光弾が奔り抜ける。

 ファイの全霊を込めた光弾は狙い違わず黒竜の咢の中、水の結晶体へと彗星のように白光の尾を曳いて突き刺さった!



 それからの光景は数瞬の間に、しかしオレの目にはスローモーションのように映った……


 着弾した光弾は結晶体の表面に吸い付くように止まり、かと思った次の瞬間にはスルッと中へと潜り込んでいく。

 中へと入り込んだ光弾の光で結晶体が明るく輝き、そしてボヤッと霞んだ光の芯がブクブクと泡をたてるように広がっていく……光弾と結晶体が混ざり合いながら光度を増していくのであった……

 黒竜が太く長い首を振り上げる……本能が察したのであろう、何かを振り払うかのように天へと上がるその巨大な咢の中に、だが振り払うことのできぬ闇を裂く白く眩い光が溢れ出していった……


 ミツハが腕を振るとオレの視界は乳白色に包まれ、包まれる寸前には黒霧で覆われたアリーシアたちの姿が目の端に映った、意識する間もなく白霧が消え去り戻った視界の先には五十メートルほど離れた黒竜と、すぐ横に黒霧から現れるアリーシアたちの姿が見えたのである。


 音はここでオレに追い付いてきた。


 グルアアアァッ‼ と、喉の奥から上げる黒竜の唸りが耳へと飛び込んでくる、中天の月を睨み上げるように伸ばした漆黒のシルエットは、だが次の瞬間にはオレの網膜に残像を残して、咢より広がる強烈な白光に掻き消えていった……



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