邂逅と協力と立案と
オレたちの周囲で漂う白霧は、宵闇の中で月の光を霞ませながらみるみるその濃さを増していき、殺風景な荒地を乳白色の紗幕のように薄白く覆っていった。
一メートル四方ほどの立方体が横面を直撃した黒竜は、なんとか踏ん張って傾いた長い首を戻し、だが驚くべきことにさほど大きなダメージを受けているようには見えていない……しかし予想外の打撃に狂気の中でもさすがに警戒心が働いたのであろうか、突進などはして来ずに、むしろ少し後退りながらこちらの様子を窺い始めている。
それにしてもこの白霧……飛んできた立方体と併せてオレにはなんだか見覚えがある……チラッと隣のイルビスを見ると、彼女もオレと同様なのであろう……少し青ざめた顔をして唇が微かに震えているではないか……
「タクヤさんっ! イルビスッ!」
アリーシアとウォルトさんが駆け寄ってくる、オレたちが今まさに絶体絶命の瞬間であっただけにアリーシアの表情は今にも泣き出しそうであった、だがそのオレたちが顔色を変えて白霧を見ているのに気付くと、泣き出しそうな顔も怪訝そうなそれへと変わっていく……
「二人とも大丈夫ですか……? 今の四角いものと、この……霧は一体……?」
不思議そうに尋ねるアリーシアのその言葉の直後であった、ザアァッとざわめくように霧が流れ始めた……オレたちのすぐ前で、まるでそこに渦の中心でもあるかの如く吸い寄せられ集まっていく……やはり見覚えがあるのである……そして聞こえてきたのは……
「なんということだ‼ 外に出て暴れておるではないかっ! しかもあれほど深く墜ちておるとは……ええいっ! スーワーンめっ、厄介事を押し付けおって!」
渦の中心に集まった白霧が濃さを増して柱のようになり、かと思うと突然ふわっと拡散して散っていく中から、聞き覚えのあるかなりイラついた感じの声が鋭く響いた……そして声と同時にスゥーっと現れたその姿……
飾り気のない白の柔らかなローブを身に纏い、ローブから覗く手足や首筋は色白のイルビスよりもさらに透き通って白い……襟足で綺麗に揃えられた純白に近い銀髪がサラリと揺れる後ろ姿が、散った白霧の中から歩み出して今、オレたちの前で仁王立ちになり黒竜を睨みつけていた。
「まったく! これは一体どういうことだっ! 人間共やどこぞの女神に見つかって交戦までしているではないかっ⁉ おいっ! 貴様らっ! 経緯を全てこの私に話し……え……? えぇっ……⁉」
ヒステリックに喚きながらこちらを振り向いた純和風の美貌が、驚愕の表情で固まっているオレたちを認めた瞬間に絶句する……途端にアズライト色に光る双眸がみるみる大きく見開かれて、同時に白い貌のそこだけ紅い唇もあんぐりと開いていった……
「なっ……なななななななな……」
一拍置いてその紅い唇から、なの文字がたくさん出て来た。
「あ……あわわわわわわわわわわ」
オレとイルビスは一緒に、わを量産する……
「きっ、貴様っ! タクヤッ……⁉ と……イ、イルビスッ⁉ そっちにいるのは、アリーシアかっ⁉ なぜ貴様らが此処に居るっ⁉」
「ミ、ミミ、ミツハッ⁉ お、お前こそなんでこんなところにっ……⁉」
そう、なんと突然現れたのは原初の八柱が一人、水を支配する女神のミツハではないか……
オレとミツハは互いに驚きのあまり腰が引けた体勢になってしまっている、だが相手も驚いていると知れた瞬間にやっとまともな言葉が出てくるようになった、今のこのやり取りでどちらも意図した邂逅ではないようだと瞬時に悟ったのである、ミツハの方はとりあえず表面上は平静を装おうとし始めた。
こちらはと言えば、イルビスはオレの後ろへ隠れてガクブルしていた……当然であろう……彼女は散々水鞭で縊られ、あまつさえ魔力炉にする目的で魔王の角を植え付けられそうになったのである……しかもその泉の森の死闘からまだ一か月程しか経っておらぬのであった……
アリーシアはまだ事態がよく呑み込めていないのであろう、オロオロしながらこの様子を見ており、ウォルトさんに至っては理解のしようもないのでポカーンと眺めているだけである。
「偶然……ではあるが、ただの偶然という訳でもなさそうだな……? お前たちが何故あの古代竜と戦っておる? 説明せい……」
ミツハがオレの後ろのイルビスをジロリと睨みながら言う、彼女の絆の冠の力だと見抜いている様子である、この回転の速さはすごい、さすが原初の八柱と言うべきか……
「オ、オレたちは……話せば長くなるんで……まあ、いろいろ成り行きでこの地に来ることになったんだ……んで、次元の狭間の洞窟に閉じ込められてたこの人……」
しどろもどろになりながらも早口で説明するオレが、そう言ってウォルトさんを指すと、ミツハは遠慮なくジロジロと値踏みするような視線をその巨体へと注いでいる。
「ウォルトさんを助けたんだけど、その後を追って子竜が境界面を破って出て来たんだ……」
この言葉を聞いてミツハはハッと思い出したように口を開く。
「そうよっ! 子竜よっ! 何処を探知してもおらぬと思ったら、やはり外へ出ておったのかっ⁉ で……? 子竜は何処におる?」
「う……た、倒した……」
言い辛そうに告げるオレの言葉にミツハは息を飲んだ、そしてゆっくりと首を巡らせると、低く唸りながらこちらを窺っている黒竜へ目を移す。
「なるほど……あやつがあれほど深く墜ちておるのはそれ故であったか……愚かなことを……」
「ああ……オレは自分のエゴで子竜を殺した……村の人たちを護るっていう人間の都合でだ……」
苦し気に言うオレへ、ミツハはスゥッと細めた視線を向けた。
「殺らねば殺られるというのであれば、殺るのは当然のことだ……私はそんな事を言っておるのではないっ」
「と……言うと……?」
問われたミツハは再び黒竜へと鋭い眼光を向けながら吐き捨てるように言った。
「殺るのであればあれほど深く墜ちる前に殺れと言っておるのだっ、あれでは手の施しようがないではないかっ!」
この言葉には驚いた……あのプライドの塊のようなミツハがこんなことを言うなんて……しかし、冷静な分析の上での言葉でもあるのであろう、それだけ今の黒竜の力が強大だということでもある……
そしてこのタイミングで黒竜が動き始めた、ヤツはヤツなりにこちらの様子を窺っていたらしい、更なる攻撃がこないとみて警戒心は怒りと憎悪に移行しつつあるようであった。
喉の奥で鳴るグルルル……という唸り声が段々と大きくなっている、突進こそしてこないものの、ゆっくりと脚を持ち上げてこちらへと向かって進み始めたではないか……
チィッ! と不愉快そうな舌打ちがミツハの口から洩れ、間髪入れずに右腕が大きな弧を描いて振られる、すると同時にミツハを中心にオレたちの周囲へも白霧がブワッと湧き出した。
「少し距離をとるぞっ!」
その言葉の終わらぬうちに目の前が乳白色に埋められ、柔らかい薄布のような感触の白霧が全身を包んだ――が、またその次の瞬間にはあっという間に元通りになる視界にクラッと少し眩暈がする、霧渡りと言うべきものであろうか……ミツハのそのあまりに素早い移動術に視覚が追い付かず、平衡感覚が狂ってしまっているのである……
頭を振りつつ見ると黒竜は三百メートル程はあろうか……はるか向こうをドスンドスンとこちらへ移動していた、周囲を見回すとすぐ背後に牧場の木の柵がある、先程薄闇の先にぼんやり見えていた柵であろう。
言葉も無く周囲をキョロキョロ見回している一同を横目にオレは、腰に手を当てて黒竜を見据えるミツハへと尋ねた。
「ミツハ……ミツハはなんであの黒竜を追っていたんだ……? さっきスーなんとか言ってたよな……? あと、厄介事とか……?」
フンッと鼻を鳴らすミツハは目だけをジロッとオレへ向け。
「まったく……よく考えてみれば全てこやつのせいであるのだな……なんとも憎々しいことよ……」
ブツブツと言う独り言のような呟きは、しかししっかりとオレに届いている……オレなんかマズイことしちゃったんだろうか……? という青褪めた顔に更にイラッとした様子のミツハであるが、大きく息を吸って深呼吸を一つすると面白くなさそうに口を開いた。
「スーワーンという女狐に借りを作ってしまってな、あの古代竜をどうにかせねばならん……だが、ああなってしまっては例え次元の狭間へと戻したところで、またすぐ出て来よるだろう……息の根を止めるより他に方法は無かろうな」
冷静に、そして冷徹に言うのはミツハらしいと言えばらしい……
「ミツハ……アレを倒せるのかっ……⁉」
さすがだっ! という感嘆を込めたオレの言葉にミツハは胸を張って答えた。
「無理だから先程、愚かなことをと言ったのであろうがっ! このタワケめっ‼」
急に怒鳴られてオレのみならず一同がのけ反る……
「む、無理って……じゃあどうするんだよ……? 倒すしか他に手は無いんだろ……?」
「そうだ」
短く応えるミツハは、未だ遠くの黒竜を指差し言葉を継ぐ。
「お前たちも見たであろう? 深く墜ちたあやつの生成する魔素は、その纏う鱗をより強固なものへと変えておる、先程私があやつを見付けた時に撃ち込んだ水の結晶体がどれほどの効果であった……? 鱗が少々砕けただけで、あやつめピンピンしておるではないか……」
「そういや……ミツハ、あの結晶体って比重は水と変わるのか?」
「いや、同じだ」
「じゃあ、一メートルくらいの立方体だったから……一トン……」
猛スピードの一トンの結晶体が横っ面に激突したダメージが、オレがイルビスにビンタされた程度くらいのものだったとは……数値が出たことによって、ミツハの言わんとしている黒竜の強靭さがより実感できてきた……
そんなことを考えながらオレがまた青くなっていると、真っ直ぐオレへと向き直ったミツハは、この上なく真剣な表情になって言い出した。
「それ故に私はお前たちも共に移動してやった……分かるか? 実にもって不本意ではあるが……」
言葉の端々に悔しさが滲み出ている……だが、オレたちは理解した。
「じゃあ……共闘かっ⁉」
これは実に頼もしい限りである、ミツハはそのプライドの高さ故にオレたちなどを相手に裏切り行為はしないであろうと思う……となると、最強最悪の敵であった彼女は共通の目的を持った今、最も心強い味方になったと言えるであろう。
「まがりなりにも貴様はこの私を一度退けてみせたのだ……例えそれが億分の一の奇跡であれ、偶然たまたま何かの間違いであり、森羅万象の理に反することであったにせよだ……」
う、うん……よっぽど悔しかったんだな……奥歯をギリギリ鳴らしながら言うミツハを見てオレはそう思った……
「タクヤよ、貴様のあの時の力と私の力があれば、あやつを倒せる可能性も出てこようぞ」
それでもある程度は評価してくれているようである……だが、ここで重要な問題が一つあった……
「あ、あのさミツハ……オレのあの時の力って、好きな時に自由自在に使えるって訳でもないんだよね……」
そうなのである……あれ以来何度か試してみているのだが、ファイに左手を向けて、ふぬおぉ~! とやっても一度も発動していないのである……苛立ちまぎれにファイをギュッと掴むと怒って加熱し、手を火傷しそうになったりしたのであった……
「なんだと……? 貴様、この期に及んでそのようなふざけたことを……」
立場を有利にする駆け引きでもし始めたと思われたのであろうか、殺気を放ってブチ切れる寸前の表情を向けるミツハに、オレは大慌てでブンブンと手と首を振って答える。
「ちっ、ちがうんだっ、本当にまだあの力は発動の仕方がよく解らないんだよっ! あの時言っただろ? あれはオレの力じゃないって……オレ自身、まだどうやっていいのかすら解ってないんだよっ……」
必死に言うオレに、ミツハの怒気と殺気はスーッと引いていく……しかしその代わりに和風の美しい貌には失望の翳が広がっていった……
「な、なんということだ……では、私はそんな不完全な力に負けたと言うのか……くっ……」
ギリッと歯を鳴らして少し俯くミツハは、それでも現在の状況を思い出したのであろう、恨めしそうな視線をオレへと戻しつつ……
「タクヤよ、ではどうする? 私一人の力ではあの古代竜には通用せぬぞ? あの魔素の鱗は女神の属性力をもほぼ無効化する……物理的な打撃も生半可なものでは効かぬ……貴様にあやつを倒す術が思い付くか?」
悔し気に……絞り出すように言うこの言葉に驚いたのはオレだけでない、後ろのイルビスとアリーシアからも息を飲む音が聞こえる……原初の八柱が一人であるミツハが、ただの人間のオレを相手に方策を尋ねたのである……
プライドを捨てた訳ではないであろう……そんなことをするくらいならミツハは己の死をも選ぶハズである……彼女の問う言葉からはオレを対等の者として認める響きが伝わってきたのであった……
原初の八柱から頼られて奮起せぬわけにはいかぬであろう、正直言うとかなり荷が重くプレッシャーも凄まじいのであるが……だが、オレはズシンズシンとこちらへ向かって来る黒竜へと視線を移し、必死で思索を巡らせていった……
――やがてオレはミツハへと尋ねる。
「ミツハ……覚えているか? お前のバリアに光弾が当たった時の水蒸気爆発を……」
言うなりミツハの目の周りがカーッと赤くなる、そして即座にガーッ! と尖った鬼歯を見せながら語気も荒く喚いた。
「忘れる訳がなかろうっ! アレで私がどれだけ酷い手傷を負ったと思っておるのだっ!」
「すっ、すまんっ……でも言いたいのはそうじゃなくてさ……あの黒竜の口の中……そう、口の中にバリアと同じ結晶体を作れないか……?」
「口の中だと……? そうか……そこに光弾を当てて爆発させると……? 確かに口内であれば魔素の鱗も無い……十分なダメージが見込めるな……」
「ああ、逆に言うとミツハの結晶体で口を開きっぱなしの状態にしないとできない攻撃だな……可能だろうか……?」
フーム……と口元に手を当てて考えるミツハは、頭の中でシミュレートしているのであろう、少し考えた後に口を開く。
「ヤツの咆哮に合わせて口内へ結晶体は作れるであろうが……さすがに動き回られていると難易度は非常に高いぞ? そこへ光弾を当てるのもそうであろう? 少なくとも足止めの必要があると思うのだが……?」
今度はオレがフーム……であった、ミツハの指摘は非常に的確である、流石と言うべきものであった……
「ミツハのバリアで足止めできないか?」
尋ねるとミツハは即座に首を振って答える。
「脚の一本くらいならば僅かな間だけ可能であろうがな……四肢となるとあれだけの力を押さえるのは無理だ、しかも足止めに全力を注いでおる間は、肝心の口内への結晶体を作ることができぬ……」
冷静なミツハの言である、疑問を差し挟む余地などないのであった……ならば他の方法を考えるしかないのであるが……
ウ~ン……と腕組みしながら思考する……先程の目潰し作戦で足止めは無理であろうとの結論が出ていた……砂塵での目くらましも瞬膜の存在で無効化される結果となっている……
落とし穴も無理……物理攻撃もほぼ効かぬ……縛ることもできず、目くらましも効果がなかった……それでも足止めしなければならぬ……何か他に方法がないものであろうか……
足の裏でジャリッと音を立てつつオレは地面を見つめて考える……灰白色の地が広がるこの殺風景な荒地でできること……
最初の状況と違うのはミツハが参戦してきたことである、ミツハは水を統べる女神であった……今あるのは彼女の水を操る力とアリーシアとイルビスの力……水……水……水でできることは……
ハッ! と顔を上げたオレに皆の視線が集中する、何か思いついたかっ? という期待の視線であった、すかさずオレはミツハへと尋ねる。
「ミツハッ! お前、水はどのくらい出せるんだ……?」
その質問にポカン……とした顔をするミツハの向こうには、ズシンズシンと黒竜があと百メートル余りまで接近してきているのであった……




