荒地と対抗手段と組分けと
「ぷあっ……!」
まるで水中から水面へと浮かび上がり、酸素を求めるかのように大きく息を吸い込んだ。
視野が急に開けた目の前は岩山から少し距離があるせいか、拳大ほどの岩がゴロゴロと転がっているだけの広い荒地が開けている、そしてすぐ背後には今出て来たばかりの森の藪が、森を護る壁のように鬱蒼と茂っていた。
「やっと抜けた……」
気の抜けたため息混じりの声が出る、ウォルトさんの背中にくっついて進んでいただけとはいえ、夜の闇に閉ざされた森の中で延々と藪漕ぎをしてきたのである、その閉塞感と歩きづらさにも辟易したが、やはり目的が黒竜より先んじて森を抜け、足止めの対策を練って待ち構えるというところにあるため、なかなか思うように進まぬ藪漕ぎには気ばかりが焦っていたのであった。
ガサガサと藪を揺らしてアリーシアとイルビスも姿を現し、ふうぅ……と深いため息を漏らす、顔もやはり、やっと抜けたわ……という安堵の色が濃い。
「先回りには成功したが、さほど余裕があるわけではないぞ? これからどうする?」
荒地の向こう側に見える岩山を眺めていたウォルトさんが、大剣を肩に担ぎ直しつつ振り向いてオレへと尋ねた、延々と続いている岩山の裾と広がる森の途切れ目が合わさる場所……今ウォルトさんが眺めていたそここそが、黒竜が今進んで来つつある山裾沿いの出口であろう場所であった。
問われたオレもその出現予想地点を眺めながら、ウ~ン……としばし考える、視線を移すと殺風景な荒地は、村の方へと向かうにつれて牧草らしき草がチョボチョボと生え始め、やがて先にいくほどそれは青々と繁り出し、さらにその先には牧場の木の柵らしき影が月光の薄明りにぼんやりと見えていた。
どうやらこの荒地が村と森との境界ともいうべき場所のようである、やはりここで食い止めなければならないのは妥協できぬ命題のようであった……
「なあイルビス……」
呼びながらすぐ横に立つイルビスを見ると、長い黒髪にからまっている枯葉をイヤそうな顔をして取除いていた彼女が、ん? とこちらへと顔を振り向けた。
「土の精霊とかでさ……でかい落とし穴って作れないかなあ? 倒せないまでも足止めくらいにはなるだろ……?」
そう聞いたイルビスは一瞬考え込むが、すぐに結論に至ったらしく即座に口を開く。
「あのでかい竜を落とす程の大穴じゃぞ……私とねえさまが全力で地の精霊を総動員したとしても、時間はかなりかかるじゃろうのう……」
いつもの揶揄するような調子は無く、場合が場合なだけに真剣な返答であった、それだけにオレの落とし穴案は、やはり実現には無理があるか……と思わざるを得ないのである……しかし。
「じゃ、じゃあさ、岬でBBが墓の穴を掘った時みたいな感じで、カノポスにならできないかな……?」
「無理じゃ、あれはBBが属性力を使って影渡りの応用で掘ったのであろ? 精霊の持つ属性力には量的に限界というものがあるのじゃ、カノポスに掘れるのもせいぜいあの墓穴で十数穴分がいいとこであろうのう……」
「十数穴か……黒竜の脚一本分にしかならないな……」
またもやウ~ンと唸ってしまうオレであるが、今回ばかりは簡単に諦めるわけにはいかないのである、食い下がって尋いてみた。
「イルビスとアリーシアって……影の精霊は使役できるのか……?」
しかしこの問いにも、すぐにフルフルと首を横に振ったイルビスの応えが返ってくる。
「私の知る限りではの、光と影、そして時の精霊だけはその冠を持つ女神でなくては使役できぬ……何故かは解らぬのじゃが……属性が特殊で、私たちでは干渉できぬのじゃ……」
なんだか複雑そうな顔をして言うイルビスである、少々意外な驚きを感じるが、それよりもまず頭に浮かんだのは褐色の肌を持つ能天気な闇の女神の顔である……
「そ、そうなのか……じゃあセルピナって実はスゴかったんだな……」
そういえばミツハが森の泉で、セルピナは原初の八柱が一人であった闇の女神の末裔と言っていたのを思い出した……よくは解らぬが彼女には彼女の、女神としての事情があるのであろう……
「どうするのじゃ? 次元の裂け目をつないでセルピナを呼ぶかの……? 王都につないで騎士団を召集する手もあるのじゃぞ?」
少し考え込んでいると心配顔をしたイルビスが尋ねてくれる、オレの八方塞がりの様子に彼女もいつになく真剣な表情であった。
「いや……ダメだ……騎士団を呼べば必ず犠牲者が出る……セルピナも、そりゃあいてくれれば心強いのはあるが……いや、やっぱりダメだ、あの黒竜に有効な手段を思い付かない以上は、今回ばかりは危険すぎる……」
そう告げると、何か言いたそうに眉をひそめるイルビスであるが、オレの気持ちも察することができるのであろう……無言のままこちらを見つめるだけである。
「タクヤさんっ! ゆっくりとですが近付いてきていますっ……このままだとあと三分ほどで……」
それまで黙って岩山の方を向いていたアリーシアが突然口を開いた、この荒地に出てきてからすぐに黒竜の探知に取り掛かってくれていたようである、今の黒竜はその体中から噴き出す魔素により探知で容易に居所が知れるのだと、森を進みながら教えてもらっていた。
アリーシアの言葉に場の緊張も急激に高まってくる、しかし此処に来るまでは地の利を生かして対策ができれば……などと考えていたのだが、いざ到着してみてこのだだっ広い荒地を眺めると、利用できそうな要素が何一つとして無いのである……
火山灰地特有の細かい土壌の上に小さな岩塊が転がるだけの平坦な広場……隠れ場所すら無いこんな所では、落とし穴くらいしか思い付かないのであるが、それが出来ぬというのであれば、あとは……
「――目を狙うしかないか……」
そう言うと、オレの言葉を待っていた様子のウォルトさんとイルビスも、流石にそれしかないか……という感じで溜息をつきながら頷いた、実現はかなり困難であるというのは皆分かっているのである、あの長い首の先にある黒竜の頭部に、しかもピンポイントで目を狙って攻撃するなど、本来ならば可能だと思う方がおかしいくらいである……
だが、オレたちの直接的な攻撃は殆ど効果の見込めないあの黒竜に対して、唯一効き目がありそうなのは視覚を奪う――つまり目を狙うことであった。
「間もなく森の切れ目に到達しますっ! 出て来ますっ!」
アリーシアの鋭い声が走り、ハッとした一同は出現予想地点へと目を向けた……探知のできぬオレでも分かるどす黒いプレッシャーが、暗い翳りとなって見える森の木々の向こうから徐々に伝わってくるのを感じる……するとそれに併せたように黒竜の進行による地響きが、大地を伝わって足裏へと届いてきた。
もう一刻の猶予も無い状況である、遠くに見える牧場の人たちが避難に取り掛かれているのかどうか……ローサたちに頼んだ避難誘導の進捗も気にはなるが、しかし今となっては確かめている時間も無い。
気を取り直して今できる最善の方策を告げるべく、オレはオレを見る三人の顔を見回しながら口を開いた。
「アリーシアは風の精霊を使役してくれ、地面の細かい砂を巻き上げて黒竜の顔の周りを砂嵐みたいに取り巻いてほしい、できそうか……?」
「は、はいっ! やってみますっ」
本来、愛の冠を持つアリーシアは絶対に戦闘には参加しない、彼女の冠とする愛は全ての生命に注がれるものであるからだ……遥か昔、物質界からの侵略戦争のときも、自らの王国とシグザールの為にですらその力を振るわなかったのである……この戦闘のサポートは、おそらく彼女に許容されるギリギリ限界のものであろう……
そんなアリーシアの心中を慮ると、健気にも力強く頷いて返答する姿に胸がチクリと痛んだ……しかし今はその思いを頭から振り払い、次いでウォルトさんへと言う。
「ウォルトさんはアリーシアのサポートをお願いします、精霊の使役に集中すると隙が大きくなるので……ヤバイと思ったら彼女を担いで逃げて下さい」
「ウム、心得た」
間髪入れずに返事がくる、子竜とは違いあの黒竜にはさしものウォルトさんの大剣も通用しないのは、自身が一番よく判ってるのであろう……その判断力も戦士として超一流であろう片鱗を見せて、サポート役を快く引き受けてくれた。
そして最後にイルビスを見ると……その顔はもうすでに、全て心得ている――といった風な表情を浮かべている、やはり彼女こそがオレたち一同の中で、遠距離攻撃においてナンバーワンのアタッカーであることは言うまでもないであろう。
「イルビスは……岩でも土でも木でもなんでもいい、とにかく手数で勝負だ、一発でも目に当てればこっちのものだからな……オレもイルビスのサポートをしながらファイで援護する、でも無茶はするなよ?」
しかしそう言うと、何故か眉をピクッと動かしたイルビスがこちらをジトッと睨み返し、ゆっくりと口を開いた。
「お前こそ……さっきの子竜のときのような無茶なことはするでないぞっ⁉ あんなのはもう二度とご免じゃからなっ⁉」
そう言われた瞬間、あっ! となった……大岩をオレの上へと落とすプレッシャーで、事後にしがみついてきて可愛く泣き出した彼女を思い出したのである……ちょっと赤くなりながら、は、はぃ……と小さく返事をするオレであった……




