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太古の覇者と囮と悲しき咆哮と



「タクヤ……お前、なぜワシの屋号を知っている……?」


 驚き半分、不思議半分の顔をしたウォルトさんがキョトンとオレを見つめて言った。


 だがオレの方はといえばそれどころではない、我が愛すべきハナノ村の職人チームの紅一点、鍛冶屋三代目ガンテツことジュリアさんの姿が脳裏一杯に浮かんでいたのである、それも父が行方不明になり必死で鍛冶職人としての腕を磨いてきたと寂しそうに語っていた姿が……であった。 


「うぅ~わあああぁあっ‼ じゃっ、じゃあウォルトさんっ! ジュリアさんの親父さんだったのかああぁあ~っ⁉」


 突然半狂乱になったように喚き出すオレへ、ワケの分かっておらぬ女性陣は当然のごとくかなり引き気味で驚いている、アブナイ人を見る目にもなっているようだ……だがジュリアという名を聞いたそのとき、ウォルトさんの顔色が変わった……

 ガバッとオレの胸倉を大きくてゴツイ手が掴むや、もの凄い力でグイッと引き寄せられる、瞬時に襟が絞まってニワトリが縊られるときのような、くえっ……という音が喉の奥から出た。


 正座をしていてもオレと目線が同じくらいのウォルトさんは、その圧倒的なパワーでガックンガックンと、無抵抗なんだか抵抗はしてるのだが無意味なのかよく分からぬ状態のオレを揺さぶりながら。

「おいっ! タクヤ! お前なぜジュリアの名を知っているっ⁉ なぜだっ⁉ おいっ! タクヤ⁉」

 訊きながらもガックンガックンは続いている、しかしてその様子を唖然として見ていた女性陣の中からローサが声を上げた。

「ちょ……ちょっと……タクヤ、白目剥いてない……?」

 その言葉にギョッとした他の三人が、揺すられるままにカクンカクンしてるオレの顔を見る……


「わ~っ⁉ こ、こらっ、やめよっ! タクヤが死ぬるっ! 死んでしまうじゃろうがあっ⁉」

「ウォルトさんっ、落ち着いてくださいっ! タクヤさんがっ……タクヤさんがっ!」

「タクヤさまっ! ああっ! 口から泡も吹いてますっ! 大変ですっ!」

 まだ続いているガックンガックンと、それを必死に止めようとする大慌ての女性陣であった……



「いやすまん……突然ジュリアの名が出たんでな……興奮のあまり力の加減が甘くなっちまった……」

 しばし経ってクラクラする頭を振りつつようやく回復したオレへ、本当に申し訳なさそうに謝るウォルトさんである、ヒゲモジャのせいで表情は判りづらいのだが、一本気な性格であるのは分かってきたので、その仕草から胸中を察するのが容易になってきつつあった。


「いえ……まあ、心配してる最中に当の娘さんの名前を突然言われれば動揺もしますよね……気持ちは解りますんで気にしないで下さい」

 そう言いつつも、加減が甘くなったというだけであっさりとオレを絞め落とす超絶のパワーにはさすがにゾッとする……落ちた瞬間、なんか見覚えのある川が見えた気がしたのにも、やはり背筋がうすら寒くなるのであった……

「とにかく事情を説明しますね、実は――」


 説明を待ち焦がれている風のウォルトさんへ順を追って語っていく、タオじーちゃんに救われ、ハナノ村での生活が始まり、職人チームの結成から軌道へ乗っていく商売、そして王都アカデミーへの召喚まで……大雑把にではあるが語り終える頃には、ウォルトさんは太い腕を組みながら大いに得心いったように頷いていた。


「なるほど……そういう経緯があったのか……ふむ、なんにせよジュリアがしっかりやってくれているようで心底安心したぞ……いや、本当に有難う!」

 そう言って深々と頭を下げる巨体へ、いやいや……と照れて両掌を振るオレである、そこへ姿勢を正しつつヒゲ面を撫でながら不思議そうな声で。


「しかし、なんという偶然なのだろうな……キャメルやウッディ、ジュリアたちと一緒だったタクヤがワシを救ってくれるとは……なんとも運命めいたものを感じちまうもんだ……」

 う~ん……と感じ入ったように呟くウォルトさんであるが、オレの方はといえばイルビスの絆の冠の説明をするのも面倒なので、ハハ……と笑ってごまかす、チラッとイルビスを見るとすっとぼけた様子でフイッと目を逸らしたのでオレと同じ考えらしい……


「そうだ、ウォルトさんもハナノ村へ帰るんだったら、ハナモリ村経由になるけどオレたちの馬車で一緒に行きませんか? 今日明日はこの村の子爵邸に泊まって明後日出発になりますけど……」

「なんとっ、それは助かるぞ……正直あの狭い洞窟に長いこと閉じ込められていたからな……体力がかなり落ちているのを実感しているんだ……」

 オレの提案に喜んでくれるのはいいのだが……目の前で暴竜をぶっ飛ばした人の、体力が落ちているという言葉はなんとも説得力皆無であった……がしかし規格外な人であるのも確かなので、とりあえずオレたち一同は、お……おぅ……と頷くのみである。


「さて、それでは子爵邸へつなぐとするかの……」

 立ち上がったイルビスが両掌を前へかざし次元の裂け目の作成にかかる、出口のイメージさえしっかりできるのであれば、一度行った場所へ自由に行き来ができるという能力は実に羨ましい限りであった。


 突然ヒゲモジャの巨人を連れ帰ったら子爵もサラさんも驚くだろうなあ……などと考えながらイルビスの創る裂け目の完成を待つ……が、しかし何故だか一向に空間を震わせるあの振動音が聞こえてこない……「?」と思ってそちらを見たオレはハッ⁉ とした――


 表情を強張らせたイルビスがあらぬ方向を凝視して固まっている……すぐ隣に立っているアリーシアも同様であった……その視線は同じ場所へ、先程閉じた洞窟の入口があった岩肌に向けられているのである、そしてそれからすぐにその音が聞こえてきた……


 ――パリッ……パリパリッ……ピキッ


 硬い何かにヒビが入るような……そして剥がれ落ちるような……硬質な音が響いてくるのは二人の女神が見つめる岩肌からのようであった、続いて信じられぬような様子のアリーシアが震える声で……

「そんな……じゃあ、やっぱりあれは……」

 その声に呆然と岩肌を見つめていたイルビスもハッと気を取り戻す、間髪入れずにオレたちへ振り向き鋭く叫んだ。


「下がれっ! 気を付けよっ! ヤツが出て来よるぞっ‼」


 ヤツとはもちろんあの暴竜のことであろう、だが入口はイルビスが完全に塞いでくれたハズである……いくら自然に綻びができる脆い場所とはいえ、イルビスが閉じた境界面に穴を開ける力があの暴竜にあるというのか……⁉

 とても信じられぬ思いであったが、ヒビ割れの音はどんどん大きくなっている、否応なく増してくる恐怖と緊張感に岩肌から目が離せぬまま、対処の方策も立たずにオレたちは成すすべもなく距離をとって見つめるしかなかったのであった……


 ビキィッ‼ と、ひと際大きな音が響いたと思いきや岩肌に黒く長い亀裂が走った、ウォルトさんも状況を把握したのであろう、巨大剣を肩に担ぎ上げてオレたちの前へ守護神のように仁王立ちになる、オレも呆けてはいられない、ヤツが洞窟から出てくるのであれば先程のようにぶっ飛ばして逃げるだけということはできない……森のすぐ向こうにはハナヤマ村がある……暴竜がそちらへ行けば住民に被害が出てしまうのは明白であった……


「アリーシアッ! ローサとサマサを頼むっ! 向こうへ離れて護ってやってくれっ!」

 森を指差して指示をすると、一瞬泣きそうな心配顔をしたアリーシアは、しかしすぐにコクリと頷いて二人を森へと促す、ローサとサマサも何か言いかけたが無言で首を振るアリーシアを見て口をつぐむと促されるまま森へと向かった。


 何度もこちらを振り返るローサとサマサが森の茂みに消えるのを見送ると、オレはウォルトさんの横に並んで立つ、そしてそのオレの横にスッとイルビスが並んだ。

「洞窟の中は狭かったからな、ヤツの動きも限られていたが……外へ出てくるとなるとちと厄介だぞ……」

 バリンッバリンッ! と音が響き、岩肌の亀裂も大きく拡がっていく中、そちらを見つめたままのウォルトさんが言った、それに対しオレも夢の中で見た情景と、先程の洞窟内での戦闘を材料に考えを巡らせて言う。


「ヤツは普段水の中に棲んでいます、水から上がれば自重の負担は大きいでしょう……さっきも見ているとあまり動きは素早くなかった……なのでオレとイルビスが足を狙ってサポートしますんで、ウォルトさんは頭部を狙って下さい」

 オレのその言葉に、ほう……とチラッとこちらを見て意外そうな顔をするウォルトさんである、不可能なことを戯言のように言っているわけではないというのを、オレの表情から察したようであった。


「よかろう、足止めは任せたぞ」

 ニィッとヒゲモジャの口元が動く、オレの中のハナヤマ村を護る決意を感じ取ったのであろうか……先程見た剣技の凄まじさといいこの勘の鋭さも合わせると、鍛冶屋ではあるがやはり戦士としても超一流であるのは疑う余地がないようである。


 そして一際大きな破砕音が響き渡るや、茜色の夕陽が照らす岩肌からこの世界へ、次元の狭間で生まれたのであろう巨大な影が、憎悪を凝縮したような赤眼を光らせながらその姿を現した――



「くっ……小賢しいっ! ヤツめ、ウォルトの剣を避けて私らばかり狙ってきおるぞっ! タクヤッ! どうするのじゃっ⁉」


 イルビスの緊張感の乗った声が響く……戦闘が始まってすぐに判ったのは、あの暴竜はかなりの知能を持っているということであった……正面へ回り込もうとするウォルトさんを明らかに避け、足元を狙おうとするオレとイルビスへのみ向かって来ようとしている。


 移動速度は走り回るオレたちの方が若干速い、しかしウォルトさんが正面へ回り込むと、その巨体を捻りながら方向を変え、頭部に巨大剣の打撃をくらわぬように首を上へ立てながら、オレとイルビスへと地響きをたてて突き進んでくるのであった。


 イルビスの放った木の精霊が繰り出す蔦は、暴竜の太い脚を絡めるがいとも容易く引き千切られてしまう……ならばと幾条もの蔦を四肢に絡めても、その突進を僅かに緩めるだけでブチブチッと音をたててすぐに千切れ飛んでしまうのであった、ファイの光弾も鱗状の結晶に阻まれてその表面を焦がしただけである……


「カノポスッ! どうだっ⁉ 縛れるか⁉」

 暴竜の咢の届かぬ上空に羽を広げて浮揚するフクロウの姿へ叫ぶ、しかし夕陽が地に映す巨大なその影は影縛りをものともせず、ほとんど停滞することもなく突き進んでくる……さすがのカノポスも圧倒的なパワーを持つ暴竜を縛ることは叶わぬようであった……


 マズイ……マズイぞこれは……岩山と森の境目に広がる荒地を、行ったり来たりしながら逃げ回るしかない状況になってしまっている、森へ入れば木を盾に身を隠すのは容易かもしれない、だがそれでは根本的な解決にはならず、まかり間違って暴竜が村へと進路を変えると最悪の事態にもなってしまう……


「イ、イルビスッ、岩の精霊の……岩石弾で……狙えないか……?」

 さすがに逃げ回り続けて息が上がっているオレが、ヒイヒイ言いながら切れ切れに尋ねると、これも肩で息をしながらのイルビスが応える。

「岩石弾は……マンボウに撃った大きさが……精一杯じゃ……あ奴に効果があるとは……思えぬ……」


 確かに……マンボウを仕留めた岩石弾程度の大きさでは、あの暴竜にはさほど効き目が無いであろう……しかしそのとき、荒地に転がる大岩を避けながら逃げていたオレの脚がピタリと止まった、イルビスも慌てて立ち止まる。


 振り返ると暴竜もその突進を止めていた……そしてこちらを見ながら荒い息をついているのであった……巨大な咢からはダラダラと涎が流れ落ち、眼窩のすぐ前にある鼻孔からは激しい呼吸音がブシューブシューと響いている……巨大な体躯ゆえに持続力はないのであろう、だが闇雲に追うのは止めて何か思案している風にも見えるのである……


「タクヤッ、どうだ? まだ策はあるのかっ……?」

 ゼイゼイと苦しそうに呼吸をしながらウォルトさんも合流してきた、身を捻って逃げる暴竜の前へ回り込もうと努力していたのである、その疲労も半端ではないはずだ……


 問われた言葉になかなか返答できずに、悔しさに歪むオレの顔を暴竜の眼が嘲うかのように見ていた……するとその巨大な頭部がスッと上へと持ち上げられる……長い首を上へと真っ直ぐ伸ばし、あらぬ方向を見つめ出したではないか……

「ア、アイツ……まさか……」


 ハッと気付くオレの目にも暴竜が見据える先……森の向こうに立ち昇る幾筋もの細い炊煙が見えたのである……村の存在を気付かれたっ⁉ 途端に最悪の状況が脳裏に浮かぶ、逃げ惑う村の人たち……そして襲いかかる暴竜……老人や子供ももちろんいるだろう、逃げ切れる人だけではないはずだ……有効な足止めの手段すら思い付かぬオレたちに成す術はない……

 血の気が引いていくオレの顔を、再びこちらを向いた暴竜の凶悪な眼が見つめた……その眼の意図に気付いた瞬間背筋が凍りつく……あの野郎……オレたちがこのまま逃げ回るなら村へ向かうぞと……脅してやがるのか……⁉


 ギリッ! とオレの奥歯が鳴った、沸々と湧いてくる怒りはしかし、今回は冷静な思考を邪魔することなくむしろ決断をするきっかけになった……すぐ横で黙ったままジッとオレを見つめるイルビスの目のおかげである……そのオレを信じて指示を待つ信頼の光が、怒りに身を任せそうになった心を鎮めてくれたのであった……

 深く深呼吸をしながら巨大な岩石が転がる荒地を見回し、そしてその岩石が落ちて来た先であろう、遥か高くまでそびえる岩山の絶壁を見上げる……わずかな思索の後、オレはイルビスへと問いかけた。


「イルビス、撃ち出す岩石弾の大きさは、マンボウのときくらいが限界だと言っていたが……ただ高いところから落とすだけならどうだ……? あの絶壁の上の岩肌を剥がして、でかい岩を落とせないか……?」

「そ、それは容易いことじゃが……落とすだけならば、かなり大きな岩石でも……浮かせる必要も撃ち出す必要もないからの……しかし絶壁の真下にヤツを引き付ける必要が……ハッ! タッ、タクヤッ! お前まさかっ……⁉」


 オレの意図に気付いて青くなるイルビスの声には応えず、次にウォルトさんへと向かって言う。

「ウォルトさん、イルビスはこれから精霊の使役に集中します、ウォルトさんが護ってくれていればヤツはこちらへは来ない……ここでイルビスを護っていて下さい」

 オレの意図を理解したのであろう、何か言いかけて口を開いたウォルトさんと視線がぶつかる……しばし睨み合うように沈黙するが、やがて大きく溜息をついたウォルトさんが一言。

「わかった……」

 と、おそらく仏頂面になっているであろうが、真偽のほどはよくわからぬヒゲ面でボソリと言った。


「カノポスッ!」

 呼ぶとすぐに滑空してきたカノポスが、軽い羽音と共に頭頂へズボッと舞い降りる、パイルダーオンが完成して戦闘準備が整った、いよいよ出陣であった。


「イルビス、躊躇うなよ……」

 オレの言葉に既に岩の精霊を召喚しているのであろう、集中モードに入っているイルビスの目がジロリと睨んでくる、だがその目はジワッと涙が浮かんでウルウルしていた……心配してくれているのであろう、可愛いことこの上ないのである……


 二人から離れたオレは、暴竜を斜めに見据えつつ絶壁の方へと歩き出した、当の暴竜はオレをその眼にずっと捉えてはいるものの動き出す様子がない……警戒しているのかナメているのか……そっちがそう来るなら……

「ファイッ!」

 シュオッと呼び出されたファイが顔の横へ浮く、オレは暴竜を真っ直ぐ指差してファイへ。


「アイツの鼻っ先に思いっきり火球をぶつけてやってくれ、派手なやつを頼む」

 フッ……任せな……といった感じのファイが両掌を向けるや、紅蓮に燃えるサッカーボールほどの火球がゴオッ! と唸りをあげて飛び出した。

 ダメージはほぼ無かったであろう……実際に見ていたところ鼻先がちょっとコゲただけのようであった、だがしかし、威力はともかくその火球はとんでもない破裂音を響かせたのである……


 ――バアアァアン‼


 撃てと言ったオレも驚いて飛び上がるほどの大音響……以前精霊学部でのグリプス教官との力比べでも使用した、中空状の火球の中にたっぷりと膨張圧縮した空気の入った破裂火球とでも言うべきものであった……


 ゴグルアアアアァアッ‼


 そりゃ怒るだろうなと思う……驚いた分が怒りに変換され、暴竜は先程までの余裕面など何処かへ吹き飛んでしまっている……警戒心もナメた様子もすっかり消えてしまい、恐ろしいほどの怒りがその赤眼に宿ってオレを睨みつけていた。


 怒気を吐き出すような咆哮と共に巨体がオレを追い始める、ファイには一旦消えてもらい怒りがオレだけを向くように仕向けた、案の定ヤツはカノポスを頭頂に乗せた一見ふざけた姿のオレへまっしぐらである。

「うはっ、きたきたーっ!」

 ズドンッズドンッと地響きを鳴らして追ってくる怒り狂った姿は、恐ろしいの一言であった……竦みそうな脚に力を込めて、喰われてなるかとオレも必死で走り出す、向かう先は岩山の絶壁、その真下である……


 絶壁に近付くにつれて地面に転がる巨石もその数を増していく、走りづらいことこの上ない、暴竜が多少の岩石など撥ね飛ばして進んでくるのに対して、オレはジグザグに避けながら進むしかない、やはりジワジワと距離が詰まってくるのであった……


 やがてオレは岩肌にドンと背を当てて暴竜へと向き足を止める、そこは目標である最終地点、つまり絶壁の真下であった……どこからどう見ても今のオレは、追い詰められて万事休すの状態にしか見えないであろう……

 追い詰めた当の暴竜もそう思っているようで、岩肌に背を当てている逃げ場のないオレを、突進の速度を落としてゆっくりと……そして更にジワジワといたぶるように間合いを詰めてきている。


 膝がガクガクと笑っていた……タイミングの勝負である、暴竜の首の長さを攻撃の間合いと考えるなら、あともう少し……まだ……まだ早い……

 さっさと合図を出したくなる衝動を必死に堪え、ジリジリと迫って来る凶暴なヤツの首の動きに全神経を集中させる、攻撃をするときは必ず一旦首を引いてから矢のような速度でかぶりついてくるのがヤツの習性であった……だが、攻撃モーションを待つこの間はたまらない……恐怖で気がおかしくなりそうである……


 腹の底から湧き上がってくるような悲鳴を必死に噛み殺し、岩壁にめり込むんじゃないかと思うくらい背を押し付けて固まっているオレへ、その瞬間はやってきた――


 ズドンと一歩踏み出した暴竜の眼が殺意にギラリと光り、同時にグイッとその長い首が持ち上げられて引かれる、来たっ‼

「今だっ‼」


 その叫びからコンマ数秒も経ってはいないであろう、声が終わらぬ程のタイミングで湧き出した黒霧が瞬間的にオレの姿を包み込んだ、頭上のカノポスも限界まで集中してくれていたようだ……影渡りの闇に包まれる寸前に見えたのは、すぐ眼前にガパッと開いている巨大な暴竜の口の中であった……


 フッと闇が取り払われて明るくなった視界に映ったのは、少し離れた場所から見える暴竜の後ろ姿である、それは直前までオレの居た場所……そこへ頭を突っ込んでいる姿であった……そしてそこに影が差したと見えた瞬間、その影は巨大な岩石となって轟音と共に暴竜の姿と重なった……


 地響きはオレの身体を浮かせる程の衝撃を伴い走り抜けていく、咄嗟に顔を庇った腕に細かく砕けた岩石がバシバシ当たってきた……続いて朦々と立ち昇る砂煙に視界を奪われて立ち尽くしていると、背後から駆け寄るイルビスとウォルトさんの足音が聞こえてくる。


「やったかっ⁉」

 ウォルトさんは目を細めつつ砂煙の向こうを一生懸命覗こうとしている、が、問題はイルビスであった……突然ガバッとオレに抱きついてきたのである……


「お、おいっ……⁉」

 暴竜への恐怖感も吹っ飛び、ドギマギしながら抱きつく肩へ手を触れてオレはハッとした……震えている……フルフルと細かく、オレの肩口へ顔を押し当てて華奢なイルビスの全身は瘧にかかったように震えていたのであった……


 余程のプレッシャーだったのか……考えてみればそうである、あの際どいタイミングで巨大な岩石を落とす……落とす先はオレの頭上である、一歩間違えばオレが潰れて死んでしまうのであった……平気でいられるハズもないであろうことは、今の震えるイルビスを見れば一目瞭然だ……


「ごめん……酷なこと頼んじまったな……」

 砂埃で白くなった頭をそっと撫でると、肩口からふえぇ~……と細い泣き声も聞こえてきた、なんだ……この可愛過ぎる生き物は……不謹慎であるのは重々承知であるが、あまりにも女の子らしい今のイルビスに、オレの方は感動でプルプル震えてしまうのであった……


 抱きしめたい衝動にも駆られたが、実行しなくてよかったと心底思った、砂煙の向こうにこちらへ駆けて来るアリーシアとローサ、サマサの三人の姿が見えたのである、やはり泣いているイルビスの頭をヨシヨシしているだけでジトッと睨まれてしまった、抱きしめていたらどうなっていたことやら……


 とにもかくにも皆が合流し、やがて砂煙が消え視界の戻ったそのとき、全員が一言も発することができぬ光景が目の前にあった。

 暴竜の長大な体の真ん中は、突き立つ巨大な岩石に押し潰されていたのである……


 周囲には大量の赤黒い血が飛び散り、絶壁の壁面にも前衛絵画のような斑模様を描いている……体を二分する岩石の隙間からは黄緑色の内臓も飛び出していた……体の下の血溜まりもその面積をどんどん拡げつつあり、オレ自身が意図してやったこととはいえ、その惨状は目を覆いたくなるものがあった……

 そのときオレたちへグルル……と低い唸り声が届いてきた、驚いたことになんとまだ息があるようである……オレは一瞬逡巡したが、一人進み出て暴竜へと向かった。


 正面に立つと微かにではあるが、首だけがもがくように動いていた……当然四肢は全く動いていないのであるが、どうやら懸命に立とうとしているようである……その眼は虚ろに宙を彷徨っていたが、オレが正面に立っているのを認めると僅かに光が宿った。

 ゆっくりとその咢が開き始める……一億年前の地上の覇者の誇りであろうか、届くべくもないオレへ向けての捕食の本能は悲しくもあり、また尊敬の念すらオレに覚えさせるのであった……


「ファイ……」


 呼び出すオレの声にシュッとファイが現れる、そのまま虚ろな赤眼を見つめて、オレは暴竜へ語りかけるように言った……

「お前は喰うために襲った……それは悪いことじゃない……」

 徐々に大きく開く咢は誇るように鋭い歯牙をオレへと見せつける……


「でもオレは……人を護るためにお前を殺す……ごめんな……」

 そう言い掌を太古の覇者へとかざす、同時にファイの両掌から眩い光弾が放たれ大きく開いた咢の、その中へと吸い込まれるように消えた……


 グルゥウオオォオーン!


 悲し気な咆哮が岩山に木霊し、どこまでも響いて流れていく……そして光弾の吸い込まれた先、暴竜の後頭部がグワッと膨れ上がった……


 内側から小爆発して脳漿が宙へと飛び散る、ガックリと生の糸が切れて地へと伸びた長い首と、光を失った赤眼を見つめながら……砂埃でジャリつくオレの口内は苦い味で一杯であった……



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