暴竜と迎撃とつながった関係と
「なっ、なんじゃ……あれは……」
洞窟の奥にかかる薄闇のヴェールより現れ出た、その眼に浮かんでいるのは単なる捕食への感情だけではないであろう……まるでこの世を全て憎み、そして呪っているかのような……そんな憎悪に狂ったような真っ赤に燃える眼がこちらを見つめている。
発することができたのは呆然としたイルビスの一言だけであった……突然現れたあまりにも凶暴な光を放つ眼から、オレたちを視認するやいなや射貫くように送られてきたあまりにも凶悪な視線により、皆瞬時に射竦められて金縛り状態になってしまったのである。
重い足音の響きと共に奥の闇から出て来たのは巨大で長い顔であった、それはワニのような咢を持っており、その口の端からは鋭利に尖って内側へ湾曲した歯牙がぞろりと覗いて見えている。
そして次第にゆっくりと進み出てくると頭頂に真っ黒な角が二本伸びているのが見え、小さな角もその周囲に数本生えているようであった、見えた瞬間は頭の中で『トカゲ』や『爬虫類』などの言葉が浮かんできたのだが、現れた頭部だけでオレの身長に匹敵する大きさがあると認識した途端、そんな陳腐な言葉などすぐに吹き飛んでしまった。
カロロロロ……と喉の奥から唸りを響かせ、窪んだ眼窩の中の眼がオレたちの一人一人を鋭く、そしてねめつけるように移動した後、最後にそのオレたちを護るように立つウォルトさんへと据えられる。
ウォルトさんは巌のように仁王立ちになったまま微動だにしていない、三日程前にぶっ飛ばしたと言っていた……アレを……? 信じられぬ気持ちはズシンズシンと地を揺るがせて進み出で、奥の薄闇から全長十数メートルはあろう巨大な全身が徐々に露わになるにつれ強くなっていく、そして次の瞬間――
グゥギャアアアアァオオオゥッ‼
凄まじい咆哮が洞窟内をビリビリと震わせた、天上から小石がパラパラと降ってくる、長く巨大な咢がグワッと開いてそこに鋭い牙がびっしりと並ぶのも目に入った、ウォルトさんへの威嚇の咆哮であるのだろう……憎悪を湛える真紅の眼も今やウォルトさんへピタリと据えられている。
「きょ……恐竜だ……」
咆哮の衝撃で金縛りが解け、竦んではいるが動けるようになったオレが呻くように呟いた。
そうである……発光苔の薄明りで見えたヤツの全身の皮膚は灰色がかった濃緑色をしており、体の上側にはくすんだ黒色の鱗のような結晶が貼り付いている……だが背骨に沿って何本も突き出ている長い棘や、頭部を支える太くて頑丈そうな長い首、そして体幹のバランスをとるために地面にベタリと着かずに浮いている長い尾……表面的な差異こそあれ、恐竜を主題としたパニック映画で観たことがあった……あれは――
「スピノサウルスだっ……」
もちろん断定はできない、特徴がよく似ているというだけで亜種かもしれない、だがどちらにしろ同分類群の恐竜であるのは間違いないであろう……一億年以上前の地球上で食物連鎖の最上位に位置していた地上の覇王である……
そんな最強の捕食者を相手に、いかに規格外の巨体とはいえ人間が一人で敵うわけがない……対峙するウォルトさんの暴竜の巨大な咢に噛み砕かれる姿が脳裏に浮かんでしまう……そしてオレのそんな思考と同時に、その暴竜は長い首を大きく揺らしながら油断なく間合いを測るようにウォルトさんとの距離を詰めていった。
このままではまずいっ! 加勢しなくてはっ! そう思い、ガクガク震えながらも前へ出ようとしたオレの足を止めたのは、なんとこちらへ背を向け仁王立ちになっている当のウォルトさんであった……
ミシミシッと音をたてて巨大な剣を握る腕が膨らんだ……いや、腕だけではない、肩が、背中が、脚が……縄のように盛り上がる筋肉が、強烈な水圧をかけられたゴムホースのようにグワッと膨れ上がったのである。
そしてその身体から凄まじい闘気が溢れ出す……オレの足を止めたのはその闘気がまるで壁のようにぶつかってきたからであった……なんということか、あの暴竜ですらその闘気に気圧されたかのごとくその長い首をググッと引っ込めているではないか……
グワアァッ!と牙を剥き威嚇する暴竜へ、ウォルトさんは巨大剣を左斜め下へ向けて剣術で言うところの脇構えの体勢をとった、高まる内圧に膨張した筋肉と迸る闘気のせいであろう、その後ろ姿は倍にも大きくなったような錯覚に捉われてしまう……
「来いっ‼」
裂帛の気合いがこもった短い言葉に、暴竜の赤眼にも強烈な憎悪と敵愾心の光が膨らむ、間髪入れずに上へ伸び上がった長い首から急降下するような軌跡をとって、一見無防備に見えるウォルトさんの頭部へ、凄まじいスピードでガパッと開いた咢が襲いかかった。
喰われたっ――⁉ と思った瞬間である。
ドカンッ‼ と、それは爆発音のように聞こえた……聞こえたと思ったときにはすでに暴竜の頭部はウォルトさんの遥か斜め上方へ吹っ飛ばされていた……頭部に続く首も伸びきっており、巨大なその全身もバランスを崩してよろめいている。
その攻防は単純であった、上から襲いかかる暴竜の頭部を、斜め下に構えたウォルトさんの巨大剣が迎え撃ったのである、だが尋常でないのはそのパワーとスピード、そしてなによりタイミングの取り方であった……
捕食の王である暴竜の凄まじい攻撃は、パワーだけ比較すればいかにウォルトさんとはいえ、とうてい敵うものではないであろう、だがその攻撃を跳ね返しさらに吹き飛ばしたのは、暴竜の攻撃スピード以上の速度で振るわれた鋼鉄の巨大剣によるカウンターであっただろうと思われた、推測なのは速すぎてよく見えなかったためである……
完璧なカウンターは相手のパワーとスピードをそっくりそのまま乗せて跳ね返すという……理屈では分かるのであるが、あの暴竜の攻撃にそれを行うなど神業という言葉すら生ぬるいであろう、戦闘のド素人であるオレにすらそれは分かる……
だが現実に暴竜は弾き返されて吹っ飛ばされた……見ると巨体はフラフラとよろめいており首もウネウネと弱々しくうねっている、そればかりか強烈に憎悪の光を放っていた眼は、今やグルリと上を向いて気絶寸前の様相であるようだった。
「よしっ! こんなもんだろうっ!」
巨大剣を肩に担ぎ直したウォルトさんがクルッとこちらに振り返って言う、すでに闘気は跡形もなく消えてヒゲボーボーの陽気なおじさんに戻っていた、だが相次ぐ信じられない光景に女性陣は茫然自失の状態で無反応である……
「おいおい、早く外へ出ないと……ヤツめ、回復したらお嬢さんたちを喰うためにまた襲いかかってきちまうぞ~?」
カッカッカと喉で笑いながら言うウォルトさんの言葉に、ハッ! と我に返る女性陣である、途端にヒ……ヒイィ~と低い悲鳴をあげながら外へ向かって小走りに移動を始めた、しかしアリーシアとイルビスが何故であろうか、何かを気にするようにチラッチラッと暴竜を振り向く仕草が窺えたのであった……
ヴゥゥンッと振動音が響き岩肌に開いた洞窟の入口が閉じていく、塗り潰されるように小さくなっていく暗闇へ続く穴は、まるで岩肌へと溶けていくようにやがてその姿を消した……
「いや~っ、お嬢ちゃん、凄い特技を持ってるなぁ……」
前へかざしていた両手を下げて、ふぅ……と肩の力を抜いたイルビスへ、その様子を目を丸くして見入っていたウォルトさんが言った。
「お、お嬢……ちゃん……? ぶっ、無礼なっ! これでも女神じゃぞっ! こちらのねえさまと私はれっきとした女神なのじゃっ! それに特技なぞと軽々しく言うでないっ!」
プンプンしながら言うイルビスへ、しかし分かってるんだか分かってないんだかの様子のウォルトさんは。
「ほほう~、女神……そうかぁ……そりゃあ……エライなぁ……」
ダメじゃコイツ……と渋い顔になったイルビスが困ったようにオレを見る……まあ、いいんじゃないか……? と肩を竦めるオレを見てアリーシアも弱ったような笑いを浮かべているだけであった……
「ウォルトさん……アイツは一体なんだったんですか……?」
すっかり閉じて岩肌になってしまった、洞窟の入口があった部分を見ながら尋ねるオレへ、ウォルトさんもそちらを見ながら感慨深げに言葉を返す。
「うむ……ワシにも分からん……その洞窟に閉じ込められてからスグに襲ってきおってな……当初はヤツめ、もう少し小さかったんだが……どんどんデカくなるんで、こりゃマズイかな……と、最近思っておったのさ」
カッカッと笑いながらも平然と言う姿に、半分呆れながらも驚嘆せざるを得ないオレである……
「じゃ、じゃあ閉じ込められてからずっと……襲われ続けてたんですかっ……?」
「まあな……だが、一度ぶっ飛ばせば少なくとも一週間はやって来なかったからな……殺しちまうワケにもいかなかったし……まあ、なんにせよ助かったっ! 礼を言うぞタクヤッ!」
何か言い澱んだような感じがして「?」となったが、ヒゲ面に満面の笑みを浮かべて礼を言われると照れてしまい、まあいいかとなってしまう、オレたちは改めて新鮮な外の空気を胸一杯に吸い込んだ……
しかし外に出たのはいいのであるが、なんか変である……洞窟へ入ったときは、日没までにはまだまだ時間があると記憶していた、日もまだ西へ少し傾きかけたくらいのハズであった……だが戻ってみると既に夕暮れ時であり、空は茜色に染まっているではないか……
手近な木の根元へよっこらせと腰を下ろし、円座になって小休止をとると早速イルビスへ尋ねてみる。
「なあイルビス、オレたち洞窟に入ってたのって正味三~四十分ってとこだよな……?」
「ああ……外に出て時間経過がおかしいのに気付いたかの……当然じゃ、次元の狭間の説明をしたであろ?」
「やっぱりそうなのか……じゃあ、あの洞窟とこっちの世界と……どのくらいのズレだったんだ?」
「そうじゃの……大雑把なところで洞窟の中はこちらの六分の一というところじゃのう……」
「ろく……じゃ、じゃあ洞窟に十分居ればこっちでは一時間が経過してるってことなのか……どうりで日も暮れるわけだ……んんっ⁉ ちょっと待てよ……ということは……」
オレはオレたちの話を不思議そうに聴いているウォルトさんへ向き直り、マジマジとそのヒゲ面を見つめながら切り出した。
「ウォルトさん……たしかあの洞窟に二年ほど居たって……言ってましたよね……?」
ああ……と頷くがワケの解っておらぬウォルトさんへ、あ~……そうだったわね……という一同の同情の視線が集まる、そこでオレはなるべく解り易くキョトンとしているプチ浦島太郎へ、次元の狭間という場所とこちらの世界との時間のズレを説明したのであった……
「なんと……! では、洞窟の中は別世界になっていて、外では二年以上が経過しているということなのか……⁉」
ようやく事態を飲み込んだウォルトさんである、さすがに少し慌てた様子であった。
「二年以上どころか……単純に計算しても十二年が……ショックかとは思いますが……」
そうであった、ここへ来る前に子爵が教えてくれた地震は十二年前のことである……ウォルトさんが二年前と言っていた地震とはそのことであろう……あまりにもピタリと符号してしまう。
「で、ではタクヤよ……ワシが洞窟で過ごした二年の間に、外の者は十二歳も歳をとってしまっているということなのか……?」
「はい、そういうことに……ウォルトさん、ご家族は……?」
十二年というのがあまりにも衝撃だったのであろう……ガックリとうなだれたまま、しかし心配して尋ねるオレへ、しっかりとした声で答えてくれる。
「娘が一人……家族はそれだけだ……」
「娘さんが一人……十二年も……それは心配ですね……」
そんな……と、女性陣も心配顔になる、だがそこはさすが二年間もあの洞窟に居てビクともしなかった鋼の精神であった、立ち直るスピードも驚嘆に値するものであり……
「いやっ! アイツはワシなんかよりよっぽどしっかり者なんだ、絶対に一人でもなんとかやっているっ」
グイッと上げられた顔には落ち込んだ翳など微塵も残ってはいなかった、それを見たオレたちも幾分ホッとした気分になり胸をなでおろす……が、間髪入れずに響くウォルトさんの、ああぁあっ⁉ という大声に驚き飛び上がってしまった。
「どっ、どうしたんですかっ⁉」
よっぽど深刻な事態に気付いたのであろう、ウォルトさんは宙に目を向け愕然とした様子で何か考え込んでいる……やがて……
「タクヤよ……ワシが出てくるとき娘は十九歳だった……」
「そ、そうなんですか……」
「それが今……十二年経っているということは……つまり……三十を過ぎていると……?」
「そ、そうなりますね……」
「オバサンではないか……」
「え……?」
「出掛けるときは年頃の可愛い娘だったのに……帰ったらオバサンになってしまっているということなのだな……?」
「う……あ……」
言葉が出せなかった……否定も肯定もできないのである……ウォルトさんのデリカシー皆無な言葉に、女性陣全員の顔がヒクヒク引き攣っているのが目に入ったからである……下手なことを言えば巻き込まれてヤラれるのは目に見えていた……案の定、次の瞬間に女性陣が全員同時にスクッと立ち上がる……
「とにかくじゃっ! 娘と再会してもその言葉は絶対口にしてはならぬぞっ! よいなっ⁉」
ビシッと人差し指を突き出しながら言い渡すイルビスに、地面へ正座してうなだれるウォルトさんが小さくハィ……と頷く……
あれからしばし女性陣の凄まじい攻撃が続いたのであった……四方からマシンガンのように浴びせられる非難の声に、さしものウォルトさんも手も足も出ないまま白旗を揚げるしかなかったのである……暴竜をもぶっ飛ばした巨体が見事に小さく縮こまっていた……
オレはというと、攻撃開始と同時にヒイィ~と悲鳴をあげながら、四つん這いで背にしていた木の裏へと隠れたのである……木の裏からそ~っと覗き見た光景に思ったのは、やはりウチの女性陣を怒らせると暴竜より怖い……の一言に尽きるのであった……
場が静まった頃合いを見計らって戻ると、そろそろ帰ろうという話になった、さっさと一人だけトンズラしたオレを、恨めしそうに見るウォルトさんの視線には気付かぬフリをしつつ尋ねてみる。
「ウォルトさんはどうしますか? 行方不明扱いにもなっているだろうし……一刻も早く娘さんのもとへ帰りたい気持ちはお察ししますが……もし家が遠いのであれば今夜はオレたちと……あれ……?」
怪訝な顔をして言葉を切ったオレへ、皆の「?」となった視線が集中する、だがそんなことに気付かぬほどオレの頭の中ではある考えが錯綜していた……
『十二年前』『父が行方不明』『鍛冶屋』『父と娘』『娘を一人残して』なんだこの感覚……オレは以前こんな感じの話を聞いた気がする……一体いつ……どこで……あっ! あああぁっ‼
「ウォルトさんっ‼」
突然大声をあげたオレに皆が驚きギョッと目を剥く、だがそんなことお構いなしであった……まだ正座しているウォルトさんの肩をガッシと掴んだオレは……
「ウォルトさんっ……あなたもしかしてっ……二代目ガンテツさんなんじゃないですかっ⁉」




