到着と決闘とメイドニャンと
露に濡れた樹々の枝葉の間をすり抜け、朝日が木漏れ日となって眩しく揺れている。
湖面にうっすらとかかっていた白霧は眩しい陽光に照らされて儚く消えて行き、霧のヴェールを取り払った水面は目覚めたように畔の樹々の緑を、その澄んだ身に映し出して輝き出す。
豊富な水を湛えたハナヤマ湖は美しかった……しかし、オレたちはその美しい風景に背を向けて立っている。
護衛馬車と公用馬車、二台の荷馬車が屋敷の前庭へ一列に並んで停まり、馬車から降りたオレたち一同も、やっと到着したドラゴスレイ子爵の屋敷を臨む形で並んで立っていた。
だが、動けなかった……前庭に横並びになったオレたちは、ただ黙って前方……つまり屋敷へと向かって突っ立っている、何故なのか? それは屋敷の正面大扉の前に立っていらっしゃるのである……何が? 何かと問われると……見たままを言うならフルプレートである……
「なあ……アレ……子爵だと思うか……?」
フルプレートアーマー、つまり金属板を打ち出して作ったパーツを組み合わせた全身を覆う鎧である、それを装着した人が一人大扉の前にドーンと立っているのであるが、頭部も全てを覆うヘルムで隠れており顔など全く見えず、どんな人なんだかすら分からないのであった。
「そ、そうとしか思えんのじゃが……」
オレの問いかけに応えるイルビスを含め、並ぶ全員がどうしていいか分からぬ様子で戸惑い立ち尽くす……子爵は高齢だと聞いてきたのである、中身が子爵ならあんなことやってて大丈夫なのか……? と思ってしまうし、そもそも意図が全く解らない……
オレの方から声をかけるべきなのかな……と困り顔で考えていると、そのときであった、フルプレートがゆっくりと動き出す……
見るとスラァッと腰の鞘からロングソードを抜き放ち、グリップを両手でしっかりと握るや剣尖を天に向け、剣身を胸前に真っ直ぐ掲げるいわゆる剣礼をし始めたではないか……しかし、あれってたしか……的とか対戦相手への礼のハズ……
ま、まさかオレ、戦いを挑まれてるのっ⁉ そう思った次の瞬間一緒に並んでいた女性陣が、スサササ~ッとオレを残して脇へと退く、うわっ⁉ オレ、放り投げられたっ⁉ あいつらなんて薄情なっ……にしてもマズいっ! 短剣どこやったっけ⁉ あっ、着替えのバッグの中だった!
大慌てで自分の身体をあちこち探るが完全に丸腰である、子爵邸への訪問なので授与式でも着た正装姿のオレであった、さすがにこの格好で帯剣は考えてもいなかった。
グリッと首を横に向けてローサを見る、あいつは騎士の略装姿なので腰にレイピアを吊っているのを思い出したのだ、片手をそちらに伸ばしてローサへ言う。
「ローサッ! そのレイピアよこせっ!」
その言葉にギョッとした顔のローサは、オレの視線からレイピアを隠すように身を捻る。
「なっ、何言ってんのよっ! タクヤはレイピアなんて使ったことないじゃないっ! すぐ折れるのよコレ! 儀礼用だから値段がすっごく高いんだからっ!」
伸ばした手がヘニャッと垂れる……
「なに言ってんだあぁっ! 見たら分かるだろっ、オレ丸腰なんだぞっ! やられちゃうだろおぉっ! いいからよこせっ!」
「イヤよぉーっ! あんなのファイ呼び出して燃やしちゃえばいいじゃないのよっ!」
「アホォーッ! 子爵燃やしちゃダメだろがああぁーっ! 何考えてんだーっ!」
最悪である、こうなるとローサは絶対に言うことをきかない……すると、とうとうフルプレートが剣礼を解き、こちらへガシャリと一歩を踏み出してきた。
まずいっ、まずいぞっ……こちらに有利な点は軽装ゆえの身軽さしかない……が、しかし、あんな完全防備をされてると攻撃手段が無い……なんとかスピードを生かして後ろに回り込み利き腕を押さえるか……
瞬時に頭の中でそう計算し、相手の動きに対応できるよう身構える……が……あれ? なんか変だな……動かないぞ……
見るとフルプレートは一歩を踏み出した姿勢のまま止まっている……いや、自分で止まってるというより、動こうとしてるが動けないように見えるんだが……
心なしかプルプル震えているようにも見える……それでも踏ん張って二歩目を踏み出そうとゆ~っくりと足が持ち上がり……ガッ……シャン……と地を踏みしめた……かと思いきや三歩目を踏み出すことはかなわず、上体がフラ~っと前のめりになり、そのままガシャガシャンッ! と派手な音を立てながらベチャリと地面に潰れてしまったのである。
うわ~っ⁉ であった、もう全く意味が解らぬがとにかく大変である、アリーシアが真っ先に駆け出し、オレも大急ぎで潰れたフルプレートへと駆け寄る、他の皆も慌てて続いてきた。
「タクヤさん、ヘルムを脱がせてくださいっ」
言われた通りに留め金を外しヘルムを脱がせると、やはり老人の顔が現れる……白髪の頭頂がかなり薄くなった頭も、白い口髭の品が良く温厚そうな顔も汗にまみれ、ゼィゼィと苦しそうな呼吸をしていた。
アリーシアが膝枕をして喉の辺りに掌をかざすと、掌はポウッと黄金の光を発し始める、一同が固唾を飲んで見つめていると、ゼィゼィと鳴っていた呼吸がやがてスーっと楽なものへと変わっていった……さすがアリーシアである。
そして老人がうっすらと目を開いた、その目が側らのオレを捉えると白い口髭が震えるように動き、弱々しくも年輪を感じさせる重厚な声が届いてきた。
「タクヤ殿じゃの? よう参られた……私がドラゴスレイ家現当主、ゲオルク=ドラゴスレイですじゃ……」
「……タクヤです、初めまして」
アリーシアに膝枕されてはいるが、さすが長い歳月この地を治め続けてきた風格のようなものを感じる……そして子爵は、ハナヤマ湖の水面のように澄んだ優しい目でオレを見つめながら言った。
「よくぞ私を倒された……それはつまり、私の全てを継承するということですじゃ……」
目の端にイルビスが口元をムズムズさせているのが見える、倒されたんじゃなくて自分で倒れたのじゃろっ! とツッコミたいのを必死で堪えてるのであろう……気持ちは分からなくはないがここは我慢しておけ……
「今はとにかく……鎧を脱いで安静にしなければなりません、その話はそれからです」
オレがそう言うと子爵は視線を上へ戻し、嬉しそうな溜息混じりの声で言う。
「ああ……そうじゃのう……じゃがもう少し……もう少しこの幸せな出逢いの時間をこのまま……」
「?」となるオレたちであった、が、よく見ると子爵の頬が少し赤くなっている……口髭もなんだか微笑んでいるような形に見える……そのときオレはハッ! と気付いた、アリーシアに膝枕をされているあの位置……子爵の目は遠い空を見上げているようではあるが、あの位置からは空など見えはしない……
アリーシア以外の女性陣も皆気付いたようである……そう、あの位置から天を見上げると、その視界はアリーシアの豊かな胸の下側で埋め尽くされるのであるっ! 幸せな気分になるのも当然であるっ!
エロジジイかっ‼
オレたちは心のツッコミがハモったのを確信したのであった……
「いやーはっはっは、まったくお恥ずかしい、歳には勝てませんのうー」
広いリビングのU字型に置かれたソファーにオレたちは座り、その前にはガウン姿になった子爵がゆったりとロッキングチェアーに身を預けている、対照的にオレたちはちょっと落ち着かない様子であった、というのも……
先程倒れた子爵を邸内に運ぼうとすると、突然バンッ! と大扉が開き、中からメイド姿の女性が四人現れたのである、おそらく準備して待機していたのであろう、先頭のメイド長らしき人がツカツカと前までやってきて優雅なカーテシーで礼をすると、呆気にとられているオレたちへ。
「ようこそおいでくださいました、心より歓迎申し上げます、ご案内いたしますのでこちらへ……」
と、これも優雅に上げた手でいざなっている……その後ろでは三人のメイドさんが持ってきた担架に、アリーシアの膝枕からゴロンと転がした子爵を乗せて、慣れた様子でさっさと運んで行ってしまった……
「さあ、こちらへどうぞ」
再び促されてオレたちは互いの顔を見合わせつつ、ここへ案内されて現在に至るのである。
そのメイド長らしき女性が子爵のすぐ斜め後ろに静かに控えている、ここへ来てからというもの、起こる出来事が全て突然すぎてオレたちは軽く混乱気味であった、一人だけ上機嫌の子爵が話を続ける。
「そういえば、いらっしゃるのはタクヤ殿と、ランカスター伯爵家のご息女ローサ殿と、家政婦のサマサ殿のお三方と先触れより聞き及んでおりましたが……さて……」
そうである、アリーシアとイルビスは公式には今回の旅は認められていない、いわゆるお忍び扱いなのであるが、そうなると護衛の観点から極力その存在は伏せられていなければならぬのであった……よって先触れで告げられるのはオレ、ローサ、サマサの三人だけなのである。
告げられたのは三人なのに五人いるオレたちを不思議そうに見る子爵へ、女性陣がスッと立ち上がった。
「ゲオルク子爵さま、お初にお目にかかります、ローサ=ランカスターと申します」
騎士の略装のローサが左胸に手を当て、騎士の礼をとって凛々しく挨拶する、続いてサマサが若草色のロングワンピースをふわっと揺らして、先程のメイド長に負けぬ優雅さでカーテシーの挨拶をした。
「子爵さま初めまして、家政婦のサマサと申します、ご用がございましたらなんなりとお申し付けくださいませ」
途端に子爵の顔がデレッとなり、ローサとサマサにウンウンと頷いて返している……
そして大神官の旅装である略式法衣なのであろう、ダブッとしたローブではなくどことなくチャイナ服に似たスリムなタイプである、白地に金糸と銀糸で飾られた衣を着た美少女、イルビスがニコリと微笑んでしかし威厳たっぷりに告げる。
「ゲオルク卿、初にお目にかかる、アウルラ・ヴァンデ・イルビスじゃ、以後見知りあれ」
偉そーなイルビスの言い方であるが、実はコイツ王国内の地位は陛下と対等くらいであるという……まあ守護女神であるアリーシアの妹女神で、建国時からの大神官なのだからそれも当然と言えば当然なのであろうが……実際に陛下もイルビス様と呼んでたもんな……
子爵は瞬時に目を剥いて驚愕の表情になった、さすがは年の功、名乗りから女神であることを察知した様子であり、すぐにイルビスという名にも思い当たったようである。
「え……イルビス……様……って、あの伝説の大神官の……?」
満足そうに頷いているのは見た目十五~六歳の美少女である、にわかに信じられないとしてもおかしくはないのであるが、大神官再就任の風聞を耳に入れていたのであろう、途端に子爵の驚愕の表情は感嘆へのそれへと変化していった。
「なんと……なんと言うことじゃ……あのイルビス様にお会いしてしもうた……噂通りの可憐さじゃ~……」
なんか変なトコに感激してるな……と、見てると子爵はハッ! として視線をアリーシアへ向けた、気付いたようである、そう、イルビスがここにいるということは、その隣の金髪美人のお姉さんが誰か? という推測も容易になるのである。
こちらも旅装用の動きやすく軽い素材で作られている純白のトーガに、胸に光る精霊の首飾りが揺れて、ついでに豊かな胸も一緒に揺らしながら一礼をするアリーシアが、動きに合わせて流れる黄金の髪を煌かせながら、極上の笑顔でニッコリと告げる。
「ゲオルクさま、初めまして、アウルラ・リヴェ・アリーシアと申します、どうぞよろしくお願いしますね」
毎日見ているオレですらポ~っとなってしまう美人オーラ全開のアリーシアである、子爵に至っては驚愕しながら畏まり、尚且つデレッとするという器用な状態であった……
「ア、アリーシア様じゃ……王国の守護女神たる、あのアリーシア様にお目にかかれるとは……なんということじゃあ……長生きはするもんじゃあ……」
拝み倒さんばかりの勢いで感激している……さっき膝枕をしてもらいながら下チチをヤラシイ目で見てたのはすっかり忘れているらしい……
「お館様、あまり興奮なされては……」
やがて後ろに控えていたメイドさんが心配そうに声をかけた、二十代中程であろうか、前髪を真っ直ぐ揃えたショートストレートの黒髪で、切れ長の目をした細面の、一見して仕事のデキるタイプという感じの美人である。
その言葉を受けて子爵はふぅ~と息をついた、たしかに顔が少し赤くなっている、高齢の子爵を少し驚かせ過ぎちゃったかな……と反省してしまうのであった、そこへ思い出したかのような様子で子爵が言い出す。
「そうそう、紹介がまだでしたのう、我が屋敷にはメイドが四人おりましての、こちらがメイド長をやっております……さあ、ご挨拶を」
子爵に促されたメイド長がピシッと姿勢を正す、ゴシック風のメイド服がとてもよく似合っていた。
「申し遅れました、当ドラゴスレイ家のメイド長を仰せつかっております、サラと申します、ご用の際はなんなりとお申し付けくださいませ」
深々と頭を下げるお辞儀も完璧であった、かなり有能な人であるのだろう、こちらもよろしくと言おうとしたそのときである……
「ちっが~う、サラちゃん違うじゃろ~……我が家のしきたりはちゃんと守らにゃいかんじゃろう~」
不満そうに唇を尖らせた子爵の言葉である……途端にサラさんの肩がビクッと跳ね上がった……なんだ……⁇ とオレたちが見てる前で、慌てたサラさんが子爵に言う。
「お、お館様っ、だ、だってお客様じゃないですかっ⁉」
サラさんの白い頬が急に赤くなってきた……あのジーサン何を言い出したんだ……? オレたち一同が不思議そうに見ていると。
「タクヤ殿はもうワシの義理の息子じゃぞ? 継承の儀も済んでやがてこの家と領地を引き継ぐお方じゃ、当然お前たちはしきたりに則ったご挨拶をせねばならんじゃろ?」
子爵のもっともらしい理屈に、ぐうぅ……となるサラさんである、なんだかイヤな予感がするので間に入ろうと口を開いたそのときであった。
何かを決意したかのような表情のサラさんがこちらに向き直り、再びピシッと姿勢を正した、ドラゴスレイ家のしきたりというヤツなのであろうか……オレたちは気圧されたように無言で見つめる……
するとスーッと両掌が顔の横へと上げられた……バンザイの途中で止まったような感じである、掌はこちらへ向き、両手の指先は十指とも何かを軽く握るように曲げられている……
ま、まさか……瞬間的に気が付けたのはオレのみだったであろう……それは、こちらの世界では起こり得ぬ現象のはずだからである……とても信じられない……あったとすればそれは神の業に等しい奇跡といえるはずだ……
だが奇跡は今、オレたちの眼前で具現化した……
「サ……サラニャンだ……にゃんっ……よろしくにゃんっ……」
リビングにしばしの沈黙が落ちる……うおおぉっ‼ という顔のオレと、うわあぁっ⁉ という顔の女性陣が共に固まっているのだ……サラさんはみるみる耳まで真っ赤になって両手で顔を覆ってしまい、子爵だけが満足そうな表情でウンウンと頷いていた……
「あ、あの……今のは子爵が考え出されたんですか……?」
しばし経って場が落ち着くと、オレはすぐに子爵に尋ねた。
「当然じゃ、メイドちゃんたちが最も輝く仕草をじゃ、長年に渡り研究に研究を重ねての、ようやく辿り着いたのがあの我が家のしきたりなのじゃ、じゃが、なかなか理解者が現れんでの……タ、タクヤ殿……タクヤ殿はどうじゃった? 良いとは思わなんだじゃろか……?」
不安そうに問う子爵へ、オレは先程のサラさんを思い浮かべながら、この上ない真剣な表情で答える。
「軽く曲げた膝の角度……少し斜めに傾けた上体のライン……なによりだらしなく開かずにキッチリ締められていた両脇……完璧でした……」
おおおぉっ! と、子爵の目が大きく開かれる……ついに理解者を得たっ! と、その目は歓喜に潤んでいた、差し出される震える手を、オレはしっかりと握りしめて義理の親子の固い握手が交わされるのであった……
「ア、アホじゃ……こ奴ら……」
イルビスの声がボソッと聞こえる……だがそうである、大勢の意見はイルビスと同様であろう、オレはそれでピンときた、たしか陛下が言っていたな……
オレへの爵位継承の話が来る以前、他の貴族の縁者と養子縁組の話が進んでいたが上手くいかなかった……そう聞いていた、さもあらん、子爵のこの感性を受け入れることのできる者などこちらの世界にはそうそう居らぬであろう、だが……ちょっと待てよ……だとすると……
子爵の屋敷へ行けと言っていた時の陛下のあのニヤニヤ顔……陛下は子爵のこの趣味を知っていたということか……ということは陛下はまた、オレならなんとかするだろうと……や、やられた……
信頼されてるんだか遊ばれてるんだかさっぱり分からないが……とにかくまたあのタヌキオヤジに踊らされたのは確実であろう……ソファーでガックリと肩を落とすオレに、そんなことお構いなしの子爵が言い出した。
「タクヤ殿、ここは一つタクヤ殿が次期当主としてじゃの……そこの……サマサ君にも、そのしきたりをやってもらう訳にはいかんかの……?」
ビクッとサマサの身体が小さく跳ねる、イヤな予感はしていたようである、オレがそちらを見るとサマサは大きく深呼吸をして心を落ち着けた後、ニッコリと微笑んで言った。
「お断りしますっ!」
だよねん……




