一石二鳥と実験開始と潜航と
「何を言うておるか、タクヤよ、お前にとってみても有益な提案じゃぞ? さすがわ私なのじゃっ! このようなことを思い付くとはのう~……むっふっふっ……」
そんなコトを言いながらソファーの上をこちらへとジリジリにじり寄って来るイルビスの顔は、得意満面といった感じであり非常に嬉しそうでもあった……しかしコイツがこんなコトを言い出すときは大体オレが一方的に大変な思いをすることが多かっただけに、勿体ぶって言わんとするその言葉を額面通りに受け取ってもよいだろうとは露ほども思えない……
「なっ、何を思い付いたのかはなんとなく予想もできるが……ま、まさかイルビスお前……スーワーンみたいにオレと……」
顔をヒクヒク引き攣らせながら語尾をゴニョゴニョと濁すオレへ、イルビスのニンマリ顔は一層笑みを深めていく……だがそこでスッと座り直しつつ人差し指を一本だけ立ててチッチッチッと振る仕草を始めた。
「読みが甘いのう~、私がスーワーンと同じようなコトを言い出すと思うておるのか?」
「えっ……? 違うってのか……? んじゃどんなコトを思い付いたんだ……?」
オレばかりではなく一同が揃って怪訝な表情でイルビスを見る……皆の視線に対して余程よい考えだとの自信があるのであろう……ふむ、と鷹揚に頷いたかと見るやなんだかエラそうな態度で口を開いた。
「私は休眠状態になるのじゃっ!」
「……んあ? 休眠状態に……? そうすると……どうなるってんだ……?」
益々もってワケがわからなくなってきた……当然のことながら他の誰もが理解できた表情にはなっておらず「?」な顔のままである……しかしイルビスはよっぽど自信があるのであろう、立てた人差し指をそのまま目の前にかざしてこう述べていく。
「まず一つ、私が休眠状態で融合することで余計な感情や記憶の共有は起こらぬであろうの……先日お前は活動状態のねえさまと融合して大変なコトになったじゃろ? ねえさま真っ赤になっておったではないか……」
この言葉で、ふああぁぁ……っ⁉ と恥ずかしい記憶をほじくり出されて真っ赤になるアリーシアのことは無慈悲にも華麗にスルーしながら、イルビスの手は中指も伸びて二本になった。
「その上で必要最低限の情報……つまりニホンゴの言語情報のみをお前の中から私へ取り込むのじゃ! さすれば私の感情や記憶などはお前に伝わらずに済むであろう? 私もお前のドスケベな思考を取り込まずに済むのじゃっ!」
どうじゃ! 名案であろっ⁉ とばかりに超嬉しそうな顔でグイグイと圧をかけてくる、話の大筋はなんとなく理解できた……しかし言ってる言葉はかなりワガママな内容である……要は自分の弱味は見せずにオイシイ所だけいただいちまおうという腹であるようだ……案の定ここでトバッチリで恥ずかしい思いをさせられたアリーシアがジト~っとイルビスを見つめながら口を開く。
「イルビス……それってタクヤさんへイルビスの記憶や感情が伝わってしまうと困るっていうように聞こえますケド……」
この指摘に、ハッ……⁉ と固まるイルビスである……
「ね……ねえさま、な、な、何をおっしゃるのですかの……? わ……私は……余計な感情の……きょ……共有をせずに済むならと……」
恥ずかしい思いをさせられたアリーシアからの逆襲のような言葉に、急に慌て出してしどろもどろに返すイルビスであるがそこへローサも、ウ~ム……と腕を組みながらジト目で間に入ってくる。
「そうよねぇ~……もうイルビスはタクヤのこと大好きだってのバレバレなんだし~……そんな回りくどいコトしなくたっていいと思っちゃうんだけどねぇ~」
ちょっと嫌味っぽい口調のローサの言葉に、ウンウンとサマサも頷いて同調しているようであった……コレに対しイルビスは仰天した顔で目を剥き瞬時に頬がボワッと紅くなる……その動揺も半端ではないようで……
「にゃっ、にゃっ、にゃ……にゃにを言うて、お、お……おるのじゃぁ~!……わわわ……私がこヤツを、だっ、だだだ……大好きにゃどと……そんにゃコトあるワケにゃかろうがっ……⁉」
しどろもどろの否定をするのではあるが、ふ~~ん……と三人に含みのある沈黙で返されたイルビスはそれでも明晰な頭脳のおかげであろう、三対一の状況は不利とみたようで……
「ま……まあ確かに多少の恩義は感じておるし……私の知らぬ知識を持っておるのも認めざるを得ないからの……ゆえに話し相手としては不本意ながら楽しく感じる部分もないではないぞっ……? じゃがっ! それだけじゃっ! それ以上もそれ以下もないのじゃぞっ⁉ 本っ当~っにそれだけじゃっ‼」
一部譲歩したように見せかけつつ、それだけじゃ~っ! と念を押して力説するイルビスにヤレヤレ……と肩を竦めるローサたち三人である……だがオレ本人としてはイルビスのオレへの感情なんて『からかい甲斐のあるオモチャ』程度にしか思ってないだろうという認識である……最近は少し頼りにしてくれている感もあるのだが、なんせネコのように感情の起伏が激しいイルビスのことである……ゴロゴロ喉を鳴らすこともあればキシャーッ‼ と牙を剥かれることもあるのでさっぱり理解できぬのであった……
「――んで、その休眠状態での融合ってヤツで日本語の知識が移せるなら、それはそれで手っ取り早くてイイんだけどさ……さっき言ってたオレにとって有益なコトって……一体なんなんだ? オレの方にも何か知識が渡されるのか……?」
脱線した話を仕切り直して尋ねると、イルビスはまだほんのり赤い頬をしつつも居住まいを正してソファーの上に座り直す、その様子からここからは少し真面目な内容の話であるのが窺えた。
「知識ではなく経験値じゃのう……タクヤよ、忘れたわけではあるまい? お前、ミツハとどのような約束をした?」
そのイルビスの言葉にオレは、あっ……! と気付いた、そうである……ミツハの頼み……なんだかまだよく解らないのではあるが、休眠状態の女神の精神をオレが引き出してオレ自身の中へと取り込むことが可能であるか? との内容であった……ミツハへはやってみないとわからないと答えたのであるが、併せて出来得る限りの協力をするという約束もしたのである……
「そうか……! イルビスが休眠状態になるってことは……オレが休眠状態の女神の精神を引き出して取り込むことができるかの実験にもなるってことか……なるほど……」
これには素直に感心してしまう、さすがイルビスである……さっきまでジトーっとした視線を送っていたアリーシアも、まぁ……と口元に手を当てて感じ入っているようであった。
「イルビスッ、偉いわっ! ミツハさんとの約束の件でタクヤさんへ協力するつもりだったのねっ……」
コロっと変わったアリーシアの態度に気を良くしたイルビスも、ぬっはっは! とまた調子を取り戻したようだ……その様子を見てオレは、気軽にそんな実験なんかして大丈夫なんだろうか……と少々不安にもなるが、だがミツハの依頼のためにも必要であるのは間違いないであろうと思い直したのである。
「――それではよいか? これより私は休眠状態になるのじゃ、その後お前は私のここへ左掌を置いて……」
と、ソファーに真っ直ぐ仰向けに寝たイルビスは自分の胸の中心に自分の掌を置いて示すやレクチャーを始める……
「まず精神を集中させて私の精神と同調するイメージを創るのじゃ」
んで早々に難題を吹っ掛けてきた……
「ど……同調って……どうやるんだよ……?」
おそらく大部分の人間が急にそんなことヤレと言われても今のオレ同様にプルプルしながら首を捻るであろう……そんなオレにイルビスは寝たまま顔だけをこっちに向け眉を吊り上げてクワッと口を開く。
「そんなコト私に尋かれたって分かるワケないじゃろうがっ! このような実験の話なぞ聞いたことすらないのじゃっ! とにかく私は休眠状態になっておる女神役じゃっ、お前が引き寄せねば女神の精神は動かぬのじゃぞっ? とにかくイメージせねば始まらぬであろ? 私の精神と同調し、優しく包み込んで力強く引き寄せるイメージを創り出してみよっ!……男らしく根性を見せてみるのじゃっ!」
根性論で返された……
やむなくオレはノソノソと移動しソファーに寝るイルビスの横へ、床へ膝立ちになって彼女を見下ろす位置へとついた……
「左掌を胸へ置くがよい」
もうすでに半分ほど休眠状態へ移行しているのであろうか、目を薄く細めたイルビスが静かな声で厳かに告げる……オレが言われた通りに胸の上へ掌をかざすと……
「胸を揉もうとするでないぞ……?」
「~っ⁉………………」
全員が注視しているこの場でそんなコトするわけなかろうがっ! 大体お前に揉むほどの胸なんてないだろ~にっ⁉……とオレが考えているのを見通したか、薄目のままジト~っと睨んでくるイルビスである……しかし、オレがそのままそっと胸の真ん中へと左掌を置くと、彼女の目は完全に閉じ表情も穏やかなものへと移っていった……
「これより休眠状態になるのじゃ……上手いコトやってみせよ……」
寝言のようなボンヤリした声がそう告げるや否や、目の前のイルビスの気配そのものがスー……っと薄くなっていくのが感じられた、彼女の精神をオレの中へ取り込んだ後はオレから言語の情報を写し取る作業があるために完全に休眠したというワケではないようだが……それでもその静かな豹変ぶりにはかなりドキッとするものがあったのである……
「え、え~と……まず……精神を同調させて……んで、優しく包み込んで……力強く引き寄せる……だったな確か……」
固唾を飲んで経緯を見つめる我が家の一同の前で、少々オロオロしながらもオレは言われた通りにやってみることとした……
――まず精神の同調か……これは左掌の傷跡を埋めてくれているアリーシアの一部が橋渡し役になってくれているハズであった……左掌に精神を集中させるのであろう……オレは瞑目し全神経を左掌へ……しばらくそうしているとイルビスの華奢な身体の胸が呼吸に併せてゆっくりと、微かに上下する動きが伝わってくる……
――そうすると集中力の賜物であるのだろうか……目を瞑っていてもなんとなくイルビスの身体と微かな動きまでもが視えるような気になってきた……これが第六感覚ってヤツなのかな……? などと思いつつ、感覚の赴くままイルビスと繋がっている左掌を凝視するようなイメージを創ってみようと試みた……
――試みて左掌という狭い範囲へ徐々に集中力を高めていると……オレの左掌とイルビスの身体、それぞれ隔たれて存在しているハズの接点にまるで通路のような空間が通っているイメージが頭の中へボゥっと創り出されてくる……これには軽いカルチャーショックのようなものを感じた……アリーシアの一部が力を貸してくれているのは知識として理解していた、しかしそれを感覚的に知覚できるとは全く思っていなかったのだ……
――なるほど、ここからイルビスの精神へと接触するのか……ということは、彼女の中へ潜っていくイメージだろうか……そう考えつつ意識を自分の掌から徐々にイルビスの体内へと延ばしてみようと試みることにした……心なしか左掌が温かくなるのを感じてくる……
――やがてオレはより深い集中……というか、もうトランス状態に近くなっていたのであろう……瞑目していて何も見えぬハズの視界が薄明るく感じられてきた……左掌を通じてイルビスと繋がり、彼女の中へと入り込みつつあるのが感覚で理解できる……ゆっくりとした降下感と、降りていくにつれて更に明るくなっていく視界……イルビスの中へ、奥へ……少しずつ彼女の精神へと近付いていくのが第七感覚とでも言うのであろうか、何故かは判らぬがなんとなく理解できている自分にまた軽い驚きを感じてしまう……
――この降下感やイルビスの中へと入って行きつつある感覚……おそらくオレの精神の一部を左掌より延ばして潜っているのであろうと推測される……となるとやはりオレの精神がイルビスの精神と接触し、引き寄せてオレの中へと運んでいくということなのであろう……それゆえに優しく包み込んで力強く引き寄せるべしとの教えであったようだ……そしてそうするためにはイルビスの精神本体を見付けなければならない……
――明るい方へ、明るい方へ……とオレ自身の精神を延ばしながらゆっくりとイルビスの奥へと潜っていく、時間経過の感覚が全く働いておらず一体どれほどの距離を潜ったのかすら判然としない……まあ最初から距離という概念など無意味な場面の気もするが……それでも周囲の明度がどんどん上がっているので移動している感覚にはなるのであった。
――それから間もなく、進む先に何かが見えてきた……薄い紗膜のような光が行く手を覆っており、その先にも何かがあるようだ……近寄って見るそのベールはとても薄く蜻蛉の羽のように軽そうである……もしかしてコレって女神の精神体を護る防護膜のようなものなんじゃなかろうか? と直感が働いた……しかしそれにしてはずいぶんと頼りない薄さと軽さである……その意味するところはやはりオレに対する信頼感の現れなのかな……などとちょっと照れくさく感じてしまう……意を決してそのまま進むと思った通り、ほぼ何の抵抗もなくフワっと通り抜けてその先の視界が開けた……
――そして目の前に、ついに眩しく輝くイルビスの精神体が見えてくる……
――光の台座の上へ、神々しく白金の光を纏って一糸纏わぬ姿のイルビスが横たわっていた……よくよく見ると義体通りの少女の姿ではない……しかし、かと言ってシグザール城で見た成熟した大人の姿という訳でもない……ちょうどその中間くらい、人の年齢にすると十八、九歳程というところであろうか……大人に成りきっておらず、しかし子供という程幼くもない微妙なお年頃のその姿は普段のイルビスの言動にピタリとマッチしており、妙な納得感をオレの中へ湧き上がらせた……
――しかし、美しい……長く艶やかな黒髪が台座に広がり、閉じた瞼には長い睫毛が映える……涼し気な鼻梁の線が走り、その先には薄紅い柔らかそうな唇がそこだけ色づいた果実のようにオレの目を惹き付ける……全てが調和されているような美を形作っており、女神として存在する目の前のイルビスの精神体は紛れもなく絶世の美女であった……
――長い溜息が出てしまうほど見惚れてしまっていたようである……ああ、これでもう少しお淑やかな性格だったならどれほど……と、いう思いが微かに脳裏をよぎったが、この精神体の状態だとそんなこと考えているのがドコからバレるかも分からない……ブルルっと身震いするようにそんな想いを振り払い、さて、これからこのイルビスの精神体をオレの中へと運んで行く作業に取り掛からねばならぬのであった……