森の村と後始末と元素図鑑と
ガタゴトと小刻みに揺れる馬車は、さすがに王国領最南端に近い僻地ということもあり街道の路面状態があまりよろしくない……そのために車輪が小石を踏みつける度にしゃくり上げるように跳ねているのであるが、まあこれは王都方面に近付けば近付くほど街道も整備が行き届いていくため少々の間だけの我慢ということになる。
南下の旅も折り返し地点を過ぎ一転して北上の途へと進む、というのもオレたち一行は早朝にハナモリ村を発ち、これからいよいよオレの故郷とも言うべきハナノ村へと向かい始めたところであった、我が懐かしのハナノ村へは五~六日ほどかかる予定とのことである。
王国領最南端の村であるハナモリ村へは昨日の昼過ぎに到着し立派なログハウスでの一泊となった、良質の木材をこれでもかというくらいふんだんに使用した贅沢な造りの一軒家であったのだが、なんせ周囲は見渡す限りの大森林である、当然建築木材には事欠くことがない……というよりも木を伐採していかなければ村を広げることも儘ならぬ土地柄である、したがって徐々に村を広げていくと同時に伐採した木材で片っ端から家を建てているのだと聞いた。
オレたちが宿泊したのもそういった理由で建てられた未だ住む者が決まっておらぬ新築ログハウスの一つであった、木の良い香りが漂う室内と村内で作られた素朴な家具や調度品は暖か味に溢れており、宿泊という点においては実に快適な逗留となったのである。
ただやはり観光という意味ではウチの女性陣にとってはかなり物足りない場所であったというのも否めない……オレ個人としては結構面白いと思った製材所や加工場の視察では、様々な道具を操っているこの道一筋の木工職人たちが魅せてくれる匠の技に、オレ一人だけが夢中になって見惚れてしまっていた。
そんな中、かろうじて女性陣が喜んだのはやはり家具・工芸品の販売所であった、デザインこそ田舎くさい実用一辺倒のものであるのだが使い勝手と耐久度は折り紙付きの家具や、木製なんだろう? などとバカにはできない木製ならではの味のある食器や調理器具、中でも茶器やペーパーナイフのような様々な小物類には特に興味を惹かれたようでキャイキャイ言いながらはしゃぐ姿にホッ……と胸を撫で下ろしたオレである。
ドラゴスレイ家後継者として村人一同から祝ってもらい夜には盛大な晩餐会も開かれた、もちろんこのような僻地の田舎なので格式ばってはおらず村の広場でBBQパーティーのような形式であったが、大森林に囲まれた野趣溢れるこのもてなしは格式嫌いのオレにとっては大いに気に入るものであった。
オレからの祝儀品も村長へ渡し終え、ウチの猫を被った美女たちの魅力も相まって宴席は盛り上がり、ハナヤマ村での竜騒動の話題でも大いに村人の関心を惹いて次期領主としてのお披露目興行は大成功のようであった、その安心感から、ああ……この村ではトラブル無しで済みそうだなぁ……と、ついついフラグ立てのようなことを考えてしまったのであるが、やはりその途端のことであった……
「タクヤ殿……お楽しみのところ実に申し訳ない……些事ではあるのですが……ご相談したいことがありまして……」
オレのグラスへ、ここに来て初めて飲んだ珍しいクコの果実酒を注ぎ足してくれながら村長が申し訳なさそうに切り出した……
「相談……? 何かお困りのことでもあるんですか……?」
村長とはいえ未だ壮年と言える年齢であろう……髪もアゴを覆う髭もまだ黒々としており、木こりとしても現役バリバリで屈強な体格のオジサンである、身長こそ標準ではあるが分厚い胸板や特にその斧を振り続けて培った腕の筋肉は隆々と盛り上がっており、少し離れた所でガハハハーと笑いながら村人と飲んでいるウォルトさんといい勝負ですらあるのだ……そんな村長が困り事と言うからには、これは力技では如何ともしがたい難事なのでは……とイヤな予想が思い浮かぶ、かくして村長はほとほと困ったというような表情で語り始めた。
「はい、実は……痴漢が出るのでございます……」
ブ~ッ! とローサとイルビスが飲み物を噴くのを横目に、オレも呆気にとられて村長の顔をマジマジと見つめるのみである……というのも村長はもとよりこの村の男衆は大木を相手にする仕事のため皆が筋骨隆々のマッチョであった……女性とて全体的に逞しく決してか弱い部類ではない、ウォルトさんのような超戦士が相手ならば苦戦もするだろうが、普通であれば痴漢の一人や二人くらい簡単にボコボコにして捕まえることができるであろうことは疑う余地などないのである……それが何故? とオレが考えているのがすぐに解ったのであろう、村長は慌てて続けた。
「しかもその……なんと申しましょうか……被害に遭っているのは女性ではなく男衆の方でして……」
「え……えぇっ⁉ 男のほうっ⁉ そ、それで犯人は判っているんですか?」
瞬時にマッチョな兄貴がマッチョな被害者を羽交い絞めにしているイヤな光景が脳裏をよぎる……それはウチの女性陣も同様のようで、うっ……うわあぁ……というような表情でこちらの話に聴き耳を立てているようである……
「それが……なんとも不思議なことに犯人の姿を見た者が一人もおらんのです……」
首をゆっくり横に振りながら、村長自身も不可解極まりないと思っているのであろうことがひしひしと伝わってくる言いようであった……そりゃそうであろう……屈強な村の男衆が痴漢行為をされたにもかかわらず、その相手の姿すら確認できていないというのは明らかに異常な事態であった……それからの村長の説明はこうである。
まず痴漢被害は半年ほど前から始まったという、村の男衆の中でも比較的若くて容姿の整った者に被害が集中しており、その内容は腰から尻にかけてを背後より撫で回されるというものであった……頻度は月に一回あるか無いかくらいであるが、今まで被害を受けた五人とも振り向けば背後にいるハズの痴漢の姿を何故か目視することすらできなかったそうである……
中には高い木の上で枝の剪定作業をしている最中に尻を撫で回され、なかなか背後を確認することもできず、かといって逃げることすらできない状況であるのをいいことにしばらくやられ放題になってしまい、終いには股間にまで手が伸びてきたので木の上で絶叫を放った悲惨な被害者もいたそうな……実に憐れで奇怪な話であった……
「しかし……すぐ背後にいるハズの痴漢を誰も見ていないというのが一番謎だなぁ……犯人が村内にいるのか村の外から来る者なのか……男か女かすらも判っていないってことになるとなんとも……」
腕組みをしながら考え込んで言うオレへ、村長は慌てて付け加えるように話し出した。
「いえ、犯人はどうやら女性のようだという話になっておりまして……」
「へ……? なぜ女性だと? 誰も姿を見ていないんですよね……?」
驚いて尋くオレへ村長は。
「触ってくる手の感触から、アレはどうやら女の手らしいな……と、被害者全員が申しておりまして……無骨な私ら男の手ではなく、たおやかな女の手の感触であったと……薄気味悪い話ではありますが、それでいくらか被害者も救われているようでありまして……」
なるほど……確かに撫で回されれば、その手が男か女かくらいは判るのも頷けるな……と、納得したオレである、救われているというのも大いに頷けた……ゴツイ兄貴に撫で撫でされるよりは、怪異ではあるが女性に撫でられる方が遥かにマシという哀しい男のサガである……そんなものなのかしらねぇ……と、眉をひそめてコチラの話を聴いている我が家の女性陣には解るまい……
「そうでしたか……しかし犯人が女性だとすると、屈強な男衆に見られることもなく逃げたり……ましてや高い木の上で作業している男の尻を触るなんてことが果たして可能なのかどうか……」
う~ん……と考え込んで言うオレにつられるように村長も我が家の女性陣も考え込んでしまった、こういった僻地の小村では大抵が大した証拠も有りはしないのに、皆がそう思うというだけで理不尽に容疑者を特定するという行為が行われがちであるが、しかしどうやら今回の痴漢騒動はそういった疑われている人物すらもいないようであった……それだけ常識では実行不可能と思われている犯行なのであろう……
「透明人間でもなければ実行不可能だよなぁ……」
ボヤくように呟くオレの言葉に、そんなんおるわけないじゃろうが……というイルビスの小声ツッコミが聞こえてくる、まあ実際そうなのであるが……
「ねえ村長さん、他に何か手掛かりになりそうなコトってないのかしら~?」
珍しいことにマトモな質問がローサの口から出た……どうやらこの旅で村を巡る度にオレの婚約者として紹介されるローサは未来のドラゴスレイ子爵婦人、つまり次期領主の奥方として扱われることを理解したようであった……いいのか悪いのかは知らんが自覚とプライドが芽生えてきたようで、領地の村民に良いトコを見せたいと思い始めたようでもあった……オレも含めた我が家一同から、えぇ~……という驚いた視線を向けられていることも気にしていないような澄まし顔である……
「そうですな……あとは見間違いや錯覚だろうということで片付いた話しかありませんですな……」
「ん……? 何です? その見間違いや錯覚の話って? 些細なことでも何か手掛かりになるかもしれませんから、言ってみてください」
ローサの呼び水とも言える質問で、村長が自発的には言わなかったであろう事柄がまだ何かある様子なのが判った……少々複雑な心境であるがそれでも感心しながら村長へ問うと、村長自身が言葉通りに大したことのない話と思っているのであろう……苦笑いしつつ説明を始める。
「これは被害者の内の二人が申していたことなんですが……いきなり尻を撫でられて驚いて振り向いた瞬間に、尻の辺りに黒い霧だか煙のようなものが薄っすらと漂っていた……と、全くバカバカしい話でありまして、錯覚だろうと笑い飛ばしておったものなのですよ……ハッハッハッ」
全くしょうもない話でありまして~……と笑ってこちらを見る村長の目には、額に手を当ててガックリとうなだれるオレたち一同の姿が映った……
「――タ、タクヤ殿っ……? 皆さんもっ……? 一体どうなされましたっ……⁉」
ああぁ~……と、俯いて嘆くオレたち一同にワケも分からずオロオロする村長である……オレの方はといえば襲いかかる急激な脱力感からなんとか気力を振り絞りつつ顔を上げ、不安顔の村長へ向かって口を開いた。
「え、え~と……あの……この件に関してなんですが……もう二度と痴漢騒動は起きなくなると……保証するということで、解決したと……納得してもらえないでしょうかね……?」
「えっ……? 解決できるのですか……? 一体どのようにして……?」
非常に苦しそうに提案するオレの言に、これまたワケが分からず混乱している様子の村長である……やむを得ずなんとか説得して納得してもらおうと、オレとしてもかなり苦しいのではあるが話を始めた。
「いや、まあ、その……大きな被害もなかったようですし……今後痴漢騒動が起きなくなるだけでいいというのであれば……オレたちに全部任せてもらえれば、すぐにでも対処できると思うのですが……」
なぜか苦し気に言うオレと、オレの言葉に合わせるように、あははは……と弱った笑みを向けてくる我が家の女性陣を交互に見比べながら、それでも村長は、そこまでおっしゃっていただけるのなら……と、オレたちへ全てを任せる旨を約束してくれたのである……
「んじゃイル子さん……つないで……」
「う……む……」
脱力感の甚だしく漂う短い会話でイル子さんがヴゥゥン……と次元の裂け目の作成に取り掛かった、次いでオレはアリーシアへ向けて尋ねる。
「え~と、アリサ……オレが行くよりアリサとイル子の二人だけの方がいいような気がするんだが……任せていいか?」
アリーシアもその方が良いと思ったのであろう、男のオレがいると話の方向性がズレていく可能性がありそうだと理解してくれたようで頷きながら同意してくれる。
「そうですね……私たち二人だけで行った方が素直に聞き入れるでしょうね……お任せくださいっ」
そう言って立ち上がると、裂け目が完成しこちらを見ているイルビスへも頷いて早速二人で漆黒の裂け目をくぐって行ってしまった……村長はといえば全てを任せると言ってしまった手前、事情を問いただすのも気が引けるといった複雑な面持ちでこの様子を眺めている……
しかしそれにしてもなんとも気まずい状態であった……なるべく村長と目を合わせぬようにクコ酒をチビチビと口に運びつつ、それでも間がもたないので少々わざとらしくも、どれどれ……と様子を見るために立ち上がり、そのまま保持されている裂け目の前に立って首から上だけを中へニュっと突っ込んだ、その途端に……
「まったくお前というヤツはっ! 一体何を考えておるのじゃぁっ!」
「そうですよセルピナ……いたずらにしては度が過ぎていますっ」
「デッヘヘヘヘェ~……」
首を突っ込んだ先はセルピナのアトリエである……奥の方でウチの二人に叱られながらデヘヘと頭を掻いているセルピナが見えた……やはり思った通りアイツが痴女か……と、どうやら簡単に問題解決したようであるのでそのまま黙って首を引っ込めるオレである……
「いや、しかしセルピナにも困ったもんじゃのう~」
ハナモリ村を後にしてしばし経った馬車内でイルビスがボヤくように呟いた、本来ならば痴漢騒動の犯人として村へ謝罪しなければならない程のことであるはずなのだが、オレがなんとか誤魔化してもう二度と再発することは無いと保証したために犯人探しは不問にしてもらったも同然であるのだ……
「セルピナのアトリエからハナモリ村へは馬車で半日ほどの距離だそうだからなぁ……影渡りならすぐだもんな……たまに日用品や食料品を買いにも行ってたって言うんだろ?」
「はい……買い物ついでにイケメンを物色してついついイタズラを……って言って笑ってましたもの……お恥ずかしい限りです……」
オレの言葉に応えるアリーシアも恥ずかしそうである、身内の恥として我が事のように思っているのであろう……確かにオレも昨日の宴席ではきまりが悪かった……
「まあ、独りで塞ぎ込んでいるよりかは多少なら発散していた方がいいとも思うけど……他人に迷惑だけはかけちゃイカンよな、でもセルピナも反省した様子だったんだろ?」
「どうじゃろうなぁ……デヘヘって笑っておったしのう~……」
イルビスの言葉に我が家の全員が、む~ん……と唸ってしまった、まだまだこの先トラブルは絶えない予感がするのである……
――刻は昼を過ぎ、ハナモリ村のオバチャンたちが丹精込めて作ってくれた弁当を平らげて一息ついた頃である。
北上するにつれて街道の路面整備の状態もいくらか良くなってきたのであろう、馬車が跳ね上がるような振動はほぼ無くなってきたのを見計らうようにイルビスがオレへと言い出した。
「のうタクヤよ、ヒマつぶしに翻訳せい」
「ん? 翻訳? 何を?」
またなんか突然言い出したな……と見ていると、イルビスは自分の旅用品が入っているスーツケースから何やらごそごそと引っ張り出してきた、と思いきや嬉しそうな顔でソレをこちらへと見せる。
「あ……元素図鑑か……持ってきてたんだ……」
そうである、二人で物質界へと飛ばされたときデートの最中に買ってやった例の元素図鑑であった……表紙のほぼ真ん中に弓猿に射られたときの矢の跡が見えたが、綺麗に修復してあるようであった。
図鑑を見た途端にローサとアリーシアの眉がピクリと小さく跳ねたが、先日泥酔したアリーシアが図鑑を含めたデートのことも全てぶち撒けた後なので、イルビスももう隠さなくてもよくなったと踏んだのであろう……いい度胸していると思ってしまうのではあるが誰からも文句は出なかった……
「そうじゃ! 書いてある文章をこちらの文字へ起こすのじゃ! ついでにニホンゴと言ったのう……お前の国の言語も勉強させてもらうのじゃ!」
非常に嬉しそうに屈託なく言うイルビスである、知識欲が先行しているときのコイツは怖いもの知らずであった……まあ、アリーシアもローサも一度決着している話を蒸し返そうとはしない様子ではあるが、ブスッとした表情ではある……
「いや、まあ……訳すのはかまわんが、日本語……一つの言語を覚えたいならまず基礎からやらんとならんのじゃないかな……その本が読める程度のレベルになるには漢字まで覚えんとならんから、結構複雑だぞ……?」
元々学ぶのが大好きなイルビスであるので、オレのこの言には余計嬉しそうな顔になるだけであった、しかしそのときふっと何かを疑問に思ったのであろう……少し考え込む表情になったが、突然アリーシアへ振り向いて。
「ねえさま! ねえさまはこの本を読むことができますかの……?」
と、元素図鑑をアリーシアへ差し出したではないか……
「え……私がその本を……?」
キョトンとするアリーシアであるが表紙の文字を見てハッ⁉ と気付いたようである……そのままイルビスの手から図鑑を受け取ると開いて中を覗き込むように目を落とす……するとすぐに目が文字を追って左右に動き出したではないか……
「読め……るわ……内容は難しすぎて全然解らないのだけど……文字を読むことだけはできるわね……」
おおぉ~……と一同が感心する、しかしなんでまたアリーシアが日本語の文章を読むことができるのか……不思議に思うのは当然であるが、その理由はイルビスがすぐに話し出した。
「やはり……ねえさまは物質界よりタクヤの中へ入ってこちらへ戻ったとき、タクヤへこちらの言語を焼き付けて学習させたのでしたな……?」
「ええ、私が持つ知識以上のものは無理だけど……こちらの言語に関しては全てをタクヤさんへお渡ししたわ……あっ……じゃあ、そのときに……?」
「でしょうなぁ……知識の焼き付けは互いが理解している内容を交換するようなものじゃそうですからのぅ……ねえさまがこちらの言語を焼き付けしているときにタクヤの持つあちらの言語を無意識のうちに……それに先日ねえさまは活動状態のままタクヤと融合しましたしの……記憶の共有までしているのであれば、言語程度ならばすっかり複写されていてもおかしくありませぬ」
ほぁ~なるほどぉ……と一同がまたもや大いに感心する、ってことはもしアリーシアが日本に来たならばネイティブ同様に読み書きと会話ができるということなのであろう……
女神が人間という器の中へと入るとそんなこともできるんだな……とオレとしても感心しきりであった、そういやスーワーンもオレとの融合にかなり執着していたようだし、やはり理由はそういったところにあるんだろうな……と納得いったのである。
そして納得顔のオレがフムフムと頷いている所へ、イルビスがゆっくりと振り向いて「?」となるオレの目をロックオンした……
「あ……その顔は……なんかヤバイこと考えてるだろお前……」