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序文

 漢の二十四帝のうちちんほど哀れな皇帝はいないと劉協が常々思っているのを、ただの自己憐憫にすぎないと一言で片づけるのはさすがに哀れであった。

 なぜならば、漢王朝400年の歴史の中で劉協よりも暗愚だった皇帝はたくさん存在したからだ。

 そもそも劉邦亡き後漢を引き継いだ二代目の恵帝がすでに暗愚だった。母である呂后の度を過ぎた権力欲とその数々の残虐な行為に耐え切れなくなったがために政務を放棄し、酒色にふける日々をすごして早世した。二十四帝のうち名君といえる人物がどれほどいたか。

 劉協の生母である王美人は、劉協が生まれてすぐに毒殺された。

 殺したのは何皇后だった。大将軍何進の妹であった。帝の寵愛を受けていた王美人を嫉妬してのことである。

 そして幼少の頃を共に過ごした彼の異母兄である劉弁も、帝位についたあと菫卓という血に餓えた獣のような男によって毒殺された。彼の母親である何皇后も一緒に殺された。

 その後、劉協は、菫卓の血塗られた手によって帝位についた。

 劉協は帝位についたとはいえ、いつまた劉弁と同じように菫卓の都合によって殺されるかわからなかった。菫卓は気まぐれで人を殺すような男だった。兵士たちを率いては近隣の住民を襲い、男は殺し、女は犯してから殺した。赤子も殺した。

 彼らは住民を殺したのは生来血に飢えていたこともあるが、西の異国の地からきた無頼の男どもの士気をあげるには略奪が一番だからであった。彼らは根っからの戦闘集団でそもそも人民を統治する概念がなかったのである。人間ではなくて虎狼のたぐいが都を治めていると考えればよい。

 当時の都は恐怖につつまれた。

 だが、人間というのは長い期間恐怖に耐え切れるものではない。

 司徒王允を中心に暗殺計画が持ち上がった。菫卓を除かなければ漢王朝が滅びてしまうからであった。そして菫卓はあまりにも人を殺し過ぎた。菫卓を殺さなければ、いつ自分が殺されるかわからないのだ。死への恐怖が人々を結託させた。

 そして菫卓は誅された。菫卓の一族は根絶やしにされた。90歳になる母親まで殺された。董卓はたいへんよく太っていたので、遺体のへそに灯心を挿すと火はなお数日間燃えた。

 王允は、菫卓に味方したものを皆殺しとした。名声が高かった蔡?まで殺された。

 だが、漢王朝の時代は終わりつつあった。

 黄巾の乱によって漢王朝の国力はすっかり疲弊してしまっていた。いや、そもそも黄巾の乱が起こったのは霊帝時代の悪政が原因だった。賄賂の時代だった。銅臭政治と呼ばれるほどに金が物をいう時代だった。そして黄巾の乱が平定されても民衆の暮らしが良くなることはなかった。

 その後、紆余曲折を経て劉協を迎え入れたのは曹操だった。

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