4.コスモス
早く人形を飾りたくて、俺はまだ昼間だというのに、オフィスを後にした。
こんなに早く帰ったところで、誰が待っているわけでもない。子供もいない、妻もいない家で何をしようとしているのだろう。
それでも俺は、はやる気持ちを抑えられなかった。
家に着くと、鍵を開けるのももどかしく家の中へと入った。
締め切っていたカーテンを開け、日の光を室内に入れた。埃の積もった棚に買って来たばかりのネコの人形を置く。
そして、数えてみるとやはり三十一個目だった。
「二年間の空白ができたな」
今まで、気にもしていなかったというのに、なんだか申し訳ないような気がして仕方がなくなった。俺は、雑巾を持ってくると、ひとつひとつ丹念に拭きあげた。そうしながら、ひとつひとつのネコの顔や姿を見ていった。
妻はどんな思いでこの人形を飾ってきたのだろう。
今となっては、彼女に聞くことすらできないのだ。
棚の埃をきれいにしようと人形を全てどかしてみると、その奥に小さな箱が置かれていることに気がついた。まるで宝石箱のように、色とりどりのガラスが散りばめられ、いかにも女性が好みそうな装飾が施されていた。
俺はそれを手に取ると、開けてみようと考えた。ところが、鍵が掛かっているらしくどうしても開かないのだ。
「なんだ? どうして開かない?」
俺は、力づくでは開かないことを知ると、鍵のありかを考えた。鍵が掛かっているのだから、よほど大事なものを閉まってあるのだろうと思ったのだ。
しかし、どこを探しても鍵らしいものはなく、そんな小さな箱に合うようなものは見当たらなかった。
テーブルの上に置かれた箱は、じっと黙ったまま俺を見つめていた。
ふと、もしかしたら、あのハートの鍵が合うかもしれないという考えが思い浮かんだ。
しかし、あれはどう見てもおもちゃの鍵だ。開くわけがない。
だが、試してみてもいいじゃないか。
バカバカしいと思いながら、俺は胸ポケットからハートの鍵を取り出すと、箱の鍵穴に差し込んだ。鍵はぴったりと鍵穴に合うと、静かに回った。
小さく、カチリと音がすると箱が開いた。
俺はそっと蓋を開けた。
そこには、小さなカードが一枚。
俺はカードを手に取ると、そっと開いた。
「そうか……この鍵が、俺にしか使えない……」
涙が流れた。
ひとしきりカードを見つめていた俺は、窓へと顔を向けた。
そこには、小さいながらも庭がある。
「君はよく庭にいたね」
庭で子供と遊ぶ彼女は、いつでも明るく光り輝いて見えた。
子供たちが大きくなった頃、彼女は庭に座り込み俺に言った。
「ねぇ、あなた。庭に撒いたコスモスの種が芽をだしたわ。きっと、きれいに咲くわね」
嬉しそうなその顔は、子供たちがいなくなってから久しく見ない笑顔だった。
あれから、毎年コスモスが咲いていた。
全く気にしていなかった。
どんなに、彼女が庭の話をしようと、俺には届かない言葉だった。
しかし、覚えている。
君が、いなくなる前に言ったあの言葉。
それは、コスモスの咲き乱れる休日の夕暮れだった。
仕事から帰った俺を見て、哀しい目をしながら彼女は言った。
「ねぇ、あなた。私が居なくなったら、あなたは次の恋をしてね」
妻の命は残りわずかだった。
俺は、何も知らぬまま笑いながら
「もっと、若くてきれいな女性を見つけるさ」
そう言った。
君がいない今、俺は本心を始めて明かそう。
「次の恋を探すなんて、無理だよ。俺はまだ……君を愛してる」
俺の手に握られたカードが語りかける。
それは、俺が彼女に贈った最初のプレゼント。
『ずっと、一緒にいようね』
そして、君からの返事は、消えそうな力のない鉛筆文字。
―――ずっと、一緒にいたかった。
end
最後までお付き合いくださり、ありがとうございました。
熟年夫婦の静かな愛を描いてみました。
読み返して、目頭が熱くなる作者です(´;ω;`)ウッ・・
お父さん、可哀相~
なんて・・・
さて、次回作は明日からアップ開始です~
よろしくお願いします




