待つ身か待たせる身か
授業で「富嶽百景」をやっているときに、男性の先生が不意に言ったのを覚えてる。
「同じ太宰の作品の『走れメロス』。中学のときにやったと思うけど……あれね、モチーフになった話があるんだよね」
「どっちなの?」
私はつい口に出した。先生はそれを聞きつけて、私を指名した。
私は言われる通り立った。
「どっちだと思う?」
「私は……熱海行だと……」
私はたどたどしく言った。
先生は満面の笑みで頷いた。
「そう、彼は親友の檀一雄とともに熱海で……」
――手持ちのお金もないのに熱海で遊んで、太宰が檀を人質に東京に借金を頼みに行った。知ってる。
「お、知ってそうだな?」
私の顔を見ながら言った。
「ええ、まあ……」
よくよく考えると教室の晒し者に近くなっている。しどろもどろになっていた。
「もう少し続きを言ってから、一つ答えてもらおう。……その後太宰は帰ってこない。檀は店の人に拘束されながら……」
――井伏鱒二の家に行く。すると彼は将棋を指していた。太宰は檀に怒られる。当然だ。
「そこで太宰は何と言った?」
「待つ身が辛いかね、待たされる身が辛いかね」
「そう」
先生は満足そうに頷いた。しかしまだ座らせてくれない。さらに尋ねてきた。
「この言葉、どう思う?」
私はすぐに答えた。
「ひっぱたいていいと思います」
教室中がドッと沸いた。別に受け狙いのつもりじゃないけど。
「うん。間違いじゃないと思う。いや、むしろ正解な気がする。ありがとう。座って」
こういうの、あまり得意じゃない。少しドキドキが残ってる。でもこれは単なる緊張。それ以外には何一つ無い。
――よく当てるよね、私を。薄々感じてる。
「よく当てられるよね?」
友達にも言われた。
「もしかして、もしかして……」
ニヤニヤされるとさらに困る。恋愛の話でしょ?
「マジでそういうのじゃないよー」
軽く流すつもりでいる。でも流させてくれない。
「とか言って、先生と生徒の禁断の愛?」
「なりません」
抑揚を出来る限り抑えて言った。
――本当に文学好きな人なんだろう。そこまではいい。けど、先生は初めから恋愛対象からはずしてる。先生と生徒は目立ちすぎるから。
いちど先生を呼び止めたことがあった。
「あんまり当て過ぎないで下さい」
正当な抗議だった。でも周りから冷やかされた。
「痴話喧嘩か?」
男子生徒が言う。
――違う。断じて違う。
「授業中もおしゃべりしたいんだよね、先生」
――先生はどうかは知らないけど、私は授業中に先生とおしゃべりしたくない。
「こんな感じですよ?分かって下さい!」
先生の顔を見た。先生はかなり困っているようだった。
私の胸がほんの少し痛んだ。でも、私はもっと困ってたんだから!
その後、当てられる数が俄然減った。むしろ、私を避けるようにも見える。
なんと弱気な……と思った。私がちょっと強く言ったらすぐに引っ込める、それぐらいのつもりだったの?と。
「あなたが行かないなら、私が行ってもいい?」
友達の友達が聞いてきた。
「私の許可は不要……」
「そうだよね、付き合ってるわけでないし。だいたいあなたは先生が好きな訳じゃないものね」
「……うん」
ぎこちなく頷いた。人見知りのせいだけじゃない。肯定するのに何かわだかまりを感じた。
「ほんとにいいの?」
「……いいよ?」
私はできるだけ平静になるような口調で言った。
なお、彼女は先生にマジで告って、ダメだったらしい。
――そんなに先生、いいかな?
他にも私に探りを入れてくる子がいる。そう見ると……
――先生、結構もててる?
蓼食う虫も好き好きともいうけど、なんでよりによって先生なんだろうか?しかも複数人。
見た目はいいんだよね。声も。先生のことをあんまり知らないなら、先生に行くのも分からなくはない。
でもそれだけじゃん?と思う。
確かに私から見て、先生とは話しやすい。
太宰ネタで遊べるのは先生ぐらいしかいない。「無頼派の連中」と歴史に名を残す作家に対して「連中」呼ばわりをするような無礼な先生で、あの言い回しはむしろ好きだ。
でも……と私は思う。
話しやすければ恋人になるなら、私は友達と恋人にならないといけない。彼女と結ばれるのは、私には非常に厳しい。
そうでなくても話をする男子もいるので、じゃあ付き合うかというと、そんなことにはならない。
先生も同じ。他に出来ないすごく楽しい会話だけど、恋人になる訳じゃない。
楽しい先生。それ以上にはならない。
私はこの思いのまま卒業を迎えないといけないと思った。
そして、そのまま卒業した。
* * *
私は高校を卒業して、大学に入り、卒業して、会社に入った。
大学の頃は、単位もそこそこの成績で取って、恋人もでき、それなりに楽しく過ごした。
就職は成功とまでは行かなかったけど、事務職員として日々大過なく過ごしている。恋人は二人目と別れたところ。
なんとなく話が合わなくなってた。最初は刺激が強くて楽しいけど、だんだんとずれていったんだと思う。
……そう考えると、私とまともに付き合える人っているのかな?素朴な疑問であり、空恐ろしい疑問でもある。
そんな中、同窓会の案内が来た。
さすがに同窓会は旧友とオールする日だと自覚している。それしか考えずに出掛けた。恋人を見つける場ではないだろうなーとは思ってた。
会場では、キャーッ!と叫んで手を振って、手を取り合った。仕方ないよね、高校生っぽくなってしまうのは。
乾杯前から盛り上がってた。声を枯らす必要なんか無いはずなのに、声が大きくなってた。
さすがに前半飛ばしすぎて、少し疲れが見えてきた。友達だけでなく、もう少し挨拶でもしようかなと思って、辺りを見回した。
同窓生も多少は大人びてた。実際に成長したんだろうなとは思う。がきっぽかった男子もスーツを着ている。いっぱしの社会人のように見える。
でも、昔を知っているからなんだと思う、やや嘘っぽい。
もっとも私もそう見えてるだろうと思う。
手に持ったワイングラスをあおった。
その時、声をかけられた。
振り返ると、先生だった。
「元気だったか?」
私は先生から顔をそらし、頷いた。先生は構わずに続けた。
「その……高校の時に、俺、やりすぎてたよな?」
私はまた頷いた。
「許さない?」
私は首を横に振った。でも先生の顔は見ない。というか見れない。
「それだけ聞けて、来た甲斐があったよ。ずっと気になってた」
私は先生の方を向いた。自信無さそうな顔で私を見ている。
「あれだけ授業が楽しかったのは、後にも先にもなかった。今もない。君がすらすらと文学周りの話をしているのが、とても心地よかったんだ」
「そうですか……ありがとう……ございます」
「いや、そんな感じに感謝されるために言ったんじゃないよ。心の底からそう思った。今も思ってる。あの、君と問答をしている時間以上のものはないんだ」
「あーっ!先生と生徒の禁断の愛だ!」
同窓生に見つかった。私も先生も、こういうのにまだ免疫ができてない。困惑して立ち尽くした。
その直後に、先生は私から離れた。
その時……。
先生は私と軽く接触した。こそこそ逃げてぶつかるって、相変わらず弱気なんだ……。
その後、それなりに飲んで、いっぱい近況報告や思い出話をして、同窓会の後の二次会では、結構回っていてたぶん面倒くさい人になってたと思う。三次会に参加して、歌は大してうまくないけど歌いまくった記憶はある。
深夜には満足感に浸りながら実家に帰った。そのままベッドに倒れ込んだ。
次の日の朝、寝ぼけ眼でベッドから這い起きて、一晩中着てたジャケットを脱いだ。
その時、ポケットに名刺が入っていることに気付いた。先生の名刺だった。先生が、ぶつかったときに入れたんだと思う。
名刺には、学校名とか、職場への電話番号とかが書かれている。
――そういえば名刺、渡さなかったな。
そう思いつつ、なんとなく裏を見た。
――あれ?
先生の丁寧な字で、プライベートの連絡先が書かれていた。
実は弱気じゃなかったんだ……。
昨日のことを思い出した。
――君と問答をしている時間以上のものはないんだ。
あれって、口説き文句だったのかな?
私は少しクスリとした。変だよね、授業中に当てた生徒とのやり取りが一番良かったっていうのは。
でも……。
私は連絡先に連絡してみた。
そして開口一番、先生に言った。
「待つ身が辛いかね、待たせる身が辛いかね」
向こうで先生が大きめの声で笑っていた。私も笑った。
それから、しばらく私たちは沈黙した。
――何か言わなきゃ。そう思ったけど、何も言えない。
「僕さ……」
先生の声が聞こえた。
「……僕はね、待つ身なんだよ。でも、君が僕を待たせてると思ってくれているのなら、僕は君をひっぱたかないよ」
それ、私が授業の時に言ったやつだ。
――うん、もう少しだけ待ってほしいな。明日になったらもう待たせないから。
お読みいただきありがとうございました。
熱海行のみで創ったお話しです。終いは恋愛まで含めてみました。
熱海行は中学生の私には衝撃的でした。「なにしてんのあんたは…」みたいな(笑)




