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待つ身か待たせる身か

掲載日:2026/07/21

授業で「富嶽百景」をやっているときに、男性の先生が不意に言ったのを覚えてる。


「同じ太宰の作品の『走れメロス』。中学のときにやったと思うけど……あれね、モチーフになった話があるんだよね」


「どっちなの?」


 私はつい口に出した。先生はそれを聞きつけて、私を指名した。


 私は言われる通り立った。


「どっちだと思う?」


「私は……熱海行だと……」


 私はたどたどしく言った。


 先生は満面の笑みで頷いた。


「そう、彼は親友の檀一雄とともに熱海で……」


――手持ちのお金もないのに熱海で遊んで、太宰が檀を人質に東京に借金を頼みに行った。知ってる。


「お、知ってそうだな?」


 私の顔を見ながら言った。


「ええ、まあ……」


 よくよく考えると教室の晒し者に近くなっている。しどろもどろになっていた。


「もう少し続きを言ってから、一つ答えてもらおう。……その後太宰は帰ってこない。檀は店の人に拘束されながら……」


――井伏鱒二の家に行く。すると彼は将棋を指していた。太宰は檀に怒られる。当然だ。


「そこで太宰は何と言った?」


「待つ身が辛いかね、待たされる身が辛いかね」


「そう」


 先生は満足そうに頷いた。しかしまだ座らせてくれない。さらに尋ねてきた。


「この言葉、どう思う?」


 私はすぐに答えた。


「ひっぱたいていいと思います」


 教室中がドッと沸いた。別に受け狙いのつもりじゃないけど。


「うん。間違いじゃないと思う。いや、むしろ正解な気がする。ありがとう。座って」


 こういうの、あまり得意じゃない。少しドキドキが残ってる。でもこれは単なる緊張。それ以外には何一つ無い。


――よく当てるよね、私を。薄々感じてる。


「よく当てられるよね?」


 友達にも言われた。


「もしかして、もしかして……」


 ニヤニヤされるとさらに困る。恋愛の話でしょ?


「マジでそういうのじゃないよー」


 軽く流すつもりでいる。でも流させてくれない。


「とか言って、先生と生徒の禁断の愛?」


「なりません」


 抑揚を出来る限り抑えて言った。


――本当に文学好きな人なんだろう。そこまではいい。けど、先生は初めから恋愛対象からはずしてる。先生と生徒は目立ちすぎるから。


 いちど先生を呼び止めたことがあった。


「あんまり当て過ぎないで下さい」


 正当な抗議だった。でも周りから冷やかされた。


「痴話喧嘩か?」


 男子生徒が言う。


――違う。断じて違う。


「授業中もおしゃべりしたいんだよね、先生」


――先生はどうかは知らないけど、私は授業中に先生とおしゃべりしたくない。


「こんな感じですよ?分かって下さい!」


 先生の顔を見た。先生はかなり困っているようだった。


 私の胸がほんの少し痛んだ。でも、私はもっと困ってたんだから!


 その後、当てられる数が俄然減った。むしろ、私を避けるようにも見える。


 なんと弱気な……と思った。私がちょっと強く言ったらすぐに引っ込める、それぐらいのつもりだったの?と。


「あなたが行かないなら、私が行ってもいい?」


 友達の友達が聞いてきた。


「私の許可は不要……」


「そうだよね、付き合ってるわけでないし。だいたいあなたは先生が好きな訳じゃないものね」


「……うん」


 ぎこちなく頷いた。人見知りのせいだけじゃない。肯定するのに何かわだかまりを感じた。


「ほんとにいいの?」


「……いいよ?」


 私はできるだけ平静になるような口調で言った。


 なお、彼女は先生にマジで告って、ダメだったらしい。


――そんなに先生、いいかな?


 他にも私に探りを入れてくる子がいる。そう見ると……


――先生、結構もててる?


 蓼食う虫も好き好きともいうけど、なんでよりによって先生なんだろうか?しかも複数人。


 見た目はいいんだよね。声も。先生のことをあんまり知らないなら、先生に行くのも分からなくはない。


 でもそれだけじゃん?と思う。


 確かに私から見て、先生とは話しやすい。


 太宰ネタで遊べるのは先生ぐらいしかいない。「無頼派の連中」と歴史に名を残す作家に対して「連中」呼ばわりをするような無礼な先生で、あの言い回しはむしろ好きだ。


 でも……と私は思う。


 話しやすければ恋人になるなら、私は友達と恋人にならないといけない。彼女と結ばれるのは、私には非常に厳しい。


 そうでなくても話をする男子もいるので、じゃあ付き合うかというと、そんなことにはならない。


 先生も同じ。他に出来ないすごく楽しい会話だけど、恋人になる訳じゃない。


 楽しい先生。それ以上にはならない。


 私はこの思いのまま卒業を迎えないといけないと思った。


 そして、そのまま卒業した。


 * * *


 私は高校を卒業して、大学に入り、卒業して、会社に入った。


 大学の頃は、単位もそこそこの成績で取って、恋人もでき、それなりに楽しく過ごした。


 就職は成功とまでは行かなかったけど、事務職員として日々大過なく過ごしている。恋人は二人目と別れたところ。


 なんとなく話が合わなくなってた。最初は刺激が強くて楽しいけど、だんだんとずれていったんだと思う。


……そう考えると、私とまともに付き合える人っているのかな?素朴な疑問であり、空恐ろしい疑問でもある。


 そんな中、同窓会の案内が来た。


 さすがに同窓会は旧友とオールする日だと自覚している。それしか考えずに出掛けた。恋人を見つける場ではないだろうなーとは思ってた。


 会場では、キャーッ!と叫んで手を振って、手を取り合った。仕方ないよね、高校生っぽくなってしまうのは。


 乾杯前から盛り上がってた。声を枯らす必要なんか無いはずなのに、声が大きくなってた。


 さすがに前半飛ばしすぎて、少し疲れが見えてきた。友達だけでなく、もう少し挨拶でもしようかなと思って、辺りを見回した。


 同窓生も多少は大人びてた。実際に成長したんだろうなとは思う。がきっぽかった男子もスーツを着ている。いっぱしの社会人のように見える。


 でも、昔を知っているからなんだと思う、やや嘘っぽい。


 もっとも私もそう見えてるだろうと思う。


 手に持ったワイングラスをあおった。


 その時、声をかけられた。


 振り返ると、先生だった。


「元気だったか?」


 私は先生から顔をそらし、頷いた。先生は構わずに続けた。


「その……高校の時に、俺、やりすぎてたよな?」


 私はまた頷いた。


「許さない?」


 私は首を横に振った。でも先生の顔は見ない。というか見れない。


「それだけ聞けて、来た甲斐があったよ。ずっと気になってた」


 私は先生の方を向いた。自信無さそうな顔で私を見ている。


「あれだけ授業が楽しかったのは、後にも先にもなかった。今もない。君がすらすらと文学周りの話をしているのが、とても心地よかったんだ」


「そうですか……ありがとう……ございます」


「いや、そんな感じに感謝されるために言ったんじゃないよ。心の底からそう思った。今も思ってる。あの、君と問答をしている時間以上のものはないんだ」


「あーっ!先生と生徒の禁断の愛だ!」


 同窓生に見つかった。私も先生も、こういうのにまだ免疫ができてない。困惑して立ち尽くした。


 その直後に、先生は私から離れた。


 その時……。


 先生は私と軽く接触した。こそこそ逃げてぶつかるって、相変わらず弱気なんだ……。


 その後、それなりに飲んで、いっぱい近況報告や思い出話をして、同窓会の後の二次会では、結構回っていてたぶん面倒くさい人になってたと思う。三次会に参加して、歌は大してうまくないけど歌いまくった記憶はある。


 深夜には満足感に浸りながら実家に帰った。そのままベッドに倒れ込んだ。


 次の日の朝、寝ぼけ眼でベッドから這い起きて、一晩中着てたジャケットを脱いだ。


 その時、ポケットに名刺が入っていることに気付いた。先生の名刺だった。先生が、ぶつかったときに入れたんだと思う。


 名刺には、学校名とか、職場への電話番号とかが書かれている。


――そういえば名刺、渡さなかったな。


 そう思いつつ、なんとなく裏を見た。


――あれ?


 先生の丁寧な字で、プライベートの連絡先が書かれていた。


 実は弱気じゃなかったんだ……。


 昨日のことを思い出した。


――君と問答をしている時間以上のものはないんだ。


 あれって、口説き文句だったのかな?


 私は少しクスリとした。変だよね、授業中に当てた生徒とのやり取りが一番良かったっていうのは。


 でも……。


 私は連絡先に連絡してみた。


 そして開口一番、先生に言った。


「待つ身が辛いかね、待たせる身が辛いかね」


 向こうで先生が大きめの声で笑っていた。私も笑った。


 それから、しばらく私たちは沈黙した。


――何か言わなきゃ。そう思ったけど、何も言えない。


「僕さ……」


 先生の声が聞こえた。


「……僕はね、待つ身なんだよ。でも、君が僕を待たせてると思ってくれているのなら、僕は君をひっぱたかないよ」


 それ、私が授業の時に言ったやつだ。


――うん、もう少しだけ待ってほしいな。明日になったらもう待たせないから。


お読みいただきありがとうございました。


熱海行のみで創ったお話しです。終いは恋愛まで含めてみました。


熱海行は中学生の私には衝撃的でした。「なにしてんのあんたは…」みたいな(笑)

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