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第1話 海の言葉①


 年若い紙芝居屋は、青空の下で青色の甚平を着て砂浜の波打ち際に立っていた。

 小魚たちが集まって顔だけ出すと、手品のように紙芝居を取り出した。

 紙芝居の一枚目には青い海が広がって、その穏やかな波の上に高等学校が建っていた。


「海は時々おしゃべりです。海に言葉があるからです」

 

 動く絵の中で波が飛沫しぶきを上げると、海が話し始めた――このお話は、ほんの少しミステリー。



 新任の長谷川はせがわ桃子ももこの顔立ちは、どことなく洗練された貴夫人を思わせた。

 クラスの中で定着した“マダム”という愛称は、入学式から三日と経たずに学年中に広まった。

 大学進学の特進クラスはCクラスで、一年の時からメンバーは同じだが、マダムクラスと呼ばれるようになった。


 進路指導室に着いた時、唯花ゆいかはこのまま帰りたくなった。


「あんな奴と一緒に面談だなんて……ヒキガエルを飲み込む方が百倍マシ……」


 マダムが発案した面談は少し、いや、だいぶ変わっていた。

 六時間目のチャイムが鳴る直前に三人で面談すると言われた時、生徒たちは首を傾げた。

 生徒と保護者、担任という本来の形を想像したからだ。

 保護者がいない面談を、マダムは二者面談と言った。

 

「出席番号の同じ女子と男子を一緒に面談します。二人一組になります。例えば、女子の一番と、男子の一番が一緒に並んで面談するという具合です。ちょうど男子が十四人、女子も十四人の計二十八人のクラスですから余りがありません」


 こんな面談を一体誰が想像できただろう――生徒たちはざわついた。


「先生!三人だから三者面談です」


 手を挙げて言った生徒もいたが、マダムはいつものように微笑んで、「二者面談です」と答えた。

 

「放課後、進路指導室に二人一組でいらっしゃい」

 


 「……失礼します」


 唯花が意を決してノックすると、マダムの「どうぞ」と言う上品な声が聞こえた。

 唯花が扉を開けると、真正面に丸い西洋風のテーブルがあった。

 明らかにマダムが持ち込んだものだ。

 本来は進路室と無縁のテーブルと向かい合うように、お洒落な白い椅子が二つ並べてある。

 マダムは椅子に腰掛け待っていた。

 テーブルの上には白い皿が一枚、マーブルケーキが三切れ乗っている。

 黄色いジャムが入った瓶と赤いジャムが入った瓶が一つずつ、白いティーカップが二つ並べてあった。


「いらっしゃい、ミス・斎藤。ミスター・井垣いがきはどうしました?」


「後で来ます」


 マダムの質問に、唯花は、にこりともしないで答えた。

 ミスと呼ばれるのが嫌なのだ。

 女子をミス、男子をミスター呼びする担任を唯花は好いていない。

 

「そうですか。それでは、左手の椅子に座りなさい」


 マダムの手前には白い陶器のティーポットがあった。

 オレンジ・ペコと書かれた細長い缶と白い電子ポットも置いてある。


「お待たせして申し訳ありません」


 唯花がお辞儀すると、マダムは口元に微笑を浮べた。


「パウンドケーキを焼いてみました。ミスター・井垣が来たら、一緒に召し上がりなさい」


「……ケーキですか……ありがとうございます」


 唯花は一瞬黙ったが、苦笑してぺこりと頭を下げた。

 

「喜んで貰えて嬉しいわ。ところで、ミスター・井垣と何かありましたか?」


 唯花は顔をしかめると、愚痴をこぼした。


「渋柿と酸っぱいレモンを同時に丸かじりした気分です。ここへ来る途中、散々手を焼かされました」


「手を焼かされた?」


 マダムは興味深そうに聞き返した。


「はい。拗ねた子供みたいに全然起きてくれなくて。もう最悪でした」


「あらあら、大変でしたね。でもね、ミス・斎藤、淑女は、どんな時も誰の前でも顔をしかめないものですよ。それに、ミスター・井垣は味のある男性だと思いますよ」


 マダムがにやりと笑うのを、唯花は初めて見た。


「味のある男より、骨のある男の方が断然いいです」


 ついムキになって言ったが、唯花は口を閉ざした。


「断然?それは、男らしい人が好きということかしら」


 聞かれても答えなかった。

 ますます機嫌が悪くなった時、ノックもなしに扉が開いた。


「失礼しまーす!」

 

 十五分遅れの到着だ。

 唯花は腹が立って仕方なかった。


「遅すぎる!」


 思わず睨みつけると、意味不明な言い訳をされた。


「俺って、A型だからさ~。ルーズなのよ~」

 

「私もA型よ!大体、血液型は関係ないでしょ!」


 余計に腹が立って吐き捨てるように言うと、マダムがコホンと上品に咳払いをした。


「ミスター・井垣、言い訳するくらいなら早くいらっしゃい。それがマナーです。さあ座って。はじめましょう」


 井垣はケーキを見つけると、マダムの返事も待たずに頬張った。


「これ食べていいんスか?ラッキー!」


 「ちょっと!頂きますは!?」


  唯花が小言を言い掛けたのをマダムが遮った。


「ミス・斎藤、あなたもどうぞ。二人とも、柚のジャムとサクランボのジャム、どちらがいいかしら」


「チェリーで!」

 

「柚で、お願いします」


 唯花は井垣が選んだ後で答えた。


「あんたと同じジャムなんて食べたくないから!」


 唯花がアッカンべーと舌を出したのを見て、マダムは苦笑した。


「ミス・斎藤、淑女のする事ではありませんよ」


 マダムは手ずから紅茶を入れると、紅茶を注いだカップに、ティースプーン大盛り一杯のジャムを滑らすように落として二人の手前に置いた。

 仄かな柚の香りが漂う。


「このジャム、マダムの手作りっスか?」


「そうですよ」


「あんたが一口で食べたケーキも、マダムの手作りだったのよ!どうやったら一口で食べられるの?あんたみたいな遠慮のない大食らいって本当に最悪!もっと味わいなさいよ!」


「えっ?マダムお手製っスか?」


 スットンキョウな声を出した井垣の前に、進路提出の紙が出された。


「ミスター・井垣、大学名が空欄でしたね。書き忘れかしら」


 ようやく面談が始まって、唯花はほっとした。


(夕飯何作ろう)


 ぼんやりと思ったが、それは叶わなかった。



 紙芝居屋が一枚目を引き抜くと、高等学校は海の中にあった。

 もう飛沫しぶきは上がらない。海の紙芝居は、こうして始まった。

  

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