既読のつかない夜
放課後。
LINEを交換して、少しだけ世界が広がったはずなのに、とうもの心はなぜか静かだった。
新しい人間関係、新しい街、そして忘れたはずの過去――夜は、思い出を選ばず連れてくる。
教室を出る前、橘陽花が勢いよくスマホを差し出してきた。
「はいはい!LINE交換ね!逃げないでよ、とうもさん!」
ほとんど反射でQRを読み取る。隣では藤原健人が面倒くさそうに同じ動作をしていた。
「よろしく。困ったら俺に聞け。大体、悪化するけど」
「ちょっと!それフォローになってないでしょ!」
二人のやり取りを聞きながら、僕は小さく笑った。
ほんの数秒の出来事なのに、胸の奥が少しだけ温かくなる。
放課後のチャイムが鳴り、教室は一気に帰宅モードに切り替わる。
僕も流れに乗って学校を出た。
夕方の空気はまだ暖かくて、福岡の街は穏やかだった。
電車の揺れ、知らない駅名、聞き慣れないアナウンス。
全部が新しくて、なのにもう少しだけ日常になり始めている。
アパートに着き、靴を脱ぎ、鞄を床に置く。
そのままベッドに倒れ込んだ。
……静かだ。
天井を見つめながら、ポケットの中でスマホが微かに震えるのを感じた。
でも、手は伸びなかった。
視界の隅で、記憶が滲み始める。
──ヘントの冬は、いつも灰色だった。
冷たい風。
濡れた石畳。
駅前のカフェで、向かいに座る彼女の目は、もう僕を見ていなかった。
「ごめん。もう無理」
それだけだった。
理由を聞いた気がする。
聞かなかった気もする。
どちらにしても、答えは同じだった。
帰り道、スマホを握りしめたまま、何度も画面を見た。
でも、メッセージは増えなかった。
それ以来、何かを期待するのが怖くなった。
ベッドの上で、ゆっくりと息を吐く。
ここは日本だ。
ヘントじゃない。
あの冬も、あのカフェも、ここにはない。
それなのに、胸の奥の違和感だけは、ちゃんとついてきていた。
スマホがまた震える。
今度は少し長め。
……それでも、見ない。
画面を伏せたまま、目を閉じる。
頭の中に浮かぶのは、静かに歩く中村結衣の後ろ姿。
それと同時に、やたら近くて、うるさくて、まっすぐな橘陽花の声。
混ざると、整理がつかない。
再び振動。
さすがに一度だけ、画面を覗いた。
通知が並んでいる。
橘陽花
「無事帰った?」
「ねえとうもさん!」
「既読つかないんだけど〜!」
「寝てる?まだ早いよ!」
その下に、一件だけ。
藤原健人
「明日、資料忘れるな」
短すぎて、逆に笑いそうになる。
スマホを胸の上に置き、しばらくそのままでいた。
返事は、しない。
今はまだ、整理できない。
始まったばかりの毎日と、終わったはずの過去が、同じ場所にある。
「……ほんと、面倒だな」
誰に向けた言葉かも分からないまま、小さく呟く。
目を閉じると、福岡の夜が静かに部屋を包んでいた。
第1話を書いたときのワクワクがそのまま残ってて、気づいたらこの章も書いてました。
読んでくれてるみんなと同じくらい、自分も楽しんでます。
次もよろしくお願いします!




