表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
4/21

第4章 セーフハウスと狩りの計画

 びしょ濡れの体で下水道の岸辺に座り込む。汚水が髪の先から滴り、濁った水面に輪紋を広げていく。


 肺がヒリヒリ疼く。でもそれ以上に──頭から離れないあの光景が怖い。


 あれは幻覚なんかじゃない。酸素不足のせいでもない。


 あの人形はあまりにもリアルだった。エラの目に宿るあの特有の輝きまで、完璧に再現されていたのだ。


「ダーリン?水を飲んだ?」


 エラの声が、混乱した思考を引き戻す。彼女はすでに岸辺にあがり、濡れた囚人服がボディラインを浮かび上がらせていた。


「…ただ、ちょっと怖くて」


 曖昧にごまかす。あの不気味な光景のことは口にできない。この目覚めつつある力に、胸騒ぎがする。


 エラが隣に座り、自然に抱き寄せてくる。


「私がいる限り、あなたに何かあることなんてないから」


 確信に満ちた声。しかしその腕の力は、拒絶を許さない強さだった。


「勝利のハグ!ヴィナもほしい!ほしい!」


 ヴィナが子犬のように飛びついてくる。汚水を跳ねさせ、両手を広げて──。


「止まれ、ヴィナ」


 エラの一瞥で、彼女は凍りついた。その眼差しの冷たさに、私も震えが走る。


「カレンは私が面倒を見る」


「別にいいよ、エラ、ヴィナがもし…」


「二人ともびしょ濡れでしょ、ダーリン」断つように言い放つ。「まずはセーフハウスで身なりを整えて。ヴィナ、ついて来い」


 彼女は立ち上がり、習慣的に私を背後に護る。その背中を見つめながら、思い出す。


 あの日、彼女が初めて私の手を握った時の言葉。


「こうすれば、あなたを守れるから。背後を任せるのは信頼の証よ。弱いなんて思ってないから」


 あの甘い記憶も、今は複雑な色に染まっていく。


 エラが落書きだらけの壁の前で足を止める。レンガの隙間を熟練した指で探り、かすかなカチリという音。


 隠し戸が静かに滑り開く。これは決して、急ごしらえの隠れ家なんかじゃない。


「ダーリン、冷蔵庫から食べ物を取って、ヴィナと一緒に外で待ってて。私が先に片付けるから」


 指示を残し、彼女は扉の向こうに消えた。


 冷蔵庫を開け、ぼんやりと食料を取り出す。このセーフハウスの完璧さは尋常じゃない。食料、衣服、医療品まで。


 エラは刑務所にいる間だけじゃない。もっと前から、この日のために計画を練ってきたんだ。


 彼女は一体、他にどれだけの秘密を隠しているんだろう?


 ヴィナにパンを差し出すと、首を振る。


「船でお腹いっぱい、いっぱい」


 船での記憶がよみがえる。胃が逆流しそうになる。気を紛らわせるように、鮮やかな包装紙のフルーツキャンディーを手に取る。


「じゃあ、これなら?リンゴ味だよ」


 ヴィナの目がぱっと輝く。つい最近まで他人のものだったその双眸が、薄暗い光の中で奇妙にきらめく。


「キャンディー!ヴィナにくれるの?本当?本当?」


 突然飛びついてくる。その力は驚くほど強い。硬直しながら抱擁を返す、複雑な思い。


 平然と他人の体の一部を奪うこの少女が、キャンディー一つにこれほどまでに興奮する。


 彼女は一体、何を経験してきたんだろう?


 肩に湿った感触。ヴィナを押しのけると、彼女はめちゃくちゃに泣いていた。


「どうしたの?泣かないで」


 あたふたと慰める私。


「ううっ…キャンディー、ご褒美…ヴィナ、やっとご褒美もらえた…」


 すすり泣く声。そっと背中を叩きながら、胸が痛む。こんな普通の親切が、彼女の中では得難い褒賞になってしまっている。


 ガシャン、と浴室のドアが開く。髪を拭くエラ。私たちの姿を見て、彼女の眼神が一瞬で曇る。


「ヴィナ、カレン、随分と仲良くしてるみたいね?」


 柔らかい声の中に、危険な響き。


 しかしヴィナは気づかず、くるりと飛びつく。


「ヴィナを連れ出してくれてありがとう!そうじゃなきゃ、キャンディーもらえなかった!」


 意外にも、エラは笑みを浮かべ、抱擁を受け入れる。


「これはほんの始まりに過ぎないわ、ヴィナ。これからもっと…ご褒美はあるから」


 衝突が避けられて、ほっとする。


 身を清め、衣服を替えた後、空気は幾分和らいだ。


 ヴィナは隅のマトリョーシカに夢中だ。分解と組み立てを繰り返すその様子は、本当の子供のよう。


 エラがソファの傍らから銀色の小箱を取り出す。開くと、中には白い粉。


 胸が締め付けられる。刑務所では見たことのないものだ。


「少しやる?すべての悩みを忘れさせてあげる」


 小声の誘い。指先で粉をすくい上げる。


「…結構だよ」


 首を振る私。


「残念」


 彼女は微笑み、粉を鼻から吸い込む。瞬間、体が微かに震え、目に狂気の光が走った。


 突然近づく彼女。指が頬を撫でる。息遣いが荒い。


「知ってる、カレン…外の世界は刑務所よりも危険なの」


 瞳が鋭く、狂気じみていく。


「…そして同時に、チャンスに満ちている」


 熱い吐息が頬に触れる。


「『掃討者』やディロみたいな役立ずは、檻の中の連中を捕まえただけですべてだと思い込んでいる。奴らは知らないの…外に私たちのような『異常』がまだどれだけ潜んでいるかを」


 血の気が引いていく。信じられない思いで彼女を見つめる。別人のようだ。


「さまよい、潜む弱き者たち…奴らは力の使い方さえ知らない」


 声は低く、震えるほど興奮している。


「いつか『掃討者』に殺されるより、私たちが奴らを見つけ出そう。一つずつ…私たちの踏み台に」


 髪を撫でながら、囁くような優しい声。


「強くならないと、ダーリン。十分に強くならなければ、永遠に追われるまま。あなたも助けてくれるよね?」


 硬直する私。返事もできずにいると──。


「狩り?面白い!ヴィナもやりたい!一番きれいな部分、取っておいていい?」


 ヴィナが輝く目を上げる。


 エラの笑みが深まる。


「もちろんよ、ヴィナ。すべての…一番きれいな部分を取っておいていいわ」


 二人を見つめ、冷たい嫌悪感が背筋を這う。


 私たちは本当に刑務所から逃げ出したのか?それとも…もっと危険な狩場に足を踏み入れただけなのか?


 その時、視界がまた歪み始める。二人の輪郭がぼやけ、人形の姿に変わっていく──。


 (ちっ!)


 舌を噛み、痛みで意識を保つ。幻覚を必死に押し留めた。


「最初のターゲットは近くにいる」


 エラは古びた端末の前に立つ。画面には、複雑な地下管路の地図。赤い点が規則的に点滅している。


「電流を操る可哀相な子、コードネーム『スパーク』」


 指先で画面を軽く叩く。


「下水道の中枢制御室近くに潜む。短路したケーブル数本で身を守れると思い込んでいる」


 振り返り、狩人のような笑みを浮かべる。


「私たちの最初の狩り、準備はいい?」


「やったー!」


 ヴィナが歓声を上げ、ドアへ駆け出す。


 私は立ち尽くす。手足の冷たさを感じながら。


 エラが背を向けた瞬間、端末画面に一瞬表示された文字を読み取る。


 『プロジェクト番号:P-07『マリオネット』-ステータス:アクティブ。処理優先度:最上位』

もし何か質問があったり、直接私と話をしたり、キャラクターやストーリーについて語り合いたい方は、Xツイッターの@Seemab1819951までフォローをお願いします。いつでも歓迎します!アカウントは新規作成したばかりなので、ご容赦ください。それから、ここまで応援してくださった皆様、本当にありがとうございました!

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ