第2章 追撃者の網
(所長室)
真夜中の電話のベルは、常に不吉な前触れだ。
ディロ・ストーン所長は、ほとんど飛びつくようにデスクに向かい、受話器を掴んだ。
彼の背後では、モニター画面に刑務所暴動の最後の映像が残っている――空荡荡の監房、溶解した鉄格子、そして满地狼藉。
「逃がすとはな」
電話の向こうの声は、平静だ。だが、それは暴风雨前の静けさのように、恐ろしく不気味な穏やかさだ。
ディロの指の関節は、力の入れすぎで白くなっている。「申し訳ありません、私は――」
「三名の最重要指定異常者を、眼前で逃された。ストーン、これで何度目の失態だ?」
冷や汗が、ディロの鬢を伝って落ちる。自分自身の鼓動が、太鼓のように響くのが聞こえる。
「今は、一つの解決策しかない」
電話の向こうの声は、突然、速くなる。
「『彼女』を放出せよ」
「いや!」
ディロは思わず叫び、すぐに自分が取り乱したことに気づく。
「閣下、どうかご熟慮を。我々に『彼女』を制御することなど、到底できません――」
「ならば、『彼女』と脱走者たちに共喰いさせればよい」
相手は冷たく遮った。
「上層部に、我々が監獄一つまともに管理できぬことを知らしめるよりはましだ」
ディロは崩れ落ちるように椅子に座った。これは相談などではなく、最終通告だ。
「……承知した」
声は渇いていた。
「手配する」
電話が切れた後の忙音が、静まり返ったオフィスに鋭く刺さる。
アシスタントが恐る恐る水の入ったグラスを差し出した。
「所長、只今より解放手続きの準備に――?」
ディロはばっと顔を上げ、瞳に一瞬、本物の怯えが走った。
「待て。前回『彼女』が暴走した結果を忘れたのか?」
彼は立ち上がり、上着を掴む動作に、慣れない慌て方が表れていた。
「……俺が直接追う。『掃討者』に連絡だ……『支援要請』と伝えろ」
(貨物船操舵室)
貨物船は夜闇の中、平穏に航行している。ついさっきの脱獄など、幻だったかのように。
私は舷窓にもたれ、指先で無意識にエラの腕の曲線をなぞる。彼女の肌はいつもひんやりとしていて、良質の玉石のようだ。この逃亡の船の中で、その感触は意外にも私を安心させた。
「……あれは、あなたじゃない」
ようやく、私は沈黙を破った。
「能力は似ているけど……夢の中のあの人は、ピンクの巻き毛だった」
美容師として、髪型の記憶にはいつも敏感なのだ。
エラは軽く笑い声を上げ、温かな息が私の耳元をかすめた。
「私のカレンは、夢の中でもそんなに髪型が気になるの?今からピンクに染めようか?」
彼女の冗談に、私は頬が熱くなる。認めたくはないが、その想像はとても魅力的だ――ピンクの巻き毛のエラは、きっともっと危険な美しさになるに違いない。
「じゃあ、カレンの能力は予知なの?」
ヴィナが振り子のように体を揺らす。
「なんか、弱弱しい感じー!」
「能力に優劣はないわ」
エラは優しく私の髪を梳かしながら言った。
「カレンの能力は、まだ眠っているだけよ」
私はまぶたを伏せる。もし本当に予知なら、なぜ私は自分が婚約者を手にかけることを予見できなかったのか?あの雨の夜、彼が安全な距離を保って私の後を静かについて来た光景を思い出すと、今でも胸が刺されるような痛みを覚える。
「まだ、彼のことを考えているの?」
エラの声が突然近づき、かすかな嫉妬のようなものを帯びている。
「ただ、真実を知りたいだけ」
私はそっと答えた。
その時、エラは優雅に胸ポケットから写真一枚を取り出した。
「カミラ、あなたへの報酬よ」
舵を取るカミラは振り向きもせずに言った。
「死んだのか?」
「さあ、どうかしら」
エラは写真を操舵台の上に置いた。
その瞬間、はっきりと見えた。カミラの背中が一瞬、硬直するのを。ほんの一瞬だけれど、常に氷のように冷静なこの女が、確かに動揺した。
「一緒に来ない、ダーリン?」
エラが突然、私に向き直り、口元に危険な笑みを浮かべた。
「何を?」
「刑務所でヴィナの『面倒』を見てくれた“友達”たちを、ごてんそうしてあげるのよ」
ヴィナはすぐに興奮して跳び上がった。
「本当?ヴィナ、一番きれいな部分をもらっていい?」
ヴィナのキラキラと輝く目には、憎しみのかけらもない。そこにあるのは、子供のような期待だけだ。その純粋さが、逆に身の毛もよだつ。
「ついて来てくれないか?」
カミラが突然口を開いた。声は相変わらず冷たい。
「赤いボタンを押して死体を処理してほしい。船が岸に着く時に悪臭が充満するのはごめんだ」
私はしばらく沈黙し、軽くうなずいた。もしかすると、私は自分が思っている以上に、この狂った世界に適応できるのかもしれない。
(貨物船船底倉庫)
仮設の監房に改造された船室で、数人の女囚たちが恐怖で互いに寄り添っている。空気は汗と恐怖の臭いに満ちていた。
「ヴィナ、確認済み?この数人か?」
エラの声が密閉空間に響き渡る。
「確定確定!」
ヴィナの指が、恐怖に引きつった顔々を一つずつ指し示す。
「この子の目、きれい。あの子の髪の色、私にぴったりだよ……」
「何をする気だ?」
背の高い女囚が、平静を装って言い張る。
「船内での私闘は禁止だ!」
「そう?」
エラは軽く笑って眉を上げた。
「じゃあ、誰が私を止めるの?」
突然、一人の女囚が動いた。
彼女の腕が常識外れに伸び、拳は瞬時に数倍に膨れ上がり、風を切る音とともに直撃してくる。
私は本能的に後ずさる。だが、エラはただ無造作に手を上げ、指先がその巨大な拳に軽く触れただけだった。
ジージューッ!
歯の浮くような腐食音が響く。
その拳は目に見える速さで溶け、分解し、血肉は溶けた蝋のように滴り落ち、白骨を露わにする。そして、骨さえも泡立つ液体の塊へと変わる。
「ぎゃああああ――!」
女囚は鋭い悲鳴を上げ、まだ溶け続けている自身の腕を即座にへし折った。
温かい血液が私の頬に跳ねる。粘っこく、生臭い。
奇妙なことに、私はすぐにはそれを拭い去らなかった。心の暗い片隅で、このむき出しの力の誇示に、一絲の興奮さえ覚えていることに、自分で寒気がした。
「最高だよ最高!」
ヴィナは興奮して手を叩いた。
「エラの能力、見るたびにすごいよね!」
エラは優雅に、指先に存在さえしない血のしずくを振り払う。
「では、他に試してみたい者は?」
彼女の視線が残りの囚人たちをなぞる。それは、屠られるべき羊を審査するかのようだ。私ははっきりと悟った――彼女はこれを享受している、と。
また別の女囚が突然、その場から消えた。背後で空気が動くのを感じる――彼女は、まず私を標的に選んだ。
なんて愚かな決断だ。
「誰が、彼女に手を出していいと言った?」
エラの声は刺すように冷たい。彼女は瞬時に私の背後に現れ、五本の指が今まさに実体化した女囚の首を正確に掴んだ。
さらに激しい腐食音が響く。
ほんの数秒のうちに、その女囚は内側から溶け始め、最終的には湯気を立てるピンク色の液体の塊へと変わった。
これで、もう誰も動こうとはしなかった。
「さあ、ヴィナ」
エラの声は優しさを取り戻した。
「欲しいものをもらいなさい」
「もう!ヴィナは彼女の手も欲しかったのに!」
ヴィナは腹立たしげに足を踏み鳴らしたが、それでも最初の女囚に向き直った。
次の瞬間の光景は、私の胃を掻き回した。
ヴィナの動作は驚くほど速い。眼球を抉り出し、交換し、古い自分の眼球を飲み込む――一連の流れが淀みない。なのに、出血量は異常なほど少ない。
「きれい!」
彼女は新しく嵌められた異色の瞳を瞬かせると、すぐに次の標的に飛びついた。
「あなたの金髪ももらうよ!」
頭皮を剥ぎ取り、古い髪を飲み込み、新しい髪を装着する――その動作は、慄然とするほどに慣れている。
続いて指、皮膚、ふくらはぎ……彼女は熱狂的な芸術家のように、自身の「完璧」な作品を丹念に彫琢していく。
「終わり終わり!これでずっと完璧!」
ヴィナは興奮してくるくると回り、継ぎ接ぎだらけの新たな姿を披露した。
私は壁の赤いボタンを押した。処理機が低く唸りを上げ、それら欠損した躯体を吸い込み、粉砕し、海へと放り込んでいく。全過程を通じて、私の内心は異常なほど平静だった。
「実に果断ね、ダーリン」
エラは血のついた私の頬にキスを落とした。
「知っていたわ、私たちは同類だって」
彼女は私の手を取ってその場を離れた。掌の温度が異常にはっきりと感じられ、まるで烙印のようだった。
(操舵室に戻って)
カミラが舷窓前に硬直して立っていた。顔色は青白い。
「……様子がおかしい」
彼女は呟く。
「港の灯りが、なぜ赤い……?」
私たちは遠くを見つめた。港の輪郭が夜の闇の中に次第に浮かび上がる。だが、本来なら温かな橙黄色のはずの灯りが、今は不吉な血のような光暈に染まっている。無数の人影が赤い光の中で蠢き、重い海を隔てていても感知できる無形の压迫感。
カミラは望遠鏡を掴み、焦点を合わせる指が微かに震えている。しばらくして、彼女は息を呑んだ。
「所長が……自ら隊を率いて港を包囲している……!そんなはずがない!」
望遠鏡が彼女の手から滑り落ち、金属の床に軽やかな音を立てて跳ねた。
エラは冷静に望遠鏡を拾い上げた。彼女の視線は港のどこか一点に定まり、息遣いがほとんど感知できないほど一瞬止まった。
「……なるほど」
彼女は望遠鏡を下ろし、口元に複雑な笑みを浮かべた。
「『彼ら』か」
「どうやって私の航路を特定できたんだ?」
カミラの声は崩壊寸前の縁にあった。
「逆探知システムは完璧だったはずだ!」
エラはこちらに向き直り、血色の悪い月光が彼女の瞳の中で揺らめいた。
「彼らは初めからお前を追跡していたんだ、カミラ。これまでは、時期が熟していなかっただけさ」
彼女の視線は私たち一人一人をなぞり、声はほとんど海風に溶け込みそうなほど軽く。
「どうやら所長は、ついに最終手段を使ったようだ。そして我々は――」
彼女は一呼吸置き、息詰まるような沈黙を残した。
「――まさに、罠に飛び込んだわけね」




