2、蛾眉
病院って、消灯早いー!
八時って、小学生でも眠くないわ。
なので、お布団かぶってクリス様攻略(出来るのか謎だけど)に励む。
だって、足は吊ってるし、寝返りも出来ないし。
ただでさえ寝付きが悪いのに、無理です。
それになんだか今夜は、救急車のサイレンがやけに多い。
……あ、そうか、ここ救急病院だ。
そりゃそうだわ。
廊下のほうがほんのり明るくて、
足音こそしないのに、誰かが忙しなく動いてる気配だけは伝わってくる。
看護師さんって夜なのに、タイヘン。
あたしには無理だな。うん。
さて、クリス様、クリス様。
『デイムメイカー』ってゲーム。
所謂、乙女ゲー、恋愛シミュレーションってやつ。
今時、攻略対象を落とすって、Web小説の異世界ものにしかないんじゃないかな?
お母さんが若い時は、一世を風靡したらしいけど。
で、そんなお母さんが同人やってた時の(そんなことまでやってたんですね、母)、友達の知り合いの知り合いが携わってるらしくて、薦めてくれたの。
顔も知らないらしいけど。
まあ、グラフィックはキレイだし?
流行りの声優さんがCVで、それなりに楽しめるのだけど、何て言うのかな…攻略対象、薄っぺらくない?!
宗教も、戦争も、政治さえない世界。
そこで、王子様目指すとかどんな夢子ちゃんよ。
そんなわけで、各自を象徴する宝石入りのプレゼントはともかく、指輪は受け取る気になれなくて、いなしていた。
なんかね、他の人生?の方がワクワクするのよ。
例えば『料理』。
極めて、『愛情』があれば『お母さん』。
『社交』をプラスで『町の食堂』。
全てを鍛えて、『一流シェフ』!
恋愛シミュレーションの意味?さて?
で、そんな時、町のインフラにチョット口を出したら、クリス様が登場した。
ほえ…。
こんなに遅く登場するのに、声までついてましてよ?って、母に聞いてみたら「隠しキャラかもしれないわね。それに…」勢雄さんのお声じゃない?って。
出現させるまでもタイヘンで、悉く息子のセイレン様が顔を出す。
君じゃないんだよ。
あれ?
ヒロインが聖女様みたいになったとき、地図の中央に、街が現れた。
ぐりっ、と目の奥に痛みが走る。
ふわっと湧く、吐き気。
ほんの、一瞬。
看護師さんを呼ぶべき?とも思ったけど、なんだか一層、廊下は慌ただしいし、こんな時間まで起きてることを咎められそうなので、寝ることにした。
──病院の朝って早いー!のかな?
本来なら学校に行く時間…ま、今日は土曜日だけど。
完全に春休みボケですね。
朝ごはん食べたら、床擦れを防ぐ運動をして、お母さんが来てくれてリンゴ剥いてくれた。ん、定番。
そしたら、お医者先生が来て、ボルトが見つかったから月曜日に手術します、って。
全身麻酔……なのね。麻酔って、効くメカニズムが分かってないって言葉が頭を駆け巡る。
蘊蓄だけが変に詰まっている自分の脳みそが嫌になる。知らなきゃ、知らないままなのにね。
それで、明日は昼から絶食ですって。
お母さんは手術の準備に早々に帰っちゃった。さみしい……時はクリス様っ!
───やったぜ。実にやり直すこと十五回。やっと、クリス様エンドを迎えたぜ。
あら、窓の外が明るいじゃない。
そのまま、国民的ヒーローやら、ヒロインを見ながら、最後の食事(大袈裟)をした。
同室のおねえさんたちに、お昼ごはんが配られている。
食べない時は食べなくても平気なのに、食べられないって思ったら、食べたくなる。
白米の香りって、イイモノデスネー。
……はあ…
そんな時、スマホのアラームが鳴った。
あうっ!イベントに行くのに遅刻しないようにかけておいたんだ。
未練はあるけど、仕方ない。
カミサマ、憐れなワタシに、なにかご褒美ください。
なんのカミサマ?
……勢雄さんで、いっか。
夕方、サイレンの音。
そういや、一日中聞こえてはいた筈なのに、慣れって怖いわ。
てか、緊急搬送される人って多いのね。
夕ごはんも食べられないし、徹ゲーしたせいか起きていられない…誰かの書いたイベントルポ見たいのに…いるのかな?ルポ書いてくれる人…いや、公式くらいは書いてくれると信じている!
夜よりも、廊下を急ぐ音が聞こえる。
ナースシューズの音のない音。
時折、きゅって踏み返して。
ざわざわ…
とろとろ、とろ……。
───丁字帯って、要するにふんどしなのね。
処置室に移って、手術の準備。
ううっ!いろんな管。
点滴、ぐりぐり。ぺしっ、ぺしっ、って腕を叩かれていたのに、結局、親指の付け根に針が刺される。
叩かれた腕の立場は?
手術着の下が、ふんどし一丁なのを思い出すと笑いが出る。
1、2、……
…………うわぁ!不快、不快!
痛いのか、吐きたいのか、自分の身体か自分でないみたいに。
指先のオキシメーターが、食いちぎるみたいで。
パタパタと看護師さんが部屋に入ってきて、あー処置室なんだと少しずつ状況を把握する。
指が痛いとだけ告げて、寝ることを勧められた。
夢を見ていた。
やけにリアルで長い夢を。
幼馴染みのお兄ちゃん。
手の届かない、キレイな男の人。
穏やかな新婚生活。
お兄ちゃんの突然の死。
身籠ったあたし。
出産するあたし。
───死んだ、あたし。…………
眠りから覚めて、ようやく夢が『デイムメイカー』だと気付いた。
だって、クリス様若いんだもん。
セイレン様だって、幼かったし。
それに、お兄ちゃんって……、ラドスって誰なんだよ。
それに、その上。
出産の妙に生々しい痛みと、やけに現実的な感触。
なんだったんだ?
やっと、ごはんが食べられるようになって、激痛のカテーテルがはずされて、一人立ちが出来るようになった、車イスで。
トイレで用が足せるって、素晴らしい。
リハビリ室にも行けるもんね!
リハビリ室にしか行けないんだけど。
せめて、気合いを入れようとお気に入りの音楽を聴きながら、赴く。
って、談話室?
こんなところあるんだ。
時間までまだあるから、入ってみようかな?と、覗いていたらイヤホンが転げ落ちた!
入学のお祝いにお父さんが買ってくれた、ちょっといいやつ。
車イスの下に転げていて、初心者なあたしは運転に自信がないし、下手に動いてイヤホンを轢いてしまうのはもっと嫌だ。
そんな風に身動きが取れないでいたら、背後からがらがらと、なにかを引きずりながら近寄ってくる気配がした。
「どうか、なされましたか?」
「どわっ!……!」
耳元で囁かれた声が、背中を走り抜け腰に突き刺さる。
――何が起こったんだ?
あ、事情説明をしなきゃよね。
「失礼しました。車イスの下にイヤホンが落ちてませんか?拾っていただけるとありがたいです」
恐る恐る、声の主に顔を向ける。
かの人は腰を屈めてイヤホンを拾って、あたしの手に納めてくれた。
「探し物はこちらでよろしいですか?」
妙に芝居がかった物言いだけど、
だけど、この声ってまさか。
「…しぇおさん…?」
噛んだ。
「……おや。あぁ……こんな可愛いお嬢さんに、お見知りいただけるとは――光栄の極みでございます。」
お父さんより上なのか下なのかも図り知れない、謎の人。
いや、勢雄さんみたいだけど。
笑いを堪えるように、立っていて…いて…
なんで、点滴なんだ?