1──アシハラ
金曜は夜勤だった。
アル中の疑いで運ばれてきた患者さん――佐東さんは、ただ深く眠っているだけのように見える。
…………一先ず、経過観察。
明け。
明日も夜勤だなー。
土日の進級進学ラッシュで、お母さん看護師はこぞって有給を取っている。
致し方ない。
取りあえず、寝よう。
日曜日。
今日も夜勤だけど、最近はまってるゲーム『デイムメイカー』のショップイベント(昼の部)に、這うような心持ちで出掛ける。
隣町のショッピングモール。
…うっ!喧騒が眩しい…。
あ、ついでに靴下買わなきゃ…
──
ああ…石舘さん…素敵だわ。
それにしても、私はいつになったら、セイレン様を攻略できるのでしょう?
なんて思いを馳せていると、いつしかステージは神妙な雰囲気に変わっていた。
「そして本日、ついに解禁…」と、MCさんが片手を広げたその刹那、注目すべく指し示した手の先――。
テープで仕切られただけのステージのキャストが一人、膝をついて踞っている。
きゃあ!とざわめく客。
キャストの口を押さえた手から、ポタポタと床に滴り落ちる、血。
スタッフさんの一人が「先輩っ!」と、吐血の人物の体を抱き起こそうとしているのが目に入る。
「抱えちゃダメ!」と叫ぶと同時に、私の体は動き出していた。
「タオル下さい!私は看護師です!」
ゆっくりと彼の頭を抱え、横向きに寝かせて回復体位を保ち気道を確保。
血の色は鮮やかな赤。
意識は、混濁している。
集まっていた客は、スタッフが誘導して帰してくれている。
ん、助かった。
「タオルです!」
と、最初に彼を抱き抱えようとしたスタッフが数枚のタオルをもって現れた。
「救急車、呼びました!」
お、素早い対応。
よし。
タオルを受け取り、口回りの血を拭う。
背中に触れると、げぼっと、黒い血の塊が出る。
胃酸の臭い。
ヤバい!
ここに来る前に買った、靴下のビニール袋を指に被せ、上からタオルを巻く。
「失礼します!」
声を掛けて、タオルを巻いた指を口内に突っ込む。
「噛まないでね」
口の中の血溜まりを掻き出す。
脂汗、真っ青な顔色。
「救護室です!連絡を受けて来ましたが、お手伝いできますか?」
と、手にはAED。
「大丈夫、意識あり、呼吸あり、なのでAEDは不要です…ただ、このニトリル手袋は使わせていただきます。ありがとう」
指に巻いていたタオルを外し、手袋を装着し直した。
バイタルを確認しながら、救急車を待つ。
ここで私ができること、――今は経過観察だけだ。
救急車が到着。隊員に現状報告。
「吐血量は多く、主訴は“鮮血から暗色凝血”に移行。気道クリア維持してます。」
この方――勢雄さん――マネージャーさんがいないようで、付き添える人がいないとのことを後輩さん(先輩と呼んでたからね)から引き継ぐ。
後輩さんは、ゲーム会社の営業さんで、血塗れの現場の片付けで、手が離せない。
「看護師さん、お願いします!」と、隊員さんと後輩さんから頼まれてしまう。
後輩さんには、搬送先が落ち着いたら、こちらに連絡してくださいと名刺を預かった。
…で、私は本日の夜勤に救急車で出勤することになった。
救急病院に勤めてると、こんなこともあるのね。
…に、しても、だ。
血。
そこそこお気に入りの服だったのにー!
看護服に着替えて、時計を見ていると
「志山、大変だったねーって、スゴい血だよ。引き継ぎまで時間あるでしょ?洗っておいで」
主任様。ありがとうございます。
ん。救急車出勤のお陰で、まだ時間ある。
洗濯しよ。
「あら?風太…じゃない、志ノ山療法士。病棟で出会うとは、珍しいわね」
洗濯室に向かう道すがら、風太に会う。
「これは、志山さんではありませんか。今日から入院する患者さんが珍しい箇所を、折ったとかで、一緒に写真見て欲しいって先生に呼び出しくらってね。君がこの辺にいるのも珍しくない?」
と、言われたので、手に持っていた血塗れのブラウスを広げて見せた。
「うわっ…返り血?誰、ヤったの?」
おい!人聞きが悪いぞ?
「失礼だな、人命救助だよ。」
風太は、きょとんとしてる。
「出勤前に?」
「出勤前に」
軽く状況を説明すると「ったく君は…」と、極上の微笑みを浮かべた。
「では、正義の戦士、志山嬢のために、夜勤明けにはお召し物を持って、馳せ参じましょう」
と、執事みたいに深々と一礼する風太。
なんだよ、それ。
そっちがその気なら、
「苦しゅうない。そちの願いを叶えよう」
とか、ばか芝居に乗ってみた。
ついいつもの調子で風太が頬を寄せて来たので、答えようとしたら「…コホン!」と、わざとらしい咳がした。
はい、病院でした。
ナース・ステーションに行くと、引き継ぎまでにはまだ幾分ある。
「あ、志山。さっきの緊急搬送の方、落ち着いたわよ。患者さんも不幸中の幸いよね、志山が側にいて」
「いえいえ。ご連絡ありがとうございます」
後輩さんの名刺を取り出して、机の上の電話から外線。
「葦原医院です。はい、こちらに受け入れました。ええ、大事には至らないようです。はい、え、宜しいんですか?ええ、助かります。ご家族への連絡、お願いいたします」
電話を置くと、主任が、
「連絡ついた?あのさ、つかぬことを聞くけど、運ばれた人ってもしや勢雄 祥匡?」
と、聞いてきたが紹介前に倒れたので私は知らない。
「声優さんだと思いますけど…有名なんですか?」
「いや、わたしも声優業の方は知らないけど、時代劇に出てた人に似てるなぁと思って。そんなに頻繁にテレビに出るタイプではないけど、ちょこちょこ…名脇役?バイプレーヤー?って言うのかしら?そんな感じで見かけるから」
へえ…俳優さんなんだ、と思ったけど引き継ぎが始まったので、話はそこで終わった。
「金曜日に運ばれた佐東様は、小康状態を保っています」
金曜日に、過剰摂取で運ばれてきた担当患者の引き継ぎを受ける。
「お見舞いは?」と聞くと、引き継ぎの看護師は首を振った。
運ばれてきた時もそうだったけど、希薄な家族関係を感じて、流石にいらっとした。
怖いからいや、病院に置いといてって、実の子供に対して言うことか?
確かに薹は立ってるかもだけど……けど。まあ、あるにはある。
特段珍しくはない。
私から――言えることはない。
引き継ぎから二時間、ルーティンをこなしながら、事務所番をしていたら、夜間受付から電話が入る。
「はい。消化器科、志山です。…はい。ああ、勢雄様ですね。どうぞお通しください。」
なんと、夕方に緊急搬送された勢雄様のご家族が見えた、とのこと。
電車で二時間はかかる遠方から。
時間的に、車かな?
「あの…こちらに勢雄 祥匡が運ばれたと聞いたんですけど。あ、勢雄 祥匡の母です」
ナース・ステーションの窓口を覗き込んできたのは、うわっ!スゴい美人っ!
いや、落ち着いて。
「ええ。今は眠られてますが、お顔を見て行かれますか?」
「……はいっ!」
「お兄ちゃんは?大丈夫なの?」
もう一人いた。こちらもタイプの違う美人。
奥様かな?と思ったけど、お兄ちゃんって言ってたから妹さんか。
「ええ。吐血はありましたけど、軽度の胃潰瘍ですので、手術もないかと。後日改めて検査がありますので、検査次第ですけど」
と、極めて業務的に伝えると、緊迫していた二人の顔は緩んだ。
「「良かった~」」
更に後からやって来た男性と妹さんは抱き合って喜んでる。
仲のいいご家族なんだな、と思った。
──金曜日の、あの人と違って…
「こちらです」
と、病室を案内する。
ドアを開けても、照明はつけることは出来ないので、ホントに顔を見るだけだ。
「ホントに、なんでこの子は…黙って頑張るかね…」
「…莫迦だからじゃない?ねえ?」
「僕に同意を求めないで…」
ん。仲の良さそうな家族だ。
安心したところで申し訳ないが、諸々の書類に同意、記入を促した。




