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海風Re:fine〜街を語る少女と時をかける記憶〜  作者: 甘照すう
2章:街を語る少女と日常
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6話:星の希望

 席替え。

それは学生にとって、きわめて重要で、決して無視できない心が高鳴る一大イベントだ。

新学期が始まったばかりのこの時期、誰もがどこかで期待し、どこかで不安を抱く中、教室にはふいにその瞬間が訪れた。

 本日、終わりのホームルームの時間。

チャイムが鳴り終わると同時に、教室のドアが開かれ、担任の倉敷先生が颯爽と姿を現した。彼女はどこか浮き足立ったような笑みを浮かべながら、手にしていた箱を誇らしげに掲げる。

 箱は無駄に派手で、キラキラした紙やリボンが貼られ、なぜか小さなハート型の穴まで開いていた。そのまま彼女は教卓の上に箱をトン、と置くと、満面の笑みでこう宣言した。


「席替えをしたいと思いま〜す! このクラシキー式席替えBOXで、くじ引きしま〜すっ!!」


 あまりにもテンションが高すぎて、思わず面を食らってしまったが、次の瞬間には教室中が湧き上がった。やはり、誰もがこの瞬間を待ち望んでいたのだ。

 この一番前という最悪のポジションから解放されるのなら、それだけでも充分にありがたい話だ。

とはいえ、まだ入学してから二週間も経っていないこのタイミングでの席替えは、いささか早すぎる気がする。

 俺の記憶の限り、こんなに早く席替えをした経験はない。少なくとも、普通の学校生活ではあり得ないはずだ。

 ちらりと、隣に座る暦の方へ目を向ける。

俺の視線に気づいた彼女は、口元をわずかに上げて、どこか意味ありげな笑みを浮かべた。

 またこいつが、何かやらかしたのか。

最近の俺は、少しでも不自然な出来事があると、すぐに暦の仕業じゃないかと疑う癖がついてしまっている。もはや疑心暗鬼というより、確信に近い。

ともあれ、くじ引きは順調に進み、いよいよ俺の番が回ってきた。

 結果は教室の窓側、一番後ろ。

まさに、いわゆる“主人公ポジション”というやつだ。

これはラッキーだ。…いや、ラッキーすぎる。

しかも、俺の横には暦。前の席には晴人。そして暦の前は、沙羽。

 この鉄壁ともいえる配置、まるで何かの脚本でもあるかのような完璧さだ。

……はい、完全にやってますね、これ。

 思わず暦の方を再び見ると、彼女はこちらの視線に気づき、まるで「感謝してくださいね?」と言わんばかりのドヤ顔を向けてきた。


「いや、この席は熱いな!」


 晴人が能天気な声で言いながら、俺に笑いかけてくる。


「ほんとにね! これって奇跡じゃない?」


 沙羽も満面の笑みで頷きながら、まるでこの配置が運命の巡り合わせであるかのように言う。


「はい、わたしも嬉しいです。これで皆さんと、もっと仲良くできます」


 暦もまた、両手を軽く合わせながら、二人のテンションに合わせて微笑む。

その光景は、あまりに自然で、完璧で、そしてどこか作為的だった。

 なんとなくだが、この席順がこの先ずっと変わらないような、そんな気がしてならない。

もちろん、それはそれで悪くない。だが同時に、「席替え」という制度そのものが、すでに崩壊しかけているような気もする。


            *


 放課後。

晴人と沙羽は、それぞれ部活動の体験入部に向かっていった。そして、俺は暦と肩を並べながら、下校の道を歩いていた。

 目指すのは、神影市の中心街通称「生元いくもと」と呼ばれる地域。

高校からは徒歩でも行ける距離にあるが、わざわざ歩くほどのことでもない。

 急電の駅に向かいながら、俺はふと暦に話しかけた。


「今日は色々と、お前の力の片鱗を見た気がする」


「何のことでしょうか?」


 暦は視線を泳がせ、知らぬ存ぜぬとばかりにしらばっくれる。


「さすがに分かるぞ」


 そう返しつつ、俺は駅の改札を抜ける。

そのすぐ後ろで、暦も当然のようにICカードを取り出し、電子改札にタッチする。

今朝までは、持っていなかったはずだ。

それなのに、まるで以前から使っていたかのような自然な手つき。

 ちらりとカード面が見えた。そこに書かれていた乗車区間を見て、俺は思わず目を疑う。

「始発駅から終点駅まで」それは、神影線の全区間を完全にカバーする定期券だった。まるで不正の極みのようなアイテムだ。

『次からは定期券で電車に乗る』今朝、彼女は確かにそう言った。

だが、てっきり明日までに購入してくるという意味だとばかり思っていた。

まさかその言葉を、文字通り「次の電車から即使用」という意味だとは微塵にも思わなかった。


「これは、必要なものを、その場に瞬時に構成する——奇跡です」


 そう静かに告げたのは、電車のホームでのことだった。

俺たちはホームに上がり、夕暮れ時の柔らかな光に包まれながら、やってくる電車を待っていた。

 鉄の線路の向こうに沈みかけた陽が影を長く引き、ホームの床に二人分の輪郭を落としていた。

風が通り抜け、どこか懐かしい電車の匂いと、街の夕暮れの音が混じる。

その中で暦はぽつりと、そんなことを言った。


「便利なもんだな」


 俺は感嘆というより、少し呆れ気味にそう呟いた。

彼女が持つ、まるで魔法のようなその力。

都市そのものである彼女の本質、それは常識からは大きく逸脱した「異能」と呼ぶに相応しい力だと、改めて思う。

だが、暦は首を横に振りながら、小さく笑みを漏らした。


「……そうでもないですよ」


 彼女の言葉は、意外にも静かで淡々としていた。

俺の言葉を否定したその声音には、どこか影のような、儚さが滲んでいた。


「所詮わたしは、都市が意志を持った“都市星霊”にすぎません。できることなんて、そう多くないんです。それに——奇跡を(おこ)すにも、非常に多くの『星の希望』を消費してしまいます」


 夕焼けに染まったその横顔は、美しくそれでいてどこか遠い存在のようにも感じられた。

 都市星霊。

彼女は自分をそう表現した。

だがその語り口には、まるで彼女のさらに上位の存在がいるような気配さえ感じさせる。


「……星の希望?」


 俺はその耳慣れない言葉に思わず問い返した。

途端に、暦はハッとしたように目を見開き、気まずそうに視線を逸らした。


「す、すみません。変なこと言いましたね。えっと……どう説明したら良いのでしょう……?」


 少しだけ困ったように指先を頬に当てながら、言葉を探す彼女。

その仕草はどこか愛らしくもあり、彼女がただの“人間”のように見える瞬間だった。


「……有り体にいうと、わたしという存在を“構築する力”……とでも言えばいいでしょうか?」


 構築する力。

俺は、ゲームなんかでよく耳にする“魔力”みたいなものをイメージした。

その解釈は、たぶんそう外れていないだろう。


「わたしは、この神影市から“星の希望”を供給されています。その供給量は街に満ちる“活力”に比例するんです」


 つまり、街が元気であればあるほど、彼女も強くいられるということか。


「なるほどな。……それで、20年後には街が衰退して、供給が追いつかなくなり……。暦が、消滅してしまうことになったというわけか」


 俺が言葉を繋げると、暦は少しだけ目を伏せた。

その沈黙はわずか数秒だったが、言葉よりも多くを語っていた。


「……そう、ですね……」


 ぽつりと、重たい言葉が口をついて出た。

その瞬間、ふっと空気が沈む。

言葉にしなくても、分かってしまうことがある。

今、俺たちの間に落ちたその沈黙もまた、きっとそういうものだった。

 確か、暦は言っていた。俺の“魂の根幹”とやらに接続していると。

それはきっと、彼女が消えないための、何かしらの対策なのだろう。

もしかすると、俺以外にも同じような“接続”を許された存在がいるのかもしれない。

 そんな思考が浮かびかけた時、線路の向こうから、電車の接近を告げる風が吹き抜けた。

すぐに、車体がホームに滑り込み、静かにブレーキ音を響かせながら停車する。

 扉が開き、立ち止まった俺の前で、暦がくるりと振り向いた。

そして、いつものように柔らかい笑みを浮かべ、明るい声で言った。


「さっ! 行きましょう!」


 それはまるで、さっきまでの話を何でもないことに変えてしまうような、清々しい声だった。

俺は黙って頷くと、彼女の後ろに続き、電車の車内へと足を踏み入れた。

 目的地である生元駅に到着すると、電車のドアが音を立てて開いた。

俺は躊躇なくホームを歩き、足早に改札へ向かう。乗っていたのはたったの二駅。時間にしても一桁分。高校から中心街までの近さを、改めて実感する。

 生元駅は、神影市の中でもひときわ大きな駅で、出口は東と西の二方向に分かれている。

俺が今回出たのは西口。通い慣れたルートだ。

 改札を抜けると、正面には下降方向のエスカレーターが口を開いて待っていた。

人の波に混じりながら足を乗せると、少し遅れて降り始めた暦の気配が背中にあった。

 エスカレーターを降りて地上階へ出ると、すぐ目の前に、赤と黄色の派手な配色でお馴染みの、誰もが知っている世界的なハンバーガーチェーンが構えていた。

油とケチャップの混ざった香りが鼻をかすめる。

窓越しに覗けば、制服姿の学生たちがポテトをつまみながら笑い合い、カウンター前には小さな行列。

壁には季節限定の新作バーガーのポスター、レジの奥では忙しそうに手を動かすスタッフの姿。

 この風景は、今この瞬間の日常を語っていたが、20年後、この店はもう存在しない。その事実を思い出しながら、どこか寂しさのようなものが胸の奥に静かに滲んだ。

 その店の前を通り過ぎ、俺は高架沿いに続く道へと歩を進める。

ネオンの看板がちらほらと灯りはじめた街並み。ここから先は、いわゆる歓楽街の一角にあたる。

歓楽街と聞くと、人によっては少し身構えるかもしれない。

だが、神影市のこの生元エリアに限って言えば、俺はそれほど悪い印象を持っていない。

確かに風俗店も点在してはいるが、それよりも目立つのは、巨大なカラオケチェーンの建物や、アイドル育成ゲームで有名になった会社が手掛ける大型ゲームセンター、そしてアメリカ資本のコーヒーチェーンなど、家族連れや若者にも親しまれている店舗たちだ。

 歩道の端には、健康増進法の風が吹き荒れる前の名残として、青空仕様の喫煙所が残っている。

そこではスーツ姿のサラリーマンが煙を燻らせ、どう見ても未成年にしか見えない不良っぽい少年たちが、それに倣って煙を吐いていた。

将来的には消えてしまうのだろう、そんな光景のひとつ。

 そんな街の空気を感じながら歩く俺のすぐ後ろを、暦がまるでホーミングミサイルのようにぴったりと追従してくる。その気配を感じたのか、ふいに彼女が口を開いた。


「今更ですが、どこに向かっているのでしょう?」


「ああ、悪い……ネカフェに行こうと思ってるんだ」


 その言葉に暦の目がぱっと輝く。


「おおっ!何ですか、それは!?」


「インターネットというものがあってだな──」


 俺は歩きながら、やや誇らしげに暦へ語り始めた。

それは人類が生み出した巨大な知の網であり、情報の海であり、そして時に社会の歪みすらも映し出す鏡だ。そんな高度に発達した文明の片鱗を、今ここで彼女に見せてやれると思うと、少しだけ胸が躍る。

 暦は俺の話を食い入るように聞き、すぐにぱっと表情を明るくした。

まるで遠足前夜の子どもみたいに。


「すごく興味がありますっ!早く行きましょう!」


 声も弾んでいる。その目に宿る好奇心は、濁りのない水のように澄んでいた。


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