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海風Re:fine〜街を語る少女と時をかける記憶〜  作者: 甘照すう
6章:街を語る少女と運命
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37話:波乱の説明会

 公民館に着くと、すでに多くの人でごった返しており、活気に包まれていた。年季の入ったこの建物に、これほどの人々が一堂に会したことが、これまでにあっただろうか──そんな思いを胸に、俺はマザーの後に続いて会場へ足を踏み入れた。

 俺たちに割り当てられた席に腰を下ろす。パイプ椅子の冷たくて硬い感触が背に伝わり、思わず腕時計で時間を確認する。会場前方のスクリーンには、プロジェクターでアジェンダが映し出されており、開始時刻までにはまだしばらくあった。

 周囲には、この地域に住む人々がすでに席に着いており、補填金の話などを小声で交わしている。会場の後方には報道関係者の姿もあり、その中には灘さんの姿も見えた。

 未来で公務員を経験していなければ、このような再開発の説明会に参加するなど、かつての俺には考えられなかっただろう。だが、暦という存在との出会いが、俺に大きな変化をもたらしたのは事実だ。そう考えれば、俺自身の未来も、確実に変わりつつあるのかもしれない。

 とはいえ、それだけで何かが解決するわけではない。しかし、その小さな変化が、やがて大きな転換へとつながっていく兆しになる──そんな予感があった。

 俺は膝の上で両拳をギュッと握り締めた。

 ほどなくして、数名の役人たちが入場してくると、それまであちこちで交わされていた私語がピタリと止んだ。その中のひときわ年配の男性が前へ進み、マイクを手に取った。


「皆様、本日は暑い中、説明会にご出席いただき誠にありがとうございます。本日の進行を務めさせていただきます、神影市役所都市計画課の長田と申します」


 長田の挨拶に続いて、他の役人たちも一斉に頭を下げた。すると、会場の一部から形式的な拍手がまばらに起こる。


「それでは早速ですが、プロジェクターに表示されているアジェンダに沿って、進行させていただきます。まずはご静聴いただければ幸いです」


 スクリーンには、再開発エリアとその周辺の詳細な地図が映し出された。色分けされた区域が、これから町がどのように変わっていくのかを、何も語らずに雄弁に物語っている。

 長田は一度咳払いをしてから話し始めた。


「今回の再開発の主目的は、今後10年間における神影市の人口増加を見据えた、居住エリアの確保です」


 その瞬間、会場にはざわめきが広がった。「人口増加」──耳慣れたはずの言葉に、妙な現実感のなさが漂っていた。

 実際には、神影市の人口は震災を境に減少の一途をたどっている。この現状を前にして「増加」と語ることは、現実を無視していると受け取られても仕方ない。


「加えて、当該エリアはご承知の通り、道が入り組んでおり、道幅も狭いため、車両や緊急車両の通行、物流の効率などに大きな課題を抱えています。これらを改善し、住民の皆様の利便性を向上させることが第一の目標です」


 丁寧に整えられた、どこか当たり障りのない言葉。表向きの正論──だが、俺には別の意図があるように思えてならなかった。星が注目した“何か”が、ここにはある。

 俺の隣ではマザーが目を閉じたまま微動だにせず、ロナは前の椅子に顎を乗せ、退屈そうに聞いていた。


「再開発対象となる住宅については、順次立ち退きをお願いすることになります。補償内容は、住戸の規模や築年数に応じて、個別に相談の上で対応いたします」


その言葉をきっかけに、場の空気が一変する。

 椅子を引く音がして、一人の中年男性が声を上げた。


「相談って、要するに“言い値”ってことじゃないのか?」


 すぐに、別の女性が続ける。


「うちは築50年だよ。そんな家で、新しいところに引っ越せるって、本気で思ってるの?」


 長田は苦笑を浮かべ、両手を広げた。


「皆様のご不安はごもっともです。本日は、個別相談の窓口についてもご案内いたします。まずは全体の説明をお聞きいただき……」


 再び空気がざわめいた。誰も説明を遮って立ち上がる者はいなかったが、会場全体が何かを言いたげな、重苦しい沈黙に包まれていた。

 行政の言い分は理解できる。言い値で補償していたら、街全体の財政が傾きかねない。可能な限り、予算を抑えたいというのが本音だろう。

 俺は前を見つめながら、内にわき上がる感情を少しずつ自覚していく。説明は筋が通っていた。都市計画の理屈も理解できる。だが、それが実際に、ここで暮らしてきた人々の生活を押し流していく現実も、否定できるものではなかった。


「……それでは、現在計画されているエリア区画の変更点について、順を追ってご説明いたします」


 プロジェクターの映像が切り替わり、地図上に鮮やかな赤い線が引かれる。家々が密集していた場所が無機質なブロックに変わり、規則正しい道路が走っていた。

 息をのむ。見慣れた地形だった。20年後、俺が住んでいたエリアと完全に一致している。分かっていたことではあるが、こうして目にすると、胸の奥を何かが貫くような感覚に襲われた。

 そして、そこには、洋館があった場所も含まれていた。今やその痕跡すらなく、まるで最初から存在していなかったかのように描き換えられている。

 暦の存在を担保するはずの洋館が、未来には跡形もなく消えている。その事実に、俺は唇を強く噛んだ。

 長田は画面を指し示しながら、淡々と説明を続ける。


「本再開発計画では、まず第1段階として区画整理事業を実施いたします。現在入り組んでいる生活道路を整理し、6メートル幅の道路を基準として再整備いたします。これにより、緊急車両や公共交通機関のスムーズな通行が可能となります。さらに、老朽化の進んだ上下水道、ガス、通信インフラの全面的な更新も、この機会に行う予定です」


 また一つ、ため息のようなざわめきが広がった。インフラの「更新」という言葉の裏には、断水や通行止め、仮住まいの必要といった現実が想起されたのだろう。


「続いて、住宅についてですが……再開発区域に該当する住民の皆様には、仮住まいへのご移転をお願いすることになります。仮住まいにかかる費用や移転手数料については、神影市と連携する都市整備機構から一定の補助を予定しております。ただし、住民登録の有無や入居状況により条件が異なる場合がございますので、あらかじめご了承ください」


「一定の補助」という曖昧な表現に、会場のあちこちで眉をひそめる人が現れた。補助金額に具体性がないことは、実質的に「頼れない」と言っているに等しい。そんな空気が広がっていた。


 長田はそれを意に介さないように、冷静な口調を崩さず話を続けた。


「新たに整備されるエリアには、集合住宅、商業施設、公園などの生活インフラをバランスよく配置する予定です。防災拠点となる広場や、洪水対策を想定した地下貯水施設も併設し、都市機能の強靱化を図ります。また、空き地対策の一環として、官民連携によるシェアスペースや地域交流センターの設置も検討しています」


 未来像は理想的に映った。だが、それはどこか現実味に欠け、古い町の風情や路地裏の息遣いとは相容れないものに思えた。


「そして最後に、今回の再開発では、町の歴史や文化財の保存についても文化振興課と連携し、慎重に検討を進めております。対象区域内に存在する建築物や史跡は、現地保存・移築保存・記録保存の三段階で評価し、適切な形で後世に残す努力を行ってまいります」


 言葉だけを聞けば誠実に響く。だが、それが実行される保証は、どこにもなかった。

 そして、俺の中に引っかかるものがあった──洋館のことだ。

 評価は三段階あると言ったが、洋館の未来は既に消滅と確定している。開発計画の中にその存在は記されておらず、星が洋館の消失を望んでいることも分かっている。つまり、それは覆りようのない既成事実なのだ。


「……繰り返しになりますが、この後、別室にて個別相談窓口をご用意しております。補償額や移転先についての具体的なご相談は、そちらで順番にご案内いたします。それでは、続きまして……」


 長田の声が、次第に雑音のようにしか聞こえなくなっていった。

 俺は視線を少し落とし、思考を巡らせる。思った以上に、住民の反応は芳しくない。過去にも再開発計画に対する反対運動があったことを思い出す。そして今回、再び浮上したこの話に、住民たちは困惑しているのだろう。

 長田が一礼し、前方のスクリーンが暗転。会場の照明がわずかに明るくなる。その合図を受けて、スタッフの一人が無線で連絡を取り始めた。質疑応答の時間が始まる。


「それでは、ここからは皆様からのご質問を承ります。挙手いただけましたら、係の者がマイクをお持ちいたします」


 長田の案内に、最初は誰も手を挙げなかった。空気は重く、静まり返っている。しかし、それもほんの数秒の沈黙だった。


「はい! すみません!」


 張りのある声が、会場全体に響き渡った。立ち上がったのは初老の女性。顔には深いしわが刻まれていたが、その眼差しには確かな意志が宿っていた。


「私、佐々木と申します。……この再開発、以前にも一度話がありましたよね。そのときも“区画整理”や“住民の利便性”という話がありました。でも、結局うやむやになって終わったじゃありませんか。今回の話は本当に進むんですか? また同じように立ち消えになるんじゃないでしょうね?」


 会場のあちこちから「そうだ」「前にもあったぞ」といった声が漏れ聞こえてくる。住民たちの間に根深い不信があるのは、明らかだった。

 長田は眉をひそめ、言葉を慎重に選ぶような間を置いた後、丁寧に頷いて応えた。


「ご心配はもっともです。過去の経緯については、私たちも重く受け止めております。確かに以前、震災の影響により財源の確保や計画の整合性に課題が生じ、事業の実施に至りませんでした。しかし今回は、国の復興支援枠および民間投資の参画を得て、すでに予算案と事業計画が内閣府にて承認されています。計画は、今年度中に第一期の用地買収に着手する段階に入っております」


 「本当に進むのか……」というような囁きが再び会場を包む。誰もがまだ、心の底からは信じきれていない。

 そのとき、別の男性がゆっくりと手を挙げた。五十代半ばとおぼしきその男は、着古した作業着のまま立ち上がった。


「吉岡です。……移転先について詳しく教えてください。うちは親父の代からずっと長屋暮らしで、年寄りも多い。今さら見ず知らずの人ばかりのマンションに放り込まれて、地域のつながりが全部バラバラになったら……それこそ、老後は孤独死コースですよ」


 会場が一瞬、静まり返った。誰もが感じていながら、口にできなかった現実がそこにあった。

 長田は一呼吸置いてから、背筋を少し伸ばし、答えた。


「今回の仮住まいや将来的な住み替え先については、高齢者向けのケア設備を備えた複合住宅群を整備する計画です。既存のコミュニティをできる限り維持できるよう、区域ごとの集団入居を可能にする調整も進めております。また、希望される方には近隣自治体との連携による住まいの斡旋も検討しております。……ただ、すべてのご希望に完全に応えられるかどうかは、正直なところ、現時点ではお約束できません」


 「やっぱり、そうなるか……」


 誰かがぽつりと呟いた。

 俺はその光景を見つめながら、胸の奥からこみ上げてくる、何とも言えない感情を抑えきれなかった。これは、ただの説明会なんかじゃない。街の未来を──。いや、“暦”の運命を決める場でもあるのだ。


「次の方、いらっしゃいますか?」


 マイクを手にした係員が、会場をゆっくりと見渡した。

 そのとき、不意に隣で目を閉じていたマザーが、ゆっくりとまぶたを開いた。そして、静かに立ち上がる。


「質問があります」


 その一言に、会場がざわめいた。修道服に身を包んだシスターという異質な存在に、周囲の視線が一斉に注がれる。

 マザーは無表情のまま、まっすぐに長田を見据えた。


「再開発予定地の中に、坂の上の古びた洋館があります。あの建物の存在について、行政は把握されているのでしょうか?」


 彼女の問いに、長田は手元の資料をめくりながら、少し間を置いて答える。


「はい、存じております」


 その答えに、俺は内心で呟いた。

──それは「知っている」とは言えないんじゃないか?


「この開発計画には、文化財の保存についても言及されています。しかし、その選定において“記録保存”という言葉が使われています。それは、実質的には破壊を意味しているのではありませんか? 計画を見る限り、あの洋館の存在は反映されていないようですが、それについてどうお考えですか?」


 長田の眉がわずかに動いた。どうやら、その点を突かれることは想定外だったらしい。


「……その件につきましては、現在のところ文化振興課より正式な指定は受けておりません。また、建物の耐震性や安全性に重大な課題があるため、現段階では……記録保存の対象として、写真および図面の作成を進める方向で調整中です」


「それは、破壊ですね」


 マザーの声は穏やかだったが、異様なまでに通る響きだった。


「記録は、保存ではありません」


 長田は言葉を失い、会場には沈黙が落ちた。


「私は教会で奉仕をしながら、この地域を見守ってきました。あの洋館は、戦後の混乱期に戦争孤児を受け入れ、里親の元へ送り出す活動をしていた場所です。つまり、あの建物はこの街の歴史を見守ってきた存在でもあるのです。それを、簡単に取り壊すというのは……いかがなものでしょうか」


 会場はしんと静まり返っていた。

 マザーの言葉は、重く、鋭く、誰の胸にも深く突き刺さる。「記録は保存ではない」その一言が、全員の心に確かに響いていた。

 マザーは言葉を続けた。


「確かに、老朽化は進んでいます。耐震性も現行の基準から見れば不十分でしょう。けれど、それならば修復や補強という選択肢を探ることこそ、本当に文化を“保存する”姿勢なのではないでしょうか?」


 その声には、静かな熱がこもっていた。感情に任せた激情ではなく、長年にわたり地域を見守ってきた者だけが抱く、確かな怒りだった。


「戦後、物も人も不足していた時代に、あの館は子どもたちに“家”というものの意味を教えた場所です。そこには、誰かが生きた証があります。過去を切り捨ててしまって、本当に未来を育むことができるのでしょうか。……私は、そうは思いません」


 長田は明らかに言葉を詰まらせていた。彼自身に責任があるわけではないことは、誰の目にも明らかだった。それでも、マザーの言葉は行政という巨大な組織の“本音”を、確実に突いていた。


「……貴重なご意見、ありがとうございます」


 ようやく絞り出すように、長田が応じた。


「おっしゃる通り、地域の歴史や記憶は、数字や計画だけでは測れない、大切な価値を持つものです。洋館の件につきましても、文化振興課と改めて協議を行い、住民の皆様のお声を可能な限り反映できるよう、最大限努力いたします」


 どこか歯切れの悪いその返答に、会場の空気はどんよりと澱んだままだった。それでも、マザーはゆっくりと頷き、何も言わずに席へと腰を下ろした。

 俺は隣に座る彼女に、軽く頭を下げた。

 けれど──わかっている。

 記録保存という決定が覆らない限り、あの洋館は壊される。たとえ今、わずかでも民意が揺れたとして、それだけですべてを変えられるほど、現実は甘くない。


「つ、次の方……いらっしゃいますか?」


 長田がハンカチで額の汗をぬぐいながら、ぎこちなく質問を促した。

 彼の戸惑いや疲労も、わからなくはない。だが──今の俺には関係のないことだ。


「よろしいですか?」


 俺は手を挙げ、ゆっくりと立ち上がった。


「僕はこの地域の住民ではありません。ただ、高校の活動の一環としてこの再開発について知り、今日は教会の計らいもあり、この場に参加しています」


 その一言で、長田の顔が僅かに曇った。

 おそらく、彼にとって俺は“当事者ではない”人間に過ぎない。説明会に乗じて社会見学気分で口を出してきた若者。そんな風に見ているのだろう。

 だが、気にしなかった。俺は続ける。


「先ほども話に出ましたが、かつて延期、あるいは中止とされたこの再開発が、急にこうして再浮上し、しかも“今年中に工事を開始する”というスケジュールで進んでいる。学生の僕から見ても、非常に唐突で、違和感を覚える進行です。いったい、何があったのでしょうか?」


 長田は、一瞬、呼吸を止めたかのように沈黙した。

 会場の視線が、一斉に彼へと集まる。その沈黙が、返される答えの重さをあらかじめ告げているようだった。


「……それは、行政内部での判断と申しますか……各種協議の進展が、ここにきて整ったというのが、正確な理由です」


 曖昧な言い回し。まるで霧の中に向かって話しているかのように、核心を避けているのがわかった。

 俺は構わず、一歩踏み込む。


「“整った”というのは、具体的にどういう協議のことですか? たとえば、民間企業の参画について──どの企業が関わっているのか、またどのような契約形態で再開発が進められているのか。そうした透明性のある情報が、住民の方々に十分に提供されているとは思えません」


 会場の一部から、小さなどよめきが起きた。

 俺の問いは、ただの疑問に過ぎない。だがその疑問こそ、多くの人が心のどこかで感じながらも、声にできなかったものだったのだろう。

 長田は、眉間に皺を寄せ、言葉を探していた。

 すると、後ろに控えていた若い職員がそっと耳打ちをする。しばしの沈黙の後、長田は苦笑を浮かべて、ようやく口を開いた。


「……現時点で契約の詳細については、一部調整中であり、公表できる範囲が限られております。ただし、再開発には地元企業との連携も含まれており、地域経済の再建と活性化を目的としています。それが、私たちの認識するところの意義でもあります」


 言い回しは丁寧だが、その言葉の中身は空っぽだった。

 要するに──ごまかしているだけだ。


「その“地元企業”とは、どちらでしょうか?」


 俺は間髪を入れずに問いを重ねた。背中に汗が滲むのを感じながら、それでも視線は逸らさなかった。

 この場こそが、俺に与えられた“暦”を取り戻す、最後の切り札だと感じていた。

 長田の視線が一瞬だけ泳いだ。意表を突かれたのか、周囲の職員たちにもざわめきが広がる。


「……具体的な企業名については、まだ正式な契約に至っていない段階のため、お答えは差し控えさせていただきます」


 明確な拒絶。それは逆に、“触れられたくない名前”があることを匂わせるようでもあった。

 一部の住民たちが役人に向ける視線が変わったのを、俺ははっきりと感じた。

 周囲を見回しながら、俺は続けた。


「地元経済の再建自体には反対しません。僕はあくまで、先ほど教会の者が話したように、洋館の保存を求めている立場です。あの場所は所有者不明と聞いています。だからこそ、前向きな保存の方向性を、ぜひご検討いただきたいのです」

 長田は小さく息をつき、言葉を返す。


「……ご意見として受け止めさせていただきます。本日は行政としての立場から、それ以上のことは申し上げかねます」


 俺としては、これは一種の“脅し”のつもりだった。

 行政がどこまで知っていて、どこまで意図的なのかは分からない。だが、この場にいる誰かの中に、“疑念”という種を植えつけることができるなら、それで十分だった。

 しかし、俺の思惑とは別に──意外な人物が声を上げた。


「すみません。報道関係者からも、質問よろしいでしょうか?」


 声の主は、まさかの灘さんだった。

 この説明会では終始傍観を決め込むと思っていた彼が、突然前に出たことに、俺は少なからず驚いた。


「報道関係者につきましては、別途機会を設けてご対応させていただく予定ですので、今回の説明会では──」


 長田が制止しようとしたが、その言葉に被せるように灘さんは朗らかに言った。


「まあまあ、地元紙ですし。他にご質問がないようなら、今回だけ特別に。今後の展望について少しだけ伺いたいだけですので」


 彼は人懐っこい笑みを浮かべながら、会場を見渡す。

 たしかに、今のところ、他に手を挙げる住民はいなかった。


「……わかりました。質問を許可します」


 長田は溜息まじりに了承する。


「ありがとうございます」


 灘さんは丁寧に礼を述べ、しばし沈黙したあと、慎重に言葉を選ぶようにして問いを発した。


「この再開発事業、表向きには都市整備機構と神影市の共同プロジェクトという形になっていますが、一部の関係者から、実質的に事業を主導している民間企業の存在があると伺っています。具体的な企業名はあえてこの場では控えますが、市としてはどうご認識ですか?」


 ざわめきが会場に広がる。

 報道陣からもシャッター音が鳴り響き、空気が一気に緊迫する。

 長田は明らかに動揺し、手元の資料をめくる指が止まり、わずかに浮かべていた作り笑いが引きつった。

 俺も思わず息を呑んだ。まさか、ここまで突っ込んだ質問をするとは。


「そのような事実は、現在のところ、確認されておりません」


 長田は淡々と返すが、その声には明らかに硬さがあった。


「今回の再開発について、過去の関連記録もいくつか拝見させていただきました。先ほど、そちらの若者が“地元企業”についてお尋ねになった際、企業名を明かされませんでしたが……その企業、入札は行われたのですか? まさかとは思いますが、談合のようなことは──ありませんよね?」


「えっと……それについては、この場でお答えすべき内容ではないかと存じます。本日は、あくまで再開発の概要と取り組みについての説明を目的としておりますので……」


 長田の声は徐々に歯切れを失っていく。


「なるほど。それでは、一言だけ。この再開発計画が再び動き出したのは、つい最近のことですよね?」


「計画自体は、何年も前から存在していました」


 目線を逸らしながら答える長田に、灘さんはさらに追い打ちをかける。


「それは質問の答えになっていませんが──まぁ結構です。実は、件の民間企業、最近経営が不安定になり、資金繰りに苦しんでいるという話を聞きました。そしてちょうどその時期から、この再開発の話が急浮上してきた」


「……偶然だと思いますが?」


 長田は食い気味にそう返した。だが、灘さんは一歩も引かない。


「我々の方でもいろいろ調べさせてもらいました。その企業……どうやら、神影市の市議会議員の親族が経営に関わっているようですね?」


 その言葉に、これまで沈黙していた住民たちの間から、どよめきが広がった。

 もし、それが事実だとすれば、瀕死の身内企業を救うために、地域住民の生活を犠牲にしようとしていることになる。

 補償の内容すら不透明な中、自分たちが“食い物”にされているとしたら、それはもはや単なる不満ではない。明確な汚職だ。

 俺は二重の意味で驚きを隠せなかった。

 たしかに、何かがあるとは感じていた。だが、ここまで裏に事情が絡んでいたとは。そして何より俺が灘さんを焚き付けてから、まださほど日が経っていないのに、これだけの情報を掴んでいる彼の手腕に、思わず舌を巻いた。

 以降、会場はもはや説明会どころではなくなった。

 怒りをあらわにする住民たちと、それをなだめようとするも要領を得ない行政側の応酬。

 否定はするが、明確な説明を避け続ける役人たち。場は泥濘と化す。ついには、昼ドラも真っ青な修羅場と化した説明会は、半ば強制的に打ち切られることとなった。



 翌日。

登校した俺に、真っ先に沙羽が駆け寄ってきた。


「天戸くん!大変、大変なんだよぉ!!」


 彼女はそう叫ぶと、勢いよく新聞を突きつけてきた。それは今朝の神影新聞。大きく折り畳まれた紙面の上部には、見出しがデカデカと踊っている。

俺はそれを一瞥して、短く応じた。


「……俺も見た。驚いたよ」


 俺のあっさりした反応に、沙羽は一瞬きょとんとし、すぐに唇をとがらせた。


「むむっ!天戸くん、リアクション薄すぎない!?」


「朝イチで見て、驚きまくった後なんだ」


 そう返しながら、俺は改めて沙羽の持つ新聞に目をやった。トップ記事には、太く大げさな文字が躍っていた。


『神影市議会議員、汚職発覚!』

『住民を蔑ろにする再開発、その裏側とは?』


 内容はこうだった。

市議会議員の親族が経営する不動産・建設会社が、過去の工事で多くの不備を抱えていた。その補償に追われるうち、会社は資金繰りに行き詰まり、従業員の離脱や契約の失注が相次ぎ、経営が傾いた。

 その立て直しのため、議員の「鶴の一声」で長らく棚上げされていた再開発計画が再始動した。

 洋館周辺が選ばれた理由については「中心街から外れていて話題になりにくい」という建前が記されていたが、恐らくそれも、星が洋館を潰すために目的に上手く人間を使うための理由付けの一貫だろう。

 今ごろ市役所には抗議の電話が鳴り響き、マスコミが押し寄せ、修羅場と化しているはずだ。そして、この件に関わった公務員も少なくはないだろう。

 このまま事態が進めば、第三者委員会の介入も避けられない。そのとき、何人の役人が職を追われることになるのか――。

 これが、灘さんの言っていたことかと、俺は目を閉じ、昨日の出来事を思い出した。



 説明会が強引に幕を閉じた後、俺は会場の隅で撤収作業をしている灘さんのもとへ足を運んだ。

 俺の存在に気づいた彼は、手を止めて微笑んだ。


「天戸君、今日はお疲れ様」


「こ、こちらこそ、お疲れ様です……」


 少しぎこちなく返事をし、すぐに切り出す。


「さ、さっきのあれは……」


「本当はね、今日、何も言うつもりはなかったんだ。でも君を見ていたら、少し援護してあげたくなった」


 そう言いながら、彼は「会社に怒られるかなぁ」と苦笑し、頭をかいた。だが、瞳はどこか誇らしげに細められていた。


「詳しくはまだ社外秘だから言えないけど、君が声を上げてくれたおかげで、この件にリソースを割くことができたのは事実だ。だから君にも、少し知る権利があるかなって、そう思ったんだよ」


 それだけ言うと、彼は荷物を肩に担ぎ、去ろうとした。そして、最後に振り返りざまにこう言い残す。


「まっ、明日の朝刊を楽しみにしておいてくれ」


 俺はただ、彼の背中を見送った。



 神影新聞の報道は瞬く間に市を飛び越え、全国ニュースへと拡大した。

 一日中この汚職事件がテレビで取り上げられ、やがて全国紙も取り上げる事態に発展した。他県でも類似のケースがあるのではと、討論番組が組まれるまでになった。

 報道で知ったが、件の市議の“親族”とは弟のことだったらしい。彼はスナックなどで酔っ払い、無防備に情報を漏らしていたという。まさに、救いようのない愚か者だった。

 それを知ったとき、さすがの俺も驚いた。この世に本当にそんなバカがいるのかと。だが、この事件の発覚を機に、俺たち東奏高校の洋館保存運動も注目を集めるようになった。取材の申し込みが次々と入り、俺たちは何度も洋館の歴史を語る機会を得た。

 そこからは早かった。報道の影響もあり、運動の賛同者が次々と集まり、洋館保存は再開発そのものへの反対運動へと姿を変えていった。

 署名活動は学校内外を問わず、まるで核分裂反応のように広がりを見せ、連日、駅前や街中での署名活動が展開された。


そしてついに――。


「喜べ、天戸!」


 放課後の生徒会室。ミルクティーの紙パックを手にした会長が、誇らしげに言った。


「俺たちは、ついにやり遂げたのさ」


 その声には、飄々とした表情の奥に、確かな喜びがにじんでいた。


「ううっ……よかったよ……」


 沙羽は涙ぐみ、俺の隣で目元をぬぐっている。


「なんか流れができてからは、あっという間だったな」


 晴人も、照れくさそうに鼻をこすりながら言った。


「まさか、本当にこうなるなんてね」


 副会長の魚崎も、感慨深げにぽつりとつぶやいた。 俺は皆を見渡して、静かに言葉を紡いだ。


「本当にありがとうございます。みんながいてくれたから、ここまで来られたんです」


 そう、俺たちはやり遂げたのだ。

 行政は異例の速さで、洋館を含む一帯の再開発計画の見直しを発表した。特に話題となった洋館については保存の方向で再検討され、今後は公平な入札を経て、民意を反映した形で計画を進めるとのことだった。

 つまり、再開発そのものは完全には消えないが、洋館が取り壊される可能性は、消えた。

 喜びに満ちた仲間たちを見つめながら、俺はひとり、深い思いにふける。

 俺たちは――いや、「俺たち全員」は、星に勝ったのだ。

 どうすればいいかも分からず、手探りで始めたこの戦い。それが、今、確かな成果を得た。

 これは決して俺ひとりの力じゃない。晴人、沙羽、会長、副会長、ロナにマザー。東奏高校の仲間たち、 そして、街中の人々の声が重なり合い、ついに辿り着いた結末だ。

 皆は気づいていないが、この街の人々が、暦を救ったのだ。

 目尻が熱くなるのを感じた。人間は決して強くはない。小さく、脆い存在だ。けれど、そんな人間が、星という圧倒的な存在に打ち勝ったのだ。

 俺はロナの言葉を思い出す。

 運命を変える奇跡。

人の想いこそが、宇宙で最も強い奇跡だと――。

 星の奇跡より、もっと強い。

 人の奇跡だと――俺は、確かに感じた。


こうして、長くも短かった「暦を取り戻す戦い」は、幕を下ろした。

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