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海風Re:fine〜街を語る少女と時をかける記憶〜  作者: 甘照すう
6章:街を語る少女と運命
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35話:署名活動

 灘さんと別れた俺は、そのまま足早に中心街へと向かった。目指すのは、生元の駅。中心街にあるとはいえ、俺が今いた場所からは電車で一駅の距離にすぎない。道中は人通りも多く、週末の午後らしい賑わいを見せていたが、それに気を取られる余裕はあまりなかった。胸の内には、灘さんとの会話が尾を引いていて、どうにも気持ちが落ち着かない。だが、今は切り替えるべき時だ。俺は意識して背筋を伸ばし、呼吸を整えながら駅へと向かった。

 改札を出た俺の視界にまず飛び込んできたのは、驚く光景だった。そこには、『元孤児院洋館保存の会』と大きく記された横断幕が掲げられており、その背後には手書きの画用紙に記された資料や写真が丁寧に並べられていた。どこか手作り感のある温かい展示だったが、それが逆に人々の足を止めさせる力になっていたようだった。

 まるで小さな文化祭のような雰囲気が漂い、通りがかった人々が資料を手に取りながら、興味深そうに話している姿もちらほら見える。遠目からでもその様子がわかるほど、会の活動はしっかりと存在感を放っていた。

 その光景の中心には、見慣れた顔ぶれがいた。会長、沙羽、そして何人かのメンバーたちが、それぞれに役割をこなしながら、真剣な眼差しで人々と接している。


「遅くなってすみません」


 俺は会長のそばに歩み寄ると、軽く頭を下げながら声をかけた。遅れたことを申し訳なく思いながらも、どこか安心する気持ちもあった。顔を上げると、会長が鼻を鳴らしながら、こちらに目を向けてきた。


「気にするな。それよりも見ろ」


 そう言って彼は、自分の手に持っていた署名用紙を俺の目の前に突き出してきた。白い用紙には、細かく名前と住所がびっしりと並んでおり、その数に思わず目を見張る。


「これは……思ったより集まってますね」


 俺は率直な驚きを隠せず、素直に感嘆の声を上げた。まさかここまでの数が集まっているとは思わなかった。紙面に書き込まれた人々の名前を見つめながら、その一つ一つが確かな支援の証であることを実感する。


「まぁ、ほとんどは特に意味もなく、勧められるがまま署名しているだけだろうがね」


 会長は用紙をヒラヒラと揺らしながら、片目を閉じてそう呟いた。その口調には皮肉っぽさも混じっていたが、それでもその目の奥には、どこか満足げな光が宿っていた。


「それでも、こうして目に見える形で成果が上がっているのは、今後のモチベーションにもなりますよ」


 俺がそう口にすると、会長の隣で資料を配っていた晴人が、同意するように声を上げた。


「だよなっ!俺、始まる前はどうなることかって緊張してたけどさ、思いの外、署名が集まっててよかったぜ!」


 晴人は明るい笑顔を浮かべ、白い歯を覗かせながら言った。その顔には、心からの達成感がにじんでいて、きっと彼なりに不安も抱えていたのだろうと思うと、感謝の気持ちが胸に広がった。


「晴人、ありがとうな」


 俺はまっすぐに礼を伝えた。沙羽もそうだが、ふたりとも今日は部活を休んでまで、こうしてこの場に足を運んでくれている。その事実が、俺の中に重く響いていた。

 すると、今度はどこか拗ねたような声が背後から聞こえてきた。


「天戸くん、遅いよー?」


 その声の主は沙羽だった。俺のほうをジト目で見つめながら、桃色の唇を不満げにへの字に曲げている。


「わ、悪い……」


 焦って謝る俺に、沙羽はくすっと笑みを漏らしながら、首を横に振った。


「ふふっ、冗談♪あたしも大して活動に貢献できてるわけじゃないから、ここから巻き返していこ!」


 そう言って、沙羽は両手を胸の前でギュッと握りしめ、気合いを入れるようなポーズを取った。その笑顔には、不思議と周囲を元気にさせる力があって、俺の緊張も少し和らぐ。

 そこへ、書類を手際よく整理していた魚崎副会長が、ふと声を上げた。


「私たちも声掛けはしてるけど、正直、今日の一番の功労者は——あそこにいるわよ」


 彼女の目線を追うと、少し離れた場所にいるロナの姿があった。署名活動のスペースから一歩外れた場所で、通り過ぎようとする人々に向けて、バインダーを手に持ち、何やら熱心に話しかけているのが見える。


「やっぱり、子どもからお願いされると無碍にできないっていう心理効果かしらね?」


 副会長は肩をすくめながら苦笑しつつ、そう呟いた。

 俺はその言葉に頷きつつ、しばらくロナの様子を眺めていた。確かに、彼女の声を受けて足を止める人が後を絶たず、その多くが素直に署名用紙に名前を記入していく姿が見て取れた。

 やがてロナは、満足そうな表情を浮かべながら踵を返し、こちらに向かって駆けてくる。小柄な身体をいっぱいに使って走るその姿は、どこか子猫のようで愛嬌がある。俺を見つけるなり、勢いよく声を上げた。


「おう、エロ羊なのだ!役目は全うできたのだ?」


 その独特な呼び方に苦笑しつつ、俺は小さく首を横に振った。


「残念だけど、少しアテが外れちゃってさ。だから、よりこの署名活動の成果が重要になってきてる」


 俺の返答を聞いたロナは、少しだけ表情を曇らせ、眉をひそめるとため息混じりに呟いた。


「それは残念なのだ……」


「でも、まだ諦めたわけじゃないからな?」


 俺がそう言うと、ロナは口元を緩め、いたずらっぽくニヤリと笑った。その笑顔は、まるで「任せておけ」とでも言いたげだった。


「ロナは、どうしてここに?」


 俺が尋ねると、彼女は当然とばかりに胸を張って答えた。


「決まっているのだ。お前らの手伝いに来ているのだ」


 きっとマザーの指示だろう。

 その言葉に、俺の胸の奥がじんわりと熱くなるのを感じた。ロナは教会の関係者として、今回の反対運動の一端を担ってくれている。年端もいかない子どもではあるが、その存在は何より頼もしかった。

 ロナは小さく弾むような動きでその場をくるりと一回転すると、こちらに向かっていたずらっぽく微笑みかけた。その笑みは、どこか挑発的で、得意げでもあった。彼女はそのまま軽やかな足取りでテーブルへ向かい、署名用紙を挟んだバインダーを丁寧に置いた。


「まぁ、ミナトが寂しがるのだ」


 その何気ない一言に、俺は思わず口を尖らせる。


「……別に寂しくはねぇよ」


 素っ気なくそう返すと、ロナは不満を隠しきれない表情を浮かべた。唇を小さく尖らせ、眉を寄せてこちらを見上げる仕草には、どこか拗ねたような愛嬌があった。


「可愛い気がないのだ」


 そう呟くと、ロナは近くのパイプ椅子に腰を下ろし、迷いなく会長の鞄に手を伸ばした。慣れた手つきで中を探り、やがてミルクティーの紙パックを一本取り出す。

 俺はそれを見て、半ば呆れながらも声をかけた。


「……行儀が悪いぞ?」


「セッツからは許可を得ているのだ」


 淡々とした口調でそう答えるロナ。俺は無言のまま会長の方へ視線を送ると、彼はにこやかな笑みを浮かべながら、どうぞとでも言いたげに両手のひらを見せた。


 ……なるほど、特に問題はないらしい。


 たぶん、これは会長なりのロナへの感謝の気持ちなのだろう。毎日顔を合わせていれば、その理由も察しがつく。しかしそれとは別に、あの鞄の中にはいったい何本のミルクティーが隠されているのか。最近、その底知れぬ容量にちょっとした恐怖すら覚え始めている。

 そんな他愛もない疑問を胸の奥で巡らせていると、不意にロナが静かに呟いた。


「……こんな紙に名前を書くことが、力になるというのは驚きなのだ」


 バインダーから外された署名用紙をちらりと横目で見ながら、彼女はぽつりと零す。その声には純粋な疑念と、わずかな感嘆が混じっていた。

 その呟きに対し、会長は少し頷いてから答えた。


「人間というのはね、誰が見ても一目でわかる“形”を好む生き物なんだ。だからこうして、紙という形で意思を示さなきゃならないんだよ」


 彼の言葉は落ち着いていて、どこか達観した響きがあった。

 ロナは鼻を小さく鳴らし、僅かに眉を動かした。


「たとえそれが、このような虚構の集まりであってもなのか?」


 その問いかけは、どこか冷ややかで、鋭さすら帯びていた。だが、会長はまるでそれを待っていたかのように、ゆっくりと口を開く。


「そうさ。たとえ虚構でも——それが集まって“数”になれば、人はそれを“真実”と呼ぶようになるんだ。人間ってのはね、基本的に“長いものに巻かれたい”って本能がある。他人と違うことを避け、集団の中に埋もれたがる。そうやって進化してきた生き物なんだよ」


 その言葉に、ロナはしばらく無言で耳を傾けていた。まるで内面で何かを反芻するように、瞳を細めて思案に沈む。そして、数秒の沈黙の後、静かに椅子から立ち上がった。

 彼女は再びバインダーを手に取り、しっかりと胸の前で抱えると、静かな決意を込めた声で言った。


「……まだまだ署名とやらは足りないのだ。集めてくるのだ」


 そう言い残すと、ロナは風のように軽やかな足取りで、人波の中へと溶け込んでいった。通り過ぎる際、俺のすぐ脇をかすめるように通り抜けながら、小さな声で呟く。


「ミナトは、とても今……希望に満ちているのだ。だから、安心するのだ」


 その声は、本当に俺にしか聞こえないほどの囁きだった。だが、その言葉は不思議な力を持って、まるで心の奥底を見透かされたかのように、まっすぐ耳に残った。



 その連絡は、まさに唐突だった。

 土日の署名活動を、一旦なんとか無事に乗り越えた俺は、週明けに向けて自室で一人、今後の動きについてぼんやりと考えを巡らせていた。学校や署名活動、それに洋館のこと。頭の中はあれこれと散らかっていたが、少しずつ整理しようとしていた矢先だった。

 机の端に置いていた俺のガラケーが、突然ブルブルと規則的な震えを起こし始めた。咄嗟に手に取って画面を見ると、そこには見覚えのない番号が表示されている。

 一瞬、営業電話か間違い電話の類かと疑った俺は、数秒間ためらったが、念のため通話ボタンを押すことにした。何かの重要な連絡かもしれないという、直感のような予感が胸にあった。

 ――次の瞬間、鼓膜を突き破るほどの大音量が、ガラケー越しに炸裂した。


「おう!やっと出たのだ!」


 その聞き慣れた高い声は、間違いようもなくロナだった。思わず反射的に耳から端末を離し、少し顔をしかめる。

 ……それにしても、どうして彼女が俺の番号を知っているのだ? 

 考えを巡らせる。

確かに、俺はロナに連絡先を教えた覚えはない。仮に会長たちから聞き出したのだとすれば、それは少しおかしい。なぜなら、彼女が彼らと話していた場面には俺自身も同席していた。わざわざ俺の目の前で情報を引き出すとは考えにくい。

 不思議さを感じつつも、俺はひとまず電話口に向かって声を返した。


「な、なんだよ? 声がデカすぎだろ……」


 呆れ混じりに言うと、ロナは相変わらず勢いそのままに話し続ける。


「マザーからミナトに提案があったのだ。だから連絡したのだ!」


 その言葉を聞いた瞬間、俺の中に緊張と期待が同時に湧き上がった。

 つまり教会の責任者であり、ロナの保護者的存在でもあるあの人物から、直接俺に向けた提案というならば、話は違う。

 俄然、話の重要度が跳ね上がった。


「……マザーから?」


 自然と口から問い返すように言葉が漏れた。ロナのように読めないタイプの人間とは違い、マザーの提案であれば、それはきっと真剣で、そして建設的なものである可能性が高い。話を聞く価値は十分すぎるほどある。


 すると、ロナは少し語気を強めた。


「……ミナト、何か失礼な事を考えているのだ?」


 ドキッとして、俺は一瞬言葉を詰まらせた。図星を突かれたような感覚。まるで心の奥を見透かされたような、鋭い勘だった。


「うげぇ!? な、なんだよ、それ。そんなことないぞ!?」


 慌てて取り繕うように否定の言葉を返す。そういえば、最初に教会を訪ねた時もそうだった。彼女の直感は、時として冗談に思えないほど的確だった。今後は下手な邪念を持つのは控えた方がいいかもしれない。


「そ、それで? 提案って何なんだ?」


 話題を本題に戻そうと、少し声を落ち着かせて聞き返す。すると、ロナは息を一つ吸い込んだあと、ハッキリとした口調で答えた。


「今度、自治体の説明会があるのだ。そこに教会も呼ばれているのだ。そしてマザーが、ミナトも教会の人間として参加してみないかと言っているのだ!」


 その瞬間、心臓が一拍、大きく跳ねた。


「な、なんだって!?」


 思わず大声で聞き返してしまう。驚きと喜びが入り混じった反応だった。それは単なる傍観者や応援者ではなく、当事者として、この問題に真正面から関わるチャンスを意味していた。自分の考えや思いを、直接言葉にして届けられる場所。そんな機会、そうそう巡ってくるものではない。

 ロナがさらに続ける前に、俺は言葉を被せるようにして答えた。


「是非参加したい!その説明会、いつやるんだ?」


「六月の中旬なのだ」


 その言葉を聞いて、俺はぐっと息を呑む。思っていたより時間はない。けれど、俺は覚悟を決めた。洋館を残したいという個人的な想いを、いかにして“地域のため”という形に昇華させて伝えるか。それが今回の肝になる。説得力を持たせるための準備――台本作りや話し方の工夫は必須だ。時間は限られているが、それでも俺にはこのチャンスを逃す選択肢はなかった。


「分かった。ありがとう、ロナ。本当に感謝してる」


 そう伝えると、ロナは一拍だけ間を置いて、いつもの調子で明るく答えた。


「詳しいことは、またミナトにメールしてやるのだ。首を成層圏まで伸ばして待っているのだ!」


 その言葉に少し笑みが溢れた。

よくもまぁそんな難しい言葉を知っているものだ。


「どんだけ伸ばすんだよ……」


 思わず苦笑いしながら、俺はツッコミを入れるのだった。会話が終わったあとも、胸の奥には小さな火が灯ったように、期待と覚悟がじんわりと燃えていた。



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