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海風Re:fine〜街を語る少女と時をかける記憶〜  作者: 甘照すう
6章:街を語る少女と運命
33/40

32話:ジュースは不味かった

 週明けの月曜日。

俺たちは、祖母の家で手に入れたリストをもとに、さっそく行動を開始した。

 具体的に何をするかと言えば、かなり原始的で、ある意味無謀にも聞こえるかもしれない。だが、やることは単純だった。リストに記載された住所へ直接足を運び、そこで暮らしている人物と話をする。それだけだ。

 この方法について、晴人はあからさまに渋い顔をしていた。一方で沙羽は、まるで冒険にでも出るかのような勢いで、やる気に満ちていた。

 正直、晴人の気持ちは痛いほど分かる。知らない人の家を訪ね歩くのは、予想以上に神経をすり減らす。むしろ、こういう行動に前向きな沙羽の方が、よっぽど変わり者なのかもしれない。

 放課後、俺は一人で街へと繰り出した。誤解のないように言っておくと、晴人たちが逃げたわけじゃない。それぞれに部活や家庭の事情がある。さすがにこの件が解決するまで休めとは言えなかった。

 校門を出た俺は、急ぎ足で次の目的地へ向かった。訪ねるとは言っても、いつでもいいというわけではない。俺にとっては重大な問題でも、訪ねられる相手にとってはそうではない。常識的に考えて、訪問のタイムリミットは18時だろう。それ以降は迷惑になりかねない。

 嫌がられたら、協力を得るどころではなくなる。

そう思いながら、リストの一番上から順に、移動可能な距離にある住所を選び、向かっていった。

 確認した限り、リストに載っているすべての人物が神影市内に住んでいるわけではなかった。中には、かなり離れた地域へ引き取られた者もいる。そのため、実際に訪問可能な数は、思っていたよりも少なかった。

 そして、俺が18時までに回ることができた家は数軒にとどまった。だが、そのどれもが空き家だったり、全くの別人が住んでいたりと、手がかりは何一つ得られなかった。


「くそぉ……」


 俺は駅前広場のベンチに腰を下ろした。人々が待ち合わせに集うその場所に、俺は誰を待つわけでもなく、ただ座っていた。

 一歩進んだと思ったら、すぐに躓く。

そんな状況に、焦燥感だけが募っていき、精神をじわじわと削られていく。


「お前は本当に、コロコロと顔色が変わるやつだな」


 不意にかけられた声に、俺はそちらへ視線を向けた。そこには、赤い瞳をジト目にした歴が、夕暮れの中に立っていた。彼女の漆黒のセーラー服は、落ちていく夕日の赤に染まっていた。


「歴? なんでここに……?」


「何だよ、暦じゃなくて悪かったな」


 そう言って彼女は、俺の隣に腰を下ろした。スラリと伸びた脚を自然に組み、視線を遠くに投げている。


「グチャグチャになったと思ったら元気になって、またすぐ項垂れて……お前の顔はひとつしかないんだぞ?」


「……なんだよそれ、星霊ギャグか?」


 俺が軽く突っ込むと、彼女は声を上げて笑った。


「あっはははっ! そうかもしれないな!」


 彼女は俺のことを嫌っていたはずだ。少なくとも、そう思っていた。友達が“廃棄”される原因が俺にあると、彼女は言っていた。

だからこそ、こんなふうに気軽に話しかけてくる理由が分からなかった。

 そのとき——。


「やろう」


 彼女はポンと何かを俺に差し出した。見ると、それはミックスジュースの小さな缶だった。


「これは……?」


 戸惑いながら受け取ると、歴はさらりと言った。


「さっきそこのカラオケ屋前の安い自販機で買った」


「出所の話じゃねぇよ!」


 俺のツッコミに、彼女は鼻で笑いながら、自分用の缶を取り出し、プルタブを引いた。心地よい開封音が静かに響いた。


「私だって、いつも四次元に籠ってるわけじゃない。こうやって、時々はこっちに顔を出す」


「それでたまたま出てきたら、俺がいたってわけか?」


「さぁな。自分の都合のいいように解釈しろ」


 曖昧な答えに少しだけモヤモヤしつつも、俺も缶を開けて口をつけた。

ジュースは驚くほど甘く、喉に引っかかるほどだった。フルーツの風味というより、砂糖水に香料を入れただけのような味がした。

 沈黙がふたりの間に流れる。

やがて、俺は口を開いた。


「お前は、暦に帰ってきてほしいんだろ?」


「その通りだ。暦は、こんな理由でスクラップにされるべきじゃない」


 歴の言葉は、はっきりとしていた。


「でも、暦は四次元にいるんだよな? 歴がそこから助け出すことはできないのか?」


 俺の問いに、彼女は空になった缶の縁を指でなぞりながら、小さく答えた。


「……それは、難しい」


「そうか……」


 理由を深く聞くつもりはなかった。

歴がそう言うなら、きっと本当にそうなのだろう。

彼女が俺を嫌っていたとしても、わざわざ嘘をつくとは思えなかった。


「私は、少し驚いている」


 歴は、茜色に染まった空を仰ぎながら呟いた。

その声音は、どこか自嘲めいていた。


「矮小な人間が星に逆らおうとしている。自分の手の届く範囲で、星に挑もうとしている」


 彼女の赤い瞳は、まるで遠い何かを見つめているようだった。


「私は、いつも諦めてきた。星に逆らおうなんて、考えたことすらない。……いや、星霊が星に逆らうという発想自体、ありえないのかもしれない」


 それは、自分への言い訳のようでもあり、懺悔のようでもあった。


「でも、俺は暦がおかしいとは思わない」


 そう言って、俺は歴の顔をしっかりと見つめた。


「そして、お前のことも、おかしいとは思わない」


 これは、俺の本心だった。

 確かに、星霊はある目的のために造られた存在だ。その役割を忠実に果たしている歴の方が“正しい”のかもしれない。

一方で、その尺度で測れば、暦は“異常”なのかもしれない。

だけど俺にとっては、暦は何ひとつおかしくなかった。それどころか、彼女こそが“あるべき姿”に思えた。


「天戸湊……」


 歴は俺の名前を呟いた。


「安心しろ。お前の友達は、俺が助けてやる」


 強く、そして静かに、俺は宣言し、立ち上がった。



 翌日。

天気はあいにくの雨だった。

六月、ニュースの天気予報でも「梅雨」という言葉がちらほらと聞こえてくるようになってきたこの季節。今日の雨もまた、自然の摂理として受け入れるしかない。

 今日の授業を、特に可も不可もなく終えた俺は、孤児院出身者の捜索を晴人と沙羽に任せ、一人で教会へ向かっていた。あの、ロナとマザーがいた教会だ。

 訪問の目的は単純明快。

彼女たちをはじめとする教会の関係者に、反対運動への協力を仰ぐためだ。

 俺たちは今、ただの“外野”が騒いでいるのではないという証明のために、孤児院の出身者たちを探している。だが、彼ら全員を見つけ出せる保証はどこにもない。それなら、それに代わる“正当な理由”を用意しておく必要がある。

 そこで、再開発の当事者でもある教会に名前を貸してもらい、運動の表向きの大義名分とする。

実際に協力してもらう必要はない。ただ、その名前があれば十分なのだ。

 この計画については会長にも相談済みで、彼も納得してくれた。

俺は今、ひとりで動いているわけじゃない。情報の共有と相談は、今の俺たちにとって何より重要だ。


「また来たのだ?エロ羊よ」


 教会の門をくぐると、ちょうど薔薇の花を眺めていたらしいロナが傘を傾け、こちらに目を向けながら、あいかわらず減らず口を叩いてきた。


「エロ羊じゃない」


 ため息混じりにそう呟きながら、俺はロナのもとへ歩み寄る。すると彼女は、修道服の裾からのぞく紺色の長靴をわざと音を立てて鳴らした。


「相合傘はしないのだ」


 少し身を引き、自分を守るように抱えるその仕草は、妙に様になっていた。


「悪いが、幼女に傘を借りるほど落ちぶれちゃいない」


 そう言って俺は鼻を鳴らし、わざとらしく肩をすくめて見せた。

ロナはそれに満足げにニヤリと笑う。


「そうなのだ。ミナトは、恋に落ちているだけなのだ」


「そ、それは違うっ!」


 思わず声を荒げて否定する俺。ロナの発言に、即座に反応してしまったのが悔しい。


「ふーん?」


 ロナは唇を尖らせながら、何か含みのある顔でこちらを見た。


「……な、なんだよ?」


「別に何もないのだ」


 そう言って彼女は傘をクルリと回す。

はじけた水滴が周囲に飛び、淡く光を反射した。

 そのまま彼女は教会の方へと歩を進め、ちらりと流し目をこちらに向ける。


「どうせマザーに用事があるのだろ?ついてくるといいのだ」


「話が早くて助かるな」


「ふんっ。エロ羊の考えることくらい、簡単に分かるのだ」


 そう言ってロナはゆっくりと、雨の中を歩き出す。俺は無言でその後ろに続いた。

 教会の外廊下に入ると、ふたりで傘を畳む。

風が少し吹き込み、細かな水滴が頬を打ったが、もう傘は必要ない程度だった。

 俺は黙ってロナの後を歩きながら、建物の様子に目をやる。

初めて来たときには気づかなかったが、改めて見ると建物には年季が入り、あちこちの塗装が剥げていたり、コンクリートが欠けていたりしていた。


「ロナ。お前は……何者なんだ?」


 前を歩く小さな背中に向けて、俺は問いを投げかけた。前回の別れ際、彼女が残したあの意味深な言葉が、ずっと頭から離れなかった。


「なに?気になるのだ?暦から乗り換えるのだ?」


 ロナは視線を向けることなく、淡々と答えた。


「違う。『運命の星』だとか、『運命を変える奇跡』だとか……あんなことを言ってただろ?」


「別におかしなことは言っていないのだ。ただ、そう思ったから、そう言っただけなのだ」


「……変な話だって自分でも分かってる。けど……お前も、“星”の関係者なのか?」


 その問いに、ロナはぴたりと足を止めた。

そして、ゆっくりとこちらを振り返る。


「星?何を想像しているのか知らないが、勝手に妄想するがいいのだ。けれど意味のない質問はやめるのだ」


「……つまり、関係ないってことか?」


「関係ないのだ」


 訝しげな視線を向ける彼女。

どうやら、俺の考えすぎだったようだ。その事実に、わずかな安心を覚える。


「ミナトは暦のケツだけを追っていたらいいのだ。……ここなのだ」


しばらく歩いたところで、ロナは廊下の途中にある扉を開け、中へと入っていった。

 中へ足を踏み入れると、そこは静謐な聖堂だった。

建物そのものは大きくない。空間も小ぢんまりとしている。だが、天井が高いためか、閉塞感はまるでなく、むしろ実際の広さ以上の広がりを感じさせる。

 ステンドグラス越しに差し込む光が、床や壁に色彩豊かな影を描き、神秘的な雰囲気を醸し出していた。柔らかな光の粒が空間に舞い、そこに身を置くだけで、心が洗われていくような錯覚を覚える。


 そして祭壇の前。

祈りを捧げるように両手を組み、静かに佇む一人の老女の姿があった。

マザー──この教会を支える穏やかな存在が、変わらぬ風格と温かさをその背に滲ませていた。


「マザー、また迷えるエロ羊が来たのだー」


 軽やかな口調でロナが告げる。

その声に呼応するように、マザーがゆっくりと瞼を上げ、穏やかな微笑みをたたえたまま、こちらを振り向いた。


「あら、今日も来てくれたのね」


 その声には、以前と変わらぬ優しさと、受け入れてくれる温かさがあった。


「こんにちは。再びお邪魔してしまい、申し訳ありません」


 俺は深く頭を下げる。恐縮と、敬意を込めて。


「いいのよ。ここは、訪れる者を拒む場所ではないわ。それがたとえ……悪魔であっても」


 その言葉に完全に頷くことはできなかったが、それでも、彼女の懐の深さを象徴するようなひと言に、胸が少し温かくなるのを感じた。


「さ、マザーに迷える戯言を語るのだ」


 ロナは軽快な足取りで堂内の木製の長椅子へと向かい、腰を下ろす。

組んだ足をゆったりと揺らし、肘掛けに腕を預けると、手で頬を支えるようにしてこちらを見た。

その琥珀色の瞳には柔らかな笑みが宿り、どこか楽しげな気配すら感じられる。


「実は……」


 俺はマザーに向き直り、素直に自分の考えと思いを伝えた。

 話している間、マザーもロナも、言葉を挟まず黙って耳を傾けてくれていた。遮ることも、急かすこともなく、ただじっと。

 やがて話が終わると、静寂が聖堂を包んだ。

空気すらも止まったかのような沈黙の中、最初に口を開いたのは、やはりマザーだった。


「あなたの思いは、しっかりと伝わったわ。ここまで頑張ったのね」


 その言葉が、まるで温もりのある光のように、胸の奥へと染み込んでいく。


「大切なご友人のために、自分にできる限りのことをしたい。その思いは、とても尊いわ」


 外の空が雲に覆われたのか、ステンドグラスを通して差し込んでいた光が、ふと弱まる。


「……私としては、この滅びもまた、神の御心だと思っていたの」


「……それって……」


 俺は視線を伏せた。

再開発の計画が進む今、教会にもきっと移転の打診が届いているはずだ。

この場所は立地条件に恵まれているとは言い難く、中心街からのアクセスもバスに限られ、その本数も決して多くはない。


「でも、こうして一人の青年が、わざわざ足を運んでくれた。それは……とても素晴らしいことだと思うわ」


 返す言葉が見つからず、俺はただマザーを見つめる。

彼女の次の言葉を、心の奥で待ちながら。


「はぁ……」


 重くも、どこか呆れたような吐息が、静けさを破る。


「マザー、ミナトが困っているのだ」


 ロナが口を開いた。流し目でマザーに視線を送りながら、組んだ足をくるりと入れ替える。


「あら。ロナ、あなたはどうしたいの?」


 マザーは穏やかな笑みを絶やさず、問いかける。


「この者は迷っている。人の身でありながら、多くの試練に身を焦がしている。それに手を差し伸べずして、誰が神を語るのだ?」


「……珍しいわね、ロナ。あなたがこんなにも人に肩入れするなんて」


 マザーの目が、少し驚きを帯びる。


「ふんっ。ミナトはお気に入りなのだ」


 あっけらかんと言い放つロナ。だが、その言葉に、どこかしら真実味がある。


「ロナは、どうしたいの?」


「決まっているのだ。主星たる太陽は、常に世を照らすものだ。できることならば、手を貸してやりたいのだ」


 その瞬間、曇っていた空に一筋の光が差し込んだ。

聖堂に射し込む光が一気に増し、ステンドグラスを透過して、内部を色とりどりに染め上げる。

舞っていた埃が光を受け、粒子のようにきらきらと輝いた。


 その光景を見つめながら、マザーが柔らかく言った。


「いいでしょう。ロナがそう言うのなら、それもまた一つの縁。私たちも、微力ながら協力するわ」


「あ、ありがとうございます!!」


 思わず、俺は深々と頭を下げた。

胸に熱いものが込み上げてくるのを感じながら。

 こうして俺は教会の協力を得ることに成功したのだった。

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