30話:目的の落とし所
仕事が忙しくて投稿頻度落ちます...。
すみません。
エタる事はしないので今後ともよろしくお願いします。
図書室で例の瓶底メガネの図書委員に追い出された俺たちは、仕方なく廊下に出た。
日が傾きかけた校舎内は、窓から漏れる橙の光で、どこかしんとした静けさに包まれていた。
俺たちはその中を、足音を控えめに、次の目的地へと向かって歩いていた。
目的地は決まっている。俺の中では、ここからどうするべきかが、なんとなく形になっていた。
「でもさ、本当に大丈夫なの?いきなり押しかけて……」
沙羽が少し不安そうな声で言った。口調は柔らかいけれど、その瞳にはわずかな緊張が宿っている。
「……大丈夫、だと思う。多分だけど」
俺は少し迷った末に、歯切れの悪い返事を返した。
「えぇ……それって、本当は大丈夫じゃないやつじゃん」
沙羽は半ば呆れながらも、冗談めかした声で言い返す。
その言葉に、俺は返事をせず、少しだけ足を早めた。
気づけば、目的の場所が目の前にあった。生徒会室——それが俺たちの次の訪問先だった。
扉の前に立ち、俺は軽くノックをする。
「失礼します」
声をかけながら、ゆっくりと引き戸を開けると、中にいたのは生徒会長だった。
彼は、ちょうどミルクティーのパックにストローを差そうとしていたところだった。その姿はどこか間の抜けたようにも見えるが、不思議と威厳が損なわれることはなかった。
「やあ、天戸。珍しいな、君がこんな時間に来るなんて」
俺の姿を認めると、会長は変わらぬ柔らかな笑みを浮かべて、名前を呼んできた。
「会長、お疲れ様です」
俺は軽く頭を下げ、生徒会室の中へと足を踏み入れた。
「……その二人は、君の友人かな?」
晴人と沙羽に目を向けた会長は、どこか興味ありげに鼻を鳴らした。
「桂木晴人っていいます。アマミナとは同じクラスです」
「あたしも!三宮沙羽です。同じクラスです!」
二人はやや緊張しながらも、それぞれに自己紹介をした。
「なるほど、ご丁寧にありがとう。僕は摂津。天戸の友人なら歓迎するよ」
そう言って会長は静かに椅子から立ち上がると、俺たちに空いている椅子を勧めてくれた。
そして設置された冷蔵庫を開けると、そこから別のミルクティーのパックを取り出し、俺たちの前にそっと置いた。
「こんなのしかなくて申し訳ないけど、よければどうぞ」
「いえいえ!あたしこれ、結構好きなんです!」
沙羽は嬉しそうに受け取り、さっそくストローを刺して口に運んだ。その無邪気な姿に、会長も少しだけ目を細めた。
全員が席に着くと、会長は少し姿勢を正しながら口を開いた。
「それで、今日はどうしたんだい?」
口角をわずかに上げながらも、その目は本気だ。
俺は、その目を見て覚悟を決める。
「……実は、会長に相談がありまして。というか、知恵を貸していただきたくて」
「ほう」
俺は、晴人と沙羽にも説明した内容に加え、現在俺たちが進めている反対運動の構想を、できる限り具体的に説明した。
話を終えると、会長は大きく笑った。
「はっはっはっ!また君は面白いことを企んでいるんだな!」
その笑い声に、少し気まずさを感じた俺だったが、会長はすぐに表情を真面目に戻した。
「いや、すまない。君にとっては笑い事ではないよな。軽率だった。謝る」
「いえ、大丈夫です。会長が興味を持ってくれただけで、ありがたいです」
俺はそう答えた。
会長のことはある程度知っている。彼は一見飄々としているが、真剣な時には誰よりも真っ直ぐな人間だ。俺のことを軽んじて笑ったわけではないと分かっている。
「確かに、三宮のアイディアは良い。実際、当事者の声には大きな力がある。戦争や震災の体験談でも、実際にその場にいた人の話には圧倒的な説得力があるからね」
さすが会長——話の核心をつく。その知性と明快さに、俺は改めて感心させられる。
しかし、俺たちには致命的な問題があった。それを言わないわけにはいかない。
「……ですが、会長。俺たち、肝心の孤児院出身者の名前や居場所は何一つ分かっていないんです」
「えっ!?」
「マジかよ……」
晴人と沙羽が同時に声を上げた。
そう、彼らにはまだ伝えていなかった。今こうして驚かせてしまったことに、俺は少しだけ後悔する。
しかし、会長はまるで動じなかった。
「確かに、それは痛いな。しかし、それですべてが終わるわけではない」
会長の言葉にはまだ強さがあった。
「まだ、僕たちには“武器”がある」
「武器、ですか……?あたしたち高校生ですよ?」
沙羽が怪訝な顔をして問い返す。
その表情は真剣だった。会長は脚を組み、じっと彼女を見た。
「三宮、その“高校生”という立場を、最大限に使うんだ」
「えっ……どういうことですか?」
彼女が首を傾げた瞬間、会長はちらりと俺に視線を投げた。
「天戸、お前は分かるか?」
唐突に話を振られたが、俺は正直、答えが浮かばなかった。
何ができる?
俺たちに何がある?
地位も権力も金もない、ただの高校生だ。
沈黙の中、会長は自ら口を開いた。
「天戸たちが、孤児院出身者を探して協力してもらおうとしている理由はなんだ?」
「そりゃ、注目を集めるためっすよ。誰かの心に刺さってくれればと思って」
晴人が代わりに答えると、会長は満足げに頷いた。
「その通りだ。けれど、よく考えてごらん。反対運動をしている団体は世の中に山ほどある。だが、“高校生”が集まって何かを訴えるとなれば、それはそれで珍しいとは思わないか?」
「……た、確かに」
沙羽が息を呑んだように答える。
「さらに今はタイミングもいい。地域交流フェスタで、我が校の学校名が地元紙に取り上げられたばかりだ。名前を覚えている人間も多いはずだよ」
その言葉で、俺の頭の中で何かが繋がった。今までぼんやりとしていた可能性の形が、はっきりとした輪郭を持って現れた気がした。
「だが、それでも“当事者の声”はあった方がいい。それは変わらない。そして、まず目標を大きく見すぎないことだ」
会長はミルクティーを一口すすりながら、穏やかに続けた。
「……天戸たちは、最終的に何を達成したいんだ?」
俺が考えを巡らせていると、晴人がすっと口を開いた。
「それは、再開発の中止っすよね?」
沙羽も頷く。だが、会長は首を横に振った。
「違うよ。再開発の実行には、住民の中に恩恵を受ける人もいる。それを完全に阻止しようとすれば、行政だけでなく、その人々をも敵に回すことになる」
静かな声だったが、その言葉には重みがあった。
「僕たちの目的は“洋館”だ。あの孤児院の建物を守ること。それが現実的かつ筋の通った目標になる」
「……つまり、再開発が進行しても構わない。ただし、洋館だけは残してほしいと訴える」
俺が言葉を引き継ぐと、会長は指を差して微笑んだ。
「その通り!それが今回の作戦の“落とし所”だ」
俺は、心から思った。ここに来てよかった。会長に相談して、本当に正解だった。
「会長……あの、ひとついいですか?」
「なんだい?」
「さっき……僕たち、って言いましたよね? それって……」
言い終わる前に、会長は不敵な笑みを浮かべた。
「天戸、君ってやつは、本当に面白い男だ。君がここに来たとき、僕はワクワクしたよ。また君が何をしでかすのかってね」
そして、彼は立ち上がると、俺に手を差し出した。
「僕も君に協力させてほしい。君の“友達”を一緒に救い出そう。これは先輩後輩の関係ではない。男同士の、約束だ」
「……あ、ありがとうございますっ!!」
俺は何の迷いもなく、その手を力いっぱい握り返した。
そんな俺に会長は言った。
「これは僕の気まぐれなんかじゃない。君をフェスタの時から見ていた。誰にも見向きもされないかもしれないという状況でも君は立ち上がった。それを僕は見ていた。そして、僕は君に応えたい」
その言葉に俺は胸の奥が疼いた。
いつかの日、弾痕が残る高架橋で暦が口した言葉が想起されたからだ。
――それは最初、小さな、小さな一歩でした。でも、誰かが見ていたんです。応えた人がいた。
暦は今はいない。
それでも俺の行動の軸には、確かに彼女の言葉が刻み込まれていた。
*
明後日の放課後。
俺たちは再び、生徒会室に集まっていた。ドアを開けると、すでに会長と副会長の魚崎さんが中で話し込んでいた。
「お疲れ様です」
俺が声をかけると、会長がこちらを向く。
「来たね、天戸」
俺たちが席に着いたのを確認すると、会長は本題に入った。
「まず、今後の流れについて軽く整理しておこう。天戸、君の考えているプランを聞かせてくれ」
「はい、わかりました」
短く返事をし、俺は自分の案について話し始めた。
「まず、活動の土台になるのは署名運動になると思います。ただ、どこで署名を集めるのかが問題です」
「そうなのか?」
晴人が口を挟んだ。俺は彼に視線を向け、説明を続ける。
「ああ。署名活動って、ただ人が多いところに行って“お願いします”って言えば済むわけじゃないんだ」
「なんで? ダメなの?」
沙羽も疑問を口にする。今度は会長が答えた。
「簡単な話さ。公共の場所でそういう活動をする場合、あらかじめ使用許可を取らなければならない。たとえば歩道なら警察を通して公安委員会に“道路使用許可”を申請しないといけない。駅の構内なら、その鉄道会社の許可が必要になる」
「うえ〜、なんかめんどくさ……」
机に突っ伏す晴人に、魚崎副会長がきっぱりと言い放つ。
「仕方ないわ。それが決まりよ」
会長はうなずきつつ、続けた。
「そこで、僕の方でも一つ調べてみたんだ。そもそも今行われようとしている再開発計画に、すでに反対運動が起きていないかどうかをね」
その言葉に俺はハッとした。
俺たちは“星”の影響によって、この再開発の未来が捻じ曲げられていると考えていた。だから、当然何も行われていないと思い込んでいたが……もし動いている団体があるなら、そこに合流するのが最善だった。
俺は会長の答えを待つ。
「結論から言えば、現時点ではそういう運動は確認できなかった」
やはり、話はそううまく進まない。だが、会長はさらに続けた。
「ただし、“今は”というだけの話だ」
「それって……どういう意味ですか?」
俺が問うと、会長は一拍置いて言った。
「過去には存在していたようなんだ、反対運動が」
俺はその言葉を噛みしめる。
確かに、再開発の構想自体はかなり前から存在していたはずだ。もともと、再開発が行われるのはもっと先の未来だった。その計画が、何らかの事情で早まっただけ。だから、当初話が持ち上がった段階で、何らかの市民運動が起きていたとしても不思議ではない。
「どうして辞めちゃったんだろ?」
沙羽が素直な疑問を口にした。けれど、俺にはなんとなく察しがついていた。
「……多分、金で手を打たれたんだろう」
俺がつぶやくと、沙羽が目を見開く。
「お、お金で黙らされたってこと!?」
「大人の事情ってやつさ」
落ち着かせるように答えた。俺自身、公務員だったという記憶がある。再開発のような行政主導の計画において、市民の反対運動は扱いが難しい存在だ。放っておけないが、説得も難しい。そこで、金銭的な“譲歩”という手段が使われる。予算には厳しい顔をしながら、懐には穴が開いている。それが現実だった。
「ただ、もし僕たちが行動を起こせば、過去に運動していた人たちがまた名乗りを上げてくれるかもしれない」
そう語る会長は、さらに話を進めた。
「それとは別に、今のうちに調べておいた方がいいことがある。それは、例の洋館の“土地の所有者”だ。誰がこの土地を持っているのか、まず明確にしておくべきだ」
俺は手を挙げた。
「その件、すでに調べてきました」
「……仕事が早いな」
会長は不敵に笑うが、俺は少し顔を曇らせながら、一枚の書類を机の上に置いた。昨日急ぎ、法務局で取得した登記簿謄本だ。
「ただ問題が少しありまして……」
俺は言葉に会長は怪訝な表情を浮かべた。
「ほう?」
沙羽が覗き込み、しばらく眺めたあと、言った。
「……全然意味わかんない!」
沙羽に限らず、俺と会長以外、みんな似たような反応だった。
「なるほど……これはちょっと厄介なことになってるな」
と、会長がぼそりと呟いた。
「かいちょー、どういうこと〜?」
半泣きで尋ねる沙羽に、会長は登記簿の「甲区」──つまり所有権に関する記録の欄を指差す。
「ここに記載されているのが、この土地の所有者だ」
「なら、この人に直接頼んで反対してもらえばいいんじゃ?」
晴人の言葉に、会長は少し間を置いてから言った。
「それができたら理想的だな」
含みのある言い方に、晴人が首を傾げる。代わって、俺が説明した。
「この登記の“日付”を見てくれ」
「……1912年?」
「え、どういうこと?」
二人が戸惑っていると、魚崎副会長がすっと口を開いた。
「なるほど。そういうことね」
「ええ!?魚崎副会長、分かったんですか?」
目を輝かせて身を乗り出す沙羽に、魚崎副会長は答えた。
「たぶんだけど──この土地の名義人って、とっくに亡くなってるってことなんじゃない?」
その通りだと言わんばかりに、会長は鼻を鳴らした。
「その通り。登記簿に記載された所有者は1912年に土地を取得している。仮にその時20歳だったとしても、今年で113歳になる。まず生存しているとは考えにくい」
俺も補足した。
「つまりこの土地は、いわゆる“所有者不明土地”ってやつだ。相続登記が放置されたまま、代々の名義変更もされていないという状態だ」
「で、でも……それってヤバくない?その土地で孤児院が運営されてたんだよね?それって……違法なんじゃ……?」
沙羽の不安げな声に、俺は淡々と答えた。
「正確に言えば、“違法”というより“グレー”だな。戦後の混乱期、土地の所有者が不明なまま使われるケースは珍しくなかった。誰も文句を言わなければ、事実上、黙認される形で使われ続けた。たぶん、この洋館もそうやって今日まで放置されてきたんだろう」
会長がうなずきながら、静かに言った。
「つまり、洋館が今立っているその土地は、法的にも行政的にも“宙ぶらりん”の存在ということだ」
とは言ったものの、都市星霊である暦が担保していた場所だ。何かあっても彼女ならどうとでも出来たのだろう。
そして現状、これは“チャンス”でもある。
この土地が「所有者不明土地」である以上、そう簡単に工事を始めることはできない。
とはいえ——法律というのは抜け目がない。
実際、「土地収用法」という制度があって、適切な手続きを踏めば、国が所有権を取得することが可能になる。
つまり、簡単に言えば“少なくともその土地は行政の好きにできる”というわけだ。
恐らくだが、星が関わっている以上、その手段はあっという間に実行されてしまうだろう。
未来ではあの洋館を含めたエリアが再開発で新興住宅地となるわけだ。多少、予定が早まっても大きな影響はないはずだ。
もしそうなってしまえば、こちらはかなり不利になる。
だからこそ、勝負をかけるなら、今この“宙ぶらりん”な状態のうちしかない。
そのとき、生徒会長が口を開いた。
「とりあえず、生徒会主導で署名活動への参加を呼びかけることにしよう」
その言葉に、魚崎副会長がやや不安げな表情を見せた。
「……大丈夫なんですか、会長?」
だが、会長はにこりと笑ったまま、軽く肩をすくめて答える。
「今の学校は、フェスタの成功でご機嫌だ。うまく立ち回ってみせるよ」
本当にこの人は、どこまでも頼りになる。
思わず俺は、自然と頭を下げていた。
すると会長は、俺の方をまっすぐ見て言った。
「天戸、君には少し難しい仕事を任せることになる」
その言葉に、俺はすぐに答えた。
「……孤児院出身者の捜索、ですね?」
「その通りだ。桂木と三宮にも協力してもらって、孤児院に関する情報を集めてくれ。小さなことでも構わない。分かったことはメールで共有して、魚崎が署名活動用の資料を作成する」
会長の指示に、全員が静かにうなずいた。
そして彼は、少し楽しげな笑みを浮かべて締めくくる。
「ワクワクしてきたな。またこの街の歴史に、我が校の名前を刻もうじゃないか」
*
生徒会室を後にした俺たち。季節はもう六月を迎えている。放課後から少し時間が経ったが、まだ空には明るい日差しが残っていた。
校門を出たところで、沙羽が片手を挙げて振り返る。
「さてと!どうする?」
その言葉に、晴人が眉間に皺を寄せた。
「どうするって言ってもなあ……神影市の住民全員に“孤児院出てました?”って聞いて回るわけにもいかねぇし……」
確かに、晴人の言うことはもっともだ。常識的に考えて、そんなことができるはずがない。
「洋館の近くにある公民館とかで、お年寄りに話を聞くしかないかもね」
沙羽が現実的な提案を口にする。若い世代から情報が出てくる可能性は低い。もしかしたら知っている人もいるかもしれないが、探し出すのは効率が悪すぎる。
「それしかないかー」
晴人が大きく伸びをしながら、気だるげにそうつぶやいた。
「晴人、三宮」
そんな二人に、俺は声をかける。二人はこちらを振り返り、俺の言葉を待った。
「実は……孤児院出身者の名簿のようなものがあるかは分からないけど、少しだけ情報が得られるかもしれない」
俺がそう言うと、沙羽の目がぱっと輝いた。
「ほんとに!?やっぱ天戸くんはやるときはやる男だね〜」
「それで?どうすんだ?」
首を傾げながら、晴人が尋ねてくる。
「もし無駄足だったら、それこそ時間のロスになる。だから、そこには俺ひとりで行かせてほしい」
そう言うと、晴人はニヤリと笑った。
「はいはい、良いとこ取りしたいんだな?」
「拗ねるなって」
俺は苦笑する。彼の言葉が軽口なのはわかっている。だからこそ、俺も同じ調子で返した。
「無駄足だったらわかってるな?」
「なんだ?アイス奢りか?」
「違う。学食のCセット、奢りな」
一応、学食で一番高い定食セットだが、安いもんだ。
俺は鼻を鳴らして、晴人に言う。
「それくらい、成果があっても奢ってやるよ」
「オッケー!じゃあ、あたしと桂木くんで、明日からさっそく調査開始!」
沙羽がそう言って、自分自身も含めた俺たちを励ますように声を上げる。そしてそのまま、俺たちはその日のところは解散した。