25話:神戸暦はいなかった
次の日。
俺はまるで魂を抜かれた動く肉塊のように、日常に刻まれたルーティンをただなぞるだけで学校へ向かった。
昨日、沙羽と交わした会話の内容は、ほとんど覚えていない。「誰、それ?」という一言が耳に入った瞬間、思考が途切れ、すべてがシャットダウンしてしまったのだ。
教室に足を踏み入れると、すぐに沙羽が小走りで近づいてきた。
「天戸くん、おはようっ!あ、あの、昨日……その、どうしたの?」
「……いや、悪かった」
俺は掠れた声でそう呟くと、自分の席へと向かった。
暦がかつて座っていたであろう席に視線を送る。だがそこには、本来より一つ分ずれた列に沿って、別の生徒が座っていた。その違和感が、否応なく現実を突きつけてくる。
「天戸くん……」
ぼんやりとした俺に、沙羽が再び声をかけてきた。
「き、昨日、その……暦さん?だっけ?大丈夫だった?」
視線を彷徨わせながら、気まずそうに言葉を探す彼女。
「あ、ああ……大丈夫だ」
「えと、本当にごめんね。わたしの友達だって、天戸くん、言ってたけど……ほ、ほんとに覚えてなくて……」
おそらく俺は、昨日の混乱の中で、シャットダウンしかけた頭で彼女に色々と捲し立ててしまったのだろう。胸が重くなり、申し訳なさが押し寄せる。
「天戸くん、疲れてるんだよ……」
沙羽はそう言って、俺の頭にそっと手を置き、ゆっくりと撫でてきた。
「……なんだ、それは?」
「い、いやぁ……疲れを癒してあげようかと!」
彼女なりの気遣いだと分かる。嫌ではないが、クラスの中でこれは少し恥ずかしい。
「アマミナ、その暦ってのは何だよ? 脳内彼女か?」
俺と沙羽のやり取りを見ていた晴人が、茶化すように振り返ってきた。
「い、いや……」
その反応から察するに、彼もまた暦のことを覚えていないのだろう。
であれば、何を説明したところで通じるはずがない。俺は曖昧に返答を濁した。
「そ、そうだっ! フェスタ終わってすぐテストだったじゃん? 打ち上げとか、まだだよね!? みんなあんなに頑張ったし、盛り上がったし、ぜひやりませんか?」
沙羽がぱっと目を輝かせながら言った。その言葉に、俺ははっとした。
「三宮……!? それだよ!」
「えっ? えぇ? 打ち上げそんなにしたかったの!?」
「違うっ!」
晴人たちの反応を見るに、やはり暦は最初から存在しなかったことになっている。
これはどう見ても、星の仕業だ。
だが、沙羽の言葉から察するに、フェスタは成功という形で無事に終わっている。
……では、その成功に深く関わっていた暦の存在は、どう処理されたというのだ?
「フェ、フェスタの演奏会はどうなったんだ? 怪我人とかは……」
俺は淡い希望にすがるように尋ねた。
「怪我人? そんな大事はなかったよ?」
その返答に、期待は無残にも崩れ落ちた。
意味が分からない。何が、どうなっているんだ──。
ホームルームが始まり、教室の空気は何事もなく流れていく。俺だけが、置き去りにされた。
*
昼休み。
いつもの場所、屋上。ただ暦だけがいない。
俺はひとり、ミルクコーヒーの紙パックを手にベンチへと腰を下ろしていた。
休み時間を使って、状況を整理し、情報を確認した。だが、そこにあったのはあまりに無情な現実だった。
フェスタは成功。これは間違いない。
だが、当日起こったはずの女子部員の怪我は“なかったこと”になっており、予定通りに演奏会は実施された。
さらに、フェスタ当日の喫茶店には、事前に店長が淹れておいた紅茶を、彼の妻が会場まで定期的に運んで対処したという話になっていた。
暦という存在だけを削ぎ落とし、世界は、まるで何事もなかったかのように今日までの“歴史”を構築していたのだ。
「……どういうことだよ……」
暦は言っていた。
“星は確定した未来には手を出さない”──と。
だが、現実はどうだ?
この有様はなんだ?
俺は思わず頭を抱える。
喉元に冷たい刃物を突きつけられたような感覚。全身に冷たい汗がにじむ。今にも吐き気がこみ上げそうだった。
数日前までは、確かに暦はそこにいた。それがなぜ、突然この世界から抹消されたのか。
三次元生命体の俺の脳では、到底理解が追いつかない。
「とっくに過ぎた過去が、変わってるんだぞ……」
呟いた瞬間、全身に戦慄が走る。
過去が変わっている──それはつまり。
「創星の奇跡、時制を巻く歯車……」
かつてこの場所で、暦が口にしていた言葉。未来の彼女が俺を過去へと飛ばした奇跡の名だ。
そうか──。
そういうことか。
星も暦も同じ奇跡という道具を使い戦っている。未来の暦が使えるなら、当然、星も。
……考えろ。
暦は俺に何と言っていた?
『星はあくまで全体を見ています──』
そうだ。星と俺たちでは視点が違うのだ。
ようやく、思い至る。
星は、何一つ“確定した未来”を変えてはいない。
フェスタの成功も、演奏の実施も、すべて“そのまま”なのだ。
どんな手段を使ったか検討もつかないが、何かしらの方法で星は暦を世界から除外し、彼女がいなくても“同じ結末”へ至るルートに組み替えただけ。
暦は言っていた。奇跡の対象は、同時に三人まで。
これ以上は、星の意思によって制限される可能性が高いと。
つまりは星もそれ以上の人の意思を操作することは避けたいと見ていい。特に繊細さを要求される過去改変となれば、尚更シビアになるだろう。
星はおそらく、その制限を踏まえ、喫茶店の店長夫妻、そして女子部員という三人に干渉して世界を改めて“調整”したのだ。
重要なのは、結果が変わらなければ、折り目のつくチェックポイントまでの過程は多少動かしても“ルール違反”ではないという点。
だから星の視点から見れば、何の問題もないのだ。
……それでも。
暦が、何の抵抗もできなかったのか?
彼女ならこのような事態に遭遇しても何かしらの方法で危機を脱したとしてもおかしくない。
それが引っかかる。
「まさか……」
暦は、フェスタ数日前から神影市全体に“ジャミング”がかかっていると話していた。
これは恐らく女子部員への干渉を悟られないためではなく、もっと全体的な改変計画を暦から隠蔽するためだったのではないだろうか。
これはあくまで推測だが……星は最初から、フェスタ妨害が失敗する可能性を見越していたのかもしれない。
目的は“暦に創星の奇跡を使わせること”。
部員の怪我は、そのための罠だったのではないか?
星の希望の消費が激しい創星の奇跡を彼女に使わせ、抵抗力を削いだと考えれば、筋は通る気がする。
もしもそうであるなら……。
この現在は、ある程度の過去改変を考慮した星の綿密な計算のもとで仕組まれた罠だったということになる。
俺たちは──。
「……ハメられたんだ」
俺は今更はなって、星の妨害工作の本当の意図を理解した。
それは俺から神戸暦を奪うことに他ならない。
現状を理解した俺は、いかに自分が絶望的な状況に置かれているのかを再認識した。
その現実が胸の奥に突き刺さった瞬間、体の芯まで冷え切るような絶望が全身を包み込んだ。目の前が暗くなる。気付かないふりをしていた真実が、今まさに俺の心に牙を立てていた。逃げることなど、最初から許されていなかったのだ。
改めて、俺は痛感する。俺が今、どれほど救いのない状況にいるのかを。
だけど、それでも──何をすればいいのか分からなかった。
いつだってそうだった。俺が迷ったとき、戸惑ったとき、立ち止まったとき。いつも、暦がいた。誰よりも先に俺の手を取ってくれて、迷いの霧の中から引きずり出してくれた。怒って、叱って、それでも俺の隣に立ってくれた。励まし、支え、そして俺を信じてくれた。
だが今、その暦はどこにもいない。
いや、それだけじゃない。彼女の姿どころか、“存在していた”という痕跡さえも、この世界からすっかり消し去られている。
彼女は──帰ってこない。
誰にそう言われたわけでもない。でも、確かに“そうなっている”現実が、じわじわと、容赦なく俺の心を侵食していた。
理屈ではなく、魂が悲鳴を上げていた。
「……ふざけんじゃねぇぞっ!!!」
気がついたときには、俺は叫び声とともに屋上を飛び出していた。胸の内側が焼け焦げるように熱くて、ただその感情に突き動かされるまま足を動かしていた。
職員室に駆け込んだ俺は、息を切らしながら教師たちに向かって頭を下げた。
「すみません……体調が悪いので、早退させてください……」
もちろん嘘だった。でも、俺の顔色はよほど酷かったのだろう。誰一人として疑うことなく、すぐに帰宅を許された。
校門を飛び出した俺は、そのまま街へと駆け出した。
俺は信じていた。いや、信じたかった。暦のことだ、きっと、何かを残しているはずだ。今の俺にできる“手がかり”を、どこかに残していないわけがない。
あいつは、そういう奴だ。
だから俺は、真っ先に彼女のバイト先──「ティータイム」へ向かった。電車に飛び乗り、到着と同時に駅を飛び出す。走りながら、心臓が悲鳴を上げるのを感じていた。でも、止まれなかった。
そして、喫茶店の扉を勢いよく押し開けた。
「いらっしゃ……あら、天戸くん?どうしたの、今って学校じゃないの?」
カウンターの向こうで、変わらず袴姿の雨喜さんが微笑んでいた。見慣れたその姿に一瞬だけ胸が安らいだが、すぐに焦燥が押し寄せる。
「あ、あの……お疲れ様です。暦を……暦を探してるんです」
俺の言葉に、雨喜さんは小首を傾げる。
「暦?……天戸くんの知り合い?」
「はい、そうなんですが……」
店内を見回す。彼女の気配や、彼女が残した痕跡、何でもいい。何かがあるはずだと思っていた。でも、目に映るのは整然とした店内と、穏やかすぎる日常の光景だけ。
「……何か大変そうね?」
不安げな目で俺を見つめる雨喜さんに、俺は無理やり笑ってみせた。
「ちょっと……立て込んでまして……」
「そう。……分からないけど、もし困ったことがあるなら言ってね?私は天戸くんのこと、晴人と同じで、弟みたいに思ってるから」
「……ありがとうございます」
その温かい言葉に、心がぐらりと揺れた。本当は、今すぐ全部をぶちまけたかった。でも、それをしてしまったら、もう立ち上がれない気がした。
ティータイムを出た俺は、ひたすら走った。暦に関係しそうな場所を、手当たり次第に巡った。あの外国人街の肉まん屋、Hの裏手の洋菓子屋、彼女が「みんなで行こう」と言っていた洋食屋、ポートパークの震災遺構……。
何も見つからない。
日が傾き、学校の終わる時間をとうに過ぎても、俺はまだ手がかりを求めて街を彷徨っていた。
「……頼む、暦……」
もはや懇願するように呟き、俺は最後の希望、彼女が住んでいた廃屋へと向かうことにした。
市役所前のバス停に着いたが、バスの到着までの数分が待てなかった。走った方が遅いなんて分かっていた。それでも、俺は走り出していた。焦燥が理性を上回っていた。
汗だくになりながら、あの坂を登る。視界の先に、朽ちかけたあの洋館が見えた瞬間、俺は少しだけ安堵した。
存在を否定されても、あの家はまだ、そこにあった。
張り直された立入禁止のテープを引きちぎり、玄関へと駆け寄った。しかし、扉は開かない。そこには、真新しい真鍮の南京錠がかけられていた。
「……クソッ!!開けよッ!!」
怒りと絶望に任せて扉を蹴りつける。老朽化していた金具が外れ、南京錠ごと崩れ落ちた。
中へと踏み込んだ俺は、息を呑んだ。
かつて見た洋館の面影は、そこにはなかった。
カビ臭く、湿気で歪んだ床、剥がれかけた壁紙、崩れた家具……。かつての記憶とは似ても似つかない、ただの廃墟。
俺は立ち尽くした。
「あっ……くっ……」
言葉にならない呻きが、喉から漏れる。心が、脳が、この現実を拒絶していた。理解したくなかった。
そのとき、遠くからパトカーのサイレンが聞こえた。誰かが通報したのだろう。それをきっかけに、俺はようやく我に返り、洋館を後にした。
*
朽ちた洋館から続く坂道を、俺はただ俯きながら歩いていた。もうどれだけの時間が経ったのかも分からない。
身体を動かしているのは自分の意思ではないような、奇妙な感覚だった。足が勝手に動き、気付けば俺は坂の途中にある小さな公園へと足を踏み入れていた。
「ここは……」
ここはタイムリープした後、最初に暦と出会った場所だった。
視界の先、遠くの街並みに明かりが灯っていく。
夕焼けが急速に色を失い、夜の帳が静かに世界を包み込んでいく。まるで世界そのものが、音もなくひっくり返っていくような錯覚。
俺は無意識に、公園の隅々を見渡した。何かあるかもしれない。この場所だけは、何かがある気がした。
けれど、そこにあるのは色褪せた遊具と、草に覆われた砂場だけだった。誰にも遊ばれなくなった時間が、そのまま静かに堆積している。
俺はついに限界を迎えた。精神の堤防が音を立てて崩れ落ち、堪えていた感情が一気に溢れ出すそんな気がした。
気づけば、雨と日光に晒され、まるでコンクリートのように固くなった地面に、膝から崩れ落ちていた。
歯を噛みしめ、唇を引き裂くほどに力を込める。
「もう……どうすりゃいいのか、わかんねぇよ……」
心の底から、自分が情けなく思えた。
暦が消えたという現実を、どうしても受け入れることができず、当てもなく街を彷徨い歩いた末に、俺は今こうして、何もできないまま、ただ崩れ落ちている。
力任せに地面を殴ってやろうと、拳を振り上げた。だが、その拳が地面に触れる直前、自然と力が抜け落ちてしまった。
無様に、力なく触れただけの拳に、自分でさらに嫌気がさした。情けなさと無力感が、容赦なく胸を締めつけていく。
「……俺は、まだお前の問いかけに……何も答えられてないんだよ」
今にもかき消えそうな声で、俺は嘆いた。
あの時、あの場で、彼女の問いに正面から向き合って、ちゃんと答えてやればよかったのに。
あいつの言葉が、まるで愛の告白みたいに聞こえて、俺は気恥ずかしさを感じてしまった。彼女にそんな意図がないことなど分かっている。
それなのに、俺はどう返していいか分からなかった。そんな自分に心底、情けなく思う。
「よかったな、星。お前の勝ちだよ。……確かに、今できる最高で最強の最適解ってやつを選んだよ……」
誰も俺の呟きに返事なんかしない。
ただ、湿った風が寂しく吹き抜けるだけだった。雑草が生い茂る、小さな公園の片隅で、俺の声だけが空気に溶けて消えていく。
風も、虫の音も、すべてが止まったような、しんと静まり返った世界の中で、俺はまるで切り離された存在のようだった。
目尻に、熱いものがじわりとこみ上げてくる。
いっそのこと、感情を爆発させて、声を張り上げて絶叫できたら、少しは楽になれるのかもしれない。
だけど、それすらできなかった。そんな勇気は俺にはなかった。心の奥から、自分という存在に呆れ返る。
そのときだった。
いつの間にか空を覆っていた厚い雲が、ゆっくりと、だが確実に広がり、ポツリポツリと冷たい雨を降らせ始めた。
すぐに雨足は強まり、冷たい大粒の雫が容赦なく地面を叩き、俺の身体を濡らしていく。
服は重くなり、髪からは雫が滴る。
だが、それ以上に――胸の奥深くにある虚しさと、どうしようもない情けなさが、雨に打たれるたびに浮き彫りになっていく。
まるで、弱さというものが、全身に染み渡っていくようだった。
「なぁ……聞いてるんだろ……? もう、大それたことは言わないからさ……」
だが、激しく降り続く雨は、俺の声さえも飲み込んでしまう。
「街を救うだとか、未来を変えるだとか……そんな大層なこと、もう言わねぇよ……。だから……だからせめて……暦だけは、助けてやってくれないか……。頼む……頼むから……もう、許してくれよ……」
冷たい雨は、俺の体温を次第に奪い取っていく。
まるで心の奥底まで凍らせるように、静かに、けれど確かに、冷え切っていく感覚があった。
俺には晴人や沙羽、雨喜さん、会長や副会長、そして実行委員会で出会った多くの仲間ができた。
彼らとの絆は本物だった。かけがえのない、大切な人間関係だった。
けれど――そのすべての始まりには、神戸暦という存在がいた。
彼女と出会わなければ、俺は小さな世界で生きていた。
暦がいてくれたからこそ、俺は多くの他者と繋がることができた。
暦の笑った顔が見たかった。
暦のふてくされた顔が見たかった。
暦の茶目っ気に溢れたの顔が見たかった。
暦の好奇心で輝いていた顔が見たかった。
暦の怒ったときの真剣な顔も見たかった。
すべてが――今でも脳裏に、焼きつくように鮮明に残っている。
そして何よりも、今の俺を、心の底から理解してくれていたのは、彼女だけだった。
暦だけが、俺のすべてを知っていているのは彼女しかいなかった。
そんな彼女がいない今、俺は、世界からぽつりと切り離され、言葉にならない孤独に押し潰されそうになっている。
「頼むよ……星よ……お願いだから……」
そのとき、ふと、過去の記憶が脳裏をよぎった。
晴人が、俺のスピーチを聞いたあと、口にしたあの一言。
――熱意っていうか、“やりたい”って気持ちはすげぇ伝わったんだけどさ……なんつーか、違うんだよな。
あの時は、正直意味が分からなかった。でも今なら、はっきりと分かる。
あれは俺の“目的”ではなかった。ただの“手段”だった。
街を救うなんて、立派そうに聞こえるけど、本心じゃなかったんだ。
本当は、暦を救いたかっただけなんだ。あれは、彼女を取り戻すために掲げた方便だった。
いや、最初のうちは、街を救いたいという気持ちで行動していた本物の感情だった。
だけどいつの間にか、俺はそれ以上に――彼女と共に生きられる未来を、何よりも望むようになっていた。
俺が、本当に救いたかったのは、神戸暦という、ひとりの少女だった。
星の意思によって造られた、工業製品ではなく。
血が通い、笑い、泣き、怒り……そして、俺と時を過ごしてきた――かけがえのない“彼女”を。
俺はただ――
「頼むよ……お願いだから……俺から“希望”を奪わないでくれ……」
神戸暦に、会いたかった。
俺の心の底からの叫びは、雨の轟音に飲まれ、空へと吸い込まれていった。
空は沈黙したまま、星の光すら見せない。
まるで最初から俺など、世界のどこにも存在していなかったかのように――。
だが――。
「全ての元凶はお前だというのに、何を嘆く?」
その瞬間、明確な声が空間を震わせた。確かに聞こえた。俺は驚きとともに、ゆっくりと声のした方へと振り返った。
そこには、ひとりの少女が立っていた。黒曜石のように艶やかな黒髪を肩で切り揃え、血のように赤い瞳がこちらを真っ直ぐに見据えていた。雪のように白い肌は繊細で、彼女の顔立ちは暦と並んでも遜色ないほどに整っていた。見た目としては暦より年上にも見えた。
その身に纏った漆黒に赤いラインの入ったセーラー服とそれの上から羽織っているベージュのトレンチコートは、まるで雨を拒むように一滴の濡れも見せていなかった。まるで、彼女だけがこの世界のルールから外れているように。
一瞬で理解した。彼女は人間ではない。俺の直感がそう告げていた。
では、彼女は何なのか。
その問いの答えは、彼女の口から静かに告げられた。
「久しぶりだな……天戸湊。私は“明屋の星霊”、明石歴だ」