21話:演奏会に向けた集客
「ぜひ寄っていってくださ〜い!」
「どうぞ〜!」
駅構内の広い通路に、明るくはつらつとした声が響き渡る。
その声の主は、袴姿に身を包んだ女子生徒たち。揃いの装いに身を包んだ彼女たちは、まるで時代を超えて現れたような、どこか艶やかで品のある雰囲気を醸し出していた。
通りがかる人々は、その非日常的な光景に目を奪われ、思わず足を止めて彼女たちの手からパンフレットを受け取る。
中には、手渡された冊子に目を落としながら、振り返って女子生徒たちを一瞥する者もいる。好奇心に満ちた視線と、驚きの入り混じった表情──彼女たちは確かに、視線を集めていた。
「……なんだ、これは?」
その様子をしばらく見ていた晴人が、訝しげに俺へと声をかけてきた。
「宣伝だよ」
俺は肩をすくめるように返す。
「まあ、それは分かる。だけどよ……なんで女子どもが揃いも揃って、姉ちゃんみたいな格好してるんだ?」
「暦も同じ格好だろ」
「そういう意味じゃねぇよ」
やれやれといった表情の晴人のツッコミに、俺も苦笑を返す。
察しの通り、俺たちは今、駅構内で自分たちのブースを宣伝するためのビラ配りを実施していた。
ただ配るだけではない。実行委員の女子たちに、あえて袴姿で登場してもらうという一工夫を加えている。
これが見事に功を奏した。
念のため言っておくが、強制ではまったくない。こちらから提案してみたところ、「え、着ていいんですか!?」「一度でいいから着てみたかったんです!」と目を輝かせ、むしろ喜々として着替えてくれたほどだ。
おかげで、彼女たちは今や「宣伝部隊」の中心として、大いに活躍してくれている。
ちなみに、この着物と袴はすべて暦の私物だ。
最初は、星の力を使って何とかならないかと相談してみたのだが、それを聞いた暦が「仕事で汚れたときのために」と、まさかの複数セットを自前で持ってきていた。
しかも、それらは彼女の小さなバッグの中から、まるで手品のように次々と現れた。あの瞬間の驚きは今でも鮮明に覚えている。
星霊である彼女の奇跡的な所業に、いまさらツッコミを入れるのもどうかと思い、そのままありがたく借り受けたというわけだ。
この“即席の策”がここまで功を奏するとは、予想以上だった。
俺が一人でビラを配っていたときは、正直、受け取ってくれる人はまばらで、空気のようにスルーされることもしばしばだった。
だが、袴女子たちが配り始めた瞬間から、状況は一変した。用意したパンフレットは、目に見えて減っていき、彼女たちの周囲には人だかりまででき始めている。
この宣伝効果には、俺自身が一番驚いていた。
だが──とはいえ、パンフレットを配れたからといって、それがすぐに成果へと直結するとは限らない。
本当に重要なのは、その後のアクションをどう繋げていくかだ。
俺が次の手をどう打つかと頭を捻っていると、不意に声をかけられた。
「君、ちょっといいかな?忙しいところ悪いけど──ボク、こういう者なんだ」
突然の声に振り返ると、そこにはスーツに身を包んだ中年の男性が立っていた。
年の頃は40代前半といったところか。にこやかな笑みを浮かべ、柔らかな物腰で、名刺を差し出してくる。
俺はやや面食らいながらも、すぐにその名刺を受け取り、胸元から取り出したパスケースに重ねるようにして丁寧に挟んだ。
「ど、どうも……ご丁寧に」
名刺に記されていた名前は灘真。そして、所属先として「株式会社 神影新聞社」とあった。
「おっ、君、高校生にしては名刺の扱いがしっかりしてるね。えらいえらい」
灘さんは感心したように笑い、何度もうなずく。
神影新聞社、地元の人間なら誰もが知っている、この神影市のローカル紙だ。
俺もタイムリープ直後、日付の確認のために目にした新聞が、まさにこの社の発行するものだった。
そんな人物が、なぜ俺に?と訝しむ俺の表情を読み取ったのか、彼はすぐに事情を説明してくれた。
「変な目的じゃないから安心して。今日はこのフェスタを取材するようにって、社から指示があってね。それで通りがかったら、君たちのやってることがちょっと面白くて。ぜひ、記事に取り上げてみたいと思ったんだ」
「あ、ありがとうございます!私は天戸湊と申します!ぜひ!」
内心で飛び上がりそうになるほどの驚きと喜びを抑え、俺はできる限り冷静に答えた。
これは千載一遇のチャンスだ。もしこの活動が新聞に掲載されれば、それは学校への何よりのアピールになる。
「もちろんさ。こういうユニークな取り組み、大好きなんだ。ぜひ話を聞かせてほしいね」
そう言って、灘さんは鞄から年季の入った手帳を取り出す。そこには既に多くのメモや取材記録が書き込まれているようだった。
俺は咄嗟に提案を思いつき、勢いのまま口にした。
「せ、せっかくですし、ぜひ我が校のブースでお話を! すごく美味しい紅茶を提供しているんです。それに、地域密着をテーマにした展示もご用意してまして……御社の“地元紙”としての視点にぴったりな内容かと思います!」
「へぇ〜、君はなかなかの営業センスがあるね。大人顔負けだよ。よし、ぜひそのブースを案内してもらおうか」
「お褒めに預かり光栄です! ありがとうございます!」
まさか、過去に公務員として働いていたときのビジネスマナーが、こんな形で役に立つとは──。
俺は湧き上がる興奮を胸の奥に押し込み、深く一礼してから、灘さんを連れてブースへと向かい始めた。
事がうまく運べば、俺たちの努力は“形”となって、この街の紙面に刻まれる。
俺は灘さんをブースへと案内し、暦が淹れた特製の紅茶を手渡した。
ひと口飲んだ瞬間、彼の目が鋭く見開かれたかと思うと、あっという間にカップを空にした。
「確かにこれは美味しい。学生が淹れたというのは本当?」
「はい。茶葉や器具は協賛してくださっている喫茶店『ティータイム』さんからお借りしたものですが、この味を出しているのは、こちらの神戸暦という同級生です」
俺の紹介に、暦はにこやかに会釈する。その姿をじっと見つめていた灘さんが、口元を綻ばせて言った。
「これはこれは、驚くほどの美人さんだね。これは紅茶が美味しくなるのも当然だよ」
歯を見せて軽口を叩く彼は、すぐに手帳を取り出し、何やら記録を始めた。
その動きに合わせて、俺もブースの概要を説明する準備に入る。
「僕から全部説明してしまうのもアレなので、簡単に説明しますね」
わざと一人称を「僕」に変える。少しでも学生らしさを出したかったし、堅すぎる受け答えでは逆に印象が悪い気がしたのだ。
灘さんが手帳から顔を上げた瞬間を見計らって、俺は身振りを交えながら説明を始めた。
「先ほども言いましたが、このブースでは、このフェスタのテーマである地域交流を軸に、この街に住む皆さんが改めて、自分たちの街について知るきっかけになればと思って作りました」
俺の言葉に呼応するように、暦が空になった紙コップを回収し、新たな紅茶を手渡す。
氷でしっかりと冷やされたその紅茶は、五月の陽気に晒されて、すぐにカップの表面を水滴が覆っていく。
「掲示物は主にこの街の成り立ちを紹介しています。開国の時代から異文化の流入点として栄え、そして今に至るまでの過程を視覚的に分かりやすく展示しています。例えば、明屋市との合併など、普段あまり知られていない事柄を、当時の写真を交えて紹介しています。また、ローカルフードの起源も触れており、試食コーナーも併設して、直感的に楽しめる構成にしています」
灘さんの表情が一変する。先ほどまでの軽口は影を潜め、鋭い記者の目に切り替わっていた。
その真剣な眼差しで俺の話を聞きながら、彼は黙々と手帳に書き留めていく。
子どもの遊びの一環としてではなく、ひとりの人間として耳を傾けてくれている。その事実が、言葉にできないほど嬉しかった。
俺は続けて、この学校が飛び入り参加であることや、協賛を得るまでの過程についても簡潔に説明を加える。
「これから我が校の吹奏楽部の演奏もあります。お時間があれば、是非聞いて行ってもらえませんか?」
そのときだった。
「きゃあぁっ!!??」
突然、吹奏楽部の方向から悲鳴が上がる。
一体何が起こったのか。俺は灘さんに軽く頭を下げ、急いでステージへと駆け寄った。
ステージそばの階段の前で、ひとりの女子生徒が倒れ込んでいる。苦しそうに顔をしかめ、身動きが取れない様子だった。
「な、何があった!?」
動揺を押さえながら、周囲の吹奏楽部員たちに尋ねると、沙羽が顔を青くして駆け寄ってくる。
「あ、天戸くん!? 階段に置かれてたマットがずれたみたいで……」
目を向けると、階段の三段目に敷かれていたはずのマットが不自然に捲れ上がっていた。
両面テープでしっかり固定していたはずなのに、まるで誰かが意図的に剥がしたかのように。
「大丈夫かっ!?」
俺はすぐに倒れている女子生徒の傍にしゃがみ込み、様子を確認した。
一見して大きな怪我はなさそうだが、彼女は右手の人差し指から薬指にかけてを強く握り締め、庇っている。
「少し見てもいいか?」
彼女の同意を得て、慎重に指を広げてみた瞬間、俺は思わず息を飲んだ。
「こ、これは……」
紫色に鬱血し、腫れ上がった指。見ているだけで痛みが伝わってきそうだった。
もしかしたら骨折かもしれない──そう考えた瞬間、心臓の鼓動が耳を突き刺した。
その時、不意に横から暦の声が届いた。
「大丈夫です。骨に損傷はありません。少し靭帯を痛めている程度です」
その一言に、俺の中に渦巻いていた不安がスッと冷めていくのを感じた。
「つまり?」
問い返すと、彼女は即座に答える。
「軽微な怪我です。突き指でしょう。自然回復で後遺症も残らないです」
なぜそんなことがわかるのか……と疑問に思いつつも、俺は彼女の言葉を信じた。
それだけの信頼が、彼女にはある。
「どうする?救急車呼びますか?」
実行委員の女子生徒が慌てて尋ねてくるが、俺は首を振った。
「いや、救急車を呼ぶよりも直接向かった方が早い」
近くには総合病院の救急外来がある。俺は彼女に付き添って連れていくよう指示を出した。
「大丈夫?立てる?」
実行委員が手を差し伸べると、女子部員は痛みを堪えるように笑った。
「もうへーき、へーき、ごめんね。自分一人で行けるよ?」
「何言ってんの!?行くよ!」
二人を見送りながら、俺はすぐさまステージの階段からマットを剥がし、吹奏楽部に演奏の準備を促した。
だが、部員たちは困惑の表情を浮かべ、誰一人として動こうとしなかった。
無理もない。目の前で仲間が怪我をして倒れたのだ。
そんな空気の中、沙羽が小さく首を振って言った。
「ち、違うの……えと、あの子がいないと……えと」
「どういうことだ?」
焦りが滲む声で問いかけると、沙羽は口ごもりながら答えた。
「あの子、そのトランペット担当だったんだけどね。今日、トランペットあの子しかいないの」
その瞬間、全身から血の気が引いていくのを感じた。
この演奏会は、無理を言って組んでもらった特別な演奏だ。しかも、参加条件が厳しく、演奏は一年生のみ。万が一の欠員にも、補欠は出さないという約束だった。
つまり──代わりがいない。
「三宮、トランペット無しだとまずいか?」
「そ、そうだねぇ……。初めからいないことを前提にしてたならやりようはあるけど、今からじゃ……」
沙羽の言葉は歯切れが悪く、その顔には明らかに焦燥の色が浮かんでいた。
まさに万事休す──そう思った、その時だった。
「沙羽さんたちはそのまま演奏会の準備を始めてください」
その声は、風を抜けるように響いた。ブースの隙間から現れた暦が、凛とした表情でそう告げた。
「えっ、えと? どうするの?」
沙羽が戸惑いながら尋ねる。
「大丈夫です。わたしが何とかしてみせます」
その一言には、不思議な力強さがあった。
「わ、わかった!皆、忙しいで準備して!」
沙羽が決意を固めるように声を上げ、部員たちがようやく動き始める。
暦はそのままステージ裏に向かい、転倒した女子部員の置いていったトランペットを一瞥すると、裏口から外へと出ていった。
俺は慌ててその後を追いかけた。
「待てよ、暦!どうするつもりだ?今からトランペット吹けるやつ探すっていうわけじゃないよな!?」
だが、暦は答えず、静かに人気のない路地へと足を踏み入れる。
俺もその後に続く。
路地裏には人の気配がなかった。どこかひんやりとした空気と、アスファルトに溜まった泥水が、不気味に空の青を映していた。
「なぁ!?暦!何を考えているんだよ!?」
「大丈夫です。任せてください」
その言葉に、思わず言葉を失った。
暦は目を閉じ、胸の前で両手を組む。そして、静かに口を開いた。
「当機次元背景投射より半径53627量子ピクセル内より該当対象を検出。及び、該当対象個体値より適合範囲を抽出──」
突如として意味の分からない言葉を紡ぎ出す暦。
同時に、彼女の体が青白い光を放ち始めた。金糸のような髪が風に揺れ、その色すらも分からなくなっていく。
「当機適合に関する変換演算終了。プロコトル正常、タキオン回路内抵抗値正常、インストールコマンド実行──」
光が彼女の周囲に満ちる。
思わず目を細めたその光は、まるで核反応で発生するチェレンコフ光のようだった。
「コード認証。創星・位相を繋ぐ連結子、展開──。」
その声を最後に、眩い光が彼女に収束し、そして静かに消えていった。
何が起きたのか理解できず、俺は呆然と立ち尽くしていた。
今まで“星の奇跡”とやらを使う瞬間は、いつも気づけば終わっていた。だが今回は違う。今まで彼女が使ってきた奇跡とは格が違う。そんな気がした。
「同期完了。さて、湊さん行きましょう。みんなが待ってます」
「お、おいっ!? 暦どういうことだよ!?」
混乱のあまり、俺は何度も同じ言葉を繰り返していた。
人間は本当に、理解を超えた現象に直面すると、思考が停止するのかもしれない。
そんな俺に、暦は足早に歩きながら答える。
「後で説明はします。ただ今は時間が惜しいです」
そう言い残し、彼女は再びブースの裏口へと入って行った。
俺も急いで彼女の後を追う。ステージ裏に回り込むと、そこには、袴の裾をふわりと翻しながら佇む暦の姿があった。
彼女は、先ほど倒れた女子部員のものと思われるトランペットに静かに手を伸ばしている。
「すみません、これお借りします。マウスピースは後で洗浄もしくは、新品をお返ししますと、これの持ち主に伝えてください」
カシャン——。
軽やかで澄んだ金属音が響く。スタンドから丁寧に取り外されたトランペットを手に、暦はその表面を撫でるように指先で確かめ、ピストンの状態を慎重に確認していく。
そして、譜面台に置かれた楽譜へと目をやると、人差し指でスッと音符の列をなぞった。
まさか、と思った。だが、どうやらその「まさか」らしい。
彼女は、本当にこのステージに立つつもりなのだ。欠員を補うために。
「こ、暦、お前、音楽なんてやったことないって言ってなかったか?」
思わず声をかけた俺の心配をよそに、彼女は淡々と準備を終えていく。
そして、舞台袖からステージへと向かって歩を進め、ふと立ち止まると、こちらを振り返った。
「さもありなん。でも、大丈夫です。わたしに任せてください」
その一言を残し、彼女は光が差し込むステージへと歩み出る。
その背中を、俺はただ黙って見送ることしかできなかった。