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海風Re:fine〜街を語る少女と時をかける記憶〜  作者: 甘照すう
4章:街を語る少女と祭典
21/40

20話:地域交流フェスタ

25/5/31 意図しない表記及び、誤植を修正しました。

 ゴールデンウィークの期間中、俺はほとんどの時間を学校で過ごしていた。世間が休暇を満喫する中、俺は実行委員会のメンバーとして、ひたすらフェスタの準備に明け暮れていたのだ。

 気づけば連休はあっという間に終わり、日常が戻ってきても、俺たちの慌ただしさは一向に収まらなかった。むしろ、フェスタ当日が近づくにつれて、その忙しさは加速していった。

 和風喫茶『ティータイム』の協力を取り付けることが思いの他すんなりと進んだため、油断していたが、他の店舗や団体の協力を得るためには、相当な労力と時間が必要だった。

 何度も交渉を重ね、時には頭を下げ、時には暦の星の奇跡の助けもあり、何とか必要な協力を取り付けることに成功した。

 そして、計画書の提出を経て、ブース設置の段取りまで漕ぎ着けた時には、まるで長い登山を終えたような達成感があった。

 そして気がつけば、カレンダーは一気にページをめくり、日は五月十四日を迎えていた。

 完成したブースを目の前にした瞬間、それまで張り詰めていた緊張が一気にほどけ、俺はその場で膝をついてしまった。疲労感がどっと押し寄せ、身体の芯から力が抜けていくのが分かった。

 俺たちのブースは、旧国鉄の駅前スペースという、偶然にしては恵まれ過ぎた場所に配置されていた。

 飛び入りでの参加とは思えないほどの好立地に、俺は改めて運の良さを実感していた。


「よくここまで仕上げたじゃないか」


 夕方の柔らかな日差しが辺りを染め始めた頃、会長が静かに現れた。彼はブースの中を一周するように見て回り、そして疲れ果てて座り込む俺の前で立ち止まった。


「明日が本番だってのに、もう満身創痍って顔してるな?」


「いや、なんか急に……気が抜けてしまって……」


「無理もないさ。ここまでよくやった」


 会長の声は穏やかで、それだけで少し心が救われたような気がした。

 彼は再び視線をブースに向けた。中央には各部活が演目を披露するためのステージが設置されており、その前には折りたたみ式のパイプ椅子を並べる予定になっている。

 入り口付近には「和風喫茶ティータイム」のための小さな喫茶スペース、そしてその奥にはホットドッグのキッチンカーも設置される。

 歴史紹介のエリアでは、俺たち実行委員がマイクを使って街の歴史を紹介する講演を行う予定だ。また、その一角では家庭科部が作る出汁づけ卵焼きの無料配布コーナーも設けられ、客寄せとしての効果も期待されている。


「立派なもんだな。僕が一年の頃にやったものより、よほど出来がいいよ」


「そう言ってもらえると、少しは報われます」


 そこへ、暦がトレーに紙コップを乗せてやってきた。制服姿の彼女が微笑みながら差し出したのは、明日の喫茶スペースで提供予定の紅茶だった。


「どうぞ。明日出す紅茶の試飲です」


「おお、これが?ありがたい」


 会長は紙コップを手に取り、ひと口含んだ。


「……これは美味いな。紅茶目当てで人が集まっても不思議じゃない」


「これが“本当の”紅茶ですから」


 暦はにこやかに答えたが、その笑顔の奥に、どこか静かな圧が感じられた。しかし、会長はそれを気にする様子もなく、満足そうに紅茶を味わっていた。


「本当に楽しみだ。こうして形になったステージを目にすると、期待せずにはいられないな」


 その“期待”という言葉は、まさに今の俺の気持ちを代弁していた。

 この日を迎えるために、俺は街中を走り回り、多くの人と出会い、数え切れないほどのやり取りを重ねてきた。未来なんて関係ない。ただ、このイベントを成功させたい。それだけが今の俺の原動力になっていた。


会長と別れた後、俺と暦は市役所前からバスに乗り、彼女の家へと向かっていた。理由は単純明快で、暦が「決起会をしよう」と提案してきたからだ。


バスを降り、緩やかな坂道を登り始める。日はだいぶ長くなってきたとはいえ、夏にはまだ遠く、空は少しずつ藍色に染まり始めていた。


「……ようやく、ここまで来ましたね」


ふと、暦が感慨深そうに言った。その声に応えるように、俺は手にした惣菜の袋を少し持ち上げた。


「ああ、あっという間だったな」


「湊さんと出会ったとき、まさか本当にイベントを開催できるなんて思ってもいませんでした」


暦はまるで長い旅を終えた戦士のような表情で、前を見据えていた。その姿に、俺は思わず鼻を鳴らす。


「何言ってんだよ、これがゴールじゃないだろ?ここからが本番だ。まだまだ未来を変えていくんだからな」


「はい!……ですよね。すみません、ちょっと感傷的になっちゃって」


 坂の上から吹き抜ける風は、昼間の暖かさを少しだけ残しながらも、どこか優しい。だけど、俺の心にはひとつ、引っかかるものがあった。

 ここまで来る間、星の妨害らしい動きがまったくなかったのだ。常に暦と行動を共にし、周囲の気配に目を配っていたが、暦自身も「星の干渉は確認できなかった」と言っていた。


「……もしかして、星ってさ、もっと大きなやり方で妨害してくるんじゃないか?」


「その可能性はあります。星とわたしたちでは視点が違います。細かな調整は、本来私のような都市星霊の役目ですから」


 星にとって、この世界はあまりにも小さすぎる。だからこそ、暦のような存在を“鑷子”のように使い、繊細な操作を行うのだろう。といって現在はその鑷子が勝手に動いているような状態なのだが──。


「それでも、私自身、星が直接この世界に干渉するのを見るのは初めてで……正直、あまり確信は持てません」


 暦は慎重な口調で言ったが、俺はそれに頷いた。



「何が来たって、俺たちにできることは変わらない。もしその時が来たら、できる限りのことをするだけだ」


 そう言って、俺はそっと彼女の背中に手を触れた。驚いたように彼女の肩が小さく震えた。


「わ、悪い!つい……」


「いえ、大丈夫です。嫌じゃないので……そのままでもいいですよ」


 その一言に、俺は少しだけ救われたような気がした。思えば、俺から彼女に触れたのは初めてかもしれない。

 人間じゃなくても、彼女は“女の子”なのだ。無遠慮に触れたことを反省しつつ、改めて彼女を見つめた。

 光沢のある金色の髪、海のように澄んだ瞳、白磁のような肌に小柄な体。その小さな身体には、一体どれだけの記憶や時が詰め込まれているのだろう。


「……こんなに長く三次元に留まっているのは、本当に久しぶりなんです。不思議な感じです」


髪をかき上げながら、彼女は静かに言った。


「いつかは四次元に帰るんだろ?」


 俺の問いに、暦はしばらく黙った後、そっと答えた。


「……この街の未来が安定すれば、そうなると思います」


 当然のことだ。彼女は本来ここにいるべき存在ではない。目的が終えれば、帰るべき場所へ戻るのは当然だ。


……でも、その時が来たら。

俺はどんな風に思うんだろうか。


「ふふっ……もしかして、寂しいんですか?」


暦はいたずらっぽく俺の顔を覗き込み、からかうように言ってきた。


「べ、別に……」


「ふーん、まあ、そういうことにしておきますね!」


 俺よりも二、三歩前に出て、こちらを向く、彼女は嬉しそうに笑った。その表情は、どこまでも無邪気で、それでいて儚さを帯びていた。

しかし──。


「おい!暦、後ろっ!」


「えっ?」


 脇道から突然現れた人物に気づいた俺は、咄嗟に暦の手を掴み、引き寄せた。


「す、すみません」


 俺はそう謝罪を述べ、その人物に目をやった。見れば、中年のネクタイを締めたシャツの上に作業着を来た男だった。


「いえ、大丈夫です。そちらはお怪我はありませんでしたか?」


 彼は俺たちに怪我などがないことを確認すると、俺たちの向かう方向とは逆に、坂を下っていく。そして、その後ろを同じ服装の若めの男がついて行き、何やら会話をしているのが見えた。

 俺は遠ざかっていく彼らを呆然と見ていた。


(あれは……)


 彼らの着ていた作業着には見覚えがあった。それに胸元には『神影市』と刺繍が施されていたように見えた。

 さっきの人物は間違いなく市役所勤務の公務員だ。つまり俺が未来で勤めていた神影市役所の人間だ。

 今日は土曜日だ。

休みにうるさい役所の人間が、本来休日であるこの日にこんな場所で何をしているのか。

 俺は妙な違和感を感じた。


「……あの、湊さん」


「え?」


「もう、抱きしめてもらわなくても……立てますから」


気づけば、俺は暦を強く抱き寄せたままだった。


「す、すまんっ!」


 注意しようと思った矢先の出来事に俺は取り乱してしまう。慌てて手を離すと、暦は顔を赤らめ、俯きながら小声で言った。


「だ、大丈夫です。もしぶつかっても……わたしは怪我はしませんから」


「えっ?な、なんでだよ?」


「だ、大丈夫です!わたしも……気にしてませんからっ!」


 そう言うと暦は俺の手を取って、勢いよく引っ張った。


「行きますよ、決起会ですからっ!」


 そう言う彼女に俺は手を引かれて、坂道を駆けるように登った。



 そして、ついに当日を迎えた。

 よくないことだが、明日のことを考えているうちに、俺は昨夜あまり眠ることができなかった。予定よりも早く寝床から這い出し、制服に身を包んで出発の準備を整える。

 一応、学校行事の一環という建前がある以上、制服を着用する必要があるのだ。

 家族がまだ眠りについている中、俺は自分で用意した簡単な朝食を胃に流し込み、身嗜みを整えた。そして、家を出る頃にちょうど起きてきた母さんに「行ってきます」と一言だけ告げ、足早に玄関を出た。

 朝日に照らされた日曜日の住宅街は驚くほど静かで、歩いている人といえば犬の散歩をしている老人くらいだった。正直、家を出るにはいささか早すぎる時間だとは思う。だが、じっと家の中で待っていることにはどうしても耐えられなかった。

 そのせいか、暦の姿もまだ見当たらない。彼女は、俺が家を出るときには決まってそこで待っていることが多い。それは、彼女と協力することを約束してから、ほぼ毎日のことだった。

 日曜日の早朝であっても、最寄駅はしっかりと稼働しており、俺のような落ち着きのない人間も変わらず受け入れてくれていた。ホームに上がると、間もなく列車の到着を知らせるアナウンスが流れる。

 俺はふと、暦にメールを送ってみることにした。家で身支度をしているか、それともまだ眠っているかもしれない。メールの内容は『起きてる?』という、極めて簡素なものだった。


 しばらくすると、返信が届いた。


『起きています\(^0^)/どうかしましたか?』


 相変わらずこの顔文字が好きな彼女に、俺は思わず内心で微笑んでしまう。

 返信内容を考えているうちに、電車はもう生元に到着していた。俺はひとまず電車を降り、ホームを歩いて改札口へ向かう。

 朝早い休日ということもあり、中心街ですら人の姿はまばらだった。

 改札を出ると、不意に携帯が震え、着信が入った。電話の相手は、暦だった。


「もしもし?」


 俺は改札を出てすぐの階段を降りた先にある柱の近くで、電話に応じた。


「おはようございます。メールをいただいていたので、お電話してみました」


 電話口の向こうからは、かすかに風の音のようなものが聞こえた。


「早く起きすぎてしまったから、なんとなくメールしただけだ。今、外にいるのか?」


 そう尋ねると、少し驚いたような声音で彼女は答えた。


「驚きです。ちょうど、湊さんのご自宅までお迎えに行こうと、バス停まで歩いていたところでした」


「そうだったのか。俺はもう生元に着いているぞ」


「驚愕です。入れ違いにならなくてよかったです」


 安堵の声を上げる暦に、俺も安心した。

 彼女はいつも家の前で俺を待っている。そのため、以前から、実は空を飛んで来ているのではないかと、密かに疑念を抱いていたのだ。

 しかしこの電話で、彼女が本当に交通機関を利用し、自ら歩いてきているのだと確認できた。そんなささやかな事実に、妙な安心感を覚えた。


「わたしも直接そちらに向かいますので、落ち合いましょう」


「わかった」


 俺は彼女に待ち合わせ場所として、近くの喫茶店の名前を告げて電話を切った。

 先に店へ入ってもよかったが、彼女が到着するまでそう時間はかからないだろう。

 俺は店の前に立ち、看板に貼られたモーニングメニューをぼんやり眺めながら、彼女の到着を待った。



 時刻は十時。

ついに、フェスタの幕が上がった。

 朝の静けさから少しずつ人通りが増す駅前の広場に設営された特設ブースには、ぽつぽつと人の姿が見えはじめていた。遠巻きに様子を伺っている通行人もいれば、興味本位で足を向けたものの、あと一歩のところで踵を返していく者も少なくなかった。

 まぁ、これくらいは想定の範囲内だ。

 ポスターくらいしか広報活動がなく、大々的に駅構内で告知されたようなイベントではない。

 おそらく、ここを通りかかったほとんどの人にとって、この催しは「なんかやってるな」程度の印象でしかないだろう。

 それでも、完全に素通りではなく、立ち止まりかけるだけでも一歩前進だと思う。今ここにいるのは、暇つぶしにぶらついている人や、待ち合わせまでの時間を持て余した人たちがほとんど。それでも構わない。最初は、そんな些細なきっかけからでいい。


「はーい! ぜひ寄っていってくださーい!」


 元気な声が飛ぶ。ステージ入り口付近では、実行委員のメンバーたちが声を張りながら演目のセトリを配っている。今日のスケジュールが大きく記載されたパネルは設置済みだが、それだけで全員に伝わるわけではない。手渡しでパンフレットを配ることで、少しでも印象に残ってくれれば御の字だ。

 ……まぁ、正直言って、大半は受け取ってすぐにゴミ箱行きだとは思うけれど。


「天戸君、いつでもいけるよー」


 控えめながらも張りのある声が、俺の耳に届いた。漫才部の部員だ。ステージ裏で待機している彼らからの合図だった。

 本日のステージ演目は、漫才部、演劇部、軽音部、吹奏楽部という流れでプランを組んでいる。漫才部がトップバッターを務めるのは、準備にかかる時間と手間が少ないという理由からだ。必要な道具はマイクと簡単な小道具のみ。それならば、ステージの立ち上がりをスムーズに任せられる。


「開始は予定通り、十時半からでお願いします」


 俺は彼らにそう告げると、すぐさま次の確認のためステージ裏を後にした。

 俺は実行委員という立場上、常に全体を見渡して動き回っている。舞台の段取り確認から観客の誘導、パンフレットの補充、アンケート回収まで、やることは山ほどある。たった今も、一瞬立ち止まってブースに興味を示した人に声をかけ、なんとか中に足を踏み入れてもらうことができた。

 実は、このブースでは簡単なアンケートを来場者に取っており、最終的には学校側へ提出することになっている。評価が高ければ、来年以降の参加がより現実味を帯びてくるし、場合によっては予算も増えるかもしれない。

 このイベントにかける想いは、俺たちだけじゃない。特に星がわざわざ妨害してまで止めようとするくらい注目度抜群の惑星規模のイベントである。

何としてでも成果を残したかった。


「本日はお越しいただきありがとうございます! 本日は我が校より、このイベントのために、いくつかの部活動が応援に駆けつけています! どの部も今日のために一生懸命に準備と練習を重ねてきました! ぜひご覧いただき、楽しんでいってください!」


 マイクを通じたアナウンスがブース全体に響き渡る。そのタイミングで、いよいよ漫才部の出番となった。軽快なBGMが場内に流れ始め、ステージに二人の部員が登場する。

 その瞬間、外で足を止めていた人々が、興味を引かれたのか次々と中に入ってくる。その様子を見て、俺は胸の中でガッツポーズを決めた。

少なくとも、最初のハードルは越えた。

 その後も演目は順調に進み、演劇部のステージが終わる頃には、イベントは折り返し地点に差し掛かっていた。だが──。

 午後に入り、少し空気が変わり始める。

 来場者の数が、午前中に比べて目に見えて減っている。先ほどまでは満席だった喫茶スペースにも、今は空席がちらほら目立ち始めていた。演目と演目の合間で間延びしてしまっているのか、それとも休憩に入った人がそのまま帰ってしまったのか。焦りが、じわりと胸の奥に滲み始めた。


「よう、アマミナ」


 そんな時、不意に声をかけられる。見上げれば、晴人の顔がそこにあった。


「晴人か。来てくれたんだな」


「当然だろ。……てか、来なかったら姉ちゃんに殺される」


 物騒なことを口にしながらも、晴人はどこか嬉しそうだった。周囲をきょろきょろと見渡しているのは、恐らく雨喜さんを探しているのだろう。俺も同じように辺りを見回してみたが、その姿は見当たらない。


(暦に聞いてみるか)


 俺は渋る晴人を連れて、オープンテラスの喫茶スペースへ向かう。そこには和やかな雰囲気の中でお茶を楽しむ来場者の姿が見える。

 俺はスペースの奥に仮設された間仕切りカーテンをめくって中を覗き込む。


「暦、晴人の姉ちゃん、どこ行ったか知らないか?」


 俺は袴姿で黙々と紅茶を抽出していた暦に声をかけた。彼女は小さく頷きながら、手を止めずに答える。


「雨喜さんなら、お手洗いに行きましたよ」


 こちらに顔を向けた彼女の瞳は、少しばかり涼しげだった。


「うおっ!? マジでそれ着てんじゃん!」


 思わず顔を覗き込んだ晴人が驚きの声を上げる。その反応に、暦は明らかにムッとした表情を浮かべた。


「さもありなんです。お姉さんがいらっしゃらなくて、残念ですね、桂木さん?」


 皮肉たっぷりのその言葉に、晴人は思わず口をつぐむ。彼女の返しには、何とも言えぬ迫力があった。


「暦は、今日は表に立たないのか?」


 俺の問いかけに、彼女は再び紅茶に視線を落としながら答えた。


「もし雨喜さんの手が回らないようであれば、私もウェイトレスとして立つつもりでいましたが、今のところ彼女ひとりで十分に対応できています。……湊さん、感謝してくださいね。彼女、忙しい時間帯にずっとトイレを我慢してたんですよ」


「もちろんだ」


 言われなくても、感謝はしている。今日展示している歴史紹介のボードは、ほとんどが彼女のアイディアによるものだ。昔の貴重な写真も、彼女が大学の資料室から提供してくれた。

 アルバイトの延長線とはいえ、わざわざここまで出向いて、ウェイトレスまでこなしてくれている。

本当に頭が上がらない。


そういやさ、反対側にも別の高校が参加してるよな」


 ふいに、晴人がそんなことを口にした。少しだけ間を置いてから、俺の顔を見ながら付け足すように言葉を継ぐ。


「ほら、あっち。駅の北口の方。なんか賑わってるって聞いたぞ」


「反対側って……北口?」


 思わず問い返すと、晴人は軽く頷いた。


「うん、そうそう。ちょうど駅を挟んで真逆の方な。あっちにも広場あるだろ?そこ使ってるらしいぜ」


 なるほど、確かにこのフェスタに参加しているのは俺たちの学校だけじゃない。市内の公立高校や私立校が、分かれてブースを構えているはずだ。

 ただ俺は自分のブースの準備と運営でいっぱいいっぱいで、他校の様子なんてこれまで完全に頭から抜けていた。


「ちょっと見に行ってみるか? メシついでにさ」


 軽い調子でそう提案する晴人。その言葉に一瞬迷いはしたが、悪くない案だった。もちろん本音を言えばブースを長く離れるのは避けたいところだけれど、俺も人間だ。昼食は必要だし、今朝はバタバタしていて弁当の用意も頼んでいなかった。小腹も空いてきたところだ。

 すると、ちょうどそのタイミングで、聞き覚えのある声が響いた。


「あら、晴人来てたの?」


 振り向くと、間仕切りの隙間から雨喜さんがひょっこりと顔を出している。無事にお花の収穫を終えたであろう彼女が笑顔を浮かべていた。


「げっ……姉ちゃん!?」


 晴人が露骨に顔をしかめると、雨喜さんは唇を尖らせて彼をにらむ。


「なによ、その反応。ちょっとは素直に喜びなさいよ」


 姉弟の関係性がよく表れているやり取りだ。俺は苦笑しつつ、きちんと礼を伝える。


「お疲れ様です。暦から伺いました。晴人のお姉さんには、本当にお世話になってます」


 すると彼女は、ふわっと柔らかな笑みを浮かべながらこう返した。


「いいっていいって、そんなの気にしないでちょうだい。今日はちゃんと、お店から派遣された正式なアルバイトなんだから。ちゃーんと、時給も出てるのよ?」


 そう言いながら、指を唇に当ててウィンクしてみせる雨喜さん。彼女なりの軽妙なユーモアだったが、晴人はそれを見て思わず身を引いた。恐怖に近い反応だ。


 そんな弟を尻目に、俺は本題に入る。


「実は今、晴人と一緒に北口の方へ様子を見に行こうって話になってまして」


「おいっ、ちょ、アマミナ!余計なこと言うなって!!」


 慌てて止めようとする晴人だったが、時すでに遅し。雨喜さんの目が輝く。


「えーっ!いいなぁ、私も行ってみたい!どんな感じなんだろう、他の学校!」


 ぱっと両手を合わせて喜ぶ彼女。晴人はすぐさまそれを制止する。


「姉ちゃんはこっちで仕事中だろ!俺たちだけで行ってくるから、マジで!」


 どうにかして彼女の同行を阻止しようと、晴人が焦りながら言い訳を考える。しかし、その努力はあっさりと打ち砕かれる。


「行ってきても大丈夫ですよ。今の客数なら、私一人で十分対応できますし、雨喜さんも少しは休憩を取られた方が良いかと」


 静かに、しかし力強く言い切る暦。紅茶の抽出作業の手を止めずに、落ち着いた口調で断言した。


「暦ちゃん、ほんと優しいのね。でも……本当にいいの?」


 雨喜さんは一瞬だけ逡巡するような表情を見せ、暦の方を見つめる。


「さもありなんです。もし急に混み合ったらご連絡しますので、そのときはすぐ戻ってきていただければ問題ありません」


 そう言いながら暦は、少しだけ微笑んだ。雨喜さんもそれに頷き、優しく応える。


「それなら、お言葉に甘えちゃおうかしら?あ、暦ちゃん、何かお昼に欲しいものある?何か買ってくるわよ」


 その申し出に、さっきまで静かに紅茶と向き合っていた暦が、目を見開いて即座に答えた。


「サンライズがいいです。一番美味しそうなやつでお願いします」


「了解。じゃあ、期待しててね」


 雨喜さんがくすっと笑い、俺たちを引き連れてブースを出る。俺は実行委員に一声かけ、昼食の間の対応を任せると、最小限の荷物を持って合流した。


「でも、参加してよかったなって思うわ」


 先頭を歩く雨喜さんが、足取り軽くそんなことを呟いた。


「そう言ってもらえると、嬉しいです」


 俺が返すと、彼女は楽しそうに笑った。その歩調に合わせて、袴姿に似合う桜のかんざしが軽やかに揺れる。大正時代から抜け出してきたのような姿に道行く人々の視線が集まるが、彼女はまったく気にした様子を見せない。その胆力には思わず感心する。


「晴人も、お姉ちゃんが一緒に来てくれて嬉しいでしょ?」


「んなわけあるかよ」


 からかうように聞いてくる姉に対し、弟はそっぽを向いて口をとがらせた。


「天戸君も、何か欲しいものがあったら言ってね。お姉ちゃんが買ってあげるから」


「いや、それは……さすがに悪いですよ」


 俺は遠慮がちに断った。以前、喫茶店でご馳走になったときも、彼女は既に会計を済ませていて、強引に押し切られたのだ。年上といっても大学生である彼女に何度も甘えるわけにはいかない。彼女の財布も肥えてはいないだろう。


 しかし、彼女は少しも動じることなく、微笑みながら言った。


「大丈夫、大丈夫。お姉ちゃんに任せなさい♪年上を立てるのが、正しいマナーよ」


「そうなんだぞ、アマミナ。姉ちゃんは、奢るのが趣味なんだよ」


「だから晴人はちょっとは遠慮しなさいってば」


 そんな軽口の応酬に、思わず笑ってしまう。やっぱり、この姉弟の距離感は微笑ましい。


 そうして駅の構内を抜けると、すぐに北口の広場が視界に入ってくる。そして目に飛び込んできたのは——予想以上の光景だった。


 ブースは来場者でごった返し、熱気に満ちている。こんなにも人が集まるとは、正直思っていなかった。


「ここ……香南学圏のブースね」


 ぽつりと雨喜さんが呟く。香南学圏、幼小中高大すべてが揃う一貫教育の名門私立校。彼女の通う大学も、その系列だ。

「裏切り者め」


 冗談っぽく晴人が言う。姉の大学進学先をちゃかしているのだろう。


「ちょっとー、私は外部生だからセーフでしょ?」


「内部生と外部生って、何か違うんですか?」


 俺が尋ねると、彼女は少し困ったように視線を落としながら言った。


「うーん、大学からしか知らないけど……なんとなく、内部生の方が偉い、みたいな空気はあるわね。授業も単位も同じなのに、不思議なものよね」


 その言葉に、少しだけ寂しさを感じているようだった。


「よし、行ってみよう」


 気持ちを切り替えるように、俺は前を向き、香南学圏のブースに足を踏み入れた。

 手に取った案内パンフレットは、上質な紙に鮮やかなカラー印刷。内容もプロの手によってデザインされたような完成度だった。卒業生の著名人を招いた企画や、学内施設の紹介、豪華な映像演出。全てが高水準で構成されていた。


「……金かかってんな」


 晴人の呟きに、俺も思わず頷いた。

 ブースの作りも俺たちとは違いしっかりとした囲いで覆われており、飲食のスペースも高校、大学で提供されている学食のメニューが紹介の一環として並んでいる。

 ただの飲食物ではなく、一般から見れば、学園という非日常で提供されている品という付加価値をつけることで興味を惹いている。

 他にも物販もあるようで大学のシャーペンや消しゴムなど、妙に購買欲を刺激する品が並んでいる。

 ただの公立には真似できない附属学校ならではのアプローチだと感心させられる。

 現在、来場者の多くは香南学圏のブースの方へ流れているようだ。

 しかし、それ自体が問題というわけではない。フェスタ全体がこうして盛り上がっているということは、むしろ歓迎すべきことだ。

 それにおそらくは、俺たちの参加の有無がこの盛況に影響しているわけではないだろう。元々、香南学圏のブースは注目を集める予定だったのだ。

 根拠と言い切るには理由が弱いかもしれないが、元々なかった俺たちが現れたわけだ。

 何かしらの影響があったとしても、それは来場者が減る方向に作用するはずで、逆に増えることは考えにくい。

 そもそも、星がそこまで多くの人間の行動に同時に干渉するような結果を用意するとは思えない。

 だからといって、俺たちのブースに人を呼び込まなくていい理由にはならない。

 俺たちの目的は、学校が納得する成果を上げ、来年以降もこのフェスタに継続的に参加できる環境を作ることだ。

 仮に、今年限りで参加が打ち切られるようなことがあれば、それは星の思惑通りに事が進んでしまったという証明にもなってしまう。

 今回、星が初めて妨害を仕掛けてきた。そのイベントを「何とか開催できてよかった」で終わらせてしまっては意味がない。

 もっと来場者を集めて、学校側に一言の文句も言わせないような結果を残す必要があるのだ。

 俺はふと、手に持っていた香南学圏の案内パンフレットに視線を落とした。

 演目数自体は向こうのほうが多い。だが、それが圧倒的な差かというとそうでもない。

 やはり、限られたスペースでの催しという制約は向こうにもあるようで、そこには少し安心した。


「ん?」


 パンフレットを眺めているうちに、最後の演目の項目で視線が止まった。

 なんと俺たちとまったく同じ時間帯に、香南学圏の吹奏楽部による演奏が予定されていたのだ。


 これは──正直、まずい。


 たとえ似たような演目があっても、時間がずれていれば観客が分散する。しかし、同時間帯となると話は別だ。

 人は自然と、より見応えがありそうな方を選ぶものだ。

 断っておくが、俺の通う東奏高校の吹奏楽部は、特別に強豪というわけではない。どちらかといえば、全国大会とは縁がない、平均よりやや上のレベルだ。

 一方、香南学圏の実力は正直わからないが、その知名度を考えれば、多くの来場者は無名の東奏高校よりも、地元でも名の知れた香南学圏の演奏を選ぶだろう。


「晴人のお姉さん、香南学圏って吹奏楽部強いんですか?」


 念のため、俺は雨喜さんに確認してみた。

 彼女は少し思い返すように、視線を斜め上へと向けた。


「そうね〜?県大会とかでは名前を見ることもあるかなー?それより、設備がすごいのよ!音楽室も吹奏楽部専用のがあるって聞いたことあるわ」


「ありがとうございます」


 彼女は大学からの外部生だ。高校の事情までは詳しくないのも当然だろう。

 その後、俺たちは雨喜さんに昼食を買ってもらい、自分たちのブースへと戻った。

 ブースに戻った俺は、手早く昼食を胃袋に詰め込み、改めて演目の並びを確認した。

 伊川谷先生も言っていたように、今回の演奏は一年生だけで構成され、人数も最低限だ。各パートの担当者は一人か二人。

 見栄えという点では、香南学圏のステージに明らかに見劣りするだろう。


 俺は冷静に、これからの流れを頭の中でシミュレートしてみた。

 吹奏楽部の演奏はフェスタの終盤に配置してある。終わり間近の時間帯に来場者を引き留めるための「最後の一押し」だ。

 俺の予想では、香南学圏の演奏を聞いたあとに、わざわざ駅の反対側まで移動して、こちらのブースを見に来る人は、そう多くないだろう。

 その程度の情熱を持っている人間なら、何もしなくてもここに足を運ぶ可能性が高い。

 俺は喫茶店スペースへ向かい、間仕切りの中に入ると、暦に声をかけた。


「暦、頼みがある」


 俺の言葉に彼女は手を止め、こちらに視線を向けた。そして、俺は彼女に自身の思いつきを打ち明けた。


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