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海風Re:fine〜街を語る少女と時をかける記憶〜  作者: 甘照すう
1章:街を語る少女の頼み
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1話:20年前の世界

 意識がぼんやりと浮上していく。

重たいまぶたを持ち上げると、視界に映ったのは、見慣れた天井だった。

ここはどこだろう……?

 手を伸ばす。

掌に触れたのは、ひんやりとしたフローリング。

かすかにワックスの匂いも鼻先をかすめる。

 俺は部屋の真ん中で、無様に倒れていた。

部屋は、シンプルだった。

小学生の頃から使い続けてきたシングルベッド、勉強机、本棚、押し入れ式のクローゼット。

どれも、懐かしい匂いを放ちながら、そこに存在している。

 窓からは柔らかな朝日が差し込み、カーテンの隙間から春の風がそっと吹き込んでいた。

遠くから、小学生たちの元気な笑い声や、自転車のブレーキ音が聞こえてくる。


何が、起きたんだ。


 考えようとしたが、すぐに思考を止めた。

状況が理解できない。

 立ち上がろうとすると、足元がぐらついた。

身体がだるい。だが痛みはない。

 あのとき、アスファルトに叩きつけられたはずなのに、俺の身体には傷一つない。


「うっ……あぁっ……」


 突如、俺を襲った強烈な頭痛に再度、その場に倒れ込んだ。

 少女と邂逅するまでの公務員として働き、惰性で生きてきた様々な日々の記憶と、昨日までの中学を卒業し、学ランボタンをみんなに配り回った下らない記憶など時系列が食い違う記憶が混じり合う。まるで頭の中に焼けたスパーテルを捩じ込まれたような異様な感覚。

 だが、少しするとその痛みは嘘のように治り、さらに混乱した。

 呼吸を正し、ゆっくりと立ち上がり、部屋を見渡す。本棚には、子供の頃に読みふけった漫画や参考書。机の上には、埃をかぶった目覚まし時計と、カラーペン。


夢じゃない……。


 頬をつねると、しっかりと痛みが返ってきた。

胸が早鐘のように高鳴る。

これが現実なら、ありえない。


俺は死んだのか?

それとも、過去に戻ったのか?


 ふっと浮かんだ考えを、否定できなかった。

普通なら鼻で笑うような話だ。

でも、この部屋は間違いなく俺の実家だった。

それももう存在しないはずの家だ。

 俺が成人式を迎える頃、両親は利便性を求めて市街地のマンションへ引っ越している。

 この家はとっくに取り壊され、今は別の建物が建っているはずだった。

 俺がただ困惑を重ねていると、ぐぅと腹が鳴った。

生きている証拠みたいに、情けない音だった。

 最後に食べたのは、役所の食堂で口にした味気ない定食だったっけな。

 時刻を見る。

壁にかけられた古びた時計は、午前9時32分を指していた。


「……とりあえず、下に行くか」


 俺はぎこちなく立ち上がり、ギシギシときしむフローリングを踏みしめながら、ドアノブを握った。


 階段を降り、リビングへと向かう。


「あら、やっと起きてきたの?」


 ふいにかけられた声に、俺は驚いて立ち止まった。

そこには、母さんがいた。新聞を手に、穏やかな笑みを浮かべている。

 だが、――若い。

ありえないくらい若い。

 記憶にある母さんは、すでに白髪交じりで、還暦を迎えたばかりだった。けれど、目の前にいるのは、40代そこそこの、活気に満ちた母さんだった。


「何してるの?朝ごはん食べるなら作るけど?」


 呆然とする俺を気にも留めず、母さんは立ち上がり、キッチンへ向かった。

その仕草すらも、懐かしすぎて胸が締め付けられた。


「う、うん……」


 情けない声で答えながら、俺はそっとリビングの椅子に腰を下ろした。テーブルに置かれた新聞に、自然と目が吸い寄せられる。

 目に飛び込んできた日付は――。


「2005年3月30日」


 心臓がドクン、と跳ねた。


(まさか、本当に……?)


 新聞を凝視する俺に、母さんが首をかしげる。


「どうしたの?湊が新聞に興味を持つなんて珍しいじゃない」


「い、いやぁ、その……最近の情勢はどうなのかなーって……」


 苦し紛れに答えながら、新聞をたたむ。

手が震えるのを、必死に隠した。

やがて母さんが焼いたばかりのトーストを皿に載せて運んできた。

 俺はそれを無言で口に運んだ。

バターの香ばしい香り。サクサクとした食感。

 トーストを一口、二口と咀嚼する。

だけど、味なんて、まるでわからなかった。


(……本当に、これ、現実なのか?)


 さっきから何度も自問する。しかしながら、答えは出ない。新聞の日付は2005年。20年前になる。

ポケットにはスマホはなく、代わりに、机の上には黒い折りたたみ式のガラケーが鎮座している。

 そして、目の前には若い母さんがいる。


ありえない……ありえない……。


 胸の奥から、じわじわと嫌な汗がにじむ。


「湊? 具合悪いの?」


 母さんが心配そうに声をかけてきた。

俺は慌てて首を横に振る。


「だ、大丈夫……」


 情けない声だった。

震えてしまうのを必死に堪える。


(落ち着け。冷静になれ。まず情報を整理しろ……)


 必死に自分に言い聞かせる。

今の俺にわかっていることは、ただひとつ。

『目を覚ましたら、なぜか過去に戻っていた』という、それだけ。

 理由も、きっかけも、何もわからない。


(もしかして、死んで……その後、こうなった? それとも夢?)


 あり得ない推測ばかりが頭をよぎる。だけど、頬をつねっても、痛みがある。

食べたトーストだって、ちゃんと噛み応えがあった。


(これが夢だとしたら、あまりにリアルすぎる……)


 ぐらりと視界が揺れる。

喉の奥がひりついた。


「とりあえず、病院でも行く? 顔色悪いわよ」


 母さんが心配そうに覗き込んでくる。

俺は慌てて首を横に振った。


「いや、大丈夫、ほんと。ちょっと寝不足なだけだから」


 そんな言い訳をして、無理やり笑顔を作った。


「そう? 無理しないでね」


 母さんはそれ以上は追及しなかった。

その優しさが、かえって胸に刺さった。


(……どうすりゃいいんだ)


 どうしたらいいのか、まるでわからなかった。

この異常な状況に、俺はただ、必死にしがみつくしかなかった。

だが、一つだけ記憶の中に違和感はある。

こうなる寸前に俺に泣き縋ってきた少女だ。


(あの子は何と言っていた?)


『ごめんなさい』


そうだ。謝罪の言葉だ。その後は──。


『わたしと湊さんの時間が――!』


 奇天烈な考えだが、あの少女が何したということはないだろうか?

 まず俺はあの少女との面識なんぞないはずだ。ここ日本において金髪碧眼の知り合いなんていたら記憶にないはずがないのだから。

 それなのに彼女は俺の名前を知っていた。

それも昨日今日知ったような口ぶりでもなかった気がする。

 少し遅い朝食を済ませた俺は母さんに一言礼を言い、リビングを後にした。

自室に戻り、その辺に落ちていた紙の裏に状況を整理した覚え書きを残しつつ、思考する。

まず今は2005年3月30日。年齢は満15歳で今年の7月に16歳となる。ついさっきまで35歳の3月だったから20年遡った事になる。付け加えると俺が高校に入学する4月4日の5日前という事になる。

俺は部屋に雑に置かれた入学式の案内と吊るされた真新しい制服に目をやる。

入学する事になる高校は『神影市立東奏高等学校』だ。

 所持している物は真新しい携帯電話。スマートフォンが普及する以前に広く使用されていた懐かしい折りたたみ式のガラケーであり、契約開始日は昨日の29日。登録されている番号は父と母くらいだ。


「当面の目標は記憶に沿って生活することかなぁ……」


 我ながら具体性のカケラもない。強いていうなら将来的に仮想通貨を購入しておく事くらいしか目標がないのが現状だ。


「鍵はあの女の子か」


 漠然とし過ぎた考えだが、あの少女の捜索も目標の視野に入るか。ただ少女についての情報が少な過ぎる。特徴のある見た目だったが、それだけしか分かっていない。


「いや、仮にあの子が原因だとして……」


 20年後の記憶にある少女は、容姿から推察するに歳は15歳程度か?

それならば今の現在の時間において、彼女が存在すらしない可能性がある。

もし存在しない場合は──。


「詰みだな……」


 俺は頭を抱えてしまった。

喉の奥がひりつく感覚を覚えた。

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