17話:未来とは
今後の活動において、星からの妨害が入る可能性は極めて高い。だからこそ、俺は改めて暦の星の奇跡について確認しておこうと考えた。
彼女の説明を要約すると、次のようになる。
まず星の奇跡とは事象の情報を演算解析し、現実の情報を上書きする星の技術とのことだ。
主に彼女や星が使っていた奇跡は、全く同じものらしいが、星がやったような直接結果的に未来の予定を書き換えるような使い方は暦にはまず出来ないのだと言う。
そして奇跡を発生させるには「星の希望」と呼ばれるエネルギー、すなわち暦を構成する力を消費する必要がある。
この「星の希望」は、奇跡の演算過程に必要であり、例え、星の意思により発動を拒否されてもプロセス上、必ず消費されるらしい。
そしてもう一つ、俺にはどうしても確認しておきたいことがあった。
「星の奇跡とやらについては大体理解できたつもりだ。ただ、ひとつ気になっていることがある」
「はい、何でしょうか?」
放課後の屋上。
昼休み以降、俺は午後の授業内容がまるで頭に入ってこなかった。
授業中もずっと、これまで断片的に聞かされてきた奇跡に関する情報を整理し、咀嚼するのに頭を使っていたからだ。
「星が今後干渉してくるってことは……つまりもう奇跡は使えないって認識でいいのか?」
俺たちの行動を星そのものが妨害してくるのであれば、暦が奇跡を発動しようとしても、それを一方的に却下されるのではないか――そう考えていた。
だが、それはどうやら違っていた。
「結論から言うと、奇跡を熾すことは今後も可能です」
「どうしてだ?」
「確かに星による妨害はありました。でも、そもそも『星』と『星の意思』は別物なんです」
……またこの類の話か。相変わらず、この辺りの概念はややこしい。
「簡単に言えば、『星』を五次元上に存在する生命体だと仮定すると、『星の意思』は四次元上にある“装置”のようなものです」
「何故そんなものがある?」
「どれだけ高等な存在でも次元の壁を単体でノーリスクで超えることが出来ないからです。三次元に生きる湊さんが二次元の地図を操作できるように、星も次元を跨ぐため『星の意思』というインターフェースを設計しているんです」
彼女の説明によれば、「星の意思」とは、星が構築したある種のシステムであり、正式名称は『次元干渉機』というらしい。
「星の意思」という呼称は、都市星霊の間で使われている通称に過ぎない。
彼女たちから見ればそのシステムこそが星の意志を代弁しているように映るため、そう呼ばれるようになったのだという。
星そのものも、そのシステム――つまり次元干渉機を通してのみ、こちらの世界に影響を及ぼすことができる。
そしてこの「星の意思」は、完全に独立した存在であり、発動される奇跡に制限がほとんどないという以外には、星そのものがこのシステムを自由に制御したり、暦のような都市星霊個人のアクセス権を一方的に剥奪したりすることはできないのだそうだ。
言ってしまえば、星も暦も同じルールに則って動いているに過ぎない。
つまり、奇跡の使用については、これまでと同様に行使可能である――そういうことだった。
彼女の説明はまだまだ複雑で難解だったが、俺なりに理解できたのはここまでだ。
それ以外は……正直、理解の範疇を超えていたので、割愛させてもらう。
「しっかし、どうするかだよなぁ」
正直、俺たちが置かれている状況はどう考えても不利だった。
それもただの不利ではなく、理不尽なレベルだ。
言ってしまえば、暦が願おうとすると問答無用で却下してくるレベルの奇跡を息をするように使ってくる相手だ。
そんな相手に、正攻法でどう立ち向かえというのか。
「わたしたちの計画……その、海風リファインが進行していけば、いずれこういった事態が訪れる可能性があることは、ある程度予想していました」
暦が静かにそう口にした。
彼女の声には落ち着きと、わずかながらの覚悟が滲んでいる。
勢い任せに命名した「海風リファイン」などというプロジェクト名を、改まって口にされるとやけにこそばゆい気持ちになる。
言った当人が恥ずかしがるのも変な話だが、それでも名付け親として妙な照れがあるのは否めない。だがそんな感情を飲み込んで、俺は彼女の言葉に続きを重ねた。
「でも、思っていたよりもずっと早く、その事態が訪れたってことか?」
「さもありなんです」
彼女の答えは淡々としていた。
その瞳には、これからに向けた強い意志が宿っている。
「じゃあ……俺たちはどう動くべきなんだ?」
「フェスタへの参加阻止が失敗に終わった以上、星は次の一手を確実に打ってきます。それはほぼ間違いありません。ですが、正直なところ、それを未然に防ぐ手立ては――ありません」
その言葉は重い。
だが同時に、曖昧さのない現実の提示でもあった。
こちらから先手を打つことはできない。ただ、受け止めるしかない。
「つまり当初の予定どおりに物事を進めるしかない、ってことか」
「はい。それが最善策です。星といえど、規模の大きな奇跡は避けてくるはずです。彼らは目的と手段を取り違えるような存在ではありませんから」
星が持つ最終的な目的は、あくまで星にとって都合の良い未来へと、この現実を導くことにある。
俺という個人を潰すために、大勢の人間の未来や現実を大きく書き換えるような奇跡を使ってしまっては、本末転倒になる。目的から逸れた強引な手段は、彼らにとっても愚行に等しい。
つまり俺たちはまだ“同じ土俵の上”に立っているということだ。もっとも、立っているだけで、まともに勝負になるとは限らない。
あちらは横綱。こちらは土俵入りしたばかりの子ども力士だ。
「これがゲームだったら、発売初日にワゴン行きのクソゲー確定だな」
そんな皮肉を吐きながらも、俺は不安を押し殺し、口元に苦笑を浮かべる。
「とりあえずは予定通り、実行委員会の設立に全力を尽くしましょう。たとえ星がどんな策略を巡らせてこようと、潰して前に進むだけです」
暦がそう言って立ち上がる。
彼女のその背筋はいつにも増してまっすぐで、静かな強さが滲み出ていた。
決して大きな声ではない。けれど、ひと言ひと言が芯を持っている。
「……結局は、出たとこ勝負ってわけか」
俺もその後ろ姿に導かれるように立ち上がった。
先の見えない未来に不安はある。だが、歩みを止める理由にはならない。
*
翌日。
昼休みのチャイムが鳴ると同時に、生徒会から呼び出しを受けた俺は、暦とともに生徒会室へと向かった。
「待っていたよ」
生徒会室に足を踏み入れた瞬間、会長が笑顔で迎えてくれる。
あの人懐っこさと飄々とした雰囲気には、いつも少しだけ拍子抜けさせられる。
「昨日、学校として正式にフェスタへの参加申請を行った。週明けには、主催側からの正式な受諾通知が届くはずだ」
「ありがとうございます」
俺は軽く頭を下げて礼を述べる。
それに対して会長は、柔らかい笑みを浮かべながら俺たちに着席を促した。
「さて、早速だが――今後の段取りについて話しておこうか」
俺たちが椅子に腰を下ろすのを見計らい、会長は話を再開する。
その表情は穏やかだが、目の奥には計画を支える者としての責任と覚悟が見て取れる。
「まず、君たちも知っての通り、これから実行委員会を立ち上げてもらう。トップはもちろん天戸、君だ。すでに本日の下校前、各クラスのホームルームで委員の募集が行われるよう手配してある。基本的には各学年から2名ずつ、最低限それだけいれば活動は開始できる。1年生は君たち2人がそのまま担当する形になるだろう」
俺は無言のまま頷いた。
その程度の人員なら、確かにそれほど苦労はないだろう。
「その後、実行委員会から校内の各部活動に協力を要請し、当校のブースで演目を披露してもらう計画を立てる」
これは俺が提出した企画書の内容だ。
フェスタまでに残された時間を考慮し、比較的交渉のしやすい部活動との連携を軸に据えた。
既存の力を借りつつ、それを活かす方向で動くことが、現実的な戦略になる。
「ここまでは校内で完結する話だ。だが、問題はここから先になる」
会長はそう前置きし、一息つくようにミルクティーのパックに刺さったストローを口に運んだ。
一拍の沈黙の後、真剣な声色で続ける。
「地元の企業に協賛を募らねばならない」
この部分こそが、実行委員としての最大の難所だった。
企業といっても、大きなビルに入っているような大手企業である必要はない。
むしろ、地元で営業している小さな飲食店や雑貨屋など、個人経営の店がターゲットとなる。
「もちろん、出資といっても金銭を要求するわけではない。必要なのは、イベントを一緒に盛り上げようという姿勢だ」
たとえば会場内での飲食物の販売や、装飾に必要な物資の提供など、協賛の形は多岐にわたる。
学校側も予算をいくらか用意してくれるが、それだけで足りるとは到底思えない。
外部の協力があってこそ、この企画は本当の意味で“形”になる。
「2年前に当校がフェスタに参加した際、この協賛交渉がうまくいかなかった。それが原因で、学校としての評価も芳しくなかったようだ」
会長は遠くを見つめ、どこか懐かしむように乾いた笑みを浮かべた。
その失敗を繰り返さぬためにも、今回の協賛活動は絶対に成功させる必要がある。
「ここまでで、何か質問はあるかね?」
話の締めくくりに、会長は腕を組み、俺たちに視線を向けた。
「はい。その、協力してくれる企業の数についてなのですが、どのくらい必要になるのでしょうか?」
暦が静かに手を挙げて尋ねた。
その意図は明白だ。必要な奇跡の数を見積もるためだろう。
「数に明確な上限はない。案内資料には『最低1店舗』とあるが、実際にはそれでは全く足りない。現実的には3店舗は欲しいところだな」
きっと暦は、その協賛数に応じて必要な奇跡の回数を逆算しようとしているのだろう。
俺としては、できるだけ彼女の力を借りたくはないが、星の妨害を考えると、どうしても頼らざるを得ない場面が出てくる。
「少なくとも、フードとドリンクを扱える店舗は確保したい。それに加えて、演目の合間を彩る雑貨を取り扱う店もあると嬉しいな」
俺の意見に、会長も軽く頷いた。
「そうなると、最低でも三店舗の協賛が必要になるだろうね。装飾については、学校側の予算でなんとかなる部分もあるが、可能な限り協力を得たいところだ」
三店舗か。
多くはないが、どう協力を漕ぎ着けるかを考える必要があるな。
俺は人知れず、拳に力を込めた。
*
放課後。
俺は今すぐにでも行動を起こしたかった。しかし現実には、実行委員会の立候補者が現れるのを待つ以外に、俺にできることはなかった。焦る気持ちとは裏腹に、今はただ立ち止まっているしかない。じれったいにもほどがある。
終わりのホームルームが終わった後、やるせなさを紛らわすように校舎内をぶらついてみたものの、そんな気まぐれな時間潰しにもすぐ飽きがきた。どうにも落ち着かず、俺は携帯で時刻を確認すると、自然と足を街の中心部、生元へと向けていた。わざわざ家に帰るほど気分は切り替わっていなかったし、どこか無性に何かを見たくなったのだ。
20年前からタイムリープしてきた割に、俺はこの懐かしい時代の街をあまり見て回っていない。
今後の活動の参考にもなるだろう。
夕焼けが空を染め始める頃、生元の急電駅前にある小さな広場に着いた。石畳で舗装されたその場所には、低く盛り上がった構造物がいくつも並び、人々がそれらを避けるように立っていた。
広場と呼ぶにはやや手狭な空間だが、神影市の住人にとっては定番の待ち合わせスポットだ。地元の人間なら誰もが一度はここで誰かを待ったことがあるだろう。
そして、その中に見覚えのある後ろ姿を見つけた。
(……三宮? 部活帰りか?)
目を凝らすと、彼女はいつぞやの楽器ケースを片手に持ち、もう一方の手でピンク色のガラケーを見事な手際で操作していた。目にも留まらぬ速さでボタンを叩いているその様子は、明らかにメールを打っているときのそれだ。
俺もつられてガラケーを取り出し、受信箱を確認してみたが、彼女からのメッセージは届いていない。代わりに新着のメールは何通かあったが、どれも晴人からだった。
添付されていたのは、なぜか本人の変顔写真ばかり。こういう無駄に全力な悪ふざけを、恥じることもなくやってのけるのが、あいつの妙な魅力でもある。
(まったく……)
苦笑しつつ、『ブサイクすぎだろ^^;』と軽口を打ち込んで返信する。すぐに返ってきたメッセージには、数学の老教師が満面の笑みでピースしている写真が添えられていて、本文には『口直し♪〜(´ε` )』の文字。
「うっせーよ……」
思わず口に出してしまいながら、俺は返信メールを打ち込んでいた。
そのとき、不意に耳に届いた声があった。
「——あっ! こっちこっちー!」
沙羽の明るい声。顔を上げると、ちょうど彼女が暦と合流する瞬間だった。
制服姿の沙羽とは対照的に、暦は私服だった。深い紺のワンピースは、ブラウスのようなデザインで膝下まで伸び、足元には白いスニーカー。シンプルながらも洗練されたカジュアルな装いだ。
ワンピースとスニーカーの両方に、月桂樹が交差するような意匠のブランドロゴが施されていた。同じブランドで揃えたそのファッションには、統一感と気品があり、どこかモデルのような風格すら感じさせた。
一旦、家に帰ったのだろうか。そう思った瞬間、俺の脳裏には、彼女が住処にしているあの洋館……今では廃墟と呼んでも差し支えない、あの不思議な空間が浮かんだ。
「わぁ! 暦ちゃん、今日も服めっちゃ可愛いっ! てか、毎回違う服着てるよね!? 同じ服見たことないんだけど!」
沙羽の無邪気な感嘆が、少し離れた場所にいる俺の耳にも届いた。
確かに沙羽の言葉には同意する。
私服の暦には何度か会ったが、毎回違う服だ。
まぁ、無から携帯電話や定期券を取り出してくるような奴だし、服も目に入った物をその時合わせて、用意している可能性もある。
結局のところ、これは俺の想像でしかないため、変に邪推するのはやめておこう。
暦も何か言葉を返しているようだが、その声は小さく、こちらには届かない。沙羽の声が大きすぎるのか、それとも暦の声が控えめすぎるのか。
しばらく言葉を交わしたあと、二人は肩を並べ、楽しげに歩き出した。沙羽の隣を歩く暦はとても楽しそうであり、ふと沙羽を揶揄うような目つきで何か軽口を言っているようにも見えた。
その背中を、俺はしばらく黙って見送っていた。そしてやがて、反対方向へと歩き出した。
暦とよく行動を共にしているが、沙羽の様にただの友人という立場で遊んだことは無かった。
彼女と二人でいるときはどうしても街を救うという目的を果たすための作戦会議になりがちだった。
俺は沙羽の知らない暦を知っている。けれど、彼女だってきっと、俺の知らない暦を知っている
何となくだ。決して、深い意味はないが、俺はただの友人として、暦と交流する沙羽が羨ましいと少しだけ思った。
今日はただ、それだけの放課後だった。
*
「な、なんだこれは?」
「驚きです」
翌日は土曜日だった。
フェスタまで時間がないため、こうして元気に登校してきているわけだが、俺たちは実行委員会のために用意された空き教室に入るや否や、驚きを隠せなかった。
何故かと言うと、委員会への参加希望が思いの外、多かったからだ。
大量というほどではないが、それなりに厚みのある立候補者生徒の申請書類の束を前に俺は固まってしまう。
というのも、俺は今日という日を迎えるにあたり、ある程度の覚悟を決めてここへ来ていたのだ。
「星からの妨害で立候補者ゼロかと思っていたぞ」
自然と漏れ出た言葉は、俺の胸中にこびりついていた最悪の想定そのものだった。そう、俺は星の干渉によって誰も応募してこない、そんな状況を覚悟していた。この教室に足を踏み入れたら、せめて星への悪態の一つや二つは吐いて気を紛らわせよう――そんな気持ちで来たというのに。
だが現実は違った。状況は、むしろ正反対だった。
俺の気合いとは裏腹に、教室に積まれていたのは希望と意志の結晶だった。そのギャップに、俺は逆に出鼻を挫かれてしまった形だった。
「星は今……わたしたちの動きを、じっと観測しているんだと思います」
「随分と悠長だな」
俺の言葉にやや間を置いて、暦が静かに口を開いた。彼女は慎重な仕草で申請書類の束から一枚を手に取り、それをめくり始める。その手つきはまるで、未来の在り様を確かめるようだった。
そして彼女は、ぱらぱらと数枚を確認した後、こちらへと視線を向けて言葉を紡いだ。
「今、わたしたちは、星が元々望んでいた未来とは異なる流れに入っているはずです。本来、予定していなかった未来に、すでに足を踏み入れてしまっているのです」
「まぁ……それは、間違いないな」
俺が軽く相槌を打つと、暦は頷いて続けた。
「星は今の状況を含めた形で未来を修正してくるはずです」
「星は今のこの状況を容認してるってことなのか?」
「その通りです。星は常に全体を俯瞰し、どのような流れであれ、最終的に星が望む未来に辿り着くように軌道修正します。わたしたちが“参加しない”未来から“参加する”未来へとシフトしたその瞬間、すでに星はどのような経路で元の未来に再収束させるかを予定しているはずです」
「……なんか、言ってることが難しすぎる」
「そうですね。たとえば、列車の線路が突然外れたら大事故になりますよね。でも、もし外れた線路をそのまま走らせながら、少しずつ元の線路に合流させれば、事故にはならず、先の駅に同じように到着します。星の行動は、それに似ています」
まぁ、暦が何を言いたいのかは何となくわかるが……。
「で、その“元の未来”に戻るのって、どの時点なんだ?」
俺がそう問うと、暦は少し黙り込み、思案するように視線を伏せたあと、問い返してきた。
「湊さんのいた未来では、この学校がフェスタにどう関わっていましたか?」
「俺が在学中はノータッチだったよ。それにフェスタ自体、俺が卒業後、数年で開催すらされなくなった」
その答えに暦はふむ……と小さく息を吐きながら、ひとつの仮説を口にした。
「なるほど。それならば、星は今、“この学校が来年以降、フェスタに再び関わらなくなる”という未来を目指しているはずです。それなら最終的に予定された未来とのズレは、ほんのわずかで済みますから」
俺はふと、ある疑念が心に浮かんだ。それは、とても単純で根本的な問いだった。
「……まさかとは思うが、この先の未来って、星が“勝手に決めてる”とか、そういうことじゃないよな?」
そんなことがあってたまるかと考えていたが、暦は、しっかりと首を振って否定してくれた。
「星が未来を選ぶことはありません。未来というものは、無限に存在する結果に過ぎない。人々の行動によって、その無数の未来の中から少しずつ選定される結果の候補が減り、もっとも可能性が高い結果が未来として“予定”とされ、最終的に選ばれた1つの結果が“確定”します。星がするのは、その予定される未来が星にとって都合の良い、最も安定した状態へ未来に確定するよう調整を加えるのです。もし調整の必要がなければ、星は静かに見守るだけです」
その語り口は、まるで教科書を丁寧に読み解くようだった。暦の声には迷いがなく、その内容もまた、単なる知識を超えた何か確信のようなものを帯びていた。
「……つまり、“確定”した未来には、星は手を出さないってことか?」
俺が念のために確認すると、暦はこくりと頷く。
「はい。基本的にはそうです。本当に確定した未来に対しては、星は干渉しないと思います」
「なんでだ?あいつら、チートみたいなこといくらでもできるくせに、そういうとこだけは妙に節度あるよな」
皮肉混じりに口にすると、暦は少し困ったような顔をして目を伏せた。
「すみません……その理由までは、わたしにも分かりません。星は、わたしたちよりも高次元の存在です。何を考えているのか、完全に理解するのは難しいですから……」
俺が不満そうに眉をひそめると、彼女は気まずそうに続けた。
「こ、これはあくまでわたしの推測に過ぎません。本当は、こういう曖昧なことはあまり言いたくなかったんですけど……」
「いいよ。暦の考えだけでも聞かせてくれれば助かる」
そう言うと、彼女は少し安心したように息を吐き、自分の中で考えを整えるようにして、慎重に言葉を紡ぎ始めた。
「おそらくですが、“確定した未来”に干渉してしまうと、その影響がこの惑星全体にまで及ぶからではないかと思います。だからこそ、星もそれは避けようとしているのではないでしょうか」
「……相変わらずのスケールのデカさだな」
まさか自身の人生の中で惑星規模のスケールの話がこんなにも身近に挙げられるとは予想もしたていなかった。
「予定されている未来は、どこか一部が変われば、それに連動して他の未来も自動的に修正・再構成されます。でも、確定後に無理やり未来を変えようとすると、本来ピッタリはまるはずだったパズルのピースに、違う形のピースを無理やり押し込むようなものになります。そうなれば、全体に歪みが出てしまうはずです」
「なるほどな。ちなみに、それって何か根拠があるのか?」
俺の問いに、暦は静かにうなずいた。
「はい。今の状況を観測した結果です。根拠というにはあまりにも弱いですが、恐らく『わたしたちがフェスタに参加する未来』がすでに確定しています。だから星は今は行動を起こしていない」
ここで口にした後、暦は少しだけ考える時間を取った。
「予定とは選択される未来の可能性が残っている状態。確定されるタイミングはその時でまちまちなので、星からしてもチンタラしてたらあっという間に未来が確定していまいます。介入の余地があるなら、今日すでにこの結果も″修正″しているでしょう。でもそうしないのは、今の段階ではその余地がないのでしょう」
そう締め括ったあとに、暦は申し訳なさそうな顔をした。
「もう一度言いますが、星は高次の存在なので、思惑や思想を完全に理解することはできませんが……」
納得はした。
少なくとも、星が“確定した未来”には静観を貫いているのは事実。それがなぜかは分からなくとも、そういうルールで動いていることだけは間違いない。
「……未来って、どこまで変わっていると思う?」
そう尋ねると、暦は少し考え込むように視線を落とし、それから答えた。
「分かりません。わたしは星とは違って、未来を観測することができませんから」
「暦の予想でいい。今の時点でどのくらい未来は変わってるって思う?」
少し間を置いて、暦は静かに口元に指を添えながら言った。
「正直なところこのくらいでは大きく未来は変わらないと思います。今のところは、わたしたちの目指している“街を救う”という未来は、まだ“衰退”という結末のまま、変わっていない気がします」
「……なんだよ、それ……」
思わずうなだれそうになった。せっかく動き出したのに、まだ結果は変わっていない。その現実が、じわじわと胸に重くのしかかってくる。
そんな俺の気配を察したのか、暦はテーブルの上に置かれていた白紙のメモ用紙を一枚手に取り、数本の線を引いた。彼女はそれをくるりとU字に曲げ、こちらに見せる。
「これから、わたしたちの行動によって“変化”が起こり、それに対して星が“修正”を加えてくることになるでしょう。この紙全体が、星の望む未来のイメージです。そして、書かれた線がそれぞれの個別の未来です。湊さんの未来や晴人さん、沙羽さん、この現在に生きる全ての存在に個別の未来があります。複数の個体の未来を現実は内包し、川のように流れが出来ているのです」
そう説明しながら、彼女は紙に折り目をつけた。
「そして、この折り目が、確定した未来の方向性、チェックポイントを表しています」
続いて、一本の線を赤ペンで囲み、強調する。
「この赤で囲った線が、わたしたちが目指している未来です。では、折れ曲がった紙の線を一本だけを元に戻そうとしたら、どうなりますか?」
「紙全体を伸ばすか、無理に線を切って戻すしかないな」
「その通りです」
「つまり、確定した未来で、俺たちだけに干渉しようとすると、現実から浮いてしまうってことか?」
「まさにそれです!鋭いですね!ちなみに後者は星でもそんな無茶はしません。全体を調整する方法しかないんです。未来の線はこの紙に描かれている数よりも遥かに多い……というか、この惑星全体にほぼ無限に存在しています」
無限という言葉の登場に俺は背筋が冷えるのを感じた。
「星といえど、そのすべてに干渉し続けるのは不可能なんです」
なるほど。
だから“確定”した未来には手を出さないのか。なら俺たちは、その未来が確定される前に、手を打ち続けていけばいい。未来を曲げ続けて、折り目がつくまで逃げ切る。そういう戦い方をしていく必要がある。
「わたしが言う″小さな出来事の連続″で未来を変えるとはこういうことです」
彼女の言う言葉は、小さな出来事を積み重ね、選ばれる未来の予定を街の救いになるものにする。
「星の予定していた未来から大きく外れ、星が修正を諦め、別のところで帳尻を合わせ始めるくらいまで未来を変えられたら理想です」
「そんなこと出来るのか?」
「はい、星はあくまで全体を見ていますので、この街の未来があまりにも大きく逸れれば、それを考慮してもっとも安定した状態を目指すことになります。まぁ、これは理想ですけどね。ここまで行くには本当に未来を″創造″したと言っていいでしょう」
星はあくまで俺たちを自分の理想とする未来を構成する一つのパーツとしてか見ていないわけだ。
そのパーツを使うしかないとなれば、他の未来を変えたしまえばいいというわけだ。
あまりにも大きな存在前に、目的をどう持てばいいか俺は迷い始めていたが、少し安心した。
「ありがとう、暦。なんとなくだけど、少し理解できた気がする」
「よかったですっ!」
満面の笑みで答える暦。その笑顔はまるで夜明けのように柔らかくて、あたたかかった。
だが、暦の話を聞き、俺はある不安を覚えた。
少し悩んだ後、俺は暦に尋ねた。
「ひとつ聞いていいか?」
「はい、何でしょうか?」
「この神影市の衰退の未来を変えれたとして、星が別のところで帳尻を合わせてくるって言ったよな?つまり、今のところ栄えていた街が衰退する可能性もあるのか?」
俺の質問に暦はハッキリとそう答えた。
「その可能性もあります」
俺は少し躊躇いを感じた。
つまり、それは──。
「もしそうなったら、その街の星霊は……」
──消えるのか?
俺の言葉に暦はすかさず答えた。
「大丈夫です。必ず他の都市の衰退でバランスを取るとは限りませんから。都市全体を衰退へ持っていくのは星としてもそれなりに手のかかる工程です」
俺は暦の言葉に違和感を覚えた。
何となくだが、暦にしては無責任な言い草だと思った。
いや、彼女も必死なのは分かっている。
自身の存在の消滅がすぐこそまで迫っている。それなのに他人の心配をしている余裕などない。
それにここで最悪のケースを想定し、俺の行動にブレーキがかかる事は彼女は避けたいはずだ。
つまり、どのようになろうと、彼女はこう言うしかないのだろう。
そして、俺も街の衰退は避けたい。
これは事実だ。
俺は暦を信じると決めている。
暦が大丈夫というのなら、大丈夫なのだと、俺は自分に言い聞かせた。
そうだ、俺たちにできることは変わらない。暦の例えに出した線路や紙のように少しずつ変化を加えていくしかない。
俺たちはその一歩として、実行委員選定の作業に静かに取りかかった。