14話:ステージからの説得
段落つけてなかったので、今回から入れてます。
投稿済みの分も誤字修正含め、随時していきます。
よろしくお願いします。
「皆さん、この街は好きですか?」
静まり返った、薄暗い体育館。
その静けさを破るように、マイクを通して俺の声が響く。
壇上のスポットライトが、まるでこの場所だけ別世界のように俺を照らし、その熱に額がじっとりと汗ばむのを感じた。
「私はこの街が好きです」
視界の端で、一人の生徒会関係者が“ん?”といったような怪訝な表情を浮かべたのが見えた。
だが構わず、俺は続ける。
「この神影市は、今、輝きを失ってきています。それは、かつてこの街を襲った震災。それを境に、確実に衰退の道を歩んでいます。その変化は緩やかで、目立たない。だけど確かに、この街を蝕んでいる。大人たちはよく言います。『街は絶望のどん底から復興した』と。まるでそれが美談であるかのように。でも、それは間違いです。この街はまだ、復興の“途中”に過ぎません。途中で止まり、立ちすくんでいるんです。ただ復旧したに過ぎません」
俺の言葉に、先ほど怪訝な表情をしていた生徒たちが、今度は明確な困惑を浮かべ始めた。
当然だ。
この話は台本にはない。
チラッと舞台袖を見れば、魚崎副会長が原稿用紙をめくりながら慌てて何かを確認しているのが見えた。
その隣で、パイプ椅子に腰掛けている会長だけが、どこか愉快そうに、意味深な笑みを浮かべている。
「私はこの街を歩き、この街の空気を肌で感じてきました。そして思ったんです──“復興”という言葉で塗り固められたこの街は、ただの飾りにすぎないと。かつて栄えていた港は、今は隣県に機能を奪われ、燻ったまま。“神影の台所”と呼ばれた商店街には、怪しげな看板を掲げた店が立ち並び、出所もはっきりしない商品が堂々と売られている。昔のような輝きは、今の神影にはありません。皆さん、想像したことがありますか?10年後、20年後、この街がどうなっているかを」
想像する。
灰色の書類が積まれた、誰もいない職場。
古びたパソコンの画面に映った、疲れ切った自分の顔。
「私は、そんなの、この街じゃないと思いました。この街はもっと輝ける。戦火で焼け野原になった過去を乗り越え、名もなき人々の手で再び立ち上がった街なんです。なのに、こんな中途半端なままで終わっていいわけがない」
一度、深く息を吸い込む。
「このままでは、この街は腐っていきます。人口は減少を続け、少子化の波が押し寄せ、子育て支援や教育は後回しにされる。そのときに“何もしなかった僕たち”が、未来の子どもたちに胸を張れるでしょうか。だから、僕はここにいる皆さんに、この街にもっと関心を持ってほしい。ここに生きている皆さんが、未来のこの街を形づくるんです。そのためにまずは、“地域交流フェスタ”という小さな一歩を、みんなで踏み出したい。この街を、ただの“地元”ではなく、“思い出になる場所”にしてほしい。10年後、20年後も、“帰ってきたい”と思える街にするために。だから僕は、生徒会に嘆願書を提出しました」
思い出す。
会長の話。
『僕も含め、3年生たちは、1年生の頃に第一回フェスタを経験している』
そのとき会長は、苦笑しながらこう言っていた。
『あのときは本当にひどかった。地域の協力も得られず、右も左も分からないまま、ただ突っ走って……盛り上がったとは言い難いよな。だから学校も消極的なんだ』と──。
俺は3年生たちへと視線を向けた。
「リベンジしませんか?皆さんが1年生の時に味わったあの苦い経験。今こそ、取り返すときだと思うんです。いや、リベンジさせてくださいっ!」
静まり返ったままの体育館。
誰も言葉を発さず、ただ俺の声が反響し、静寂を震わせる。
舞台の上から見えるのは、一人ひとりの表情だ。戸惑い、驚き、共感──様々な感情が交錯する中で、それでも誰一人、俺の言葉を途中で遮ろうとはしなかった。
その沈黙が、逆に俺の背を押してくる。
そして、俺は一歩、壇上の中央へ踏み出す。
吐き出すように、胸の奥にしまいこんできた“本当の思い”を、言葉に変えて解き放った。
「未来の俺は──何もかも諦めていました」
その一言で、時間が止まったように感じた。
誰もが耳を傾ける。誰もが、俺を見ていた。
「ただ、与えられたことだけを淡々とこなして、意味もなく毎日を消費していくだけの生活。自分で選んでるようで、何も選んでいなかった。ただ、流されて生きていました。この街で生きているはずなのに、心はどこかで死んでいた。──そんな生き方しかできなかったんです」
思い出す。
あの、閉じた灰色の世界を。
湿った空気と、蛍光灯のちらつきと、終わることのない“日常”の気配を。
「そんな中で──過去に来て、思いました」
言葉を絞り出す。心臓がどくんと鳴った。
「“まだ今なら、きっと間に合う”って──」
誰に向けた言葉でもなく、でも、誰よりも自分に言い聞かせるように。
自分で自分を信じようと、強く願うように。
その瞬間、俺の中に確かにあった“絶望”が、小さく音を立てて崩れていった。
頭の中で、暦の言葉がよみがえる。
あのときの優しい声。俺の迷いを叱るでもなく、ただそっと寄り添ってくれた、あの言葉。
「大丈夫。小さなことからでいい」と──。
その記憶に背を押されて、俺は顔を上げた。
目の前に広がるのは、未来を担うこの街の若者たち。
仲間であり、同世代であり、そして──希望だ。
「小さなことからでいい。それがこの街を変えるきっかけになると、俺は本気で思っています」
声が震える。けれど、逃げなかった。
それが自分の信じた道だからだ。
「“高校生風情が何を言ってるんだ”って──正直、俺も思いました。でも、それでも。やりたいんです。動きたいんです。俺たちの手で、この街をもう一度、輝かせたいんです」
熱がこもっていく。
押し殺していた感情が、堰を切ったように溢れ出していく。
「どうか……お願いします。皆さんの力を貸してください。俺ひとりじゃできないことでも、みんなとならきっとできる。この街を見捨てたくない。この街に未来を残したい。──絶対に、この街を救ってみせますっ!」
最後の言葉を叫ぶように言い切った瞬間、マイク越しに響いた俺の声が、まるで壁を突き破るように体育館全体に響いた。
俺は深々と頭を下げた。
しんと静まり返った体育館。
頭がボーっとする。暑さのせいか、それとも緊張か。
額から流れた汗が、壇上のマットにぽたりと染みを作っていくのが見えた。
そのとき、小さな拍手の音。
ゆっくりと顔を上げると、拍手を送っている暦の姿が目に入った。
真剣な眼差しで、まっすぐこちらを見つめている。
彼女に釣られるように、ぽつり、ぽつりと拍手が広がり、やがて体育館全体が水面の波紋のように沸き始めた。
その光景に背を押されるように、俺は再び、深く頭を下げた。
「はい!皆さん、拍手をやめてください」
そんな中、会長の声が響いた。
「天戸君は、実に素晴らしい演説をしてくれた。僕はそう思う」
再び静寂が戻る。
会長がゆっくりとステージを歩き、こちらへ近づいてくる。
その顔つきも、どこまでも真剣だった。
舞台袖を見れば、魚崎副会長が頭を抱えている。
当然だろう。これもまた、台本にはなかった。
「天戸君の言葉を綺麗事だと鼻で笑っている者もいるだろう」
そう言って会長は2年生の方へ視線を送る。
それに気づいたのか、笑っていた生徒たちは小さく息を呑み、動きを止めた。
「立場が変われば、言うことも変わる。天戸君は、“本当に必要なこと”を言ってくれた。ここからは、少し現実的な話を僕からさせてもらおう。フォローというより、補足だ」
スポットライトが、俺と会長、二人を照らすように分かれる。
「これは、特に3年生に向けた話になる。が、1・2年生にも関係のないことじゃない」
一度、言葉を切ってから、会長は続ける。
「この中には推薦で大学を受けるつもりの生徒もいるだろう。まぁ推薦入試でどのような課題があるかは大学によってまちまちだろうけど、面接はほぼあると言って過言ではない。部活動での活躍や委員会での活躍なんて、誰でも口に出来る戯言をその場で述べるより、自分たちが主体となってイベントの開催側に回ったという話の方がよっぽど花があると思わないかい?」
ざわつきが起きる。けれど、それは肯定の空気だった。
「僕個人としても、彼の考えに強く賛同している。そして、生徒会としても──天戸君の提案を正式に支持するつもりだ。ご清聴、ありがとう」
こうして、演説会は幕を下ろした。
*
放課後の生徒会室。
誰もいない静けさの中、俺は扉の前で一度呼吸を整えると、コンコンと軽くノックをした。
「失礼します」
小さく声をかけて扉を開けると、視線の先でこちらに気づいたのは、窓辺に立つ会長だった。
部屋を見回してみると、他の生徒会役員の姿はなかった。
広くはないその部屋は、昼間の喧騒とは切り離されたように、別世界のような静けさをたたえていた。
日も長くなり、放課後のこの時間でもまだ太陽は高い位置にあって、窓から差し込む斜光が机や床を温かく照らしている。
その光の中で、舞うように揺れている埃の粒がキラキラと輝いていた。
それの向こう、窓辺にもたれ掛かっていた会長に、俺は改めて深く頭を下げた。
「今日は……ありがとうございました。会長のフォローがなければ、本当にどうなっていたか……」
「何を言う?君のプレゼンは素晴らしかったよ。僕のフォローなんて、正直大したことはしていない」
そう言って笑う会長は、どこか肩の力が抜けたように見えた。
けれどその言葉は、俺からすれば謙遜以外の何物でもない。
そう思って首を振ると、会長はふっと鼻で笑った。
「考えてもみろ?推薦入試を考えてる人間なんて、多くて数十人。学年全体の人数を考えたら、たかが知れてるだろ?」
数字的には小さいかもしれない。けれど──。
参加のためには票を集める必要がある。数の大小は関係なく、無視できない存在だと俺は思っていた。
俺が何も返さず考え込んでいると、会長はそんな俺の思考を見透かすように、言葉を続けた。
「君の言葉が、今回の芯になる。それは間違いない。それに……僕が言ったことも、嘘じゃないよ。生徒会は、君を支持している。心からね」
静かに、けれど力のこもったその一言が、心にじんわりと染み込んでくる。
演説のあの瞬間からずっと感じていた胸の奥の圧力──不安や焦り、責任という名のプレッシャー。
その一部が、ほんの少しだけ和らいだような、そんな気がした。
「──今後についてだけど」
そう言って、会長は机の横にある簡素なパイプ椅子をギシッと軋ませながら腰を下ろす。
俺も自然と背筋を伸ばし、次の言葉を待った。
「明日の放課後だけど、申し訳ない。ここに来てくれ。開票作業の手伝いをお願いしたい」
「分かりました」
返事は迷うまでもなかった。
自分で言い出したことだ。
その責任から目を逸らすつもりはないし、むしろ生徒会だけに任せるほうが失礼というものだ。
「それで……もし参加が決まれば、学校側から正式に地域フェスタへの参加申請が行われる。その後、実行委員会の立ち上げや、各種手配が必要になる。細かいことは、その時にまとめて説明しよう」
事務的な話を淡々と進めながらも、会長の口調には確かな現実味があった。
それは、夢物語ではない“これから実現していくこと”として、確かに俺の胸に刻まれた。
話が一段落したのを見て、会長は自分の隣の椅子をトントンと軽く叩いて見せる。
「座っていいよ。せっかくだから、少し休もう」
促されるままに、俺は彼の横のパイプ椅子に腰を下ろした。
ひんやりとした金属の感触が、背中にじんわりと伝わってくる。
室内は静まり返っていた。
生徒会室は職員室のすぐ隣に位置していて、周囲も静かな空気に包まれている。
まるで学校という喧騒から少しだけ切り取られた、時間がゆっくり流れる場所のようだった。
そんな中、会長が鞄の中からゴソゴソと何かを取り出す音が響いた。
取り出されたのは、青いパッケージの200mlの紙パックなミルクティーだった。
そのまま同じものをもう一つ取り出し、片方を俺の前にそっと置く。
さらにストローを一本、俺の手元に差し出してきた。
「とりあえず、お疲れ様。ついさっき購買で買っておいた」
「……ありがとうございます」
紙パックの口を少し開き、ストローを挿す。
軽く頭を下げて、会長に一礼。
そして、ゆっくりと一口、甘いミルクティーを口に含んだ。
その味は、疲れた身体にじんわりと染み渡っていくようだった。
高校生の頃、タイムリープなんて想像もしていなかった俺もよく飲んでいた、懐かしい味だ。
街の擬人化少女が「水溶液」と酷評していたこのミルクティーは、俺にとっては何故か落ち着く、そんな安心の味だった。
ふと、会長が言葉を漏らす。
「君には頼りになる友人がいると知って、少し安心したよ」
彼の視線の先には、あの体育館で真っ先に拍手を送っていた金髪の少女──暦の姿がきっとあるのだろう。
あの場面で、あれほど真っ直ぐに拍手を送ってくれた彼女の姿は、誰の目にも焼き付いていたはずだ。
「僕は君のことをよく知らない。無理もない。知り合って、まだ一週間も経っていないんだからね。
別に詮索する気はないけれど……君、どこか周りより大人びて見えるからさ。もしかしたら交友関係に苦労しているんじゃないか、って思ったんだ」
「……まぁ、苦労は否定しませんが」
俺は心の中で、暦や他の仲間たちの顔を思い浮かべた。
特に暦には、驚かされてばかりだ。
けれど、会長の言う“苦労”と俺の感じている“心配”は、きっと別物だ。
「──さてと」
会長が急に声を張る。
すると、ぐっと身を乗り出してきて、不敵な笑みを浮かべた。
その瞬間、遠くの廊下から「コツ、コツ、コツ」とローファーの硬い足音が響いてきた。
「……僕も君も、予定にはなかったことをしでかしたからね」
「……は、はい?」
何の話だろうと、俺が思っていると──
会長は視線を部屋の出入り口に向けた。
「彼女はさ、予定外のことされるの、物凄く嫌うんだよ」
言った瞬間。
バンッと勢いよく引き戸が開いた。
開いた先には、眉間に深い皺を寄せ、青筋を立てて全身から怒りのオーラを放つ魚崎副会長が立っていた。
怒髪天を衝くとはまさにこれだろう。
今にも黒い綺麗な彼女の髪が天井を突き破りそうだとすら錯覚してしまう。
「……」
無言のまま、彼女はズカズカとこちらに向かって歩いてくる。
俺は思わず会長に視線を送る。
その横顔には、まるで「覚悟完了」とでも言わんばかりの、清々しい笑みが浮かんでいた。
「え、会長……?」
「大丈夫だ、二人で怒られようではないか」
その後、俺たちがようやく解放されたのは、校舎の窓が茜色に染まり、日が沈みかけた黄昏時だった。