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海風Re:fine〜街を語る少女と時をかける記憶〜  作者: 甘照すう
3章:街を語る少女の挑戦
11/40

10話:奇跡の条件

 オリエンテーションから数日。

このまま何事もなければ、季節はあっという間に初夏へと滑り込んでいくだろう。

極地を目指す飛行機が、引き返しが効かなくなる燃料残量の限界点──「ポイント・オブ・ノーリターン」。それに似た感覚を、今の季節の移ろいにも感じている。

あと少し進めば、春を通り越し、戻れぬ初夏の入口に足を踏み入れてしまいそうだ。

 すでにクラスの中では、ゴールデンウィークの話題がちらほら聞こえはじめている。

季節の流れというものは、いつだって人の心の準備を待たず、容赦なく先へと進んでいく。

 先日のオリエンテーションで課されたレポートを、あれこれと苦労しながらもようやく仕上げた俺は、この金曜の放課後に安寧を感じていた。


「ちょっと見せてくれ」と、晴人と沙羽が俺のレポートを覗き込んできたかと思えば、ページをめくるなり「何このお堅い文体、まるで市役所の報告書じゃん……読んでて頭が固くなるわ」などと眉を顰めて文句を垂れるではないか。

そんなつもりはなかったのだが、確かにそう言われてみれば思い当たる節もある。

長年社会人として叩き込まれてきた“読みやすさ”と“正確さ”の意識が、今の俺には染みついてしまっている。

高校一年生の身体に戻ったとしても、それはまるで心に染みついた錆のように消えず、滲み出てしまうものらしい。

とはいえ、無事に提出まで漕ぎつけれたのだから、良い。正直、提出期限さえ守れれば、内容は成績には影響しない課題なのだからその事実さえ、あれば100点である。


 場所は図書室。

校舎の隅に位置するこの部屋は、いつ来ても驚くほど静かで、人気もない。

昼休みや放課後にひっそり常駐しているのは、いかにも文学少女といった風貌の上級生。

顔の輪郭が歪むほど分厚い眼鏡をかけ、無表情でハードカバーの小説に没頭している姿は、まるで時が止まっているかのようだ。


静かだな──。


 レースの薄いカーテン越しに、春の陽光がやわらかく差し込んでいる。

窓から入り込む光は、木目の床と古びた本棚を穏やかに照らし、図書室全体にぼんやりとした温もりをもたらしていた。

 時折、引き戸がわずかに軋む音と、ページを捲る乾いた音だけが、この空間に微かな時間の流れを与えている。

 俺は意味もなく周囲をぐるりと見渡してから、目の前のニスが効いた木製テーブルに視線を戻す。

広げたノートには、「街を盛り上げる方法」と丸で囲った文字があり、そこから何本かの矢印が伸びた図が描かれている。

とはいえ、その内容は空白ばかりだ。

 ちなみに、俺はここに勉強をしにきたわけでも、本を読むために来たわけでもない。

一見のんびりしているように見えるかもしれないが、実のところ、内心では少なからず焦りを感じていた。

 暦は以前こう言った「焦ること。小さなことから始めれば、きっと未来に繋がるから」と。

だが俺は、その「小さなこと」ですら、いまだに形にできずにいる。思いつきすらしない。

考えてみた案もあるにはあった。たとえばSNSを活用するアイディアだ。

だが、この2005年という時代ではまだ現実的ではない。

あの超有名な鳥のアイコンだったSNSさえも日本に影も形もなく、携帯からネットに繋ぐだけで大金がかかる時代だ。

そう、パケット定額制が始まったばかりの、まだまだネット黎明期。

 頭では分かっていたはずなのに、想像以上に「情報発信」が難しい時代だったことを、改めて痛感させられた。


静かだな──。


 再びそう心の中で呟いた。

授業が終わると、暦はいつになく足早に教室を後にした。

普段は俺の後をついてきて、当然のように一緒に帰ることが多い彼女だ。

その分、今日のように一人になると、少しだけ心細さを感じてしまう。

もっとも、心配はしていない。

今日、クラスの女子たちが「全国のお菓子フェア」なる催しの話をしていた。

それを、暦がちらちらと横目で盗み聞きしていたのを俺は見逃していない。

オリエンテーションの時に感じたが、あいつはどうやら食べ物に対して、目がない。

 今頃、きっと駅前のデパートの屋上で、夢中になって甘味に囲まれているに違いない。

遊んでいる場合かとツッコミを入れたいところであるが、俺自体も何か出来ている訳ではないし、市場偵察ということにしておこう。

世界の危機というのに、夏には海水浴、冬にはクリスマスとイベントに明け暮れている危機感のかけらもない何もない連中ゲームもあるくらいだ。


「しっかしなぁ〜」


 思わず声に出し、大きく背伸びをした。

その瞬間、視界の端で瓶底眼鏡の図書委員がピクリと反応するのが見えた。

彼女は顔の前に人差し指を立てて「静かに」と無言で訴えかけてくる。

無表情ながら、どこか鋭い威圧感があった。まるで「ここは私の城」と言わんばかりだ。

気まずさを感じつつ小さく会釈し、再びノートに視線を戻す。

だが、相変わらずアイデアは浮かばない。

そのときだった。


「あれ?天戸くんじゃない?図書室に一人でいるなんて珍しい」


 不意に背後から声をかけられる。

この声は、沙羽か。


「なんだよ、俺が図書室にいちゃ変か?」


 振り向くと、そこにはやや驚いた表情の沙羽が立っていた。

陽の差し込みがまばらなここでは、彼女の焦げ茶のミディアムヘアーが黒っぽく見える。

前髪を留めるヘアピンの装飾が、蛍光灯の光をわずかに受けて鈍く輝いていた。

 外の気温が暑かったのか、紺色のブレザーを脱ぎ、水色のブラウスが全面に露出している。

そうだな、一つ残念なことを今思い出した。

この高校の女子の殆どは白のブラウスを着用していない。校則で限度はあるが色を指定されていないということも理由だが、一番は下着が透けにくいという女子的には圧倒的メリットがあるためだ。


「別に変とは言ってないわ。ただ、天戸くんが一人ってのが珍しいってだけ」


「暦なら、菓子を食いにとっとと帰ったぞ」


「ああ、駅前のデパートの屋上でやってるあれかな?」


「多分それだ」


 ぶっきらぼうに返すと、沙羽は「ふふ」と笑って、俺の向かいに腰を下ろした。

ブレザーと、黒くて大きめのケースをテーブルに置く。


「それ、なんだ?」


「さて、なんでしょう?」


 彼女のどこか得意げな口調に内心で溜め息をつきながら、ケースをじっと見つめる。


見覚えのある形だ──これは。


「楽器だろ」


「正解!」


 沙羽は満面の笑みでケースを開き、金色に輝くU字型の楽器をこちらに見せた。


「サックスか」


「またまた正解!」


 楽器を持っているということは彼女は吹奏楽部なのだろう。


「お前、吹奏楽部だったのか?」


「いかにも!ねね、知ってた?サックスって木管楽器なのよ?ちょっと意外でしょ?」


「ああ、一応は知識としては知ってはいる」


「お!知ってたんだ!結構、金管楽器って勘違いしてる人多いのに天戸くん博識なのね!」


 俺は再度、彼女のサックスに視線を向ける。


「トランペットみたいな金管楽器と違ってね!リードっていうこの木の板を使って音を鳴らすの!ちなみにクラリネットと同じ方式!」


 そういうと彼女は俺の目の前に説明にあったリードを出してみせた。

それはヘラみたいな薄い部品で、用途を知らなければ何に使うものかなど予想だにしないだろう。


「あとあたしのこれはアルトサックスっていう定番のやつだね」


 どこか誇らしげに思いの外、主張する胸を張る沙羽に、俺は少し意外そうな顔をした。

この時間、吹奏楽部は活動中のはず。なぜ沙羽がここにいるのか、疑問だった。

その表情を読み取ったのか、沙羽はすぐに答えた。


「音楽室の空調が壊れちゃってね。修理の人が入るから今日は早めに解散したの」


「なるほどな」


 理由が分かれば納得だ。


「それで、ちょっと暇だったから何とな〜く図書室に来てみたら……あら不思議!」


 沙羽はイタズラっぽく目を細めながら俺を見つめる。


「俺がいた、と」


「そうなのよ!」


 彼女は指をピンと俺に向け、まるで答え合わせをするように嬉しそうに笑う。

もし暦を“街”の擬人化とするなら、沙羽は“音楽”の擬人化だ。

よく喋り、よく笑い、誰とでも壁を作らない。

それは、彼女の持つ確かな才能だと、俺は思う。


「てか、三宮。お前さ──」


 俺が言葉を続けようとしたそのとき。


「あなたたち」


 厳しい声が飛んできた。

視線を向けると、図書室の支配者たる瓶底眼鏡の文学少女が、腰に手を当てて立っていた。

眉間にしわを寄せ、親指で無言のまま出入口を指し示す。


「……うるさいから。お喋りするなら外でお願い」


「「はいっ!?」」


 俺と沙羽は、声を揃えてぴしっと返事をした。



「ん? あれ、何かな?」


 沙羽がふいに立ち止まり、歩道沿いの掲示板にデカデカと貼られた何かを指さした。俺もその視線を追って目をやると、色鮮やかなポスターが一枚、貼られているのが見えた。

 近づいてみると、それはこの地域に向けた広報用の広告らしい。ポスターにはカラフルなイラストと共に、太めの文字が大きく印刷されていた。


「第3回地域交流フェスタ、か……」


 俺はそのタイトルを、ポスターに印字されたとおりに声に出して読んだ。

とたんに、脳裏にぼんやりとした記憶が蘇る。

 このイベント、確か地域と市内の高校が連携して出し!物を行う、いわば“街をあげた合同文化祭”のような催しだったはずだ。言葉にすれば聞こえはいいが実際のところ、その運営体制にはかなり難があったと記憶している。

 俺が知る限りでは、初回こそいくつかの高校が参加を表明し、それなりに話題にはなったものの、実際の内容はお世辞にも完成度が高いとは言えなかった。とにかく準備や段取りが甘く、イベント当日もバタバタしていたという話をよく耳にした。

 そもそも運営の中心を担うのが高校生自身という時点で、無理があったのかもしれない。経験も資源も乏しい中、広い地域を巻き込むイベントを回すのは簡単なことではない。

 2回目、そして3回目と回を重ねるごとに、その熱も急速に冷めていった。参加校の数は減り、客足も鈍り、気づけば「開催されていることすら知らなかった」と言われる始末。結局、数度の開催を経て、このイベントは自然と消えていったのだ。まさに、勢いだけで突っ走った無理のある企画だったといえる。

 俺がそんなことを思い返していると、沙羽が少し困ったように呟いた。


「でもさ……ゴールデンウィーク中に開催なんて面白そうだけど実際やれって言われたら悩むよね?」


 彼女の言葉に、俺も思わず同意する。

そう、このイベントには最大の問題があった。それは──開催の時期だ。

ゴールデンウィークの真っ只中に開催されるのだ。

誰もが楽しみにしているゴールデンウィークに学校行事の延長みたいなことを進んでしたがる者は稀だろう。それに生徒が主体となって運営といっても引率となる教師は必要になる。ゴールデンウィークという休みが教師にとっても重要というのは変わらない。

……とはいえ、大人の事情も見え隠れする。

 4月は新学期が始まったばかりで学校側もバタついているし、6月に入ると梅雨の影響で天候が読めない。7月は気温が上がり、屋外イベントなら熱中症のリスクも考慮せざるを得ない。8月は夏休みで生徒が集まりにくく、9月以降は各校で文化祭や体育祭など独自の行事が立て込んでくる。

 そう考えると、ゴールデンウィーク中しか差し込む候補日がない。ゴールデンウィークが終われば、中間テストという学業の本分も待っている。

 つまり、このイベントは学生にも生徒にも歓迎されていないのが実状だった。やる前から失敗の香りが漂っていると言っても過言ではない。


「……」


 俺はため息を一つ落とし、目の前のポスターから視線を外すと、静かにその場を離れた。



 土曜日の午後。

穏やかな陽射しが、窓の外で静かに揺れるカーテン越しに差し込んでいた。そんな土曜日の午後、俺はぼんやりと机に向かっていた。

とはいえ、目の前のノートには何の進展もない。午前中に突如現れた沙羽の乱入劇のせいで、肝心の「今後」について考える余裕など、微塵も残されていなかった。

 ぼうっと視線を落としたそのとき、不意に、机の端に置かれた懐かしさすら感じさせるガラケーが、ブルブルと震えた。短くも主張の強い振動。メールの受信を知らせている。

 この俺に連絡を寄越してくる人間など、指折り数えるほどしかいない。のろのろとした動作で携帯を開くと、ディスプレイに表示された差出人の名前は神戸暦だった。

 表示された本文は、たった一行のメッセージ。


『思い付いたことがあります。明日の午前10時に六道町に来てください\(^0^)/』


……なんだ、この顔文字は。


 思わず口元が緩んだ。懐かしいそれは、今となっては少し古臭くすらあるけれど、久々に目にしたその顔文字が、なぜか心を軽くする。けれど、その文面と、彼女の実際の表情とがまったく一致していないことは確信できた。

 きっと、彼女はこれを無表情のまま淡々と打ったのだろう。むしろ、その姿を想像すると、少し笑ってしまう。

 俺は短く「分かった」とだけ返信を送り、ため息とともに手にしていたペンを机に投げ出した。

 暦が「思い付いた」と語る何かが、一体どんな内容なのか見当もつかない。けれど、彼女から何かを提案されるのは、これが初めてのことだった。



 翌朝、指定された時間に遅れること五分。駅前にある小さな喫茶店に入ると、すでに席に着いていた暦が、開口一番、静かな怒気を含んだ声で俺を出迎えた。


「遅いです」


 その声に、冷や汗が流れた。言い訳の余地はない。電車の遅延があったとはいえ、そもそもギリギリに家を出た俺に非がある。

 六道町は、俺の実家から一駅の距離。対する暦の住処である、あの崩れかけた廃屋からは、俺の三倍以上も時間がかかるはずだ。彼女のほうがよほど苦労して、時間をかけてここまで来てくれたことは明白だった。

俺は頭を下げる。


「悪かった。反省してる」


 その言葉を聞いた暦は、サファイアのように透き通った瞳の片方を細め、口をわずかに尖らせて応えた。


「さもありなん。湊さんが全面的に悪いです」


 俺は苦笑しつつ席に腰を下ろし、店員にアイスココアを頼んだ。グラスの中で氷が音を立てる。その涼やかな音に少し気持ちが落ち着いたところで、俺は彼女に向き直る。

 暦の制服以外の姿を見るのは、久しぶりのことだった。

金色の髪は相変わらず艶やかで、光を受けるたびにさらりと柔らかく揺れる。その髪にさりげなく添えられたのは、繊細なレースがあしらわれた紺色のカチューシャは、可憐で上品な印象を引き立てていた。

彼女の服装は、胸元にリボンがあしらわれたチェックが有名な英国ブランドのブラウスに、淡い色味の薄手カーディガンを羽織り、落ち着いた紺のスカートを合わせた清楚なコーディネート。シンプルながらも洗練されたその装いは、彼女の持つ透明感と見事に調和していた。

 正直、見た瞬間に息をのんだ。あまりにも似合っていて、見惚れてしまったくらいだ。

可愛い。

その言葉が、思考よりも先に心に浮かんでいた。素直に、心の底からそう思った。


「で?昨日のメール。何を思い付いたんだ?」


 単刀直入に尋ねると、暦は小さく鼻を鳴らした。


「一昨日、わたしはこの足で街を歩き、街おこしのためのヒントを探してきました」


……嘘つけ。本当はスイーツフェアにでも行ってたんだろ。


 内心でそう突っ込みながらも、俺は黙って彼女の話を聞くことにした。


「そのとき気付いたのです。人を集め、笑顔を生み出すにはイベントが必要だと!」


 勢いよく彼女が差し出したのは、一枚の派手なポスターだった。


『集まれ!全国有名スイーツ店in神影』


「やっぱり……」


「何が”やっぱり”ですか?」


「いや、なんでもないって」


 睨むようなジト目で俺を見つめる暦。小さく息を吸って、続けた。


「実際に見てきましたが、それはもう凄まじい熱気でした。人が人を呼び、スイーツがその場を包み込むように──」


 試食に夢中だっただけじゃないのか?と、またもや内心で呟く。

それでも、彼女は本気で考えていた。


「つまり、我々もこうしたイベントを街に誘致できないでしょうか?権力ある人に掛け合って、実現するのです」


 自信に満ちた彼女の瞳。それに対し、俺の返答は冷ややかだった。


「もし本気で言ってるなら、相当な能天気だな。現実を見ろよ」


 暦の表情が一瞬、曇った。


「高校生がそんなイベントを開けると思うか?誰もが笑って取り合ってくれない。“ガキが戯言を言っている”で終わりだ」


「……やっぱり、無理なんでしょうか」

 

 しゅんと肩を落とした彼女の姿に、胸が締め付けられる思いがした。

 俺は、自分の口から出た言葉に、瞬時に後悔した。

なんであんな風に否定した?どうして、あんなにも早く諦めるような結論に飛びついてしまったんだ。

 彼女は、たとえその行動の裏にどんな思惑があろうと、自ら動いていた。俺なんかより、はるかに真剣に、この街の未来を見据えていた。

その事実に気づいたのは、すべてを言い終えてからだった。あまりにも遅すぎた。

 俺は現実が怖かった。ただそれだけだった。

だから意見を出すこともせず、行動を起こすこともせず、黙って逃げ続けていた。

 そんな俺が、彼女に何かを語る資格なんてあるのか?

彼女の力になりたいと口では言いながら、心のどこかで「どうせ無理だ」と、他人事のように距離を置いていた。

その自分が心底、情けなかった。

自分自身に辟易した。


「いや、俺の言葉が悪かった。暦」


 俺は遅い謝罪を口にした。

少しでも何か出来ないか。

そう考えた俺は、彼女に問いかけた。


「なあ、暦。お前のその“星の奇跡”ってやつ、使ってみるってのはどうだ?」


 彼女の持つ“奇跡の力”なら、街を盛り上げるイベントくらい、何とかなる気がした。

しかし、暦は首を横に振った。


「それは難しいです」


「どうしてだ?」


 暦は少し考えてから言った。


「そもそも奇跡は何でも出来る万能なものではありません。出来る範囲に制限があります。イベントなど多くの集団意識に関わる事は奇跡で発生させる事は出来ません。本来、星霊には役割があり、それを全うする為に星の意思により奇跡を搭載されています」


「役割って街を見守るみたいな?」


「近いです。わたしの役割は星の求める未来の維持です」


「星の求める未来?」


「星もわたしと同じく星の希望が必要です。星は最も星の希望を効率よく回収出来るように全体のバランスを取っています」


 つまりこの神影市の衰退は星にとっては必要な事というわけだ。


「星の奇跡は、星の意思の下に熾る力です。通常、奇跡は星の意思の制限下にあり、星の命を受けた時のみ無制限に熾せるようになります」


 まるで工場の作業フローのようだと俺は感じた。

そして、暦は本来のフローから外れた行為を行っているとも。

 あまりに非力だった。万能な存在だとばかり思っていた彼女が、まさかこれほど制約の中にあるとは。


「奇跡は原則、星の意思に管理されています。大人数への干渉や、星の求める未来に直接影響が与えることを懸念される場合、奇跡を熾す事自体を拒絶される事もあります」


 彼女はそう言って、ぽつりと目を伏せた。

少しの沈黙のあと、俺は口を開く。


「今さらだけど、1つだけ聞いてもいいか?」


「はい、何でもどうぞ」


「その“星”って……結局、なんなんだ?」


 彼女は、あっさりと答えた。


「星は、この惑星そのものです」


「……地球に、意識があるってことか?」


「その通り。星は生きています」


 あまりにも当然のように言い切った。

まるでSFだ。だけど、これが俺たちの“現実”らしい。

しかし我が地球は彼女の話ではかなりの傍観主義者のようだ。タイムリープを経験しておいて、今さらだが、俺は頭を抱えた。


「待てよ?」


 そんな時、俺はあることを思い付いた。


「なぁ、暦。お前の言うその“奇跡”ってやつは、具体的にどの程度のことができるんだ?」


 俺は少し慎重に言葉を選びながら、静かに問いかけた。向かいの椅子に座る暦は、俺の言葉にすぐには答えず、瞳を細めて少しだけ考え込むような素振りを見せる。


「それこそ……あのクラシキーを洗脳して操った時みたいに、“個人の意思”くらいなら変えられるのか?」


俺の問いには半ば冗談めいた響きもあったが、その裏には確かな興味と、ほんの少しの不安が混ざっていた。


 暦はゆっくりと視線を上げ、小さく微笑みながら答えた。


「洗脳、とは……なかなか失礼な言い回しですね。でも、まぁ……どの程度を意思を変えるかによりますが、ある程度は可能だと思います」


 その言葉には確信めいたものが含まれていたが、同時に慎重さもあった。


「……どこまで変えられる?」


 俺の問いに、彼女は少しだけ間を置いてから、淡々と、しかしどこか神秘的に答えた。


「“星の意思が許す”まで、です。星の意思の許可さえ下りれば、極端な話ですが、ブッダを殺人ピエロに変えることだって可能ですよ」


 その言葉はあまりに突拍子もなくて、俺は思わず顔をしかめた。


「……いや、怖すぎだろ」


「極論ですから。安心してください、そんな奇跡はまず却下されますから」


 暦はくすくすと、いたずらっぽく笑った。その笑みには不思議な余裕があり、どこか浮世離れした雰囲気さえ漂っていた。

だが俺は、そんなやり取りを一度受け流し、すぐに本題に入る。


「……それなら、“できる範囲”で構わない。頼みたいことがあるんだ」


 俺は静かに、だがしっかりとした声でそう告げた。暦の目がわずかに細くなる。

俺は迷いを振り切るように、心の中に秘めていた考えを、ゆっくりと彼女に打ち明けはじめた。


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