二人称彼我
16歳の頃に書いた作品を手直しして投稿。
個人的に『彼女』キャラクター性は結構好きです。
ピンポーン……。
「…………」
ピンポーン……。
「………………(イライラ)」
ピンポーン、ピンポーン……。
「………………(ぷち)」
ピンポーン、ピンポンピンポンピンポンピンポンピンポンピンポンパン――。
「……はーい!! 聞こえてますよーっ!!」
「いるんなら、さっさと返事しろやぁっ!」
「ごめーん。今、ちょっと手が離せなくてね~」
「手が離せないぃ!? じゃあ、勝手に入るぞっ!?」
なにぶん、話し相手が見えない状況なので、疑問文で声を張り上げる。
いや、叫ぶ必要はあまりないのだが、顔が見えないインターホンだと、聞こえているか不安になるのだ。
この女の家には、チャイムぐらいはあるがインターホン以外、他に高度な電子機器と呼べる代物はない。
まともな外部通信手段を持っていない癖に、外門から本館までの距離が馬鹿のように長い。
風采だけは立派な屋敷だ。しかし、非常に客に優しくない家と住人であった。
…………。
二人称彼我。
返事がない。ただの屍ではないだろうが。
しかし、気合いを入れた問いかけが、宙ぶらりんになる。
……腹が立つ。俺を呼んだのはそっちの方だろうが。
なのに何だ、この扱いは。
まるで俺が招かれざる客のようだ。
もういい。
無返答を暗黙の了解と心得る。
そうと決めつけて、立ちふさがる無駄にでかい鉄格子の扉を掴む。
彼女相手に遠慮するところなんざない。
反応を見る限り、今この家には、どうせ俺を呼びつけたやつしかいない。
つまり、躊躇う理由がないのだ。
ギシィ…、という酸化した金属が擦れ合うような音を立てて、扉が開く。
「ちょ、ちょっと待って~!!」
「……は?」
予想外の停止を求める声に、戸惑う。
「今マズいって言ってんじゃん~っ!!」
「うるせー! さっさと快適な室内にご案内しろ!」
「ただいまできかねます!!」
「はぁ!? 呼んだのはそっちだろうが!! これが証拠だっ!!」
これ見よがしに俺は手に持った黒ビニール袋(ゴミ用2L)セットを掲げる。
……ゴミ袋くらい自分で買えっていうか、わざわざ色指定だったのが謎だ。
「見えないよ~~!?」
「馬鹿にしてんのか! 玄関にくらい出てこいや!!」
「だって、手が離せないんだもん~~!! あ、ああっ! 頭が! ……いや、あはは」
「頭!? お前に一番足りないものだな! それはいいから、入るぞ!!」
「だ、だめ~~~~っ!!!」
「どないしろってんじゃあああぁぁぁっ!!!」
閑静な高級住宅街に囲まれた、ある一角での出来事。
異様な偉容を放つ洋館の前では、やはり異様なやりとりが繰り広げられていた。
「…………はぁぁぁ~あづ~」
八月。暑さもますます増していき、アスファルトからもいよいよ蜃気楼のようなものが立ち上っている。
さらに頭上の太陽からは殺人的な光線降り注ぐ。
それを殺人的な目付きで睨み返す、いまだ門前の俺。
ここまで来て、まさか門前払われるとは思えない、というか思いたくないが……。
…………~~!!
屋敷の中からは、何やら機械のようなものが動いたり、馬鹿が叫んだりしているのが聞こえる。
「……なにしてんだ、マジで」
一人で取る行動にしては、不審すぎる。
もしかして、一人じゃないとか?
いや、経験上、それは否定できる。
彼女以外が在宅中の際に出会したことがないからだ。
ぶっちゃけて言えば、家族が云々さえも怪しい。
「とはいえ、この屋敷を一人で管理するのも骨か……」
おそらく、家政婦のような者を雇っているのだろうが、それとて出会ったことはない。
謎だ。
思えば、昔からそうだった。
想起する彼女も謎ばかりで、知っているようで、実は何も知らないことを思い知らされることの方が多かった。
昔から――そう、『幼馴染み』なのに、だ。
「……そうだ、幼馴染みだ」
口に出してみて初めてその実感が湧く、関係の希薄さ。
あいつの一番近い位置にいたのは、いつだって俺のはずなのに。
相手に対する、自分の無知さに愕然とする。
そんな状況を招いたのは、何故だろう。
……俺が、あいつのこと積極的に知ろうとしなかったから!
完璧だ。その推論は正鵠を得ているに違いない。
しかも問題点を自己提示することで、同時に改善案を絞り出せた。
「……オーケー。いいだろう、とことん知ってやろうじゃないの」
これからは、疑問点があれば即質問、即調査、即解決!
まず、手始めに……現在の彼女の状況を探ってやろう。
その瞬間、俺は平凡な学生の面を被った、名探偵になった。
◇
ワンワン!
「こら、ペティちゃん、おいたしちゃ……あら、何かしら」
犬に引き摺られるようにして、洋館前に来たマダムAは、ある物に目を向ける。
「に、人形……? なんでこんなものがここに……」
犬が興味を示しているのは、外門前に置かれた、丁度二メートルほどのつっかえ棒。
それに、学ランを着せて巧妙に人形にかたちどっている。
それは門前に背もたれ、眠るようにして佇んでいる。
遠目から……例えば屋敷内から見れば、きっと人間のように錯覚するだろう。
言わずもがな、探偵に転身を遂げた彼の身代わりである。
疑惑と不審の目をそれに浴びせながら、マダムAは犬に引き摺られて去っていく。
◇
「――っよ、と」
軽い身のこなしで、彼はやすやすと屋敷内に侵入を果たした。
ここまでさほど苦労もなく来れたのは、警報システムのことごとくが無発動のためだった。
というか、これじゃなんのための防犯か分かんねえ……。
しかし、ここからはほとんどの未知の領域と言っていいため警戒しなくてはならない。
なぜなら、いつも正規のルートでしか屋敷に入ったことがなく、それ以外の部屋取りや道程など知ったことじゃないからだ。
……まあ、ここでも無知が身に染みるわけだ。
屋敷は広大だ。
長大な廊下の先は、冗談などではなく、見えない。
消失線の彼方に消えているのだった。
遠い目でその先を見据えようとする。
さて、ここから全ての部屋を見ていこうと思うわけだが……。
少々、分が悪い気がしてきた。というか一日で調べ尽くすのはまず無理。
……予定変更。柔軟な対応が作戦行動の正否の鍵を握る。
何もしないうちに、すでに茜空が窓外に広がってきているし……。
行動の効率化はかなり良案だと思えてきた。
「よし、じゃあ今日は、彼女の顔だけ見て帰るか!」
探偵は、学生へと再び転身するのだった。
◇
「ごめーん、ごめん、ごめ~ん~」
茜掛かった空が紫色、そして黒色への変化し始める頃。
本日初めて、箱入りお嬢様が外門に出向いた。
「待たして悪かったし、呼び出して悪かったし、いろいろゴメンなんだけど~」
学ランの背中は微動だにしない。
「お、怒ってる? やっぱ怒ってるよね? 申し訳ないです、はい。で、でもお詫びと言ってはなんだけど、何と豪華ディナーにご招待! どう? ね? …………あれ?」
夕凪が去り、一陣の風が吹けども、やはり微動だにしない背中。
さすがに彼女も不審に思ったようだ。
「ね~……って……! えっ、何これ!」
彼女がその背中を軽く押すと、カラン、と乾いた音を立てて棒が倒れる。
次いで、かぶせてあった学ランは彼の物であると断定した。
「……帰っちゃったのかな~……や、まてよ。帰るならこんな凝った真似しないよね~……って、もしかして家の中!!?」
彼女は一気に顔色が真っ青になる。
己の不覚さと近眼に、目眩を覚える。
――――マズい!
振り返って一目散に屋敷に駆け戻る。
……もしも、見つかってしまったなら……私は彼を――
◇
非常識な長さの廊下を一人歩く。
その通路に等間隔で扉が見える。もちろん、扉も地平線の彼方にまで続いている。
その広大さに反して、辺りは水を打ったかのように静まりかえっている。
どこか機械的で、冷然としたその雰囲気。
好んで住みたいと思わせる屋敷ではなかった。
「……はぁ」
彼は、今更ながら屋敷に侵入を試みたことを後悔していた。
時刻を確認する手段はないが、この疲労度からして一時間は歩いている。
これからすぐに帰ったとしても往復で二時間、外に出ればさぞきれいな月が虚空を照らしているだろう。
……そういえば、今日は満月だったっけ。
そんなどうでもいいことを思っていると、初めて曲がり角に出会した。
「歩いて一時間で、やっと一つ曲がり角ってどんな化け物屋敷だよ……」
事実、この屋敷は化け物のように巨大だった。
こんなデカさだったら掃除も大変だろうな、と思うが、廊下を見る限りなぜか埃一つ落ちていない。
ますます気味が悪くなる。
「……今日中に家に帰れますように」
当初の目的もあやふやになってきた現状だが、それも致し方あるまい。
本能的に、嫌な予感というものがひしひしとしていた。
それが彼の考えを、早く帰りたい、から早くこの屋敷を出たいという心持ちに変えていっていた。
そして、角を曲がる。
その瞬間から、嫌な『予感』は『確信』へと変わった。
「なんだ、この臭い……」
最初に漂ってきたのは、何がが腐ったような、悪臭。
目的がなければ、近づきたいとも思わない、生理的嫌悪感を呼び起こす腐敗臭だ。
だが、彼は鼻を摘み、おそるおそる前に進む。
どちらにしろ、後戻りは出来ない。
永遠に続くような廊下を歩き続けるくらいなら、少しだけ悪臭を我慢して、さっさとここからおさらばしたい、という心中だった。
しかし、その一方、臭いの原因に興味を示したのも事実だった。
歩を進めるに従って、鼻を突いていた刺激臭は薄くなった。
彼は安堵した。
やっぱり、判断は正しかったな。
どうせ、どこかでゴミでも焼いていたのだろう、その程度に思うことにした。
が。
大広間に出た瞬間、彼は信じがたい光景を目の当たりにした。
「え……なんだ……これ」
巨大な洋館に相応しい面積を誇る大広間。
敷かれた豪奢な絨毯は深紅色で、床面をほとんどカバーしている。
その広大な空間の中央。ゴミの山のように重なっている、ある物体。
本能が彼に警告する。――アレニチカヅイテハイケナイ。
だが、彼の足は『物体』に魅入られるかのように、引き寄せられた。
異臭。
それは吐き気を誘発しようとする。
今まで、嗅いだことのない、しかしどこか近くにありそうな、臭い。
彼は近づいてしまった。そして見た。
認めたくなかった。だから、そうと知りながら、無意識下でそれを否定していたのだ。
結果、『物体』は彼の眼前に、その正体をはっきりと現わした。
――――――人間。
瞳から光を永遠に失った、人間達の残骸。
それはまるでゴミのように、うずたかく積み重ねられて――。
「う、うああああああぁぁぁぁっっっ!!!!」
狂乱状態に陥る。
俺が今踏んでいるのは、何だ?
絨毯。赤い、深紅の――人間の鮮血。
「ひ、なんだっ、なんだよ、これ!!?」
腰を落として後退る。
だが、その床は彼らの血を吸って膨らんだ布地である。
べちょり、と身の毛もよだつ不快な音を立てて、波打つ。
まるで幻覚から醒めたかように、大広間の異常な光景にたじろぐ。
血を吸った絨毯。
積み重なった幾人もの死体。
血に濡れた凶悪な風貌の機械。
その近くには、人間の頭が、無造作に転がっていた。
「あ、……ああ」
「………………来ちゃったんだ」
言葉を失っている俺の背後に、声を掛ける影。
その響きは、どこか、冷たい空気を帯びていた。
「お、……お前っ……なんだ、これは!?」
聞きたいことはたくさんあるはずなのに、うまく言葉にならない。
そんな俺をあざ笑うかのように、彼女はいう。
「もう、ホントは分かってんでしょ?」
「……っ。そんな、馬鹿な……」
「馬鹿はお互い様じゃない~。せっかく異臭地帯に阻ませたのに、なんでわざわざこっち来るかな~」
けらけら笑う。
さも日常の些細な失敗を、笑い飛ばすように。
……死体が、転がる、この空間で、普段通りに。
「……まさか」
俺にとっては、完全な非日常だった。
「で、どうするつもり?」
「……は?」
「は? じゃなくて~」
未だ、頭の思考が収集つかない俺に、彼女が呆れたようにいう。
「じゃあ聞くけど、私は何?」
「…………」
「そ、分からない? 簡単、答えは『殺人犯』でした~」
………………。
「……嘘だろ?」
「この状況見て、まだ言うかぁ~」
飽くまで軽妙軽薄な態度は崩さない。
彼女はバレちゃった~とばかり、へらへらと苦笑する。
なぜ? という言葉が頭に浮かぶ。
なぜ、それをやった?
なぜ、俺を呼んだ?
そして、なぜ……なぜ、平然としていられるんだ!!
「ただの趣味だからね」
「趣味……だと?」
「うん、楽しいよ~……人殺すの」
夢の中で、禅問答を繰り返すような虚無感。
非日常の中で使用される日常的な言語。
その矛盾が、感覚を、身体と乖離させていく気がした。
「それはいいとして、これからどうするの? って話」
「これから……?」
「だって、通報されたら間違いなく、私捕まるよ? ほら、仏さんがいっぱいだし」
「やめろ……。俺は、信じない」
「……意味分からないけど、なかったことにするってこと?」
なかったことにする。
それはとても魅力的な提案だが、俺には選ぶことができない。
なぜならここで逃げたとしても、この記憶は一生俺に付きまとうだろうから。
ならば、今ここで決着をつけなければいけない。
決断を――。
「決断……か」
「そうそう、さっさと決めちゃいなよ。もう、私、似るなり焼くなりされるから」
「……対処しないのか?」
「たいしょ? どゆ意味?」
「例えば……逃げたり」
「逃げても行くところないじゃん~。私はただのちょっと変わった趣味の女子高生だし、住むとこなかったらのたれ死んじゃうよ~」
「……ここで、俺の口を塞ぐとか」
追い詰められた犯人が、一番取りそうな行動だ。
正直、背後に気配を感じたとき、俺も一度、死を覚悟していた。
「ていうか~、ゴミ袋持ってきた?」
「話、逸らすなよっ。置いてきた……玄関に」
「うっそ、学ランダミー人形しかなかったよ?」
「学ランの中に、空気入れた袋を突っ込んである。余りは道に置いてきたはずだ」
「なかったって~」
「……野良犬辺りが持って行ったんじゃないか?」
「え~……せっかく久し振りにアレの整頓しようと思ってたのに……」
「『アレ』?」
「やるのは楽しいんだけどさ~、あとで臭いが凄いのが問題なんだよねぇ」
「…………」
俺は死体処理に付き合わされたのか。
混乱していた思考が正常に戻るに従って、己の行動を客観的に見られる、妙な冷静さが出て来ていた。
「問題が出るなら元から罪を犯すな」
「もう手遅れなんだよね~」
「……自覚あるなら、自首しろよ」
「やだ~」
「どうしてだ?」
「だって、警察行ったらもれなく死刑じゃん」
「これだけ人間をやっといて、今更何を言う」
「趣味だもん」
「……死刑だな」
「やだ~~」
だだっ子のように彼女がふくれる。
本当にこいつが殺人なんて大それたことをやったのだろうか。
それが真っ当な疑問に思えてくる。
「本当にこれはお前がやったんだろうな?」
「うん」
当然、と頷く。
「なら、一番最初は誰をやった?」
無実なら答えられるはずがない……という希望が、わずかにあった。
「お母さん」
儚い希望は、無惨に打ち砕かれた。
「で、次はお父さん、お姉ちゃんで家族、親戚、友達、通りがかり、と来て現在に至ります、はい」
周囲の親しい人を消していく、それを嬉々と語る、この女の感覚は常軌を逸している。
だが、不思議と恐怖は感じない。
そんな怖ろしい思考回路を持つ相手が、目の前にいるというのに。
「……こんな屋敷に一人きりで、寂しくないのか」
「ん~あんまり。時々、メイドさんが来てくれるし~」
屋敷内の清潔さは、そうやって保たれているのか。
だが、その感心は次の一言に破壊される。
「あの中に、メイドさんいるよ」
と指し示した先には、遺体の山。
もう、直視しても吐き気を催すようなことはない。
……非日常に適応し始めている自分が怖かった。
「節操なしだな、お前」
「最初は結構厳選してたんだけどね~。今はそんな贅沢できる状況じゃないし」
「……近い人から、やっていったんだよな?」
「うん」
「なら……」
……矛盾がある。
とても大きな、特に『俺』にとっては大きすぎる疑問。
今日は、それだけを解くため、ここに引き寄せられたのかも知れない。
「なぜ、俺は生きている?」
俺は、生きている。
少なくとも殺されそうになったことは、一度もない。
この女の家族を除いて、もっとも側にいる期間が長かったのは、俺だ。
近くにいた。なのに、こうして俺は生きている。
分からなかった。
「それは……分からない」
「分からない……?」
それは俺と同じ答え。
彼女もまた、俺を生かした理由が分からないという。
「これまで、近くにいた人間は、どんな順番であれ、殺してきた。だから、私も分からないんだ。だって、ずっと長い間、一番近くにいたのはいつだって……君だったから」
「ああ……だから、幼馴染みだっていうんだよな」
「うん……そう。私には友達がいない。他に幼馴染みもいない。だって、そうなる前に、みんなこの手で消したから」
家族、親戚、友達……そこまで完膚無きまでに関係を破壊してきた彼女が、ただ一人の男の前では刃を止める。
……なぜだろうか。
「でも……特に、意識してたわけじゃなくて……気付いたら、周りにいるのは君だけになっていた……ただそれだけ」
「余り物かよ、俺は」
「でも偶然の産物でできた、奇跡的な関係なんだよね、実は」
「お前さ……俺を殺したいと思う?」
「…………分かんない。でも……」
血の臭いが僅かに烟る、大広間。
死の予感を抱かせるその場所で言うには、危険すぎる問いだと思った。
いってしまえば、不用心な好奇心の発露。
しかし、この胸のどこかに、何かへの不思議なほどの信頼があり、また外部的な、自分の意志の及ばないところで何かが、背中を押している気がした。
「殺せるとは、思う」
「…………そか」
「うん……」
答えは、可能不可能の領域で返ってきた。
できるのだが、しなかった。
だが彼女は、しないことを、確かに、選んだ。
無意識的にかどうかは定かではないが、選んだという事実は覆らない。
信頼に応えたという事実は、覆らない。
俺は、口を開いた。
「俺も、お前を、殺せる」
「…………無理だよ」
「お前は、俺を、殺せるのか?」
「……できる」
「無理だね」
俺は、断言した。
信頼に応えた彼女は、誰かに信頼される権利がある。
だが、周りには誰もいない。
ならば、俺が信頼してやらなければならない。
それは俺にしかできないことだ。
「……できるよ」
「無理だ」
「できるってば」
「無理」
「できるんだよ? その気になれば簡単に」
「やってみろよ」
「いいの? 死んじゃうよ? すごく痛いよ? 悲鳴上げないで死んだ人、いないもん」
「案外気持ちいいかもしんないじゃんか。死んだことない癖に、知った口を利くな」
「誰だって、死んだことないよっ! もういい。死にたいなら、一度だけ体験させてあげる」
「一度しか体験できないんだから、丁重にな」
彼女は例の禍々しい機械の側により、銀色のナイフを取り出した。
「これ、分かるよね」
「フォークだろ?」
「ナイフ! ……なんで、これから死ぬっていうのに、そんな冗談が口から出てくるの?」
「死なんからだ」
「絶対に、君は、ここで死ぬ! 私の手によって!」
「前口上はいい。その死とやらを早く体験させてみろ……幼馴染み」
「――――!」
一歩目を駆け出すと、目の前に来るまでは一瞬だった。
彼女の胸の前、構えられた両の手には、しっかりと銀のナイフが握られている。
動きは良い。慣れたものだ。
彼女がこのまままっすぐ突き進めば、自動的に俺の胸が貫かれるだろう。
そして彼女がいったように、俺はここで死ぬ。
「…………」
状況に反して、俺の心は落ち着いている。
確信しているからだ。
……もちろん、俺が、死なないことを。
「――――っ」
「…………」
一瞬の空白。
まるで時が止まったような、その瞬間。
「――――ぁ」
そして、カチャ、という金属が床を叩く音。
床面は血に塗れているから、それが大気の振動を抑圧した。
「な? いったとおりだっただろ?」
「な、なんで? 殺せない、この私が……?」
「無理なんだよな?」
「そんなはずが……っ」
「お前さ、実は律儀なやつだろ?」
「…………ぇ?」
「これまで家族、親戚、友達、ついでに通りすがり、とやってきたんだよな」
「…………」
「ならさ……俺は、どのジャンルに区別される?」
「…………あ」
「家族、親戚ではない。通りすがりでは当然ない。あとは友達か? ……その選択肢は、否定していいよな?」
「…………(コクリ)」
彼女は無言で頷く。
ようやく気付いたようだ。
俺は、とどめとばかり、口に出す。
「だって、お前、俺の『彼女』じゃん」
当の『彼女』は、恥ずかしげに顔を伏せる。
「関係は恋人。だから、お前は俺を殺せない……オーケー?」
「…………うん」
「あと、これから当分は俺のこと殺させる気ないから、よろしく」
「……当分?」
「結婚したら、俺も覚悟しないといけないからな……それが出来てからだな」
「私はいいよ、それで」
一転、無邪気に笑う彼女。
その無防備な身体を抱きすくめたくなるが、他にやることがある。
もちろん、この仏さんたちの掃除もそうだが、重大なことがもう一つ。
「あ~悪いが、質問があるんだが」
「あっ、私もあるよ!」
「……聞いて呆れるなよ?」
「どうせ同じことだと思うんだよね」
彼女は、ニヤリと笑う。
俺と彼女が出会って、十数年。
それほどの年月を重ね、未だ知り得ることのない、最高の疑問点。
『あなたの名前はなんですか?』
たった今、ここから、遍くの疑問の氷解が始まる――――