92話 くさそうな暗殺
ユアの叔父、カレラ・リナーデルは高給取りとは言えない。
それはユアが贅沢な生活をしていないのを見れば明らかだが、それでも子供一人を養うために彼は相応の苦労をしている。それが兄弟の忘れ形見に彼がしてやれる精一杯のことなのだ。とはいえ彼女に一人暮らしを許していたりとやや配慮の足りない部分がなくはないが、オウルから見ればそこまで求めるのは酷であるとも思える。
そも、金も払っているし性的虐待もしていないし定期的に様子を見に来ているし、自分の懐が痛まない機会とはいえ年頃の娘をバカンスに誘った上にその彼氏と友人にまで同行を許しているのだから、社会全体で見ればお人好しの類である。
そんなカレラはホテルのレストランでユアとオウルに笑顔で話しかける。
「随分海を楽しんだみたいだね、二人とも。さあ、遊んだ後はやっぱり食事だ。ステーキを召し上がれ!」
「むぐむぐむぐ……」
「もう食ってるし……」
目の前のステーキにかぶりつきになっているユアに、オウルは相変わらずこの娘は……と少し呆れた。
それだけ腹も空いたのだろう。
これ以上野暮なことは言うまいとオウルもカレラに礼をし、ステーキにナイフとフォークを伸ばす。
元々慰安旅行は安めのコースで計画を組んでいただけあってステーキのサイズや質は高級とは言えないが、それは仕事柄超高級な食事を楽しむ連中を狙うオウルたちから見た話で、貧乏中学生が口にするには充分リッチなステーキだ。
こんがり焼き目のついた牛肉ステーキをナイフで切ると、肉の断面から中からゴールデンジュースがさらさらと零れ落ち、食欲をそそる香りが更に濃厚に立ち上る。肉の特性を熟知した人間が丹精込めて焼き上げた証だ。付け合わせの食材なども一つ一つの質は高く、ステーキハウスで食べればユアの外食における一会計の食費許容量を大幅に超過するであろう200ジレアは下らない。
オウルは年相応の反応で肉を堪能する演技をする。
別段嫌いではないが、貧乏男子中学生としては多少オーバーリアクションであるべきだろう。
「うまっ! すっげーうめぇっす! じゃなかった、美味しいです!」
隣でもくもくと食べていたユアも顔をあげて「だよねっ!」と口元にソースを付着させたまま笑う。これはオウルの演技に合わせているというより、自分が気持ちよく肉を食べるために同意して欲しいだけだろう。肉を楽しみたい女と演技したい男、利害の一致である。
カレラは満足げに頷きながら、自分も少量ずつ肉を頬張る。
「いやしかし、一日でなかなか焼けたな、ユア。お母さんの血の影響かな?」
「多分。けっこうくっきり焼けちゃった」
今更になって気付いたように自分の肌を見るユア。
日焼け止めは塗っていたが、海ではしゃいでいるうちに効果が薄らいだのか少し浅黒くなっていた。東洋人の血が入っているユアはオウルたち白人種に比べて焼け色の変化が大きいのだろう。カレラは改めてユアを見ると「会う度に一回り大人になっていくな……」としみじみ呟いた。純粋に姪の成長の早さを実感して感慨に耽っているようだ。
「しかも彼氏も出来てて、こんなに早く顔を合わせることになるとは思わなかったよ」
「あ、その……お邪魔でしたかね?」
「いやいや、むしろ会えて良かったよ。ユアはちょっとそそっかしい所があるから、君みたいに一歩引いたしっかり者が側にいてくれると私としても安心出来るというものだ。ふふ、将来には婿になってくれというのは気が早すぎるかな?」
「ちょ、ちょっとおじさん……!」
流石のユアもそこまで踏み込んだことを言うとは思っていなかったのか、ポテトを食べようとする手が止まる。カレラは「冗談、冗談」と笑う。
「結果がどうあれ、末永くよき関係であってほしいのは本音だよ。二人はまだ中学生だ。これから色んな出会いと経験があるだろう。でもね、パートナーであれ友人であれ、こうして旅行に誘える関係の人間というのは将来の宝物になるものだ」
相応に年齢を重ねているだけあって含蓄のあることを言うカレラは、やはり根がユア寄りの人間であるのが伝わってくる。オウルはそれを理解したうえで、中学生らしい話も振る。
「そういや、カレラさんって学生時代なんか部活してたりしましたか? 俺ら家で勉強する時間が多くてあんま部活ってイメージつかなくて」
「私もそれ聞きたかった。うちの学校ってあんま部活動が活発じゃなくて帰宅部多いからさ」
「勉強の時間が大事なら無理に部活動をしなくてもいいとは思うけど、おじさんのときはバドミントン部だったね。これでも一度だけ州大会まで行ったことがあるけど、物事に打ち込んで結果を勝ち取ったり皆で団結してスポーツに打ち込むってのはいいものだよ。今も趣味でちょっとやってるし、交友関係が広がって健康にも良い。一度くらい経験して損はないと思うよ」
「へー。いいなぁ、そういうの……」
ユアは未だ経験していない種類の青春を想像して頬を緩めるが、その瞳は憧れというには遠い目をしていた。現実的に考えて、ラケットやシューズなどの値段や自分の成績とのバランスを考えて「遠い世界の話」と現状を儚んでいるのだろう。
カレラくらい気の良い人なら頼めば部活動に打ち込むお金くらいは捻出してくれそうだが、結局はスポーツの世界でもお金がある人間がよい環境を揃えやすい面はある。それに、一人暮らしのユアは部活に疲れて家に帰ってからも他の生徒よりやることが多いので勉強時間を圧迫するのは明らかだった。
クアッドやニャンダホさんなるお掃除ロボのおかげで家事の時間を短縮したり勉強時間が効率的になってきているユアは期末テストの成績も本人が思っていたより悪くはなかったが、親がいないという現実はどこまでも彼女に付きまとう。
オウルはそれを改善しようとは思わない。
ユアはそういう環境に生まれ、そういう環境の中で伸ばせる精一杯の範囲の手を伸ばしながら制約の中で生きていく。他にあるかもしれない人としての可能性を気付かず潰しながら。
それがこの国の平等だ。
それがユアという人間の人生だ。
同時に、カレラという保護者の限界でもある。
限界を超えるには何かを削らなければならず、そこには想定外のリスクが付きまとう。
なので、オウルは彼氏として現実的な話をするだけに留まる。
「音楽系の部活なんかでいいかもな。歌唱部とか。ユアは一軒家で一人暮らしだから周囲を気にせず練習し放題だ」
「確かに! 一人暮らしの一軒家にそんな利点が! うーん、やってみる価値はあるかも?」
「若いうちは何事もチャレンジだよ、ユア」
「……ん。考えてみるよ、おじさん」
これは面倒くさがってやらないな、と思ったオウルだが、口が余計な言葉を漏らす前に肉を放り込んでおいた。
◇ ◆
オウルたちが食事に舌鼓を打っていたその頃、テウメッサはライフガードとして急遽近くの岩礁地帯にホバークラフトを走らせていた。現地のライフガードの先輩が真剣な面持ちで説明する。
「この辺りの岩礁地帯は昔は船もよく座礁した危険地帯なんだが、例年この時期になると敢えて危険地帯に突っ込んでスリルを楽しもうと水上バイクで爆走する莫迦が出る。案の定、今年も既に何人か立ち入り禁止を伝えるブイを素通りして事故を起こした」
「そんな馬鹿が二人ほどここに来たので我々は様子を見なければならない訳ですね」
「ああ。ブイに装着されたカメラが捉えた。若いカップルだ。入ったのは映像に映っていたが出た形跡がない。勝手に事故ってその辺に浮いてるかもしれん」
実際の所、死亡事故に繋がることも少なくないようだ。
しかし、エクストリームスポーツのように危険だと分かっていてもスリルを求めて危険な行為に挑む無謀な人間は一定数存在する。ライフガードとして面倒でも逐一対応する他ない。
ホバーが速度を落とし、立ち入り禁止の看板を掲げたブイの横を通り過ぎる。
海では周囲の目視確認は困難であるためライフガード専用のドローンを数機飛ばして周辺を確認していく。暫くすると案の定、下部が破損した水上バイクが岩礁に引っかかっているのが発見された。
先輩ライフガードが焦った声を漏らす。
「まずいな、乗っていた二人が見当たらない。衝撃で海に放り出されたかバイクから飛び降りたか……映像ではライフジャケットもつけていなかったし、今シーズン初の水死体にならないといいが……時間と海流の流れからして沈んだならそう遠くには行っていない筈だ」
状況を分析しつつてきぱきとホバークラフトの上から水中ドローンを投下しつつ空中のドローンの捜索範囲を拡大していく中、テウメッサは真面目にそれを手伝う途中、つんとした臭いが鼻腔を擽った気がして周囲を見渡す。
(なんだ? 死体、とは、違うか……?)
嗅いだことのない異臭が気になったテウメッサはこっそりユニットのシステムを起動して臭いの発生元を調べる。すると、岩礁に乗り上げて波に揺すられる水上バイクから発生していることが判明した。テウメッサは水上バイクにあるものが装着されていることに気付くと、機転を利かせて海に飛び込む準備をする。
「水上バイクにカメラがついてます。回収して映像を見たら何か分かるかも……」
「よし、行ってこい。海流と岩礁に気をつけろよ!」
「はい! 行きます!」
簡易的なスキューバ装備で海に飛び込んだテウメッサはなんら不自然さのない動きで水上バイクに近づくと、バイクに装着されたカメラを回収する。車やバイクなど乗り物からスピーディな映像を撮影する際に使われる高精細な映像録画カメラだ。その回収のついでに、水上バイクの異臭の発生元に目をやる。
(明らかに自然なものじゃないし、バイクから漏れたものでもない……?)
それは、粘性の高い黄ばんだ液体だった。
一瞬吐瀉物や漂流する廃棄物の類かとも思ったが、異様な粘性が気になった。
腐臭とも発酵臭とも取れないなんとも表現しづらい異臭を放つそれは水上バイクの二カ所にべったり付着している。先輩に見えない角度でユニットを部分展開して成分分析の為に液体を少しだけ頂いたテウメッサは、まるで今気付いたかのように先輩に大声で知らせる。
「先輩、カメラ回収しました! それとこのバイク、なんか異様に臭いです!」
「臭い!? よく分からんが我慢しろ! くそ、見つからないな……応援を呼んで引き継いだら一旦引き上げよう! カメラの映像も調べたいしな!」
先輩は嫌な予感がしているだろうが、テウメッサも嫌な予感がしていた。
このカメラの中には、自分の想像以上に厄介な何かが映り込んでいるのではないか。
そして、それはこのビーチで旅行を楽しむ一人の少女を害する何かなのではないか。
――ユアの願いがこんな簡単かつ穏当に叶う筈ないんだがなぁ……。
テウメッサの脳裏で、オウルの言葉がいやに思い出された。
復活しきってないけど、とりあえず仮復活!




