85話 あり得ない暗殺
町で様々な情報が交錯する中、既にマレスペードファミリーの内紛は一部でその戦端を開いていた。
マレスペード一族の近縁が所有するとされる豪邸の庭は戦場と化し、血と硝煙が撒き散らされる。今の所は現体制に付く構成員と準構成員、対、有象無象といった感じだ。
構成員を指揮する古参幹部の一人、バレル・ユーチェスターは既にスクラップと化した自らの愛車を盾に銃弾を避け、屋敷に駆け込む。
「あのシャバガキ共ぉぉぉ……この車はディラインが共和国だった時代に生産された幻のゲーゼル411モデルだぞッ!! 世界に九台しか現存してないんだぞッ!! これだからモノの価値が分からん奴らはッ!!」
ブルドッグのようにだらりと余った肉と皮を揺らして激高するバレルは、部下に誘導されて何とか屋敷に入り込む。
戦いにこそ整えていたが、現代兵器で武装した集団に包囲されれば建物の中でも安心とは言えない。外で庭木が対物砲で吹き飛ばされ、木片が窓を強かに打った。
そもそもバレルは本来もっと別の場所に戦力を集結させていたのに、移動時に【ネスト】に発見されて散々カーチェイスをした末にここに逃げ込んだ。
部下たちは「その高級外車が目立つから見つかったんだろう」と迂闊なバレルの行動に辟易していたが、彼の怒りを買いたくもないので言及はしなかった。
ディラインのゲーゼルと言えばジルベスでも見栄えが良いと評判の人気高級車で、411モデルは特にライトなどの形が特徴的だ。元々バレルは秘密結社の幹部という立場であるにも拘わらず定期的にコレクションの高級外車を乗り回したがる悪癖があったが、それが最悪の形で作用してしまった。
バレルの苛立ちは結局は部下にも向く。
「お前らもお前らだ! 高い金払って教育してやった暗殺者としてのスキルはどうした!? あんなチンピラ共はとっとと片付けないか!!」
「申し訳ございません」
部下達は一斉に頭を下げながら、舌打ちを必死に堪えた。
(俺たち構成員の仕事は暗躍と闇討ちだろうがよ……)
(かき集められたと思ったら真正面から堂々敵を引き連れて上がり込んで来やがって……これじゃ不意打ち出来ねぇだろうが!)
彼らはドラマやアニメに登場する多対一でも相手を殺し回るヒットマンではない。
戦闘するにしても普通は自分に有利な戦いの場を選ぶ。
多少手が加えられているとは言え唯の家に押し込まれて包囲されたからいきなり反撃で皆殺しにしろと言われても、暗殺のスキルを活かすタイミングがなかった。
こうなると数と武器の性能が勝敗を決めるが、襲撃してきた【ネスト】は一体どこから手に入れたのか旧式の対物破砕砲で屋敷を攻撃しており、遮蔽物ごとミンチにされた構成員が既に何人も出ている。
相手も豊富というほどの武装ではないようだが、あれが一門あるだけで籠城という選択肢もとれず、かといって敵には包囲されて数も上回っている。
バレルが来なければ戦いようがあったのに、彼が来て自分を守るように命令したせいで勝ち目が消えてしまった。
「俺たちは泣く子も黙るマレスペードファミリーなんだ!! 警察をブチ殺してもムショに叩き込まれない力があるんだ!! 俺にも銃を寄越せ!! マフィアの年期の違いを見せつけてやる!!」
意気込むバレルに向けられる部下達の視線の冷たさに今までの硬い忠誠が込められていないことに、バレルは気付かなかった。
マフィアは上下関係が絶対だ。彼がマフィアになった頃から当然としてそうだった。だから、長く幹部席に座りすぎたバレルはその関係を無視されれば何が起きるのかを全く理解していなかった。
数分後、バレルは手足を銃で撃ち抜かれて庭に転がっていた。
既に高齢なバレルは銃を握る握力もすぐに失ったが、自分が血の海に沈みつつある中でも戦意だけは失っていないのか全力で喚き続ける。
「痛ぇ、ちくしょう!! おい、誰か俺を助けろ!! 援護しろ!! 屋敷に運んで治療しろ!! 誰もいないのか!? クソ、役立たずの、クズ共が!! 終わったらお前ら全員教育し直してやる!!」
バレルの言葉は、時代の遺物に見切りをつけて無人になった屋敷に虚しく響き渡った。
やがてバレルは二十代そこらのチンピラ達に包囲され、罵詈雑言を放つか否かのところで喉に斧を振り下ろされて絶命した。
斧を振り下ろした男は苛立ちに声を荒げる。
「あ゛ぁ!? 首取れねぇじゃねえか!! おらっ、おらっ!! ああくそ!! ケースに詰めるヤツやってみたかったのによぉ」
「そこ胸だぞヘタクソ! うわ、ばっちぃ。血が靴についちまった」
「ゲームのやりすぎだろお前。人間の首なんて簡単に取れるかよ。しかもなんで消防斧なんだよ……」
「うっせ、うっせ! あーもういい! めんどくせぇ!!」
首を中ほどまで断ったところで飽きたのか、チンピラは刃渡りの小さな消防斧をそこいらに放り投げる。
緊張感も志も感じられない、やってみたいからやっただけの寄せ集め。
そんな役立たずに幹部が殺されるのが、今という現実だった。
彼らの蛮行を尻目に指揮官が通信機で連絡を取る。
「同志。バレル・ユーチェスターを処分した。ただ、構成員の大半は地下通路か何かで逃げ出したようだ」
『切り捨てられたな。恐らくバレルが到達する前に首領から彼らにメッセージが届いていた筈だ』
「首領が? 長いこと一緒にやってきた割にはドライなんだな」
『長いからこそきっかけが欲しかったんだろう。リストラが始まっている。バレルなど平時では何の役にも立たない老害幹部だ。同じように邪魔な老害から切り捨てて戦力を温存してる。君たちもすぐにそこを離れろ。首領に統率された構成員はこれまでの比じゃない。既に反撃は始まっている』
「了解し――」
ちら、と、何かが光った気がして指揮官が後ろを振り返った瞬間、対物破砕砲を括り付けていた改造トラックの運転席が爆発した。耳を劈く衝撃に指揮官は咄嗟に転げながら身体を伏せた彼は再度光を感じて上を見上げる。
光の正体は、ビルの屋上からCMAW――古いがジルベスでも現役の携行式ロケットランチャーを担いだ何者かが覗き込むスコープの反射光だった。
「まずい、第二射が来るッ!!」
咄嗟に物陰に隠れた指揮官に倣い、呆然と爆炎を見つめていたチンピラたちも慌てて動き出す。しかし、遮蔽物に隠れた瞬間に催涙弾が投げ込まれ、防御手段のない彼らは一斉に咳き込み、むせかえった。
(しまった……CMAWは単発式だ。スコープの反射を見せつけたのも、わざと……俺たちを狭い遮蔽物の裏に追い込むための――)
数秒後、サブマシンガンの乾いた掃射音とチンピラ達の短い悲鳴が響き、そして、耳が痛いほどの沈黙が訪れた。
◇ ◆
戦況をこっそりリアルタイムで把握するテウメッサは、ユニットの外殻に覆われた中で頬を緩める。
(流石ルクレツィア。民間人に被害を出さないギリギリのラインで戦っている)
ルクレツィアはテウメッサ――フォックスによって特務課の存在を知らされている。
もっと過激な手段を取れる筈の構成員たちが戦い方を選んでいるのは、特務課から見た鎮圧の優先順位を落とすためだ。それでいて組織の膿も切り捨て、構成員の統率も取れている。
彼女はまだ組織の存続を諦めてはいない。
彼女の手心はイーグレッツ――【ゼピュロス】を展開したままだ――もすぐに気付いたのか、「本家は後回しでいい」と指示を出した。
テウメッサの【ワイルド・ジョーカー】の存在に戸惑いが見え隠れする部下達に適切に指示を飛ばしながらも、彼はその指示を聞かれてよいものと悪いものに振り分け、時に暗号を混ぜ、そして片時もテウメッサから意識を逸らしていない。
政府のエージェントでも一流の類の隙のなさだ。
それがユニットの所持を許可されているのだから、このジルベスという恵まれた強い国の中でもまさに選ばれしスーパーエリート。しかも彼が指示を飛ばす部下も、地方の警察官とは比べものにならない練度であることが行動の節々から覗える。
そんなスーパーエリートは次にどこを叩くつもりなのか、テウメッサは興味があった。
『不審者の当方は次はどこへ赴けばよいのかな?』
『逆に質問するが、お前はどこか行きたい場所でもあるのか?』
『事態を収束するならユニット二機が同じ場所に投入されるのは戦略的に賢いとは言えない』
『味方同士であればそうだが、貴様は味方ではない。カフェイン不足で焦れているのか?』
『カフェインには頼らない。あれは集中力を前借りしているだけだ』
急にカフェインの話を混ぜた辺り、彼はユニットの中身がオウルである可能性をまだ疑っている――ようでいて、オウル以外の何者かである可能性も視野に入れてジャブ程度に探りを入れているのだろう。そんな内心をおくびにも出さずイーグレッツは話を変える。
『お前が【ネスト】の中に潜む黒幕ならどこから事態を見る?』
『町の外だな。中はリスキーすぎる』
『そうだ、それが普通だ。支配と命令のシステムを構築し、末端に情報を渡さず行動させ、自分は悠々と警察に目をつけられず生活を送る。少なくともマフィアの首領よりは緊張感のない生活が送れるだろう』
末端に行くほどに情報が伝わらず、鉄砲玉の数はいくらでも調達でき、仕事が粗い代わりに尻尾切りが容易で組織中枢に辿り着けない。血の掟など秘密の共有と団結力が自慢だった旧来マフィアの在り方からシステムだけを抜き取った別物。
『だが、彼らがモルタリスカンパニーと密約を交わしている可能性があるところまでは予測出来ている。大口の仕事になる。失敗は出来ない。トップそのものがいなくとも最側近を送り込んで現場をコントロールしている筈だ。そのためには、ルクレツィアとニクスを確実にぶつけるための最後の一押しが必要になる』
『それは?』
『両方の派閥に内通者を送り込むことだ。第三勢力を含めて全ての勢力にそれぞれ信頼出来る幹部格がいる。こいつらを叩かないことには争いは終わらない』
『それはないな』
そうだとすれば大した策略家だが、ルクレツィアもニクスも裏社会のカリスマを持つ人物だ。
自分たちを利用して漁夫の利を得ようなどという賢しい人物を見抜けず重用することはない。
何より、クアッドとしての調査でそれはないことは把握済みだ。
この計画は、突発的に始まっている。
果たして、否定の言葉をぶつけられたイーグレッツの返答は予想外のものだった。
『その通りだ。残る答えは一つ。言わずとも分かるな?』
『成程……鎌を掛けたな? 特務課長は意地が悪い』
『意地の良い奴は警察に向いてない』
テウメッサは、イーグレッツと同じ結論であることを確信して苦笑した。
どうやら、次の行先がこの騒動を鎮めるために向かう最後の場所になるようだ。




