79話 夢みる暗殺
ジルベスマフィアの起源は自治にある。
まだ政府機能が十分ではなく大地主の権威が強固であった時代に、彼らは政府の対応を待たずに自分たちで物事を処理するために同じ地の移民同士で結束した。ジルベスは元々移民の国であるが故に、その結束は強かった。それらは血の掟とも呼ばれた。
最初は自警団に近いものだったのかもしれない。
しかし、法の統治に依らない捕縛や罰は私刑と何ら変わりない。
彼らの中で秩序を守る為に当然として行なわれてきた行為はやがて定着し、力を持つことで支配者側に偏っていき、やがてジルベスの掲げる自由民主主義による統治と対立するに至った。
他国のマフィアとジルベスマフィアで決定的に異なる点があったとすれば、彼らはジルベス政府の狡猾さに後れを取った所だろう。
そもそもマフィアやギャングといった組織は、民衆の政府に対する不満や統治が行き届いていないことへの問題意識から始まる。それらは政府の腐敗とセットで成長しやすい。他、社会に馴染めない人間の受け皿といった側面も存在する。
だからジルベスは献身的なまでに国民に尽くし、なるだけ弱者も教育を受けて社会に参画できる仕組みを作り、法を整備してゆっくりと、ゆっくりと犯罪組織を育む土壌を確実に改良していった。
無論、その裏には国の様々な思惑や非合法行為も含まれたが、多くの民衆に悟られずに橋を渡りきった。
ジルベスは敢えて対決姿勢を見せないことで、緩やかにマフィアを時代遅れの組織になるよう促し、マフィアへの政府の介入の少なさから勘違いをして危機感を削がれ、殆どの組織が時代遅れになった。
ジルベスがマフィアの撲滅に乗り出したときには、もう彼らは高度に情報化された社会の速度に対応出来ない弱卒の寄せ集めとなっていた。
「――許せませんよ、こんな体たらく。マレスペードファミリーはまだマシだと思ったのに、つつけばこれだ」
レトロな高級車の後部座席の真ん中に座りながら、銀髪を短く刈り揃えた男が隣のテウメッサ――フォックスで通っている――に話しかける。
「ボスの世代が一波乗り越えて安定期に入ったと思って気を抜きすぎなければファミリーが牙を抜かれて大企業に飼い慣らされることもなかった。古いファミリーを可愛がる余り判断を誤った結果がこれです」
「良くも悪くも身内に煩いのはマフィアの特徴だからね」
肯定とも否定とも取れる当たり障りのない言葉を選ぶのは、彼の隣にいる男が今回のファミリー内紛をけしかけた首謀者だからだ。
ニクス・ジガンディーノ。
マレスペードファミリーの幹部の一人だ。
普通、幹部がマフィアの内紛を起こすケースは少ない。
何故なら幹部の影響力は若頭に遠く及ばず、騒ぎを起こしても争いにすらならず一方的に殺されることになるからだ。
にも拘らずニクスの内紛が長期化しているのには理由がある。
それは、一幹部にしか過ぎないニクスの影響力がボスの影響力に拮抗しているからだ。
「構成員になりたての頃は楽しかった。まだ何も実情を知らないガキだったからだ。それがいつの間にか幹部お付きになり、やがて幹部にまで昇格して……夢から覚めた」
さぞいい景色があるに違いない。
さぞ素晴らしい首領に仕えられるに違いない。
裏社会の組織は尊敬と忠誠があってこそ成り立つ。
ニクスにとって不幸だったのは、彼が首領を越える器の持ち主であったことだ。
「幹部として過ごす間に気付きました。このままじゃマフィアは遠からず消える。ラージストⅤが裏社会でも幅を利かせ始めた今、旧来のマフィアは仕事を失って干上がり連中の飼い犬になるしかありません。それは許せない。俺たちが憧れた俺たちのマフィアの結末がそんなものであっていい筈がない」
「青臭いね。でも君が語ると様になる。ファミリーの構成員たちが君に夢を見る理由が分かるな」
「よしてください。機運がたまたま味方になっただけですよ」
ニクスの謙遜からは一部の驕りも感じられない。
裏社会で表裏のない人間は隙を晒すものだが、彼は今回の内紛に自らの命を賭けている。その潔さと行動力が人を動かした。
(ボスが悪い訳じゃないけど、この若さ故の勢いと熱は……燻っていた構成員には響いても仕方ないよね)
マフィアの組織図は概ね首領とその意向を汲んで支持を出す若頭、そして若頭の指示を受けて構成員に指示を出す幹部で構成されている。
構成員までが実力を認められた正式なマフィアのメンバーであり、それ以下は容易に切り捨て可能な準構成員という扱いになる。
言わばニクスは実働部隊の隊長のような存在なのだが、彼がマフィアとして極めて有能で若者を束ねるカリスマを持ち合わせていたことが話を狂わせた。
ニクスにとってこれほどの人間が自らに寝返るのは予想外のことだった。
彼はそのことに苦い顔をする。
「ファミリーは俺程度の若輩者が統率力を持つようじゃダメなんですよ。若頭やボスより俺の命令を優先するなんて本来のマフィアじゃ絶対にあってはいけない。この程度の内紛を火消し出来ないようでは、遅からずマフィアは消滅し烏合の衆として散り散りになる……政府の勝利です」
「そこで反乱か。これでボスが襟首を正して組織の有り様を考え直してくれれば命を賭した価値があるという訳だ」
「そうです。俺の首すら獲れないなら、もう彼らはマフィア失格だ。マフィアでないならせめて俺の手で……」
「君は……本当にマフィアが好きだな」
テウメッサ――フォックスは苦笑いを堪える。
今まで仕事柄マフィアやギャングを多く見てきたが、彼はとびきりの珍種だ。
彼の若い感性と情報社会を巧みに利用する知性はボスも認めるところだ。若い世代の気持ちも理解した上で動かせるところが彼を幹部に昇格させる決定打にもなった。
(逆を言えば、それだけ高齢化が進むファミリー内に若いのが増えてるって話なんだけどね。幹部集の多くが裏では年寄りだとナメられてる。マフィアなんて古いと。そこが若い衆とニクスの違いでもある)
フォックスはこの期に及んでファミリーに拘る彼に問いかける。
「君が新しい組織を立ち上げればマレスペードファミリーを打倒することも不可能ではないと多くの者が見ている。君にこそ本来あるべきマフィアの姿を示して欲しいと、それについてはどう思う?」
「俺は、もう一度マフィアが死んでないって所を見せて欲しいだけです。俺を担ぎ上げようとする奴には悪いけど、俺には俺の憧れたマフィア以上に眩しいものも使命もない。マフィアが滅びるのが世の定めなら、俺は最後のマフィアとなってマレスペードファミリーの支配の歴史に終止符を打ちます」
彼は未来が見たいのではなく夢が見たいのだろう。
彼自身がファミリーの目に留まるまでは裏社会の塵だった。
マフィアという存在は世間に見放され、蔑まれた塵屑にとって一番星のように眩しい存在だったに違いない。高級なコートとハット、葉巻、宝石を鏤めた金の指輪……彼らに取ってのおとぎ話だ。遠い過去の憧憬だ。
それをもう一度見るために、彼は血を流す道を選んだ。
もし失敗すれば聞くも悍ましい拷問の末の苦悶に満ちた死が待っているかもしれないのに。
ニクスは裏社会の人間らしからぬ真摯な瞳でフォックスを見やる。
「俺の嘘偽りない気持ち、ボスにしかとお伝えください。抗争状態となった今となっては、情報を託せるのはファミリーではないのにボスに特別扱いされる情報屋の貴方だけだ」
「ああ、責任を以て伝えるよ」
それが、フォックスがニクスの話に耳を傾けた理由だ。
彼はニクスに真意を問いただして欲しいとボスの依頼を請け、ニクスはそれを知った上でここでの会談に応じた。
(歪んだ愛、なんて言葉で片付けるのを憚られる熱意は結構だけど、それにユアちゃんが巻き込まれるのがなぁ……)
彼の内紛に乗った準構成員達は本気でニクスを組織のトップに掲げようとしている者も少なくない。
構成員に至っては他の幹部の直属だったのに寝返ってまでニクスに付く者が出る始末だ。
こんなこと、従来のマフィア観ではあり得ないことだ。
そうさせないための恐怖、暴力、血の掟だった。
だが多民族国家として他国の人間すら受け入れ、犯罪で家業を続けていくより安易な方法が増えたこの多様化・情報化社会ではもはや血の掟がどうこうなどと意地を張ってはいられず、そして意地を見せなくなったマフィアという名が持つ恐怖は矮小化した。
(ニクスの言い分を聞いた後はボスの言い訳を聞く番か……あーあ、気が重いなぁ。だってあの人……マフィア続ける気ないのに)
マフィアの内情を詳細に探りボスの信頼を勝ち得ているからこそ、フォックスは知っている。
マレスペードファミリーのボス――女傑ルクレツィア・マレスペードは、マフィア業を畳むつもりでいることを。
マフィアを続けないなら滅ぼすと言うニクスと、さっさとマフィアを畳みたいルクレツィア。
行き着く先は、泥沼の全面戦争をおいて他にない。




