78話 曖昧な暗殺
イーグレッツによるベンサムの成敗は見事なものだった。
ベンサムのドッグノーズは案の定盗品だったようで、小癪なベンサムはシリアル番号を削って誤魔化そうとしていたようだが特務課の調べで彼が警察官からスリを働いていたのがばっちり確認されていた。
前回に学校に来た際にもすでに犯罪行為はいくつか見つかっていたが、学校側が「生徒の未来」を持ち出して処分を免れていたという。
だが、喉元を過ぎれば熱さを忘れるのが人間だ。そして、前科ある者に厳しくなるのもまた人間だ。
「警察官からの窃盗はもう若気の至りなんて言葉で片付けられなくてね。情報提供を受けた地元警察と保護者、そして学校と勝手に話し合って君の今後を決めてくれ」
「かっ、勘弁してくださいよぉ! 進路に響いたら大変じゃないですかぁ! たった一回の過ちで俺の将来潰す気ですか!?」
「それは君と君の周りの大人達が決めることだ。僕から言えるのは、君が変わらないなら周囲の冷ややかな視線も変わらないってことかな」
イーグレッツはそのまま縋り付こうとするベンサムを躱すとユア、オウル両名を手招きして学校の外に出た。
――数分後、三人は見覚えのある喫茶店にいた。
以前にユアが主義者に襲われそうになった件で奢って貰った店だ。
イーグレッツがテーブルの上で指を組んで二人に微笑む。
「こんなに早く再会することになるとは意外だよ、お二人とも」
「確かにな。あと百年先でも全然良かった」
「こーら、オウルってばまたそういうこと言う……」
イーグレッツの視線はユアには優しく、そしてオウルには微かに探るものがある。オウルはそれに気付いているが、ユアは全く気付かず前回奢って貰ったものとは違うケーキを既に頬張った後だ。今回も奢って貰う気満々のようだが、イーグレッツもそのつもりなのでオウルはそこには何も言わないでおく。
「イーグレッツさんが来たのって、やっぱりこの暴動についてですか?」
「それは仕事の関係上言えない、と言いたい所だけど……まぁ誰かどう見たって明白だから白状するよ。その通りだ」
あっさり認めたイーグレッツは優雅に紅茶を一口含む。
この男もこの男で前回とは違う茶葉を楽しんでいる。
ユアは直球で騒動の原因を尋ねる。
「ただの食品安全の問題なのに、なんでこの町ではこんなに騒動が長引いてるんですか?」
「うん。もう一部の人は気付いていることだけど……実はこの町で暴動めいた騒ぎが起きている施設や店舗には共通の特徴があるんだ」
ほんの少し得意げな態度の裏には、密かに気のあるユアと会話できる喜びがあるのだろう。以前の件の時から彼はユアに気があるそぶりが隠せていない。無論、ユアはまだ気付いていないが。
「襲撃や暴動で被害を受けた店舗は、どれもマフィアの縄張りってやつなんだ」
「マフィアなんて今時いるんですか!? しかもこの町に!?」
「いる。でも過剰な心配は不要だよ。自ら近づかない限りは基本的に無害だ。誰彼構わず襲う組織ならとっくに警察の御用だしね」
犯罪集団であるマフィアやギャングといった集団が幅を利かせていたのはジルベス合衆国では建国当初の昔話だ。数々の法改正と徹底的な摘発、資金源叩きを経た今ではそうした集団は創作の中でしか知らない人が多い。
そもそも、マフィアのような集団は政府の統治が上手く行っていないからこそ生まれる側面がある。逆を言えば政府の統治が行き届いた民主主義社会に対して犯罪集団という在り方は適合しない。
今現在のマフィアは政府の顔色を窺い汚れ仕事も適度に請け負うことで多少の目こぼしして貰っている実質的な政府の飼い犬たち。
この町のマフィアでありテウメッサと繋がりのある【マレスペードファミリー】もまた、プライドを捨てたことで存続が許された組織のひとつだ。
つまり、テウメッサを通してオウルに全ての情報は筒抜けになっている。その上で、オウルは何も知らないふりをして問う。
「その安全なマフィア様が町で死傷者出しまくってるんだが? そもそも、自分の縄張りを自分で荒らすのがもう意味分からん」
「そこが問題なんだ。本来マフィアにとってこれは自分で自分の首を絞める行為だ。ただでさえ居場所がないのに自分たちを摘発させる口実を作ってるようなものだからね」
「映画であるマフィア同士の抗争、とか?」
「ここのマフィアに競争相手はもういないんだ。競争相手のいない組織が暴れる理由は……なんだと思う、オウルくん?」
「……外に敵がいないなら、相手は警察か仲間。こないだ世界史で習った内部ゲバルトってやつか」
「正解だ。マフィア内で分裂が起きている。市民の破壊活動で勝手に口火が切られた」
内部ゲバルト――内ゲバは、組織内での対立から起きる抗争だ。
だが、その火は既に組織の外にまで及んでいる。
現に、彼らの鉄火場に巻き込まれて死傷者まで発生している。
「犯罪組織の身内での殺しは、言い方は悪いが起きるべくして起きることだ。だから警察も政府もあまり介入しない。しかし、今回の内ゲバは社会の情勢不安に乗じて行なわれてるから警察としても判断に困る。もっと面倒なのが、マフィアの仲間と断言するにはグレーな人間が実行犯に多いことだ」
「つまり……どういうことオウル?」
「話を聞くに、ファクトウィスパーに踊らされる主義者とただの犯罪者とマフィアのメンバー、その境が曖昧で誰が音頭を取ってるのかよく分かんねぇな」
「現地警察も判断に困っている。下手につつけばマフィアとの全面対決に発展する、監視社会が浸透して以降、犯罪者と善良な市民の境は曖昧になる一方だ」
イーグレッツは深刻そうに紅茶に反射する己の顔を見つめた。
ファクトウィスパーはそれだけでは犯罪者ではない。
グレーゾーンの人間は平気で犯罪を犯すが、繋がりのあるマフィアまで引きずり出すことが難しい。
かといって手当たり次第にマフィアのメンバーを逮捕すれば、マフィアが過激化して市民や警察官に犠牲が出る。
「特務課が呼ばれた理由がよく分かるよ。組織犯罪対策課もこの状況の前例がないんだろう……でも、必ず止めてみせる」
その方法について口にしないのは、ユアにそこまで喋るほど愚かではないからか、オウルの存在を意識しているのか、或いは彼自身が暗中を模索しているからなのか。
彼の瞳の奥に正義という名の狂気が見え隠れする。
流石にマフィアを皆殺しにして解決などという愚かな案は実行しないまでも、近しいことは考えているかもしれない。
イーグレッツは一度目を閉じると、狂気を奥底に仕舞い込んでにこやかに笑う。
「まぁ、そういう訳でして。お二人ともくれぐれも学校側の案内に従ってくださいね。暫くは買い物も配送サービスを主にご利用するのがいいでしょう」
「はい、そうします」
「さっさと終わらせてくれると嬉しいね」
「オウルってばなんでずっとけんか腰なのよ」
「あははは、手痛い市民の本音として受け取っておくよ。ではお先に……」
三人分の決済を済ませたイーグレッツは席を立つ。
すると、ユアの視線が彼のポケットから零れ落ちた見覚えのある品を捉え、喜色の声が上がる。
「あ、前にあげたアンフィとりのキーホルダー使ってくれてるんですね」
恐らくポケットの中の車のキーにつけていたのだろう。
複合娯楽施設アンフィトリス・パークのマスコットのアンフィとりの間抜け面がそこにあった。イーグレッツは照れくさそうに頬を掻く。
「は、はい……この気の抜けた顔が癖になりまして! はは……」
「嬉しいです! オウルなんか見た目が嫌だって全然使ってくれないんですよ?」
「つける奴のセンスを疑うわ」
「見ての通りセンスの分からない男なんですオウルは」
「そのようですね。こんなに愛くるしいのに」
ユアも最近なかなか言うようになったものだ。
ともあれ、さっきまで普通に喋っていたのにユアに個人として相対されると急に照れ出すとは初心なことだ。別に彼が誰を好きになろうが知ったことではないオウルだが、その分だけ自分が動きなるのは厄介極まりない。
(今回はテウメッサとサーペントの仕事が主になりそうだ……)
そのテウメッサも今回の騒動の中心――【マレスペードファミリー】ではお抱え情報屋フォックスとして関わりを持っている。最悪の場合、テウメッサがイーグレッツとユニット同士衝突するかもしれない。
巻き添えが何人死のうがユアに影響がないならクアッドとしては知ったことではない。
しかし、化け狐と狩人の追いかけっこの結果には少しばかり興味がある。
(ユニット同士の直接対決の後は、ユニット同士の喧嘩の見物か。可能性の話とは言え、つくづく俺は面白い時代に生きていやがる)
今は状況を悲観するより、この綱渡りを存分に楽しもう。
この小説のマフィアはあくまでジルベス合衆国という架空の国家のマフィアなんで、と、予防線を一応張っておきます。この小説は全部フィクションですとも。




