73話 留まりし暗殺
世界で初めて宇宙への行き来を成功させたのは、パルジャノ連合の宇宙局だった。
中に鼠を乗せて飛ばし、落下の際のパラシュートが上手く動かず中の動物はミンチになったらしい。
生き物が生きて帰ってきたのはそれから二年後。
ジルベスがロケットに乗せて打ち上げたコスモという犬だった。
その後、ジルベスとパルジャノは競い合うように宇宙開発を進め、最終的にパルジャノが初の有人宇宙飛行を成功させた。人はそのとき初めて自分たちは暗く無限のように広がる闇の中にぽつんと存在する奇蹟の存在であることを自覚した。
そして、際限なく続くと思われた宇宙開発はある愚かな国家によって突然のブレーキをかけられた。
ケスラー・シンドローム――無限増殖するデブリによってこれまで人が宇宙に打ち上げた全ての衛星が破壊された。嘗ては地表のどこであっても監視衛星から逃げ果せるのは困難だったが、宇宙は閉ざされ、今はデブリ対策を施したジルベスの衛星が少数回るのがやっとだ。
【アークス】という自己防衛ストレージという名の巨大兵器は、ジルベスの宇宙開発にも使用されている特殊な衝撃吸収素材を装甲に使用している。どのような経緯で手に入れたのかは不明だが、権力に物を言わせた横流しだろうとオウルは推察する。
『これが宇宙?』
高熱の大気圏を貫いた先に広がっていた一面の星の海。
地上で見たどんな場所よりも暗い深淵の中に恒星が瞬いている。
後ろを振り返れば、何もない暗闇にぽつんと浮かぶ神秘的な蒼い星があった。
『壮観……だな……』
思わず任務とも殺し屋とも関係ない素直な感想が漏れる。
オウルの相貌は、蒼い星に視線を奪われた。
映像記録で見て想像したことはあるが、いざ実際に目撃する全く異なる現象を見ているかのようで、言葉にならない感情が胸中に溢れる。
あんな狭くて国境がどこにあるかも分からないちっぽけな場所にひしめいて、人は明けても暮れても奪い合い、騙し合い、殺し合っている。国だ、土地だ、宗教だ、主義だと何もかもを分断する。
しかし彼らが世界だと信じ込んでいるものは宇宙から見るとあまりにもちっぽけで、それが全てだと固く信じる者の世界は本当に狭いのだと感じさせる説得力が目の前の光景にはある。
『任務じゃなけりゃ、もう少し長居してもいいかもな……』
ユニットを所持するオウルはいつだって簡単にここに来ることが出来る。だが、もしかすれば本当にユニットを用いて宇宙まで来たのはオウルが初めてかもしれない。
理論上はユニットは宇宙でも高機動スーツとして使用できるとはいえ、もし万が一のことがあれば貴重なパイロットが死亡するばかりかユニットが回収不能になる可能性もあるのだ。そこまでしてユニットを宇宙で使うメリットは、今の人類にはない。
そして今、オウルのすぐ上にユニットとは異なる方法で有人宇宙飛行に興じている人間がもう一人いる。
【アークス】内で呆然とするイグナーツ・ロヨンだ。
オウルは通信回線を開く。
『一応聞いておこう。人生初の宇宙旅行の気分はどうだ?』
『……ありえない。ユニットがいくら強力とは言っても、【アークス】の重量を支えたまま、地球の重力をあんなに速く振り切るなんて!』
『少し感受性が乏しいようだな』
イグナーツは周囲に広がる神秘的な光景より、地球で培った自分の価値観をほんの少し凌駕されたことが気になって仕方ないらしい。
オウルは珍しく他人と共感できないことにがっかりした。
自分のような碌でもない人間でさえ宇宙に感動を覚えたというのに、常識に囚われた大人のなんと心の貧しいことか。
『話をしよう。イグナーツ・ロヨン。まだジルベスの監視衛星は星の裏側だ』
『話……話だと!? 対等な対話は常に潰し、自分たちに優位な状況で見下した取引しか持ちかけない連中の言うことか!!』
『否定はしない。実際、宇宙では俺が圧倒的に有利だ』
『ほざけぇ!!』
【アークス】の関節が折りたたまれる形で変形し、人型から飛行機に近い形状へと変貌する。あれが【アークス】の宇宙での姿のようだ。折りたたまれたままでもしっかり照準を合わせる両手の計10個のレーザー砲が一斉に火を吹く。
『無駄だ』
【ナイト・ガーディアン】の翼が薄い光を纏うと、まるで重力下のような鮮やかな挙動でレーザーを躱す。無重力下ではパワードスーツなどまともに動けない筈なのに、それは現実の挙動とは思えない神懸かり的な加速と制動を繰り返していた。
『そんな、無重力下でなんでそんなに機敏に動けるんだ!!』
『プラズマの扱いはユニットの最も得意とするところなんでな』
『まさか……イオン推進!?』
イオン推進は宇宙空間で扱う推進方法として一般的なものだ。
本来なら燃料をプラズマ化させて推進力に利用するものだが、自らプラズマを精製することの出来るユニットであれば原理さえ理解していれば再現は容易だった。
『だが舐めるな!! イオン推進はこちらにもある!!』
【アークス】の装甲がスライドして帯電すると、30mの巨体が加速を始める。宇宙の闇を貫いて加速する【アークス】は角度を変えながら次々にレーザーとプラズマ砲を連射した。
宇宙空間の闇を照らす無数の砲撃は暴力的でありながらも美しく、人類がスペース・オペラを奏でるのもそう遠くない未来であることを思わせる。
『墜ちろぉぉぉぉーーーーー!!』
一際大出力のプラズマが、間に偶然挟まれたスペースデブリを一瞬で塵に帰して【ナイト・ガーディアン】に迫る。更に、回避するであろうルートにも出力を最大にしたレーザーを放つ。攻撃、戦艦や空母クラスの艦でさえ一撃で轟沈する四発のプラズマと戦闘機を紙切れのように切り裂ける10のレーザーが、ちっぽけなたった一機のユニットを破壊せしめんと殺到した。
しかし、【アークス】の攻撃は【ナイト・ガーディアン】の蝶のように捉えどころのない軌道に翻弄されて全てが回避される。イグナーツはコクピット内の壁を殴って苛立ちのまま喚き散らした。
『おのれ、おのれぇぇぇ!!』
『もうやめておけ。推進剤が切れたら二度と地球に帰れなくなるぞ』
いくら高機動を実現出来ても、方向転換やブレーキを繰り返す度に【アークス】は相応の制動時間と推進力を奪われていく。それに対して軽量で自在に推進力をものにしている【ナイト・ガーディアン】は殆ど消耗していない。
結果は火を見るより明らかだった。
『なぁイグナーツ・ロヨン。俺は話をしたいんだよ。自分で言うのもなんだが悪くない話だぞ』
『貴様等の甘言など聞くものか!! 利権の豚共!!』
『お前と【クィルサ】のお望みのシュトロイエンザE2型特効薬、【エンネス】のデータ、流出させてやってもいいと言っている』
『寝言を!!』
オウルはレーザーを躱すと【アークス】の背に座った。
この場所は【アークス】のレーザーの稼働域は人間の手を元にしているだけあってかなりの稼働域を誇るが、この場所を撃とうとするとどうしても自分自身にレーザーが命中する。
イグナーツはそれに気付かず撃とうとしたが、【アークス】側の安全装置が働いてレーザーが放たれることはなかった。
『なぁ、イグナーツ。ジルベスも一枚岩じゃないんだ。俺は別にモルタリスカンパニーの売り上げに貢献する義理はない』
『……そんな甘言に嵌められて裏切られ、死んでいった正義ある者たちを私は何人も見てきた。私の父もそうだった!! 母も!! 都合の悪い訴訟を起こされると悟ったモルタリスの殺し屋に殺された!!』
『知ってるよ』
サーペントが調べ上げたイグナーツの過去は、彼を正義の狂人に変えるのに納得のいくものだった。
『シュトロイエンザC型の特効薬に低確率で発生する健康被害……訴訟の中心人物であったロヨン夫妻の失踪と同時に必要な書類が幾つも紛失し、その半年後にモルタリスは「以前の薬品を改良した」と謳って旧特効薬による健康被害を隠蔽した。被害者の会はその後再度訴訟に漕ぎ着けたが一審敗訴、二審勝訴、最高裁で結局敗訴。被害者の高齢化が進んでいる。ジルベスもモルタリスもそのまま逃げ切るつもりだろう』
世界ではありきたりなことだ。
社会は少数者のためにリソースを割きたがらない。
ジルベスの統制AIもこの訴訟を隅に追いやり、たまに人々の目に触れても「そんな可哀想な人がいるんだな」と一瞬の同情を買う程度だ。訴訟団になにか目に見える形で支援するような人間は、たまたま情報に触れた人間の中でも更に一握りになる。
イグナーツの言葉の一つ一つには怨嗟が籠もっていた。
『……その通りだ。連中はC型特効薬で救われた人間の方が被害者より圧倒的に多いとうそぶく。そして、損得勘定で考えた時に逃げ切った方が得だとよく知っているッ!! それを可能にするだけの権力と資金を奴らは抱え込んでいるからッ、だから……!!』
『お前は飼い犬のふりをしてモルタリスに紛れ込むことにした』
イグナーツは押し黙った。
その沈黙が何を意味するのかオウルには理解できないが、想像することくらいは出来る。
『私怨、復讐、大いに結構。【イブネス・メディスン】のお綺麗で大仰なお題目よりよほど納得しやすい』
『……お前は、何が狙いなんだ』
『お前達の犯行が成功することが俺たちの利益になる』
『到底信じられんな。ユニットを任されるのはジルベス政府の忠犬のみだ』
『それだと忠犬が裏切ったときは誰が始末するんだ?』
『え……』
不意を突かれたイグナーツは口ごもる。
オウルはクアッドの存在意義など知ったことではない。
しかし、統制委員会所属のユニットを破壊しかけてもユアの護衛任務は揺るぎなく最優先命令のままだ。それはつまり、クアッドは敢えて狂犬として抱えられているのではないかという推論に繋がる。
『文明の進歩や発達には障害が必要だ。障害がなければ進歩も進化も必要なくなる。俺たちは、適切な障害を与えて社会に競争を促す為にユニットを与えられているのかも知れない』
『……』
イグナーツは長い沈黙の末、口を開いた。
『どちらにせよ、これ以上足掻いても無駄な抵抗か……いいだろう。信じてやる』
『コクピットブロックは俺が手動で持って帰るが、【アークス】は地上に戻すとお前達の計画がばれかねないからシステムを騙してこのまま衛星軌道上を漂って貰う。まぁ【クィルサ】としてはこいつごと欲しい所だろうが……』
『私はそこには興味が無い』
『交渉成立だ。以降はこちらの指示に従って貰うぞ』
【アークス】のコクピットブロックは大気圏突入にも中の液体を含めて耐えられる仕様になっている。イグナーツは素直にコクピットブロックを射出し、オウルはそれがアゲラタ病院付近に着陸するよう並走しながら微調整を施す。
こうして、アゲラタ病院の大騒動は誰一人として犠牲者を出さず収束に向かい始めた。
プールの屋根が崩壊したのはスペースデブリの落下のせいと説明され、事実、その日の夜は空に正体不明の光が幾つも確認されたためにジルベス気象庁もそれ以上の観測をしなかった。隕石となると宇宙開発庁の管轄だからだ。
その宇宙開発庁も、ケスラー・シンドローム発生以降はデブリの観測が困難であることから偶発的な事故として片付け、怪我人も出なかったために統制AIに容易に隠蔽されていった。
そして――。
「オウルオウルオウル! 宇宙どうだった!? 綺麗だった!? 映像共有してよぉミケちゃん宇宙猫になりたいもん!!」
「もーオウル! テウメッサお母ちゃんいつも言ってるわよね! 何でも思いついたことすぐ実行するのメッて!! ホンマあんたって子はいっつも向こう見ずで!!」
『信じられない。本当に理解不能。オウルのそういうところは最早非人間的。任務終わったら今すぐ【ナイト・ガーディアン】の総チェックだから。拒否権ないから。というかドヤ顔でイオン推進とか言ってたけど真空状態とかを飛ばしてぶっつけ本番でやろうとする神経がもう信じられない』
「あー、あー、うるせぇうるせぇ! 上手くいったからいいだろうがよぉ! リーダー権限でこの話話終わらせてもいんだぞこっちは!」
同僚達が余りにも煩いのでオウルは宇宙で得られた映像データを全員に配布したが、今度は内容を確認した三人全員に「ずるい」と文句を言われるという訳の分からない目に遭って戦闘の10倍疲れた。
◆ ◇
あの後、問題が取り払われたことでユアは無事病室に戻った。
未だアゲラタ病院はクアッドを掌握しているため、オウルは堂々と彼女の病室に居座って宿題に詰まる彼女にヒントを与えている。
後になって宇宙に行ったことを知ったユアは、自分も行ってみたいのか想像に胸を膨らませている。
「ねー、あのポットの中に入れば私も宇宙上がれたりしないかな? だって宇宙なんて今時宇宙飛行士でも殆ど行けないような場所なんだよ?」
「GがキツイからVR体験で我慢してくれ。というか宿題をやれ。そこ引っかけ問題だぞ」
「え、うそ。どこが? 一番? 二番?」
「そこを判断できないから引っかかるんだろ。教科書の42ページ読み返してみろ」
ユアは慌てて教科書のデータを漁ってにらめっこすると、やっと間違いに気付いたのか解答を訂正した。今回ミスのお詫びということでアドバイスを送ってみて気付いたが、ユアは一人で勉強しているときの方が覚えが悪い。
今まで自力でやらせると決めていたオウルだったが、テスト前くらいは付き合ってあげていいかもしれないと考えを改めた。ユアの成績が余りにも悪いと彼女の将来に響くかも知れない。
宿題はその後も続き、ユアは一通り勉強にキリがつくと大きく伸びをして欠伸をすると、オウルが見ている事に気付いて慌てて口を隠す。油断していたとばかりに顔を赤くした彼女だったが、やがてチラチラとオウルの方を見ると、意を決したように口を開いた。
「あのさ、オウル」
「なんだ?」
「オウルが宇宙に行ったのって、私のせい……だったりする? その、家を捨てたくないとか、私のせいで人が死んだら嫌だな~みたいなのを汲んで……」
「いや、今回の原因はこっちの――いや、相手がハゲてたからだな」
「なにそれ。気を遣ってるの?」
「いや、実際ハゲてるとは思わなかった。あれは見抜けなかったな」
オウルは自分の手からつるんと滑って落下していった見事なハゲ頭を思い出して苦笑いした。
厳密にはイグナーツはハゲではなく剃っているだけだが、モルタリスカンパニーの最新ウィッグは変装を行なうこともあるオウルを以てして言われないと違和感がないほど自然なものだった。義肢については単純にサイボーグとして自らを強化するためのものだったようだ。
手段を選ばなければなんとでも出来たのではないかと言われればユアの懸念は否定出来ないが、少なくとも今回はやれると思って実行しながらも油断から無駄な手間をかけてしまった責任はクアッド側にある。
ユアはオウルの顔を何故か不満そうなふくれっ面で見つめていた。
「なんだよその顔。悪かったって、色々ごたついて」
「そうじゃありません~! ……オウル、普段からそれくらい笑ったりすればいいのに」
ぷいっと顔を逸らしたユアが、ぼそりと呟く。
言われて見れば、少し気が緩んで顔に出ていたかも知れない。
ユアはその表情を見て、オウルが普段ユアに一線を引いて感情を隠しているように感じたのだろう。
「無茶言うな。感情豊かな殺し屋なんて大体イカレポンチだぞ」
「テウメッサさんもミケさんも感情全開じゃん……あ」
「俺の中のイカレポンチランキング2トップだ」
テウメッサもミケも普通であるように取り繕うのが上手いだけで、道徳や倫理といった常識人的な感性は完全に終わっている。ミケに関してはいつかユアに手を出すかも知れないと危惧するほどだ。
どんなにユアに対して友好的であったとしても、彼らはどこまでもまともではない。
一般人である自分と殺し屋の世界にいるクアッドの越えられない壁を改めて実感したのか、ユアはしょんぼりした顔でベッドにうつ伏せに飛び込む。
そして首だけ横を向けて、ベッドに伸ばした腕に顔が半分隠れたまま右目だけでオウルを見つめた。
「……オウルだけでも、たまにそういう顔見せてね」
「そういうって言われてもこちとら自覚ないんだがな」
「みんな言ってるよ。オウルだけまだ人間に戻れるって。人間じゃなくなっちゃ……やだよ」
自分がそんな風に仲間に思われていることを、オウルはそのとき初めて知った。
ユアはそれだけ言うと、ベッドの上で動かなくなった。
寝ている訳ではなく、暫く考え事をしたくないという態度だった。
オウルはため息を漏らすと、ベッドの隣に椅子を置いて座る。
「俺は変わらないよ。俺は俺だ。他の誰かになれやしない」
ユアは一度頷くと、暫く寝そべったまま動かなかった。
――ユアはあんなことを言っていたが、オウルは自分がまだ人間に留まっているとは思っていない。何故なら、ユアを安心させル言葉を選びながらもオウルの脳裏では彼女に内緒の計画が組み上がっているからだ。
オウルは新薬【エンネス】のデータ流出には頷いた。
【クィルサ】とイグナーツが国外に脱出するのも見逃す。
しかし、無事に帰すとは一言も言っていない。
(お前の隣にいるのはとっくに怪物だと思うが……勘違いで安心出来るなら、人のふりくらい幾らでも出来るよ)
いつか彼女がその悍ましさを知り、オウルを拒絶する日が来るとしても。




