72話 飛び出す暗殺
アゲラタ病院にはリハビリや運動のためのプールが存在する。
屋根までつき、個室もあり、水中は常にカメラで監視されているため溺れるリスクも極めて低い、ジルベス国内でも屈指の設備を誇るプールだ。
単にリハビリだけでなく、負傷したスポーツ選手が復帰するための競技用に劣らぬ立派なプールや飛び込み台も存在し、患者が使用しない間は練習場として貸し出しされているほどだ。
その深度がある大きな飛び込みプールに、異変が起きた。
プール底部に亀裂が入り、その隙間から大量の空気が漏れ始めた。
否、それは亀裂ではなく誰も知らなかったプール底部に存在したハッチだった。四つのハッチは隙間から下に水を落とし、それぞれ回転しながら収納されていく。
奈落のように水を飲み込んでくその穴から垂直なレールが突き出し、建物の天井を吹き飛ばす。
夜の散歩をしていた患者達は突然の光景に唖然とし、そして破片が自分たちの方向にも飛んできていることを理性では理解しつつも呆然と眺めていた。やがて本能の危険察知がやっと伝わって彼らが悲鳴を上げる頃には、鋭い瓦礫の先端が目前まで迫っていた。
「ぎ、ぎゃあああああああ!!」
静寂を切り裂く絶叫。
しかし、その絶叫は破片に押し潰されることはなかった。
寸でのところで駆けつけた漆黒のパワードスーツ――ユニット【キティ・エンプレス】がステルスを展開しながら破片を蹴って直撃から逸らしたのだ。
「……え、ええ? 助かった……の?」
患者は暫く何がおきたのか分からず呆然とその場に尻餅をついていたが、やがてもどかしいほど覚束ない足取りで立ち上がると病院の建物へと走り始めた。
その様子を見送ったミケは、ふぅ、とため息をつく。
瓦礫があまり細かくなって散らなかったのと外を出歩く人間が少なかったため、なんとか怪我人を出さずに乗り切ることができた。
と、ミケが背負っている身の丈異常の筒状のポットの中から聞き慣れた少女の声で通信が入る。
『ミケさん? なんか今揺れました?』
「ごめんごめん、衝撃吸収の設定値が甘かったみたーい。今修正するね」
『いえ、もしかして少し揺れたかな程度だったんでちょっと気になっちゃっただけです。それにしてもこのポットすごい快適……このまま眠ったら家のベッドよりぐっすり眠れそうです』
「でしょでしょ? 私もテストで一回入ったんだけど、これキャンプに持ってったら絶対快適だよ~!」
周囲が悲鳴を上げて去って行き瓦礫が粉塵を撒き散らす異常な光景の中、二人は世界から切り離されたような脳天気な会話に興じる。
今、ミケが背負っているポットにはユアが入っている。
これは前々から緊急時にユアを保護するためにと作っていたユニット専用護送ポットだ。元々かなりの機能だったが、統制委員会との戦いで得られた【キャバリアー】の防御システムを解析したことで想定以上の仕上がりとなっている。
ユアは今、音も光もほとんどの衝撃も遮断されたポット内のふかふかな快適空間の中でVR装置を頭にかぶせた状態で固定されている。VR装置は「ポット内が窮屈で退屈だろうから動画やニュースでも見られるように」という口実でつけているが、実際にはユアが外の様子を一切確認出来なくするためのものである。
よってユアは今まさに一般人が死にかけたことも、プールの屋根が派手に吹き飛んだことも全く気付いていない。ミケの【キティ・エンプレス】によるアグレッシブな動きでさえ微かな違和感程度で済んでいる。
よって、これからオウルと巨大ロボットが戦いを繰り広げたとしても、ユアは何一つ気付くことはないだろう。
もし万が一病院側への犠牲者が回避できなくなって、クアッドが病院を見捨てるという選択をしても、ポットは全ての真実を遮断する。
たとえ一時のまやかしだったとしても、優しくない真実から人の心を守ることは出来るから。
◆ ◇
地上でユアが既にポットで保護されたことを知ったオウルは、一先ず最低限の安全が保証されたことでユニット【ナイト・ガーディアン】の装甲を完全に展開し、敵を見上げる。
巨大な体躯は直上のプールから落ちてきた水を流線型の装甲で受け流し、月光を反射しながら背部の壁からせり出してきた二本のレールに機体のバックパックを固定する。
人型をしてはいるが構造を見ると必ずしも人体の構造を模している訳ではないのか、足は逆関節構造で胴体はパワードスーツ以上に稼働域が狭そうだ。
恐らくこのまま地上に出るつもりだろう。
『オウル、どうする?』
「誘爆の可能性があるから迂闊に壊せん。このまま地上に出て貰ってから病院より引き剥がす。サーペントはデータを探れ」
巨大な機体を固定したレールがバチバチと放電を始めると、巨体が地上目かげて一気に加速した。30m近い構造物が一瞬で加速したことで地下空間に巻き上がりの突風が吹き荒れるが、オウルは【ナイト・ガーディアン】の翼を展開して荒れ狂う空気の流れを突っ切る。
追跡したオウルは、想像以上にロボットの加速が強くブレーキがかかる様子がないことを怪訝に思う。
「電磁加速式のカタパルトにしても速すぎる。空に放り出されるぞ」
『モルタリスからデータを流出させた。解析を……これは……そうか! オウル、空に打ち上がっていいんだ、そいつは!!』
急加速した大質量の物体は地上で止まることなく運動エネルギーそのままに夜空に浮かび上がる。巨大な鉄の塊が微動だにせず地面に対して垂直に打ち上がっていく様は言い表しようのない不気味な迫力があった。
だが、次の瞬間に巨体の背部にあったバックパックのようなパーツが展開し、中から翼とエンジンのような噴射機構が姿を現した。
30mの巨体は膨大な推進剤をオレンジ色の炎となって噴出し、落下を阻止する。
航空機ですらない人型の鉄の塊が自力で飛行しているなどと、考えたこともなければ必要性も分からない。しかし、現実にそれは被った水を全て風圧で吹き飛ばして重力に逆らっていた。
サーペントが叫ぶ。
『――そいつはモルタリスが開発した医療技術最終防衛システム【アークロウ】の一部! 多目的自己防衛ストレージ【アークス】だ!!』
【アークス】――頭部や肩部、腰部などに空気抵抗を減らす流線型が採用されていることにオウルは漸く気付いた。まさか空を飛ばせるための形状だとは予想しなかったが、そのアークスが腕を振りかぶる。
『自律飛行出来るとは、貴様ユニットかぁ!! モルタリスめ、都合が悪いと真っ先に政府に泣きつきやがって!!』
ヒステリックなイグナーツのややくぐもった叫びが通信に響く。
【アークス】の五本指が『ナイト・ガーディアン』目がけると、その指先から高出力レーザーが放たれる。
オウルはやむなく地表に当たらないようさりげなく照準を誘導するが、【アークス】がなかなか病院上空からどかずホバリング状態にあることに焦れる。
「こいつ、どうなってやがる! このサイズの機動兵器なら下手すると1000トン弱は重量があってもおかしくない筈だ! 空力を得ないと重量を支えきれないんじゃないのか!?」
『軽いんだ!! 病院内に配備されていた【スケルトン】と同じ形状記憶プラスチックを用いた人工筋肉で動かしているから!! しかもそれだけじゃない! 【アークス】は本来、自力で大気圏を突破することを前提としているから推進力が桁違いなんだ!!』
サーペントから次々に送られてくるデータを、今度は両手から十のレーザーで攻撃を始めた【アークス】の射線を誘導しながら解析する。
医療技術最終防衛システム【アークロウ】とは、モルタリス・カンパニーが極秘裏に導入していたモルタリスの独占的データを防衛するためのシステム群の総称。
【アークス】はその中核であり、普段はモルタリスやモルタリス傘下の病院から自動でデータを吸い上げて蓄積しながら病院や施設内では予備電源の振りをして潜伏し続ける。
そして有事に際して起動すると、極度な軽量化に成功した巨体を利用して必要ならば戦闘行為を行ないつつ推力で大気圏を離脱。モルタリス本部が無事ならそこへ大気圏の再突入を行なって帰還し、そうでないときは誰にも手を出されないようデブリに偽装して衛星軌道上に潜伏し続ける。
動力源は推進に使用されるエンジンとバッテリーの併用。
宇宙での潜伏が長期化した際のためにソーラー発電にも対応している。
内部には要人保護兼簡易操縦のために一人だけ人間の搭乗が可能で、酸素を多分に含んだ特殊な液体に入ることで肺に酸素を取り入れつつ衝撃も吸収できる仕組みになっているらしい。
先ほど声がくぐもっていながら聞こえたことを考えると、液体もモルタリスの独占技術の類だろう。
『利権にブンブン集る雑菌塗れのハエがぁぁぁ!!』
【アークス】の腕部と脚部の装甲がスライドし、凄まじい電流が帯電する。その光にオウルはよく見覚えがあった。
「プラズマか!!」
ユニットの使用する最も基本的な攻撃手段、プラズマ放射だ。
同じプラズマを腕部に集中させて横薙ぎに振るうことで放射されたプラズマが逸らされ、暗闇の空を幻想的に彩った。
軽量化の影響で実弾兵器を搭載していないのは有り難いが、下手に手を出して破壊すると病院に降り注いでユアを誤魔化しきれなくなってしまう。ジルベス政府とモルタリスカンパニーに事態を悟られるのも時間の問題だ。
通信越しのサーペントが焦燥に駆られてオウルを急かす。
『オウル、ジルベス気象庁が病院付近を怪しみ始めた! もうコクピットを貫いて殺すべきだ!!』
「焦るなよ。もっといい方法がある」
『まだそんなことを言ってるのかい!? 確かにベストな方法はあるかもしれないが、今必要なのは次善だ! 時間が無いんだ!』
確かにこのまま問題を長期化させればモルタリスカンパニーとジルベス政府が異常事態に気付き、コラテラルダメージを度外視した手段で事態の収束を図るかもしれない。
もしそうなればユアはユアとしての人生を捨てなければならない。
彼女にとっては最悪の事態だ。
しかし、オウルは頷かない。
「駄目だ。あれは元々無人でも動くから無力化には撃墜が必至だ。しかもエンジンを壊せば誘爆、ジェネレータを壊せば恐らくエンジンが暴走する。どっちにしろ明日の天気は晴れ時々巨大ロボットの大爆発だ」
『それでもやらないよりはマシじゃないか!?』
「ユニット総動員で仮になんとか誤魔化せたとして、結局イグナーツが死亡ないし行方不明になれば事情を知らないモルタリスは犯人捜しに躍起になるぞ。テロリストと違って正社員だからな」
『それは……』
モルタリス内部でも機密に近い社員の失踪ないし暗殺となれば、情報漏洩の可能性を恐れたモルタリスは壮大な犯人捜しに乗り出し、病院に訪れた全員が容疑者となる。
ユアが罪に問われることは容易に回避できるが、一度疑われたという記録を消し去るのは困難であり、ユアも何かあったと勘付くだろう。
それはクアッドの守るべきユアの平穏を脅かす禍根になる。
この問題を解決するベストな方法は、元の犯人が真犯人の監視下で作戦を成功させ、後になってクアッドが提供した犯行内容を把握したモルタリスが自分たちの手で隠蔽することだ。
最初から異常に気付いていない患者に探りを入れれば自分たちから何かあったと喧伝しているようなものだ。モルタリスはそうした面でも一流の隠蔽をするだろう。
全ての状況を鑑みた上で万事上手くことを運ぶ手段は一つ。
犯人の思惑通りに事を運び、しかし主導権はクアッドが握ること。
「こいつ宇宙に行くためのロボットなんだろ?」
『……え、嘘。嘘だろオウル。理論上は可能だけど僕ら一度も宇宙になんて――』
「今からちょっと行ってくる」
瞬間、『ナイト・ガーディアン』が残像の見える速度で【アークス】の股間部位に潜り込み――爆発的な加速で強引に【アークス】を押し上げた。
戦略兵器たるユニットが生み出す埒外の推進力は、【アークス】のエンジン推進を遙かに上回る眩い光の尾を引いて両機を上空に押し上げ始めた。
『あ、アークスが勝手に空にぃぃぃぃ!? に、逃げ……え!? 動くと空中分解の可能性!? オートバランサーにセーフティがかかって身動きが取れないッ!! うわぁぁッ!!!』
【ナイト・ガーディアン】にカメラの死角に入られたことで事態を把握していないイグナーツは軽減されているとはいえ全身にのしかかるGに悲鳴を上げる。
元々ホバー状態にあった【アークス】は想定外の推力が加わったことで元々の目的であった大気圏離脱のシークエンスに移行。ジルベス気象庁がアゲラタ病院上空の異常気象を観測しようとした頃には、既に異常の原因は遙か地表を離れて大気圏の摩擦熱を貫いていた。




