65話 無毒な暗殺
偽薬がひとつも無いなどという情報は、少なくともオウルが病院内のデータベースを事前調査した際には一切出てこなかった。一瞬これがモルタリス独自の産業スパイ対策の一環かとも考えたが、もしそうなら逆に全部偽薬にする筈だ。全てを本物にする必要は無い。
『どうするオウル。ここで細工するなら時間が無い』
『てか、打つ手なくない? いくら何でもバレずに中身をすり替えるタイミングはないよ?』
ミケの真っ当な意見に、オウルは『そうだな』と返した。
この後、薬は隣の部屋でワンダホくんに乗せられ、看護師と共に病室に赴く。新薬は錠剤で、看護師はそれらの薬を患者が正しく服用するよう指導、監視する役割だ。恐らくはスパイが薬を飲んだふりをして盗もうとすることがないか確認する意図もある。
その間、誰にも気付かれることなく薬を別のものに置き換えるのは実質的に不可能だ。せめてフェイクの薬剤ケースがあれば中身をラムネ菓子にでも替えることは可能だったが、生憎とそこはセキュリティが厳しくて複製を作ることは出来なかった。
今、打てる手段は即席で考えるしかない。
『……ユアの薬が一番最後にワンダホくんに乗せられるようコードを書き換えて時間を稼げ。後は俺が対処する』
『了解』
『あとでどう切り抜けたか聞かせてね~!』
通信が切れると、オウルは懐からポーチを取り出して中身を物色する。何事かの非常事態が起きた時の為に使えそうな小物を色々と持ってきたのだ。主にナノマシン注射と毒殺用アイテムだが、ものは使いようだ。
オウルはワンダホくんの機能を思い出しながらあるものと鋏を取り出して準備をすると、天井裏から屋内に素早く降りて待機させていたワンダホくんに細工をする。
ワンダホくんには薬剤を飲ませるための工夫が為されていることを利用した方法だ。
「まさかこの間抜け面に託すことになるとはな……」
仕上げにワンダホくん経由でユアの装着した病院内専用端末【ハーツ】に設定したメッセージが届くようセットする。
準備を終えたオウルは、そのワンダホくんがユアの薬を運ぶようシステムを操り、薬を受け取りに向かわせる。薬の積み込みが手作業である以上はギリギリなんとか間に合うだろう。
「行ってこい」
『ご指示承りましたワン!』
律儀にも返答したワンダホくんが音も立てずに目的地目がけて最短ルートで進んでいくのを見送る。
(それにしても偽薬なしとは、モルタリスは何を考えてるんだ? サーペントの情報収集が実を結べば何か見えてくるとは思うんだが……)
ワンダホくんに託した作戦が上手く行ったとしても、病院の定期検診で薬の効果が全くの皆無だと疑われる。念には念を入れて、ワンダホくんの細工が失敗に終わった際の備えもしなければならない。
「……やはり寝なくて正解か。あいつが悪い訳じゃない筈なんだが、世話のかかる護衛対象だ」
ぼやいたオウルは、降りる際に開けた天井裏への進入口へと一飛びで跳躍して姿を消した。
◆ ◇
ユアは病院で過ごす以上、病院食で三日間過ごすのを覚悟していた。
入院経験は一度しかないが、子供の頃の記憶はこう告げている。
病院食はそれはもう美味しくない、と。
「でもお金のある病院ってやっぱり違うんだなぁ……」
残念ながら、彼女の経験は偏見であったことが昼食で証明された。
アゲラタ病院の食事は、美味しかったのだ。
無論、レストラインの食事や栄養の偏ったジャンクフードに比べると特別とは言えない。それでも普通に食事として出された際に満足できる水準はしっかり満たしていた。
特に野菜は自分が家で調理しているものと同じとは思えないほど食べやすいよう味に工夫がされており、野菜嫌いの子供に意地でも食べさせてやろうという病院の執念さえ感じた。
ユアは個室で頂いたが、実際には複数人で食事出来るスペースもあり、食事前はそこで同世代の被験者とちょっと仲良くなったりもした。その他、スポーツ室、娯楽室、シアター室など暇つぶしの出来る設備が一通り揃っている。
入院に際して普段手放すことのないスマホを病院に預けている身としては有り難い。そんなユアが病院に持ち込むことを許可された数少ないものが、タブレット端末に詰め込まれた学校の宿題である。
「はぁぁぁ……公休取れるって言ったって、勉強しなくていいなんてそんな都合の良いことはやっぱりないかぁ」
不貞腐れながら個室で宿題と向き合うが、数問解いたところで食後の眠気がじわじわ近づいてきて中断する。この宿題や勉強というものはどうしてこうも人のやる気を削ぐ魔性の力を秘めているのか、ユアは常々不思議に思っている。
「……あとでやろ」
自動保存されたやりかけの宿題をタブレットの奥に閉じ込める。
厳しく指導する人もいない今、ユアは欲望に忠実だった。
と、不意に腕につけた端末の【ハーツ】が光る。
もしや勉強のやりたくなさが端末にバレたのかと思いドキッとするが冷静に考えるとそんな訳はなく、そこには文字が表示されていた。
『O:薬を飲む際、ワンダホくんにオブラートに包むよう要求せよ。返信不要』
一見すると戸惑う内容だが、文頭のOの文字でユアはそれがオウルからのメッセージであることを悟る。
(……偽薬がどうこうのお話か。そういえば食後三〇分でワンダホくんと看護師が薬を飲ませに来るって説明あったっけ。そろそろだよね、時間)
しかし、ユアにはひとつ大きな疑問があった。
(あれ、オブラートって何……?)
ユアには生憎とオブラートというワードが意味するモノが分からなかった。オブラートに包むという言葉は聞いた事があるが、そのワードが何を意味するかなど考えたこともない。
急にユアは不安になってきて落ち着き無く手遊びして考え込む。
(わざわざメッセージを送ってくるって事は必要なことなんだよね……で、でもどうしよう。なんか変な言い方して看護師さんに疑われたりしないかな……ワンダホくんに確認したら答えてくれるかな? いや、そうしたらやりとりが不自然になる? ……のかな?)
なにせユアはちょっと殺し屋集団と関わりがあるだけの一般人だ。
演技力も知識力も大したことはない。
しばし考えた末に、ユアは深く考えないことにした。
(オウルが私に実行出来ない要求をする訳ないから鵜呑みでいこう! 意味分かって無くてもオブラートに包んで下さいって言えばよし!!)
落ち着きを取り戻して拳を握るユアだったが、よく考えたらそれはオウルがユアのことをバカだと思っていると自分で認めるようで複雑だった。
(後でやっぱり宿題しよう。オウルを見返すまではいかずとも、勉強するのは悪い事じゃないし……)
勉強関連で甘やかしてくれない偽装彼氏を思い浮かべ、ユアはこれ以上自分を甘やかすと大事なものを失う気がするのであった。
そしてユアは看護師とワンダホくんが薬を飲ませにやってきた際、言葉の意味も分からず堂々と「オブラートに包んでください!」と元気よく発言し、看護師に「そんなに堂々と言う患者さん初めて見ました」とくすくす笑われて結局恥ずかしい思いをした。
◇ ◆
ユアが薬を飲む様子をしっかりワンダホくん経由で天井裏から確認したオウルは、一先ず難は去ったと胸をなで下ろす。
「よし、しっかり呑み込んだな」
ユアがオブラートに包まれた薬を一瞬しげしげと見た時に「あ、こいつまさかオブラートの存在初めて見た……?」と若干不安になったオウルだったが、問題なくて何よりだ。
説明するまでもないが、オブラートとはデンプンをシート状に固めたものだ。このシートは水溶性で、薬を包んで飲み込みやすくする用途で使用される他、食品の包装に使われることもある。
ジルベスの医療現場ではオブラートは段々と使用頻度は減っており、代わりにゼリーや泡状のお菓子のような服薬補助食品の割合が増えている。しかしワンダホくんの服薬補助は管理面の問題かオブラートしかなかったようだ。
オウルはこのオブラートを一枚だけクアッドが使うものに入れ替えた。このクアッド特製オブラートは包んだ薬品を全てシートが吸収するが、シート自体は人体に吸収されず消化機能も阻害しないので薬の効果を無効化できるという奇妙なアイテムだ。
このまま放っておけば薬はユアに何の影響も及ぼさないまま排泄されて終わる。そんなオブラートに何の使い道があるのかと思われるだろうが、あればたまに使える場面もある。
たとえばシートを即座に分解して成分を体内に放出させる別の薬もセットで存在しているので、即効性の筈の毒を擬似的に遅効性に変えて死因を霍乱することも出来る。相手を油断させる為に薬を飲んだフリをするのにも使えるし、使用頻度は少ないがあれば便利なこともあるので念のために持ってきておいた。
「さて、これ自体はいいとして、今後のバイタルの変化を上手く書き換えたりと対応しなきゃならんくなったな……他の患者に共通して出ている反応がユアにだけ起きないのは悪目立ちする」
初日の昼から早速予想外の事態。
果たしてこの三日間、あとどれくらいのトラブルが起きるのかを想像すると憂鬱になる。
誰かを殺せば解決する訳ではない厄介さにいい加減慣れるいい機会だと自分に言い聞かせ、オウルは様々な準備を始めるのであった。




