48話 ペーパー暗殺
その日、ミケはとある施設を目指してビジネススーツ姿で車を走らせていた。
町から大きく離れ、近隣の町村ともやや距離のある森の奥へ、車は進む。
普段のおちゃらけた雰囲気は鳴りを潜め、真面目なビジネスマン然とした態度で彼女は目的の施設の敷地内へと入り込む。
車を降りたミケは、目立たない程度に周囲を観察する。
(ここがハルディ特別療養所かー……事前情報通り、豪華な介護施設みたいだね~。施設は広し、立派な庭園もある)
切り揃えられてずらりと並ぶ庭木、咲き誇る花壇の花、如何にも金がかかりそうな石像――当然と言うべきか、その奥に鎮座する建物自体も高級な宿屋のように手間と金がかかっている。
ハルディ特別療養所は、障害や精神疾患のある人間の世話をする介護施設だ。
ジルベスではこのように高級志向の介護施設は富裕層の間では珍しくもないが、ここはそれとは少々趣が異なる。何故なら、ハルディ特別療養所は十年前の戦争で肉体や精神に癒えない傷を負った、いわゆる傷痍軍人のその後を支える目的で建てられた施設だからだ。
ミケの視界に、職員に連れ添われて散歩する四十代ほどの男性の姿が映る。
男性はどこか覚束ない足取りで歩いていたが、偶然足下に落ちていた小枝を踏みつけてパキッと音がなった瞬間にパニックを起こして絶叫を始めた。
「うわぁぁぁぁぁ! 地雷原だ、下がれぇぇぇ!」
「庭師め、後片付けを怠って……大丈夫ですよ! ここに危険はありませんから、落ち着いて、深呼吸、深呼吸……」
「はぁ、はぁっ、はぁっ……あのときなんで俺は……何で……進んで……」
(あの足よく出来てるけど義足だなぁ。小威力の地雷で足だけ吹き飛ばされたのかな?)
ミケは従軍経験者ではないが、戦争が人の心を破壊することは知っている。
平和な世界と自分が身を置いた世界とのギャップの大きさに苦悩する人間は多い。
嘗てパルジャノ連合との戦争に大勝したジルベスだが、それはオーバーエイジ計画による軍の次世代化という切り札を後出しした結果であり、それ以前から戦線で命を張った兵士達は想像を絶する過酷な戦場にその身を晒された。
手や足を失った者。
精神に癒えない傷を負った者。
その両方を背負った者。
背負ったハンデを理由に家族とすれ違い、家庭内別居や離婚を余儀なくされた者も多いという。
ハルディ特別療養所は、そうした人達を慰める為にジルベス政府が作った施設の一つだ。ただし、ジルベスは戦争は正当なものだったという立場を崩さないため、施設はどこもあまり人目につかない僻地に建設されている。
ミケは施設の職員や入居者をさりげなく分析する。
少なくとも栄養状態は問題なさそうで、職員も慣れている感じがする。
(一見して真っ当そうなこの施設。しかし、その裏には巨大な陰謀が隠されているのであった~! ……なんちて)
ミケがここに訪れた理由は、先だってオウルが接触し謎の焼死を遂げた連続殺人犯『メイヴ』が関係している。
施設の受付には既に電話で話を通しており、スムーズに中に入れた。
入り口で待っていた恰幅の良い所長にミケは営業スマイルを振りまいた。
「お忙しい中お時間を頂きありがとうございます。株式会社スレンダークラブのサイベリアと申します。どうぞ宜しくお願い致します」
「お、おかまいなく! さあ、立ち話もなんですからこちらで話でも!」
施設の代表がやや視線をミケの胸元や太ももにやりながら笑顔で出迎える。
サイベリアの名はミケの偽名だ。サーペントの手伝いでペーパーカンパニーを作ってその社員という役作りをし、最新の健康器具の売り込み営業という体でアポを取っている。持ってきた書類や鞄の中の試作品は、以前にベクターズホールディングスの騒動で利用価値があるため生かされたアルフレドがサーペントと共同設計した割と本格的に商売が出来そうな機具である。
代表や職員はミケの美貌に色めき立っていたが、入居者側は彼女を訝しむ者や怯える者、存在すら認識していないような顔をしている者もいるのが印象的だった。
施設の応接室で世間話を交えながらセールストークをして十数分が経過した頃。
少し本題から話が逸れて、傷痍軍人の社会復帰の話になったところでミケはさりげなく仕掛けた。
「でも、いくら国の補助があるとはいえ大変じゃないですか? 社会進出後に結局事件を起こしてしまう方もいますし、そうなると施設の責任を問われることになるじゃないですか。いえ、決して入居者の方を悪く言う訳ではありませんが」
「勿論常にそのリスクはありますが、幸いにして今の所そのようなことは起こっていませんよ。ハンデを背負っていても働く方法はいろいろありますし、国もそれを後押ししています。例えばうちの施設は義手や義足の作成を行なっているミロク工房に何人も再就職していますし、民間警備会社PARKなんかもそうですね。施設にいながらリモートワークをしている方もいらっしゃいますよ」
「そうなんですか! なかなか傷痍軍人さん達はメディアのスポットが当たらないので実感しづらいですけど、第二の人生を見つけられているのなら喜ばしいことですね」
ミロク工房、そして民間警備会社PARK。
後者は世間でもそこそこ羽振りの良い会社だが、前者は耳にしたことがない。
「ミロク工房ですか。あまり聞いた事のない名前ですね。その筋では有名なんですか?」
「ええ、知る人ぞ知るという工房です。あの『ラージストⅤ』の一つである巨大製薬会社のモルタリス・カンパニーも新型の義手や義足を作る際にアドバイザーとして意見を貰っているんだとか。なので、表だって名は上がりませんが結構儲かってるようですよ?」
下世話な話だと自覚はあるのか、少し小声になる代表。
そんな所も可愛いと思うミケだが、今は好きになっている暇はないので諦める。
最終的に、即断は出来ないが話を前向きに進めたいということで話は終了した。
別れ際の握手では、感触を確かめるように妙にしつこく握ってきた辺り女好きでもあるようだ。
『……というわけで、ここで得られるものはこれ以上なさそうかな』
車での帰り道に秘匿回線を通したミケの報告に、オウルは『上出来だ』と返答した。
『あの所長さんは裏で悪事に手を染めるにしても精々が横領止まりだね。一つ一つの言葉に熱心さがないというか、所長を務めているが現場は部下に任せきりなんじゃない?』
『まぁ金遣いはやや荒いようだが。政府からの補助金もこつこつくすねて相応の額だ』
『あちゃー、やっぱりやってたかぁ。ま、そんなスケベな所も可愛げがあったけど!』
『お前の色狂いは相変わらず際限が無いな……まぁいい。とにかく、メイヴの死体から採取されたDNAがあの施設にいたカノッソス・イノミア元陸軍一等兵であることは確認済みだ。施設から外に行く人間の流れも裏付けが取れた。あとはおまけが釣れればと思ったが、流石にそこまで露骨でもないか』
ミケがハルディ特別療養所に来た理由はまさにそこにあった。
先だっての一件でメイヴの死体を持ち帰ったオウルはサーペント共に分析した。
遺体は半ば炭化していたが、これまでのメイヴ容疑者は全焼して骨しか残らなかったらしい――このような焼死の仕方は普通ありえない――のでかなり重要な手がかりとなった。
その手がかりの一つが、辛うじて採取出来たDNAの鑑定結果だ。
サーペントが片っ端からこく兄のデータを漁った結果、採取したDNAとハルディ特別療養所に登録された傷痍軍人のものが一致したのだ。
それがカノッソス・イノミアという男だ。
彼は戦地の劣悪な環境が原因で負傷箇所を腕ごと切り落とされる羽目に陥った哀れな軍人だ。八年前に先の施設に入居しているが、比較的最近になって社会復帰を果たしている。行った先は先ほど所長からも名前の出たミロク工房だ。
そこまで分かっていて先にハルディ特別療養所にミケが赴いたのは、ハルディが『このこと』を知っているのかどうかだ。
『メイヴ……カノッさんがいやだ死にたくない~って言ったってことは、誰かの命令で殺してたのかも知れない。でも、黒幕どころか協力者として動いてるかも怪しいんだよねぇ、あの所長』
もし知っていたとしたら完全に結託していたことになるし、知らなかったのならカノッソスを雇った工房が怪しいという話になる。収穫がないことも収穫の一つと言えるので二人とも気にはしていなかった。
『お前のそういう観察眼は信用している。その調子でミロク工房を探ってくれ』
『あ、ちょっと待ったオウル』
『なんだ? 土産はいらんぞ』
『それはそれとしてだけど……オマケ、釣れたかも』
『ほぉ? 思ったよりこらえ性がなかったな』
ミケは、面白くなってきたとばかりに薄い笑みを浮かべる。
彼女の車を追跡する複数のバイクの影があったからだ。
これほど分かりやすい反応を示してくれるとは、クアッドからすれば有り難い話だ。
『カノッソス・イノミアの身元が知れた可能性を嗅ぎつけてすぐ動き出すとは、裏に複数の人間がいて大きな隠し事をしていますと宣言してるようなもんだ。やれ。ただし情報は吸えるようにな』
『あいさー!』
死の狂獣を追いかけているとも知らない追跡者たちが大いなる後悔を抱くまで、あと少し。




