44話 軽微な暗殺
ジルベス合衆国内での年間交通事故死亡者数は一万人前後を推移している。
嘗ては3万以上を推移していた時代もあったが、それでも諸外国と比較すると人口比率にしては少なく、高度な情報化社会とハイテク車の導入等で目減りしていった。
人口減少を食い止める観点からしてもこれは重要な数値と言える。
そして、ジルベス合衆国内での殺人による死者数は年間一千人以下と更に少ない。
交通事故による死者と数を比べても多めに見積もって十分の一ほどしかない。
ジルベス合衆国においては殺された人間より交通事故の死亡者の方が人口減少の要因として大きい。このデータを政府の統制AIに入力すると、身も蓋もない結論が出てくる。
殺人事件より交通事故の方が重要度が高い。
死者を経緯や情勢ではなく数字で見ることしかしないAIらしい結論だ。
これは情報統制AIにもある程度反映されており、世間で話題になる前に警察が片付ければより混乱が少ないからと捜査が優先され、多くが事件の犯人が逮捕されてから報道される。捜査中、というニュースは滅多に出てこない。
これに対してファクトウィスパーのような陰謀論者は政府が数字を操作していると主張するのだが、実はあながち間違いではない。
なにせ政府の思惑で「病死」や「事故死」にされる人間はこの社会に存在するし、そもそも裏社会の人間が消されても警察に発覚することは多くない。警察のメンツを保つ為に「なかったこと」にされる事件もある。
異常なことに思えるかも知れない。
しかし、ジルベス合衆国の中では当然のこととして、それは行なわれる。
――ある民家に殺し屋としてではない用事があり踏み込んだオウルは、眼前に広がる光景に眉を顰めて即座にクアッドの秘匿回線を開いた。
「……おいサーペント、問題発生だ」
『どうしたんだい? ユアちゃんが絡まれた? ユアちゃんの誘拐計画でも立ち聞きした? それともユアちゃんに犯行声明でも届いたのかな?』
「最後の一つは可能性を排除しきれねーな」
今、オウルの目の前には殺し屋をしている彼でもお目にかかったことのない光景が広がっている。
それは、組み木のようにいくつかのパーツを組み上げて立てられた四角錐のようなシルエットのオブジェクトだ。ただし、このよく組まれたオブジェクトにはたった一つだけ異常な点がある。
オブジェクトを組み立てるに際して使用された物体が、凍結し、バラバラに切り裂かれた複数の人間の人体であることだ。
三角錐の頂点に掌で形作られた台座があり、そこに鎮座する首にオウルは見覚えがある。
エリッツ・マウス――潜入中のジュニアハイスクールの同級生である。
クラスでも特にお喋りだった口は半開きで、虚ろな相貌は永劫に光を取り戻すことはないだろう。
彼とその家族であろう者たちを死に追いやった相手に、オウルは心当たりがあった。
「メイヴがこの町にいる」
『……メイヴって、あの未解決の?』
「そうだ。そのメイヴだ」
数年前にその事件は始まった。
犠牲者数は現在三十六名で、たった今しがた三人増えた。
悪趣味な凍結死体のオブジェを作り、犯行を行なった部屋にドライアイスを敷き詰めて密閉する、無差別連続猟奇殺人事件。
警察は当然この事件の犯人を追ったが捜査は暗礁に乗り上げ、やがて統制AIによって一つの結論が下される事で捜査は打ち切られた。
――事件を公にして警察や政府に不信感を募らせることの方が犯罪率と死者数の増加を招く可能性が高い。
――年間死亡者数に比べれば連続殺人による死亡者数は軽微なものであるため、情報を隠蔽して放置すれば社会に影響はない。
ジルベスの治安と安全の中身は、ただの数字に過ぎない。
猟奇殺人犯『メイヴ』は、その数字に生かされる連続殺人犯だ。
「まさか現場にご対面するとはな。数奇な運命というか、世間は狭いと言うか……」
オウルはぼやくとひとつため息を吐き出した。
この日、オウルは風邪で学校を欠席している筈のエリッツに見舞いの品を渡しに行く役を任されていた。たまたま潜入先で作った友人達とのやりとりでオウルが選ばれ、それを拒否しなかった。ユアの護衛を他のクアッドに任せた彼はカンパで受け取った電子マネーで見舞いのフルーツを見繕い、これを届けにマウス家にやってきた。
しかし、家の中から生体反応がないのと室内に異常に気温の低い部屋があることをユニットのセンサーで確認したオウルは、慎重に慎重を重ねて家の中に侵入した。そうして見つけたのがエリッツ・マウスとその両親の死体である。
別にエリッツが死んでいることにも悪趣味にも弄ばれた死体にもオウルは動揺しないが、メイヴが町にいるというのは憂慮すべき大問題だった。
サーペントから忠告が入る。
『オウル、可及的速やかに情報を収集し、痕跡を消してその場を離脱してくれ』
「急かす訳は?」
『メイヴは警察の捜査が打ち切られて以降の犯行では常に警察に犯行結果を通知している。警察が第一発見者になるから噂も広がらないんだ。いま確認したが、既に警察は現場を押さえる為に人間をかき集め、中央警察庁も動いている。あと三〇分もすれば証拠隠滅に警察がそこに押し寄せる』
「仕事が早いことだ。いつもそれくらい真面目ならなお助かるんだが」
監視カメラの映像はサーペントが捏造してくれるだろう。
オウルは言われた通りに現場をざっと調べると、現場を元通りに密閉して電子ロックを騙すと、念のためにユニットのステルス機能を使ってその場を離脱した。
(さて、どうなるかね……ユアに上手いこと誤魔化せればいいんだが)
エリッツ・マウスの死は、その処理の仕方によって影響が異なる。
例えばエリッツとユアは別に特別親しくもないクラスメートだが、殺されたと知ればユアは間違いなく動揺するだろう。犯人が逮捕されないことにはこの不安が取り除かれることはない。
だが、政府の介入で内々に処理されればエリッツが死んだ事実も隠蔽されるため、精々が別の町に引っ越したのでいなくなった程度の扱いになるだろう。これならユアは問題の存在を認識しないため殆ど影響がない。
そして何よりの懸念は、クアッドでさえ詳しく知らない殺人犯メイヴがユアを殺しのターゲットにする可能性だ。これに関しては完全に運だが、その悪い運を引き寄せる力がユアにある気がしてならない。メイヴは一カ所に長く留まらない犯罪者らしいのでとっとと別の町に行って欲しいが、最悪自力で見つけて殺す必要がある。
さりげなく町のカメラの死角でユニットを解除して生身に戻ったオウルは、見舞い品のフルーツが入ったバスケットを抱えたまま思案に耽る。と、噂をすれば陰が差すとばかりに道端の日陰にユアがいた。
どうやら小休止していたらしく、こちらに気付くと元気に手を振ってきた。
「お帰り、オウル!」
「えーと、ただいま? てか、なんでこんなとこにいるんだ?」
「エリッツくんのお見舞いに行くって言ってたからここ通るかなーって。あとはこれ」
スマホを見せつけるユア。
そこには歩いた歩数でポイントがたまるアプリが表示されていた。
「なるほど、ポイ活ってやつね」
「ウォーキングがてらやってるんだ。歩くだけでポイント貯まるなんて不思議だよねー」
「んー、それはそれとしてユア。そのアプリはやめたほうがいい」
「へ? なんで?」
「そいつ、一部では歩いて貯まるポイントより通信料の方が高くつくことで有名だからな。ポイント貯めるにしても別のアプリにしとけ」
「えぇぇぇ~~~~……そんなぁ。いい感じに貯まるかなって期待してたのに!」
衝撃の事実にがっくり肩を落すユア。
そんなに生活が裕福ではない彼女なりに試行錯誤しているらしい。
なお、オウルとしては移動情報が他人の手に渡る可能性は一つでも減らして欲しいという思いがある。たまにこの手のアプリを使って相手のプロフィールと移動パターンを入手して裏で売り払うどうしようもない連中がおり、クアッドの暗殺でその手の裏データが役に立ったこともある。また、会社側が漏らす気がなくともサイバー攻撃で抜かれるリスクは否めない。
そうとは知らず予想外に落とし穴にしょぼくれる彼女を見ていると、ふと手元のフルーツの存在を思い出す。
「ま、そんなに落ち込むなよ。これやるから」
「あれ? どうしたのそのフルーツ?」
「エリッツのところに見舞いに行ったんだけど、病院にでも行ったのか誰もいなくてさ。せっかくだからユアが貰っとけよ。エリッツにはまた別のもん渡すから」
「うう、宿題は見せてくれないのにこんなときだけ優しい……」
「うるさい男としては好感度を稼ぎたいからな」
「その話はもういいじゃん、もう! 今ので好感度プラマイ0!」
以前に寝ぼけて言い放った冷たい言葉をいじるとユアはムキになって否定したが、受け取ったフルーツを前にすると少し頬を綻ばせていた。彼女は普段から節制気味なので、内心は嬉しいらしい。現金な女である。
出来ればそのままフルーツにつられてエリッツのことを忘却して欲しいとオウルは薄情にも思うのであった。




