43話 静止する暗殺
普段のイシューならば、中学生そこそこの少年に生意気な口を利かれれば憮然としただろう。しかし、幾重にも張り巡らされた会社のセキュリティを当然のように武器を持ったまますり抜けた少年をただのいたずら小僧だと思うほど彼は楽観的ではない。
スマホを見れば圏外。社内通信機やパソコンは全て電源が落され、とてもではないが彼の目をかいくぐって助けを呼べる状態ではない。その他誰かと通信可能な全ての道具が少年の後ろのデスクの上に並べられており、出入り口のドアまでは遠すぎる。いや、近かったとしても機械制御の自動ドアが開くまで僅かな時間がある。彼が狙いを定めて銃のトリガーを引くには十分すぎる時間だ。
「分かった、だから軽率に撃たないでくれると助かる。部屋の壁紙に穴を開けたくない」
「もちろんいいとも。俺は気楽に来ただけなんだ。あんたも気楽にやり過ごせばいい」
促されるがままに部屋の椅子に座り、テーブルを挟んで少年と向かい合う。
テーブルにはいつの間にかイシューが飲んでいたウィスキーのボトルがあり、少年はその中身を氷の入った二つのグラスに注いでいく。イシューは少年の意図が読めず、しかしただ黙っているのにも耐えられなくて口を開く。
「君のことは何と呼べば良い?」
「気楽にクアッドとでも呼んでくれ」
聞かなければ良かった、とイシューは後悔した。
それなりにジルベスという国の上流階級として生きてきたイシューにはその名前の意味がよく分かっていたし、それが自分の前で堂々と顔を晒していることがどれほど絶望的なことか正確に理解していた。顔から血の気が消えていくイシューを見たクアッドと名乗る少年はへらへら笑う。
「そんな顔すんなよ。零案件は俺にとっても零案件さ。ここでは何もなかった、そういう筋書きでいればいい」
「つまり、君が……クアッドが関わっていたから、一連の事件は零案件になった、ということか」
「詳細が聞きたいか?」
「いや結構! 私の頭はもうパンク寸前なんだ。これ以上劇物など抱えたくもない!」
「素直でよろしい。その年になっても潔さのある人間は悪くない」
クアッドは手元のグラスを傾け――60度のアルコール度数を誇る高級ウィスキーを一息で飲み干した。氷が入っているとはいえあれではストレートとさして変わらない筈なのに、彼は頬に朱色が差すこともなくけろりと舌なめずりした。
「うん、酒の良し悪しなんて分かんねえや」
そもそもあの飲み方では酒の味など分かるまい、とイシューは内心呆れたが、それ以上にあれだけの度数の酒を飲み干しても顔色一つ変わらない目の前の相手がいよいよ只者ではありえないことを実感させられる。
「未成年の……飲酒は感心しないな。喫煙も」
「大目に見てくれよ。子供は大人にしか出来ないことには憧れるものだ。強く押さえつけられていればそれほどに反発も強くなる。だが……そもそも禁止されたものの存在を知らなければ騒ぐこともない」
まだ半分も吸っていない葉巻を灰皿に放り投げたクアッドは、指を組んで肘掛けに両肘をつく。
「要件は簡単だ。伝えたいことを伝えに来た」
「伝えたいこと、とは?」
「俺たちは守っている」
「何を……?」
「何だと思う?」
主語を口にせずに不敵に微笑むクアッドに、イシューは自分が試されていると直感した。
クアッドは『俺たち』と言った。
つまり、彼が守るものは複数の何者かが守っているか、或いはクアッドは個人ではなく集団であるという節を裏付ける言葉と思われる。
彼は守っていると言った。
クアッドは政府によって操られる暗殺集団だと聞いているが、その職務が何かを守るためのものであるというのは不自然ではない。秩序か、法か、思想か、とにかく彼らは何かを守っている。
そして今回、暴走したベクター・ロイド・ジュニアは駆り出された社員ごと死んだ。
生き残ったのは予備戦力として戦線に投入されなかった重機部門試験運用課くらいだ。
話の流れからして、彼らはクアッドが守ってる何かに触れたから消されたと思われる。
ラージストⅤですら触れてはいけない、何か。
それは目に見えず正体も不明なのに、確かにジルベス合衆国内にある。
零案件として徹底的に情報を遮断してまで秘匿される、死のびっくり箱が。
イシューは疲れ切った脳を最大限に活用して必死に考え、考え、考え抜き、震える手でグラスに注がれたウィスキーを一口なめるように口にして息を吐くと、紡ぐ言葉を選んだ。
「触れずに過ごすために、私はどうしたらいい?」
零案件で覆い隠される『それ』に関わらなければ、何も起きない。
見ず、聞かず、問わず、なにより近寄らない。
そうすれば、イシューは二度と彼らと近寄らないで済む。
クアッドは、満面の笑みで頷いた。
「簡単なことだ。とても簡単なこと。いいか、一度しか言わないぞ」
イシューは震える手を握りしめて頷く。
クアッドはもったいぶって一度背もたれにもたれかかると、不意に立ち上がって教えを乞うよう言葉を待つイシューの背後に回り、耳元に口を近づける。
「万人に対して誠実であればいい。人権を尊重し、倫理を重んじ、人道を優先し、清く正しく驕らずに、ジルベス合衆国の誰もが正義の人間だと思うような素晴らしい人間でいればいい」
それは、酷く理解に苦しむ内容だった。
意味は分かるが、意図がまったく読めない。
思わず彼の方を向くと、クアッドと目が合った。
「とても、とても簡単なことだろう? だって、ジルベスのスクールに通った人間なら誰しもがジルベスの国民のあるべき模範像を学び、そうなれと言われて成長する。愚かな大人達はその内容をすぐ忘却、或いは曲解し、或いは億劫になって放り出すが、その堕落をしないよう心掛けて生きていけ。スキャンダルが面倒なら悪い事はしなければいいと思わないか。なぁ、イシュー・メルキセデク新社長?」
クアッドの両手がイシューの肩に置かれ、指が彼の凝った筋肉をほぐす。
その年齢相応の細い指には、力加減と場所次第ではいつでもお前の首をひねり潰せるのだと雄弁に語りかけるように全く淀みがなかった。
やがて手は離れ、足音がゆっくり遠ざかっていき、部屋の扉が開く。
暫く恐怖とも萎縮とも知れない感覚に身を凍らされていたイシューが反射的に振り向くと、そこにはもう誰もいなかった。ただ、空になったグラスと静かに立ち上る葉巻の紫煙だけが、そこに誰かがいた痕跡をものがたっていた。
一瞬、ここに残る指紋や唾液から彼の正体が知れるかもしれないと思ったイシューは血相を変えてその痕跡を隠滅し、抹消する。知られたことが彼らに知られれば、自分の命運も決定的にあちら側に傾いてしまう。そんなのはもう御免だった。許されるならば少年の顔も記憶から消し去りたくて、彼はグラスに残るウィスキーを勢いよく呷った。
ここには誰もおらず、何もなかったのだ。
残る痕跡は、零でなければならない。
◇ ◆
新社長のイシューが同じ過ちを繰り返さないよう念のために釘を刺したクアッド――オウルは、アジトに戻るとコートを脱ぎ捨ててどっかりソファに座ると、即座にサーペントに通信を繋いだ。開口一番飛んできたのは彼の小言だった。
『飲酒も喫煙も健康に悪いよ、オウル』
「ほざけ、殺し屋やってる方が健康に悪い。それに毒はナノマシンが勝手に分解するから酔えやしねーだろ」
『それはそうだけどね。お疲れ様、オウル』
ねぎらいの声をかけるサーペントは、オウルのベクター社侵入ついでに仕事をしていた。
『君が中に入ってくれたおかげでベクターホールディングスのセキュリティに細工が出来たよ。これから彼らは我々に隠し事を出来ない』
「そいつは結構。で、後片付けの進捗は?」
『凄い物だよ。軍の特殊部隊がひっきりなしに最新車両や輸送ヘリを飛ばしまくって、連中が撃ったアンカーガンのアンカー一本まで残さず地面から掘り返してる。連中に破壊された道路の修復は流石にすぐには終わらないだろうけど、ヘリ輸送が出来るようになったから騒ぎも長続きしないだろう』
おかげでヘリの騒音が鳴り止まないのは少々困りものだけど、とモニタ越しのサーペントは肩をすくめる。
『オウルの予想は的中したね』
「まぁな。これで一つ懸念事項が減った」
今回、クアッドは他の誰かに対して証拠隠滅の指示をするようけしかけたり働きかけることを一切せずに堂々とジュニア率いるパワードスーツ軍団を撃退した。にも拘わらず、現場の証拠隠滅が政府主導で迅速すぎるほど迅速に行なわれ、警察が入手したクアッドのユニット達が暴れる映像も即座に完全消去され、データをハードごと破壊・刷新されたのは、ある事実を物語っている。
「ユアの護衛任務は、確かにジルベス合衆国が認めた正規の命令だというのが確定したな。これで多少派手にやっても政府が隠蔽してくれることが知れた。でかい収穫だ」
オウルが後片付けを放置した理由、それは政府に後片付けをさせつつその出方を窺うことでユアの命令がジルベス合衆国に於いてどの位置に占めるものなのかを見極めることだった。
『零案件』にも厳密には段階がある。
例えば警察組織の所長クラスは詳細を把握しておかなければならない案件もあれば、州知事クラスでも知り得ない案件もある。隠滅に乗り出す部隊にもある程度詳細が知らされる場合と知らされない場合がある。これは、知っていなければ正確に隠滅が困難な場合もあるためだ。
そして、これが政府が軽視する、或いは関与しないのであれば所属不明のユニットらしき存在について軍には大なり小なり事情が知らされたり調査を命じられる筈なのに、今回は軍も含めて詳細を全く知らされず、追求する素振りも一切ない。
これはジルベス合衆国の国家中枢による指示、すなわち『零案件』の段階としては最高位レベルの判断があったことを意味する。
(ここまで派手にやれば逆に後片付けしてくれるってのは結構だが……ユア・リナーデルは一体この国にとっての何なんだ?)
別に追求する気もなければ知ったからといって何かを変える訳でもない。
しかし、ユアを守る命令を下した何者かの思惑は、未だ深く暗い闇の底に沈んだままだった。
と――視界の隅で何かがもぞりと動き、オウルはぎょっとする。
そこにいたのは、なんとオウルのベッドで寝ていたパジャマ姿のユアだった。
寝返りを打っただけでまだ眠っているようだが、何故こんな場所にいるのかと叫びたくなった矢先にサーペントが先回りで答える。
『あ~……ヘリの音がうるさくて眠れないからって防音機能がついたアジトに押しかけてきてさ。ごめん、報告忘れてた』
「お、ま、え、なぁぁぁ~~~~……」
『でも、殺し屋が自分の部屋に知らない誰かが寝ているのに気付かないって大問題なんじゃない? その点では人のせいにはできないよね~?』
「うるせぇ、ミケの悪戯かと思ってたんだよ!」
にたりと笑うサーペントだが、オウルは嘘は言ったつもりはないし実際にミケはたまにそういうことをする。しかし、それ以上何を言っても言い訳にしかならないし、まさかユアが近くにいることに違和感を覚えなくなり過ぎて無意識に許容していたなどと言えば笑いものになるだけだ。
大声を出したせいでユアが呻き、遂に目を開く。
「……オウル、サーペントさん。うっさい」
普段は明るく周囲を気遣うユアとは思えない冷たい一言を放つと、ユアは布団にくるまってまた寝息を立て始めた。
「……」
『……』
絶句する二人。
学校は非常時につきオンライン授業に切り替えたために時間にはまだ余裕があるが、それにしても初めてユアに敵意の籠もった言葉を浴びせられた。
どうやら騒音で寝不足なユアはご機嫌斜めのようである。
『……秘匿通信に切り替えようか、オウル』
(ミケとテウメッサにも騒がないよう言っておこう。くわばらくわばら……)
確かに無遠慮ではあったが、彼女の意外な一面にジルベス合衆国最凶暗殺者集団の二人は縮こまる他なかった。
というわけで、第三章はこれにて終わりです。
自分で言うのもなんですが書いてて楽しかったです。
K.O.Gは思いっきり盛ってやろうと思ってでかくしたらいつの間にかゲッターの真ドラゴンみたいなサイズになってました。ちなみに名前の由来は庭師KING。こんな使い方しやがってステルスメジャーに土下座しろ。
最後に、この小説を少しでも面白く感じて頂けるのであれば……。
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