38話 化かされた暗殺
実はこの小説、現時点(2023/11/6)でカクヨムの方がブクマが五倍以上多いです。
理由はあちらでしっかりめのレビュー書いて頂けたから。
有り難い限りだけどこんなに差がつくとはねー……。
人間の視野は、平均的には正面を起点に左右100度ずつ……つまり200度ほどを見渡せるようになっている。
この角度は生物により異なるが、基本的に動物は肉食か草食かで視野が異なる。
肉食動物は狩りのために遠近感を知覚しやすいよう目が前方に寄るのに対し、草食動物はより広い範囲を警戒し捕食者から逃れるために左右の目が離れている。つまり、正面を取るか広範囲を取るかによって生物の目の位置は変わる。
しかし、中には動物では考えられない視界を有する生物がいる。
それがトンボを代表とする複眼の昆虫だ。
複眼は人間で言えば無数の目の集合体で、動物と違って視野の広さも距離感も確保出来る上に首の可動を含めればほぼ上下左右360度の視界を有するとされている。
ベルラ・リーが軍に「目を取り返したくないか」と言われ、書類も読めないのに手術の結果について責任を問わないという同意書に正しく署名出来ているか不明のサインをし、外科手術で取り付けられたジョークアイテムのような間の抜けたフリスビー。
それこそが人間が昆虫の視界を得ようとした試行錯誤の結果だった。
ベルラは比較的後期の被検体だったが、初期の人体実験の結果は悲惨なものだったらしい。
なにせこのフリスビーは電子制御で、脳神経と接続されている。
そのためフリスビーに何かあれば下手をすると脳にダメージを負ってしまう。
機械の不具合、故障、情報処理の不備、酷使によるオーバーヒート、etc……そして最大の問題が、視界が複眼化した視界と脳がマッチせずに精神的な拒絶反応を起こすことだ。そのため、適合して複眼を使いこなした兵士は「人間ではなくなった」とよく喩えられた。
ベルラはこのような目に改造されたことには感謝している。
人と比べて多少不便はあるが、それを補って余りある利点がある。
人より速く、広く、正確に、人体が咄嗟に反応しずらい上方も含めて自然と認識出来るのは、戦場においても情報処理においてもメリットしかない。
何よりも、泣き叫ぶ人間の目を押し潰す光景が微細な角度差をつけて視界いっぱいに広がる迫力と臨場感は、筆舌に尽くし難い悦楽を齎してくれる。
パワードスーツに関してもメリットは多く、ベルラは自分が乗るパワードスーツには必ずカメラとモニターを増設することで通常の兵士の倍以上の情報を同時に処理することが出来るようにしている。そして今回、新社長のジュニアはベルラの特性を理解して最初から彼女が使いやすい特注の頭部を用意してくれていた。
『あはははははは!! たまんないよこれはぁ!! 人間以上の存在になっていく感触はぁぁ!!』
複眼を持ちパワードスーツに乗った際の快感を更に上回り、二手四脚という異形の肉体を操ることは、ベルラにとって自分がどんどん強化されて人の枠を越えていく感触を与えていた。この身体なら目を潰す感触も更に高次元なものに変えられる。
きっとやみつきになり、元に戻れなくなるだろう。
『シャルウィィィィィダァァァンスッ!!』
肩部多目的投射ポットの中から次々にアンカーワイヤーが射出され、『ワイルド・ジョーカー』に迫る。アンカーには一つ一つに噴射装置が装着され、それぞれ微細な軌道修正をしながら敵を絡めると為に有機的に動き回る。
テウメッサはそれを優雅なステップで躱しながら『ハルパー』で切り刻もうとするが、これまで『アトランティード』の装甲さえ融かしたプラズマの出力がワイヤーを切断出来ない。
『どんな耐熱性よ? ワイヤーにまで金かけすぎでしょ』
『一流企業は全てに手を抜かないんだってさぁ!!』
ワイヤーで逃げ場の減ったテウメッサを四つのクローが狙う。
しかも、『オベリスク』は後脚でバランスを取れば両腕と前脚を同時に動かせる為、『ワイルド・ジョーカー』に迫りながら次々に角度を変えて捕まえようとしながら蹴りも同時に放つことが出来る。並行して以前より更に大出力化した音波装置で音波断層も作る。
テウメッサはそれらを並行していなしていくが、処理能力と空間把握能力に優れたベルラに操られることで『オベリスク』の攻撃精度は尋常ではないほど苛烈で無駄がなかった。当ベルラはむしろこの段階でも回避に成功しているテウメッサの力量を称賛する。
『これも捌くなんてやるじゃないか!! もしかして、アンタらがクラウンを殺ったからジュニア社長はここを攻めるのかねぇ!?』
(そういう訳じゃないんだろうけど、結果的にそうなってるからなぁ。ジュニアくん彼ら以上に狂っちゃってたりして)
それにしても、と、テウメッサは眉を潜める。
彼らのパワードスーツは次世代機ほど革新的な技術を使っている訳ではないが、その性能は現行世代機にしては異常なまでにパワフルで頑丈過ぎる。特にオベリスクはアトランティードと比べてもその特性が顕著になっている。
もはやパワードスーツという規格を越えようとしている怪物の数々を、ジュニア社長は一体何の為に製造したのだろうか。あくまで重機の特性を辛うじて逸脱してはいないのが逆に恐ろしいとさえ思える。
よもや対クアッドということはないだろう。
開発開始は年単位で前から始まっていたように思える。
その秘密は後でサーペントが解決してくれるであろうと思ったテウメッサは、そろそろ勝負を決めなければならないと気を引き締める。
ベルラは狡猾で無慈悲なハンターだ。
一つ回避する度に他の複数の攻撃をどう躱すか選択を迫られ、選ぶ度に回避の道が一つ減っていく。そうして最後にはクローを躱しきれなくなり、敵を昆虫のように挟んで捕食する。
現状のリミッターでは、改良されたとはいえ最後まで猛攻を凌ぎきれないだろう。
テウメッサは勝負に打って出る。
『ショーの最後にはどんでん返しの一つでもないと面白くない。そろそろ終わらせようか』
『最後の展開は主役の眼球がぶちゃりのバッドエンドで確定だよ!! この攻撃、いつまでも避けられるまい!!』
『ん~、予想外だが発想が安直だ。こういうのはどうだい?』
『なっ――!?』
普通の相手なら一瞬でやられていただろうが、複眼で人並み以上の視野を持つベルラは正確にその状況の変化を認識し、目を剥くことの出来ない視野で驚愕した。
彼女の視界に、突如として眼前の獲物とは別の『ワイルド・ジョーカー』が物陰から踊り出る。
視覚情報も武装もセンサーの反応も、全てが本物。
しかも、その数なんと四機。
単機で攻め込んで自陣を圧倒していたことや別の場所では違う形状の敵が確認されていたことから少数のワンオフ機チームだと判断したため、この待ち伏せは想像の埒外だった。
『誘い込まれたってのか!? でもねぇ、相手が悪かったんだよッ!!』
腐っても歴戦の兵士か、ベルラは動きを鈍らせることなく反応してみせる。
普通の人間なら一体の敵を攻撃中に四方向から同時に攻撃されれば絶対に対応できないが、複眼という常人離れした視界と複数の攻撃方法を同時に繰り出せる『オベリスク』の性能を限界まで引き出せれば話は別だ。
『ワイルド・ジョーカー』を追い詰めていたクローが一斉に迎撃に移る。
『こいつも!!』
クローの一つが『ワイルド・ジョーカー』を空中で掴み取る。
『こいつも、こいつも、こいつもぉ!!』
残るクローも次々に肉薄した『ワイルド・ジョーカー』を掴み取っていく。
『も一つおまけぇッ!!』
四体掴み取ったことで正面ががら空きになったと判断した本命、テウメッサの肉薄に対し、ベルラは今の今まで隠していた背部アタッチメントを解放して解き放った蠍の尾のようなクローを解き放った。
敵を追い詰めることに快楽を覚えるが故に最後の最後まで温存していた、彼女の奥の手が無防備な『ワイルド・ジョーカー』の腹部に迫る。
『作戦は悪くなかったけど、まさにどんでん返しだねぇ? アッハハハハハハハハハ!! イッツ・グランドフィナーレェェェーーーッッ!!!』
二つのクローは挟み斬りのチェンソーが高速回転する無数の合金刃で派手に火花を散らして切り刻み、二つのクローは固定状態から繰り出されるパイルドライバーが一点集中の破壊力で胴体を貫通。四体による同時攻撃は、最後に正面に迫った影を掴むことで終了する。
――筈だった
『ハハハ――は???』
すかり、と蜃気楼を貫くようにクローが透過した。
ベルラの思考が、一瞬停止した。
『どんなに目が良くても、処理する脳は人間のものか』
その一瞬の隙を縫って、実体ある本物の『ワイルド・ジョーカー』が『オベリスク』の背後に駆け上り、その首に『ハルパー』を宛がった。
月を背負うその姿は、正に死神そのものだった。
ベルラにとって幸運なことが一つと、不幸なことが一つあった。
幸運は、その尋常ならざる視力で、遅ればせながら何が起きたのかを理解できたこと。
彼女が四つのクローで同時撃破した『ワイルド・ジョーカー』は撃破の瞬間にジジ、と音を鳴らして本物に比べると細身で貧相な無人パワードスーツに変化していた。つまり、極めて高度な立体映像で本物の脅威であるかのように演じた偽物だったということだ。
そして正面の『ワイルド・ジョーカー』への攻撃が透過したのは、本体が一瞬だけでも本物が迫っているように見える立体映像を先行する形で放ったからだった。ベルラの複眼は人間より優れているが、複眼昆虫と同格の精度には至っていない。しかも立体映像が本物より僅かに大きかったことで、本物は映像の影に上手く隠れてしまっていた。
違和感を感じれば、気付けたことだ。
しかし、五方向に一斉に対応したことで、微かな違和感を自分の判断で塗り潰してしまったために彼女は引っかかってしまった。どんなに目が発達し、それに脳が適合しても、脳の処理能力が上昇した訳ではない。ただ慣れたというだけなのだ。
それが敗因であることを、ベルラは理解できた。
そして、彼女にとって不幸なことは一つ。
なまじ目がいいせいで、自分がみっともなく引っかけられたという屈辱と絶対に覆せない状況を正確に理解させられたまま死ぬしかないということ。
プラズマの刃の出力が先ほどより高く、超高熱に耐えられる筈の『オベリスク』が耐熱限界のアラートを吐き出す。この出力をいつでも出せるのであれば、いつでも殺せた筈。
ベルラは、自分が最初から踊らされていたことと、敵の異常性に漸く気付いた。
『お前、まさかユニット……ふざけんな! とんだ茶番じゃないかぁッ!!』
『まさにそう。オウルが見たら予定調和だって鼻で笑うほどに、此処には滑稽な演者しかいないよ? 無論、道化の僕も含めてね』
次の瞬間。ベルラは至近距離から高出力のプラズマを顔面に浴びせられ、装甲ごと融解して喉元から蒸発していく。
……ことはなく、システムアラートと共に勝手に緊急離脱モードが起動して出入ハッチが開き、外に引き摺り出された。
高所から地面に叩き付けられ、息が強制的に吐き出される。
『おっと、思ってたよりはべっぴんさん』
「かはっ、げほ……テメェ、何のつもりだ……はっ、ナニをおったてて一発コマしたくなったかねぇ!?」
『いや、君の言う『たまらない感触』ってヤツを一応味わっておこうかと。こっちの方が殺し屋らしいだろ?』
「は……?」
一瞬何を言われたか理解できなかったベルラは、次の瞬間に彼が何をしようとしているのかを理解した。
自分がたまらない感触だと思っているもの、それは――。
「なっ、違っ、好きなのは潰す方でッ!!」
ベルラの声を完全に無視し、テウメッサは『ワイルド・ジョーカー』の脚で彼女のフリスビーのような形をした複眼装置を踏みつけた。頭が潰れない程度には加減をして、しかし潰れる瞬間をきちんと味わえる程度には力を込めて。
「いッッッギャアアアアアアアアア!!? ガガガガガガガアアアアアアアアアッッ!!?」
万力のようにメリメリと頭の奥で音を立てて、複眼装置が頭蓋の内側にめり込んでいく。
戦場で受けたどんな拷問よりも激しい未知の苦悶に、ぶくぶくと口から泡が漏れ出る。
頭の奥で大量の爆竹が弾け続けるような激痛と爛れるような熱に魘され、ベルラは意識ある限り延々と続く絶叫を喉から絞り出し続けた。脳と複眼の神経接続が機能し続け、意識を失うことすら許されずに視界全てを自らを踏みつける死神の足裏で埋め尽くされ、他の何かを夢想する余地など欠片もなかった。
自らの絶叫は、これまで何度聞いた眼球潰しの絶叫よりリアリティに溢れ、耳元で鮮明に聞こえた。
「ウワアアアアアアアアアッッ、あっ」
ぶちゃり、と音を立て、複眼装置は潰れながら完全にベルラの頭蓋の中に刺し込まれた。
押し込まれた先にあった脳がどうなったのかは言うまでもない。
彼女の死体はその場でびくびくと痙攣を始めるが、テウメッサは「こんなものかな」と料理の味見でそこそこの味が出来た時と同じ程度の反応で視線を外し、『オベリスク』を見やる。
『オベリスク』のコクピットには、先ほどベルラが騙されたそれと同じ貧相な偽物パワードスーツが無理矢理入り込み、内部から直接システムを侵食していた。やがてそれから『簒奪完了』の通知が来て、テウメッサは満足そうに頷く。
わざわざ『オベリスク』を壊さず無力化したのには、ちょっとした理由があった。
『殲滅を早めるために手駒は多いほうがいいよね、フォックス? やられた兄弟の分も暴れておくれよ』
テウメッサが使役する無人機フォックスは、主人の声に対して完全掌握した『オベリスク』の唸るような駆動音で応えた。




