30話 トイレ暗殺
数日前――町で一つの犯罪未遂があった。
ジルベス合衆国の犯罪率は、残念ながら低いとは言い難い。
強盗、詐欺、窃盗、その他数え切れない程の刑法犯罪……大きな国土と人口を持つ国はそれだけ貧富の差も激しくなるのが資本主義社会の宿命だ。幾らAI技術による警備ドローンを投入したとて、その管理と維持には金がかかる以上完全な監視網というのはありえない。
その中でも最も問題視されているものの一つが、誘拐だ。
金持ちの子供を攫って身代金を要求しようなどと言う古典的なものではない。裏社会で使い潰すのに都合のいい子供の「商品」の需要は常に存在している。警戒心の薄い子供を親が目を離した一瞬で攫って、子に逃げられないと思い込ませて支配し、やがて本当に逃げ場のない裏にがんじがらめにして陰でしか生きられない人間とする。
ただ、生きているならまだいい方で、酷い場合は臓器が全てなくなった状態で発見されることもある。もっと言えば、死体すら見つからず処理されている人間もいるだろう。
臓器ビジネスの闇は殊更に深く、摘出された臓器は一部の健康を損なった権力者やコレクターに流れていると言われるが、証拠が挙がらないので憶測でしかない。しかし、証拠が挙がらないのが常態化しているのに国が本格的に動こうとせず情報が表だって騒ぎにならないという事実が一種の答えとも言える。
その日、彼らは丁度いいターゲットが隙を見せるのを待っていた。
両親を失い一人暮らしの未成年――都心では犯罪は必然的にリスクが高まるが、相手の家庭の事情を考慮すれば狙い目は存在する。ユア・リナーデルというのは狙うか否かで言えばありな存在だった。
肉体は適度に成長し、容姿の悪くない女。
どう扱うにしても買い手がつく存在だ。
人身売買組織の下っ端である二人は、警戒心の薄そうなタイミングを待った。
世間はこうした犯罪や詐欺に対して勘違いをしている。
被害者が馬鹿だったから被害に遭う訳ではない。
多種多様な考えを持つ大量の人間の中には個体差があり、必ずどこかにひっかかる存在がいるのだ。あとはそれをどれだけ効率的に発見し、接触した際にミスをしないかの問題でしかない。
つまり、ユアがターゲットにされたのは数ある候補の中から偶然導き出されたに過ぎない。
彼女が彼女の事情で一人暮らしをする以上、運が悪かったとしか言いようがないのだ。
同時に、ユアが実は彼らの想像を絶する存在に守られていたことも、運が悪かっただけだ。
「クソが! 俺らに手ぇ出して唯で済むと思ってんのかガキ共ぉ!! てめぇの家族がいつまでも元気だといいなぁ、ああ!?」
「人生滅茶苦茶にしてやるよ! 嫌ならとっとと拘束を解きな!!」
ぎゃあぎゃあと喚き立てる男達を防音設備のしっかりしたアジトの一つに運びこんだオウルとテウメッサは、彼らを完全に無視して話し合う。
「やっぱ、もうちょい何かユアに妙なのが寄りついてこない防犯が欲しいな。表に出せるやつ」
「彼氏の有無だなんて親しい人しか知らないものだしねぇ。おじが一緒に暮らせないのは家庭の事情だし、僕らで架空の防犯会社でも作っちゃう?」
「それこそ目立つな……仕方ない。なるだけユアの外出時には俺らの誰かがついていくってことでいいだろう。悪目立ちするくらいならその方が良い」
「おい、てめぇら聞いてんのか!!」
誘拐未遂犯はドスの利いた声でがなり立てる。
自分たちが一瞬の隙を突かれて悲鳴を上げる暇も無く誘拐されたことなど既に思考の外なのか、オウルとテウメッサが到底自分たちに勝てる体格に見えないことで彼らの経験則が「脅迫でなんとかなる」という結論を最有力に提示していた。
「だいたい俺らは町をうろついてただけなのに何の理由があって縛ってんだ!? 警察に通報されりゃ捕まるのはそっちだぞオラぁ!!」
「今なら示談金で済ませてやるってのになに無視してんだ! 言っておくが俺らのバックにはサツなんざ屁でもねぇ組織がついてんだからな!」
「そうだ! とっとと解放しねえと仲間が気付いててめぇら町を歩けなくなるぜ!?」
実際には示談に一度応じれば後は骨の髄まで搾り取るのが彼らのいる組織のやり方だ。
そんな相手に手を出した時点で、彼らはメンツを守る為にも相手に容赦しない。
だが、オウルとテウメッサはぽかんとした顔をする。
「何でこいつら自分が生きて帰れると思ってんだ?」
「さあ?」
肩をすくめたテウメッサの右手に、ユニットのメカニカルな腕が部分展開される。
「じゃ、証拠を残さない為に完全焼却しちゃいますか」
「え――?」
二秒後、彼らはユニットの超高熱レーザーによって生きたまま骨すら残さず一瞬で消し炭にされた。
如何なる理由があったとしても、バックに誰がいようとも、彼らにどんな事情があろうとも、一度ユアに目をつけた以上は生かしておく理由が一つも無い。
余談だが、彼らが姿を消した後、彼らの言う組織は末端のチンピラ二人が消えたことになんの興味も示さなかった。もし示していたら、彼らも消えることになっていただろう。
クアッドは人を消すことに躊躇わないし、ユアに気付かれない範囲であればむしろ積極的に消している。今回のこれも実を言うと初めてではなく、既にミケとサーペントも何人か消している。しかし世間は気付かない。それがジルベス合衆国という国だ。
オウルは軽く伸びをすると大きく欠伸した。
「ふわぁ~……ユアが狙われやすいのは置いといて、こんな暗殺に意味あるのかね? 今までが有意義な暗殺だったと言う気はないが、小悪党をちまちま処理してさ」
「そえこそ僕に聞かれても。サーペントは一応未だにこの命令の真意を調べてるみたいだけど、今も結果が出ていないなら理由は二つじゃない?」
「なんだよ、二つって。サーペントでも掴みきれない極秘計画とか?」
「もしくは、余りにも馬鹿馬鹿しくてサーペントが思いもしない理由だよ」
馬鹿な、とオウルは思ったが、現時点で馬鹿馬鹿しい状態なのだから殊更に否定するものではない。案外、社会実験AIが訳の分からない仮説証明のために無作為に戸籍データを調査し、たまたま選ばれたのがユアだったなんて言い出すかもしれない。
だとすれば宝くじ以下の確率で彼女は選ばれ、更に低い確率でオウル達と巡り会ったことになる。
「なんにせよ、ユアの運勢はよろしくなさそうだ……あー無駄な時間使った。飯食おうぜ。遅めの夕飯だ」
「今夜は直火でボワっとレアステーキだよ~」
「ユニットで焼くなよ。炭を食う趣味はない」
彼らはこのとき、ユアの運の悪さと狂った人間の行動力というものを見くびっていた。
事態は、情報収集を怠らないサーペントすら気付かない場所で静かに、しかし確実に進行していた。
◇ ◆
同刻、ベクターホールディングス上級会議室。
ベクターの舵取りを決める幹部たちが集合する場は、いつも厳かな緊張感に包まれている。社長であり創業者のロイド・ベクター社長の圧の前では居眠りなど絶対に出来ないからだ。故に社長が緊急会合だと言えば彼らは食事の予定も放り出して速やかに本社に集合する。
しかし、今の上級会議室に満ちているのはまったく違う空気だった。
幹部は全員会議室に入るなり警備員の手で椅子に拘束され、逃げようとした者やその秘書、目撃者まで容赦なく捕縛。こうしてジュニアを除く幹部全員が大きなテーブルを囲んでいた。
幹部全員が今までに聞いた事のない状況に「社長は乱心したのか」、「彼らは社員を騙るテロリストではないか」、「飲み物も飲めない」などと混乱の極みだった。
やがて扉が開き、ガラガラと安っぽい車輪が回る音が会議室内に入ってくる。
それは、社員用の安い椅子に縛り付けられ無理矢理座らせられた社長と、その椅子を鼻歌交じりに押すジュニアだった。低俗なテレビ番組のドッキリでも仕掛けられたのかと一瞬疑った幹部達は、ジュニアが社長の顔がよく見えるよう椅子を回転させた瞬間に絶句した。
先ほどまで左の顔しか見えていなかった時は違和感を感じつつも気付けなかったが、社長の右の顔は口にするのも恐ろしいほどに惨たらしく破壊されていた。幹部の中の数名がその場で嘔吐するほどに、それは、完全に、死んでいた。
悲鳴を上げることすらできない異常な状況の中、更に異常なのがジュニアだ。
彼は突然人形遊びでもするように死んだ社長の顎を掴んでぱくぱく動かしながら裏声で喋り始めたのだ。
「オマエラ、ヨクアツマッタ! カイギヲハジメルゾー! ギダイハヒトツ! ワタシヲコエルイダイデスバラシイムスコ、ロイド・ベエクター・ジュニアヲイマコノトキカラシャチョウニシチャウゾ!」
実の父であるロイドの死体を弄んで高揚した気分を隠そうともせず笑っているジュニアに、頭の回転が速い何人かは気付いた。
ジュニアは社長のロイドをその手にかけたのだ、と。
ジュニアは尚も社長の口を弄ぶ。
「ハンタイノモノハキョシュヲシロー!」
この場の全員が、拘束されながらも辛うじて肘から先の手を上げるくらいのことは出来る。
しかし、今この状況に於いて明らかに狂気に満ちたジュニアに逆らう根性のある者はいなかった。
ジュニアは満足そうに父親の首を頷かせる。
「マンジョウイッチデジュニアガシャチョウダ! ラージストⅤノミライヲニナウアタラシイカゼノトウライダー! ……あっ」
ぺき、と、ロイドの顎が外れてだらんと落ちる。
ジュニアは二度ほど顎が収まらないか試したが、途中で面倒になったかのように顎から手を離すと八つ当たりでロイドの頭部を背後から拳で殴りつけた。ロイドの遺体の首がメキキと、音を立て、だらりと下がったまま動かなくなる。
ジュニアの秘書がすがさず滅菌ウェットシートを差し出すと、彼は手を素早く拭いてロイドの遺体の頭頂部に乗せて満足そうに微笑んだ。
肉親の遺体を玩具にして遊ぶジュニアの狂気に恐れをなした幹部の一人がその場で失禁した。
ジュニアはそんな些事など目に入らないのか、とうとう社長専用の椅子に座って足を組む。
「ご紹介にあずかりました、ロイド・ベクター・ジュニアでございます。今日は新社長就任と同時に我が社の新労働形態をご紹介したいと思います」
「し、新労働形態は結構なのだが、私はそろそろお手洗いに行かせてもらいたいな。どうだろう、きっと長い話になるだろうしね」
ジュニアの味方であった革新派の重鎮が引き攣った笑みで願い出る。彼の面倒を散々見てきた恩を含め、自分の意見なら受け入れてくれるかもしれない、否、そうでないと困るという内心を隠して。
強制的に拘束されてトイレに行けなかった、というのが彼の心の中の建前で、実際にはほんの僅かでもいいからこの場から離れて即座に警察と自らに伝手のある政治関係者にこの愚かで狂った犯罪者の拘束を願うためだ。
今の彼は理性も倫理も品性もない、まるで力加減を知らない子供のような純粋な残虐性が見え隠れする。これ以上錯乱した彼を放置すればベクター社はおしまいだと彼は祈るような気持ちでジュニアの返答を待った。
だが、既に彼には逃げ道など無かった。
この場にいる全員に、逃げ道などとっくにない。
「ああ、ご心配なく。新労働形態ではお手洗いに行く煩わしさすら解決しますので!」
ジュニアが開放感溢れる上機嫌な態度でぱんぱん、と、手を鳴らすと、彼の部下がまるで拷問椅子のような物々しい椅子を次々に運び込んでくる。それらの椅子は、ジュニアを除く幹部全員分の数があった。椅子には排泄用の穴のようなものや、点滴装置らしいものもついている。
「今日から皆さんはこの椅子に座って24時間我が社の為に粉骨砕身の覚悟で働いて頂きます!! このロイド・ベクター・ジュニアの新たな社訓は『事務も現場も平等に』!! 現場の苦労と危険性を知らない分の穴埋めとして家に帰れないようになりますが、世界一の建築の礎となるなら皆様も本望でしょう!!」
「ふ……ふざけるな! 気が狂ったか小僧!! 禁断の親殺しに飽き足らず社員を路頭に迷わせる気か!! 座りたいなら一人で……!」
ストレスと動揺が限界を迎えた幹部の一人が激高して怒鳴り散らす。
直後、ぱん、と、乾いた音と硝煙の匂い。
怒鳴った幹部の股間すれすれに打ち込まれた弾丸が、摩擦熱で煙をあげていた。
「拒否するなどということは、ないんですよ。私の決定が覆ることはないのです。おわかり、頂けますね?」
ジュニアの手には、拳銃が鈍色の光を放っていた。
教育を間違えた結果。




