29話 古きものの暗殺
ジルベス合衆国民はおしなべて自国こそ世界の中心だと自負している。
なので、映画で世界の危機という謳い文句が出ると、だいたいジルベスの栄えた街が滅びる映像が出てくるし、世界的なテロも結局ジルベスが中心になっている。厳密には別にそれが起きたとて関係の無い世界の果ての国はいくらかありそうだとしても、彼らは彼らの文化が覆ることを世界の終わりだと思っている。
現実にはそうでもない。
ジルベスがこの地上からなくなれば、他の強国たちが隆盛を取り戻すだけだ。
まして、それが更に小さな単位――町や村ならば、尚のことそうだ。
人はその現実を薄っぺらい媒体に記された文字の羅列にまで圧縮してしまう。
幾人の血が流れようとも、幾万の悲嘆が響こうとも。
『……とは言うがなぁ。流石にこれはどうなんだ?』
呆れ果てたオウルの視線の先には、余りにも、余りにも巨大な鉄の塊があった。
それは全てが緻密に絡み合った純然たる工業製品であり、しかし実行に移した者の正気を疑うほどに巨大。大山が一つ動いているようなシルエットは、数多の煙突から蒸気や煙を吹き出し、魑魅魍魎が一斉に咆哮を上げるかの如くけたたましい駆動音を撒き散らしている。
その鋼鉄の山が歩みを進める度に地面は度を超した重量が生み出す圧力に敗北して陥没し、抉られた地面を更に強引に抉りながらそれは歩みを続ける。
宇宙要塞もかくやという幾百ものライトが一斉に点灯し、獲物を探すサーチライトとなってオウルを捉えた。
ユニットを身に纏ったとはいえ一人の人間に、鋼鉄の巨体の全センサーが集中する。
『見ィィィィつゥゥゥゥけェェェェたァァァァァァアアアアッッ!!!』
理性を微塵も感じないそれは、もう狂気と狂喜のどちらなのかも分からない。
唯一つ分かっているのは、この空母も逃げ出す埒外の巨体が、小虫に等しいオウルを叩き潰そうとしているということだけだ。
まったく――今朝までは平和だった筈なのだが、一体何がどうすればこうなるのか。
無視して逃げたい気分ではあるが、オウルの後ろにはユアの住まう町がある。
放っておけばこの完結型超弩級移動重機は町を破壊するだろう。
通り過ぎるだけで壊滅だが、あのイカれ具合からしてそれでは済みそうもない。
『どうしてこう、一般人の女一人を守るのに世界ってのは寄って集って……釈然としねーが、皮肉にもやることはハッキリしてやがる』
巨大な破壊兵器から町を救って少女を守れ。
まさにジルベス合衆国の陳腐な大衆アクション映画に相応しい筋書きだ。
こんなものは無駄な破壊を嫌うオウルにとって最も気の進まない仕事なのだが、暗殺と町の防衛は確実に遂行されなければならない。
これを殺し屋がやると言うのだから、ミスキャストはここに極まれり。
余りの期待感の低さに上映前から観客席はがらがらだ。
なのに真面目くさって正義の味方を演じるなど、滑稽以外の何者でもない。
それでも、オウルに躊躇いはない。
『滑稽だろうが何だろうが、やるからには役者を全うするさ。ユニット・アクションだ!』
何故オウルがこの巨大な鉄の塊と戦うことになったのか。
そもそも、この鉄の塊は一体何なのか。
話はオウルも与り知らない数日前にまで遡る――。
◆ ◇
失敗していない。
ベクター・ロイド・ジュニアは決して失敗しない。
そこには正義も不義も理屈も信仰も何もない。ただ、自分が失敗する筈がないのだという、それ以外の事実を決して許さない精神性のみがその結論を導き出す。
保守派のイシューとの派閥争いでアルフレドを送り込んだのも、そのアルフレドが裏切って行方をくらましたのも、その不手際を無責任な父に散々叱責され傷を負わされた事も、全てが遠い過去のように感じる。
次期ベクター社社長の座は、裏切ったアルフレドの始末の如何にかかっていた。
そのためにジュニアは政界に働きかけて特務課を動かし、下手人であった解体会社『チューボーン』の失踪の詳細を調べさせた。同時に自分の手駒を用いてアルフレドのあらゆる情報を調べ上げ、捜した。
しかし、アルフレドの痕跡はプロが消したように完全に途切れていた。
挙げ句、特務課はあろうことかそのアルフレドがテロリストにベクターピラーの情報を漏らした可能性があるためアルフレドの詳細情報と構造欠陥について調べさせろと言い出してきた。チューボーンに握らせた多目的パワードスーツ『アトランティード』のデータと共に。
ジュニアの子飼いが会社のデータをテロリストに流し、パルジャノ連合側の手引きで国外に脱出したというのであれば、もはやベクターからの追跡は不可能だ。アトランティードのデータも売られただろう。
しかも、特務課は明らかにベクターコーポレーションに疑いの目を向けていた。
これ以上彼らに捜査権限を握らせていれば、内部の不手際が公になって手がつけられない。
ジュニアはアルフレドを始末する目処を見失った。
手段も手がかりも断たれ、万事休した。
しかし、アルフレドを始末しなければ次期社長の座どころか今の幹部としての地位も危ぶまれる。ベクター・ロイド社長は息子だから出世させるほど甘くなく、そして既に一度不興を買って温情で処分を免れているジュニアが更なる失態を重ねたとなれば、彼が生きているうちには二度とトップの座に座れない。
「でもぼくは失敗していない」
ベクター・ロイド・ジュニアは決して失敗しない。
凡俗には理解出来ない高度な場に於いて、ジュニアはありとあらゆる視点からどう考察しても決して失敗しない。失敗しないという結論以外の認識など存在しない。なので八方塞がりなどという事態は現実ではないし、このままジュニアが出世コースを外される事象など起きよう筈もないし、自分は必ずラージストⅤの一角の頂点に君臨する存在なのだ。
ジュニアの理想が実現していないということは、邪魔者がいる筈だ。
そしてそれは自分の近くで自分の足を引っ張り続けている無能の筈だ。
邪魔者さえ取り除けば、如何なる方法を以てしても早急かつ不可逆的に解決すれば、ジュニアは失敗しない。失敗しない。ロイド家の次期当主として、若手の希望として、愚かな父に代わる存在として、断じて、失敗、しない。
「あ……」
ジュニアの中で、その思考が一つの真実を見出した。
そうだ、それなのだ。
これほど優秀で非の打ち所がない自分がトップに立てない理由など明白ではないか。
「ふはっ、ふははははは!! あはははははは!! なんだ、もっと早く気付いていればよかった!! いるじゃないか、害悪が! 捻り潰して絶命すべき蛆虫以下の芥がッ!!」
最初から答えは明白だったではないか。
次期社長たる自分を阻める無能で邪魔な存在など、今も昔もずっとずっとずっとずっとずっと、たった一人しかいないではないか。
神の天啓でも受けたような、とても晴れやかな気分だった。
ジュニアはうきうきしながら秘書に連絡を取った。
「親父にアポを取れ! 早急にお伝えしたいことがあるとな!」
返事も聞かずに端末をスリープモードにした彼は、急いで皺一つ無いスーツに袖を通すと、自室の棚から大きな時代遅れのレンチを取り出した。
視察先の現場で見つかったというそれはベクターがまだ巨大複合企業になる前に年一度の最優秀社員にプレゼントされていたというベクター特注のレンチだ。企業が大規模化するにつれて古人の技術力は注目されなくなり、人を動かし書類を作る側の人間ばかりが評価されるように生る中で、技術者の魂を忘れないで欲しいと現場の人間に託された。
ジュニアにとってそれは、スクール時代に「流石はベクター・ロイドの息子」という親ありきの美辞麗句と共に受け取ったどんなトロフィーより重く価値のある品だった。金儲けにばかり腐心する父の支配的なやり方から会社を開放するためにずっと磨き続けていたそれを、ジュニアはうっとりした顔で握る。
30分後、ジュニアはごちゃごちゃと何かをまくしたてる父の脳天にあらん限りの力で特注レンチ振り下ろした。
ジュニアはまったく現場のことを知らない父から受けた教えで一つだけ気に入っているものがある。
凡人は故障した機械を叩いて直す。
二流は故障を修復して使う。
真の一流は、故障する機械など最初から置かない。
粗大ゴミを排除して座った社長の椅子は、少しばかり血で湿っていたが心地の良いものだった。




