12話 正義の暗殺
ベクターホールディングスの社長室に、罵声が響き渡っていた。
「このッ、恥知らずのッ、恩知らずのッ、愚か者がぁぁぁぁぁぁッ!!」
口から泡になった唾を吐き出すほどの激昂に支配された老人は、美しい装飾の上品な杖を何度も何度も力任せに目の前の男に叩き付けていた。杖が当たる度に肉と骨に響く鈍い音が鳴り、飛び散った血が床を汚す。
激昂している老人はベクターホールディングス社長のベクター・ロイド。
殴られて見るも無惨に顔面を腫れ上がらせているのはベクター・ロイド・ジュニア。
記者会見での落ち着き払った姿からは到底想像の出来ない剣幕の折檻はかれこれ数十分続いていた。ベクター・ロイド・ジュニアはずっと無言で耐えていたが、殴られる度に拳を握って耐える様は痛々しい。
ふー、ふー、と、荒い息を吐いて真っ赤に充血した目でジュニアを睨んだベクターは、そこで杖で床をガツ、と突いた。
「私が何故これほど怒っているのか、貴様に分かるか!!」
「……」
ジュニアは何も言わない。
言えないのではなく言わない。
ベクター・ロイドという男がどのようなプライドを持ち合わせて人に暴力を振るうのかを誰よりも知っている息子だからこそ、沈黙こそが最低の中の最善であることを知っている。
ベクターは何も言わない息子の太ももを杖で強かに叩く。
バチィ、と鋭い音が響いてジュニアは悶絶した。
「貴様が愚かな真似をするのは勝手だ!! イシューの馬鹿弟子が嵌められようと知ったことか!! だがな!! だが、天下を取ったベクターとしてどうしても言わねば気が済まんッ!!」
建設や建築は、必ず人の命とともにある。
おざなりな建築をすれば、その報いは必ずいつか誰かの生活を奪い取る。
そうならないために基礎に忠実で誠実であるのが建設業のあるべき姿。
――などと、そんな道徳的なことをこの老人が言う筈がない。
「やるなら誰にも証拠を掴ませずにやり遂げろ!! 裏切り者や失敗する無能を計画に組み込むな!! この私の顔に泥を塗るような行為を、息子の貴様がするなど断じて許せんッ!! 私の遺伝子で生まれ、私の金で育ち、私の地位の傘の下で勉学を学んだ貴様が私に、この私に尻拭いをさせることなど究極の親不孝なのだッッ!!!」
支配者としてのプライドの塊は、一度怒りに身を委ねれば止まらない。
ベクターは実の息子の頭を更に滅多打ちに殴り続けた。
頭皮が割れて血が噴き出し、ジュニアの顔が鮮血で染まっても尚気が収まらずに殴った。
「貴様は何を学んできたのだッ!! 君臨者がどのように振る舞い、何を為すべきかまだ理解しておらぬのかッ!? このロイド家で、このベクターで、このジルベスでぇぇぇッ!!!」
バキィ、と、痛烈な音。
とうとう怒りの一撃がジュニアの歯をへし折った。
それでも憤怒の形相のままだったベクターだが、そこでまるで自分が譲歩して大人の対応を見せるかのように「まぁいい」と杖をジュニアの前に突き出す。ジュニアは滴る血も口の中に広がる血の味も無視して杖をハンカチで丁寧に拭いた。それがジュニアが子供の頃から仕込まれた「しつけ」の作法だった。
「……お前の思惑に気付かず、対応も杜撰極まったイシューには愛想が尽きた。あれに比べればお前の方がまだましではある。なのでチャンスをやる」
「はい、父上」
ジュニアの声には感情が籠もっていないが、その静けさの奥に微かな怒りが漏れ出ていた。
ベクターはジュニアが自分のことを好きではないことは知っているが、その怒りを力に変えてここまで駆け上ってきたことも知っているが故に、多少の無礼は見過ごしている。ベクターには遠く及ばなくとも、継ぐくらいのことは出来るという見下した信頼だった。
頭に登った血が降りてきたベクターは、社長室の窓から外を眺め、葉巻を取り出す。
シガーカッターで先端を切り落とすと、カッターに備わった機能で同時に葉巻に火がつく。
その煙をたっぷりと吸い、吐き出したベクターは振り返った。
「あのアルなんとかという社員を消さずに帰したのは、あんな男が『チューボーン』を全滅させられる訳がないからだ。あれはうちの犬の中では優秀だった。チンピラのような軍人崩れを雇った程度ではどうにも出来ない程にはな。ならば、あの男の後ろに『何か』いる筈だ。あとは分かるな?」
「探し出して、消せと」
「先走るな。トライオス社のちょっかいだとすると厄介だ。消すなら私の指示を仰げ。まぁ、消していい程度の奴ならば消していい。とにかく、誰が相手だったのかを調べ上げろ」
「はい、父上」
「下がっていい。結果が出るまでこの部屋のカーペットを踏むことを禁じる」
ベクターは息子の顔を見もせずに葉巻を吸うことに意識を注いだ。
それを異常とも思わず部屋から出たジュニアは、扉が自動で閉まると同時に懐から金属製の無針注射を取り出すと首元に当てて使用する。
これは軍用の強力なナノマシンが入っており、断裂した筋繊維や血管、神経をつなぎ合わせて破壊された部位の代わりを務め、肉体の再生を促す優れものだ。価格は一つにつき約一億ジレア――これはジルベスでは富裕層ですら簡単に手を出せない値段である。
この意味があるとは思えない折檻の為だけに、ジュニアはいつもこれを持っている。
その無針注射を、ジュニアは怒りを込めてへし折る。
「クソじじいが……手前こそ自分で自分の感情もコントロール出来ない無能の分際で……政府に散々ケツ拭いて貰った分際で……アルフレドに言われるまで気付いてなかった上に名前も覚えられない間抜けの痴呆老人の分際で……」
ぶつぶつと呟くジュニアの手の中で、無針注射器がべきりと折れ、ねじ曲げられ、もはや原形を留めない小さな塊にまでごりごりと音を立てて圧縮されていく。金属製の筒を、素手で。
「まぁ、いい。次期社長の座がイシューに渡らないならチャンスは幾らでもある。その前に、アルフレドを……あの裏切り者を唆した汚らしい蛆虫を炙り出して捻り潰してやらないとなぁ……」
血で真っ赤に染まったジュニアは、憤怒とも憎悪とも歓喜とも取れない歪な笑みを浮かべてその場を後にした。
社内の幹部用の自室でシャワーを浴びて着替える道すがらに出会った女性社員の悲鳴が煩わしかったので、悲鳴を上げられなくなるまで顔を殴って気を晴らした。社員は階段から落ちて大けがという扱いになったが、ジュニアはその話を聞いたときには社員の存在も殴ったことも忘れていた。
◇ ◆
何でもない日常の、スクールバスの中。
しかしその日は学生たちは浮き足立っていた。
話題は専ら、ラージストVに名を連ねる大企業ベクターホールディングスからの発表だ。
「うちの家もそのSBPってやつでさぁ。賠償金貰えるから今夜はちょっといいレストラン行けるんだよ」
「怖いよね、欠陥建築とか。マジ天井落ちてきたらどうしようかと思ったよ」
「でもまぁ殆ど見逃してもいいくらいの欠陥なんだろ? 対策もピラーに震動制御装置を入れるだけだから大規模な工事はしなくていいって言うしさ」
世間では、SBP構造の欠陥という話ではなく『ちょっとした想定外』程度のニュアンスで話が伝わっていた。政府もベクターも構造的欠陥というワードを用いて民心の不安を煽りたくなかったのだろう。ベクターの素早い対応にはむしろ企業としてのクリーンさをアピールする結果となり、「流石大企業ともなると気配りが違う」と称賛さえ受けていた。
逆に、この欠陥が極めて深刻であることに気付いた者もいたが、そうした人々は陰謀論を唱える主義者だとのけ者扱いされ、更には本物の主義者による意味不明な陰謀論も溢れ出たことで余計に世間は「そういうもの」として真実に見向きもしなかった。
各種メディアは勿論政府の意向に従った内容しか出さず、真実を報道したのは世間が見向きもせず、国会議員等から名指しで嘘つき呼ばわりされるようなマイナー独立メディアだけだった。
『S:まぁ、どちらにせよ震動制御装置云々は真実。これで問題は解決だ。なべて世は事もなしってね』
『O:パニックで交通渋滞が起きないなら、俺としては結構なことだ』
スクールバスでスマホを見つめながら、オウルはまだ少し疼く足を組んで欠伸をする。
結局、あの後アルフレドはSBP構造開発社構造の改善案と、解体会社チューボーンの末路を証明するクラウンの『生首』をアタッシュケースに入れてベクターズホールディングスの社長に直接面会した。本来なら会える立場ではないが、そこはクアッドが小細工をした。
アタッシュケースの中から出てきたクラウンの生首と対面したベクター・ロイドの顔は見物だった――ケースに盗撮カメラを仕掛けていた――が、彼の判断は思いのほか早かった。アルフレドに大金を握らせてこの件に関する一切の口外を禁止すると、会社の内部調査の結果にでっちあげて構造的欠陥への対応を即時決定した。
そのアルフレドだが、ベクター主導の不幸な事故で急に社会から消える前にテウメッサが手を貸して別人として生きているそうだ。利用価値があるからだそうなので、テウメッサに一任してある。
『O:自分の会社の実働部隊を誰かも知らない相手に消されたあのタヌキ社長、会見では善人ヅラしてたが腹の内がどうなってたのか興味があるな』
『S:ひねくれ者だなぁ君は。そもそも今日だって体調不良で休んでおけば良いのに。足、まだ疼くだろ?』
別に両足を捻って脱臼しようが神経と筋がずたずたになろうが、最新式の注入型治療ナノマシンをしこたま所有しているクアッドなら一晩で再生出来る。とはいえ、流石に重傷を負えば暫くは疼く。だが、疼いたから何なんだとオウルは馬鹿馬鹿しく思う。
『O:疼き程度で休む殺し屋がどこにいる。俺らはアスリートじゃないんだぞ』
『S:全国のアスリートを敵に回す発言だね』
『O:クローズドチャットで何をほざこうがアスリートには聞こえないよ』
そう、誰も真実など聞いてはいない。
企業の内輪で発生した不祥事と、それを国民の耳障りのいい内容に変えるマスメディア。それを指示するジルベス政府。力を持たない国民は真実を知るきっかけを与えられず、真実を掴んだ者も虚構に生きる主義者の妄言に埋もれていく。
誰も真実など求めていない。自分にとって都合の良い情報だけを求め、他の一切から目を逸らし、或いは気付きもせずに生きていく。
ジルベス合衆国はそういう国で、オウルはそれをそういうものとして受け入れて、その上で皮肉る。
何も知ろうとしない馬鹿共は、最後には真実すら捏造を始めるだろうと。
と、隣の席にユアが座った。
勿論彼女の動向はリアルタイムで全て把握しているが、彼女がどこの席に座るかまでは予想していない。
「おい、なんで隣なんだよ」
「詰めて座るのがスクールバスのルールだし」
オウルは先だってのビル崩壊で順路が変わったことで朝のスクールバスの一番乗り、そしてユアは二番乗りになっている。理には適っているが、他の学生がそのルールを守っているようには見えなかった。
肩が触れそうなくらい近くに座ったユアは、オウルをじろじろ見た。
「なんだよ」
「昨日と同じだなぁって」
「当たり前だろ? 俺は俺だ」
ユアは「そっか」と頷くと、スマホを弄りはじめる。
『Y:ありがとう、みんな』
『O:???』
『Y:私には何が起きてどうなったのか全然分かんないけど、多分このニュースに関わってるんだろうなって勝手に想像して感謝しました』
『O:変な真実を捏造するな』
『Y:違うの? こないだビル吹き飛ばしたみたいに無茶したんじゃないかなって思ったんだけど』
『S:正解! もーYちゃんのために頑張りすぎちゃってさ! 主にOが!』
『O:おい』
スマホを弄るオウルの眉間に皺がよるが、ユアはおかしそうに笑っていた。
『Y:多分あのニュースの裏でいろんなことがあったんでしょ? その上で私たちの日常は平和が保たれてる。そんな大作戦を決行したあとも平気な顔で日常に紛れてるオウルを見て、なんか変身ヒーローっぽいなぁって』
『O:やめろ、鳥肌が立つほど薄ら寒い』
『S:ツンデレヒーロー』
『T:ツンデレヒーロー』
『M:ツンデレヒーロー』
『O:暇かお前ら』
『Y:本当にありがとね、オウル』
オウルは即座にスマホの画面をオフにした。
ユアはその様子がおかしいのか隣でにこにこしている。
悪意も邪気もない純粋な好意の視線が何とも居心地の悪さを感じる。
(やりづらいなこいつ……まさか殺し屋に感謝とは、とぼけてるのかずぶといのか分かったもんじゃない)
ユアは自分のワガママが理由で何十人もの人間が無惨に散らされていったことも、その実行犯がオウルであることも知らず、しかし誰も知らない筈なのにSBP構造の闇を暴いて今の平穏を手繰り寄せたのがクアッドであることだけは察している。
これまでまったくいなかったタイプの人間なのか、それともこれが普通なのだろうか。
(真実は知らないくせに、真実に一番近いのがこれとはな……すごく変な気分だ。この感覚には暫く慣れそうにないな)
ため息を漏らしたオウルは、改めて今回の仕事を振り返る。
思い返してみれば死んだのは死んで当然の屑しかおらず、結果として社会から大きな問題が一つ消え去った。とはいえ、たった一人の少女の心の平穏を保つ為にこれだけ殺さないといけないのなら、それはもう社会そのものに問題があるのが悪い。
もしかしたら、ユアを害する者の殺害という命令にはそういう意味があったのかもしれない。
彼女を通して社会を浄化せよ、と。
(さしずめ俺らはダークヒーローか。馬鹿馬鹿しいが、ならば尚更に楽しむべきだな。でないとまともにやっていられん)
オウルが気持ちを切り替えると、ユアは何故かすぐに気付く。
「あれ、オウルなんか機嫌よくなった?」
「……かもな。にしてもお前よく人の顔見てるな。そんなにハンサムか、俺の顔は?」
「それはないかなぁ。でもイケメンは観賞用だからオウルは別腹だよ?」
「どういたしまして。でも宿題は写させてやらん」
「えー、けち! いーじゃんちょっとくらいさぁ……」
ぞんざいに返すが、ユアは頬を膨らませながらもどこか楽しそうだった。
こんな他愛のない会話をこれからも続けるために、オウルたちは何人だって人を殺す。
ユアの平穏を歪める相手は、誰であろうとだ。
ただ、ユア自身が善良な国民なので、殺す相手は善良な市民を脅かす存在になる。
それがおかしくてたまらない。
(殺せば殺すほど社会が綺麗になりますってか? 俺好みの最高な皮肉じゃないか。いいぜ、やってやるよ)
ユアのためだけのダークヒーロー。
それがクアッドの新たな在り方だ。
一ジレア=十円くらい。
これにて第一章完って感じです。
こっからどんどんアクセルかけていければいいな。
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